落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

日はまた昇る

2006年01月28日 | movie
『RIZE』
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先週に引き続きアフリカ系─ひらたくいうところの黒人─映画。
えーと・・・ちょっと疲れました。2週連続ってこともあるかもしれない。ドキュメンタリーだしね。ドキュメンタリーって重いじゃないですか。ぐり自身ヒップホップとかダンスにも全然疎いですしー。
ちょうどぐりの右隣は若い白人のアメリカ人カップルだったんだけど、この女の方はずーーーーーっとぺちゃくちゃ喋りっぱなし、反対の左隣の若い男(もちろん日本人)はいびきかいて寝まくり。
まぁだからぐりは決して退屈はしなかったけど、退屈してた観客もいたってことです。

内容は重いです。
舞台はロサンゼルス、サウスセントラル地区。全米で最も危険なスポットともいわれるほど治安の悪い地域。映画を観ていても画面に映ってるのはほとんどが黒人。白人は2シーンにしか登場しない。そして彼らは等しく貧しい。大抵の家庭には父か母が欠けている。最初からいないか、子どもが生まれてから死んだか消えたか、あるいは刑務所に入っている。家によっては両親ふたりともが不在だったりもする。いても失業していたり、ヤク中だったりする。教育程度も低い。ドラッグが蔓延しいくつものギャング団が暗躍している。子どもたちには、ドラッグにハマって死ぬか、ギャングに入って抗争に巻きこまれて死ぬか、あるいは捕まって刑務所に入るかのいずれかの将来しかない。こわすぎる。
それほど荒廃したこの地域で生まれたダンス─クラウン・ダンス、クランプ・ダンスなどと呼ばれる─に青春を駆ける若者たちの姿を描いたのがこの映画だ。

激しい踊りだ。
派閥があったりグループが細かくわかれていたり、どれも似ているようで少しずつ特徴があり、中にはブレイクダンスやバレエやモダンやタップやラテンなど他のダンスの影響を受けたスタイルもみられるが、どの踊り手のダンスにも共通しているのは「暴力的なまでに過激である」という点である。
それは本当に一見暴力にみえる。ふたりのダンサーが向かいあってテクニックを競いあう様はまさに格闘技のようだ。
だが実際にはそれは暴力ではない。誰も傷つかない。ただのエンターテインメント、肉体を使ったアートに過ぎない。とても平和だ。
そう、それほどまでにここに住む子どもたちは自己主張する対象に餓え、主張すべき怒りに満ちた人生を強いられているのだ。
彼らの踊りが過激であればあるほど、乱暴であればあるほど、彼らの怒りは美しく力強く昇華されていくのだ。

とはいえダンスも万能薬ではない。今も暴力とドラッグはサウスセントラルに猛威をふるっている。
ダンスに救われた子どもたちもいる。彼らにとってダンスは「命の恩人」かもしれない。しかし全体からみればせいぜい「ないよりまし」といった程度かもしれない。
それが現実だ。
タイトルの‘RIZE’とは、起きる、回復する、立ち上がる、上がる、のぼる、高まる、生じる、発する、蜂起する、という意味をもつ「rise」に通じている。
でも、ぐりの目には、彼らは暴力のカオスへ振り落とされまいとして「ダンス」にしがみついているようにみえた。その満身の力をこめてしがみついた拳の硬さが、あの暴力的な踊りに表現されているようにもみえた。

映画は退屈がっている観客がいても仕方がないような構成ではあった。
まとまりがなく、華麗なダンスシーンと激しい音楽に過分に頼ったようなつくり方になってしまっているのは否定のしようがない。
逆に、作為的な演出を極力避けて、対象をあくまでストレートに、敬意をもって画面に写しとりたいという意図は素直に感じられたし、その点は好感がもてました。
そして、躍動する肉体の美しさの前には言葉もない。どれだけの不幸と苦悩を背負っていようとも、人間は神に愛された生き物であることを、改めて思い知らされました。
人間ってホント、きれいです。

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