落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

籠の中の鳥は

2023年11月03日 | movie

『大いなる自由』

ドイツでは1871〜1994年の間、刑法175条で男性同性愛が禁じられていた。女性同性愛は「存在しないもの」とみなされていただけで認められていたわけではない。
戦後から繰り返しこの罪で投獄されたハンス(フランツ・ロゴフスキ)というひとりの男性の20年以上にわたる獄中生活を描く。
2021年カンヌ国際映画祭ある視点部⾨審査員賞受賞、2022年アカデミー賞国際⻑編映画賞オーストリア代表作品。

現在、ドイツでも日本でも、同性愛は罪ではない。
誰でも自由に恋愛し、触れあい、連れ添うことうもできる。いくつかの国と地域では性別を問わず婚姻関係を結ぶこともできるし、子どもをもうけることもできる。
でもほんとうに、その自由は完璧なのだろうか。

もちろん、世の中に「完璧な自由」など存在しない。何にでもどこかしらに制約はある。
ただその制約が当事者を深刻に傷つけ、人格を否定し、人生を損なうようなものなのかどうかが問題だと思う。

昔ある人(とても尊敬していた人)に人権侵害に苦しんでいる人たちの話をしたら「普通の日本人だって人権守られてなんかないよ」とあっさりはねのけられたことがある。
ある意味事実だとは思う。否定はできない。
きっと私の話し方がよくなかったんだと思う。けど私は彼女の言葉にひどくがっかりしたし、それまで長年胸に抱いていた尊敬の念はさっぱりとどこかに吹き飛んでしまった。
勝手に期待した私が馬鹿だったんだろう。

以来、人権について考えるとき、私はいつも彼女の言葉を思い出すようになってしまった。

世界中の紛争地で暴力にさらされ、大切なひとを喪い、故郷を追われ、命を奪われる人たち。
先進国から輸出されたごみの有害物質に汚染された地域で暮らす人たち。
低賃金で、危険で劣悪な環境での労働を強いられている人たち。
軍事勢力の圧政下で教育の機会を奪われ脅迫されている人たち。
罪もなく身柄を拘束され拷問に苦しめられている人たち。
核汚染によって安全な暮らしを失った人たち。

現実にはとてもこんなところでは挙げきれないほどの人権問題が溢れている。
当事者にとっては生命の危機に瀕する問題だけど、「普通の日本人だって人権守られてなんかないよ」と思う人たちにとっては、そんなの考えたってしょうがない、どうでもいいことなのかもしれない。

だけどその「普通の日本人」のいまここにある当たり前の自由も、かつては自由じゃなかったことを忘れるのは、正しくないと私は思う。

屋根も壁もある家で暮らせる。
好きなときに好きな場所にいける。
会いたい人に会える。
食べ物がある。
水がある。
怪我をしたり具合が悪くなったらお医者にかかれる。
学校にいける。
話したいことを言葉にできる。

そういうこと全部が、先人がたたかって獲得し、いまの世代に引き継いでくれたものだ。
私はそれを忘れたことがないし、誰がなんといおうと、絶対に忘れたくないと思っている。

ハンスは同性愛者というだけで何度も逮捕され刑務所に収監されるが(映画では刑期はだいたい1〜2年ぐらいという設定になっている)、彼自身は自身のセクシャリティを決して恥じることなく、常に堂々としている。
寡黙ではあるが意志を通すためなら規則を破ることも厭わない。まもりたいものがあるなら全力でまもろうと尽くす。犠牲を恐れず虐待にも屈しない。

それは初めからそうだったというのではなく、差別の中で生き抜いていく中で身につけた彼なりの処世術なのだろう。
その処世術が彼を強くたくましく凛として優しい人に磨いてきたのかもしれない。
何しろ彼は刑務所にいる誰よりも自由に見えるからだ。
たとえ囚われていても心は縛ることができないことを信じ、希望として彼は生きてきたのではないだろうか。

だが誰もが彼のように生きられるわけではない。
人はそもそも寂しく、孤独で、脆い生きものでしかない。
誰かを愛したり愛されたり大事にされたりしたい懊悩から逃げられず、心の底に抱えて不器用に逡巡する愚かで弱い生きものだからこそ、彼はいくら強かになろうと希望を失うわけにはいかなかったような気がする。

女性のいない刑務所の話なので画面には男しか映っていない。
背景はほんの一部の例外を除いてずっと刑務所。時代とともに微妙に環境は改善されていくけど、所詮刑務所であることに変わりはない。
刑務所だからセリフも最小限しかない。
音楽もない。ファッションもない。グルメもない。
ミニマリズムとはまさにこのことなのではないかと思うくらい最低限の要素しかない映像が、あらゆる飾りを排除して研ぎ澄まされた芸術作品のような印象を与える。
潔いくらいシンプルな映像だからこそ、登場人物たちのわずかな表情の移ろいや短い会話や身体表現の美しさが輝いてみえる。

エンディングがとても悲しい。
法律が変わっても、世界を隔てる鉄格子がなくても、人はなかなかほんとうに自由になることができない。
社会がその自由を認めないからだ。

完璧な自由じゃなくてもいい。せめて自分が手にしているだけの自由を誰にでも認めて受けいれあえる社会が実現できる、そんな希望を誰もがもてたらいいのに。
そう思うと、ひたすら泣けた。
なんの涙かわからなかったけど。

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