少し前のある朝、数年前に亡くなった友人の夢を見て、自分の泣き声で目が覚めた。
「友人」という呼び方はもしかしたら適当ではないかもしれない。
彼女はいつも私を信頼し、どんなときも優しく寄り添い、たまには厳しく叱咤激励してくれたり、くだらないようなどうでもいいような話で笑いあったり、おそらくは、親しい友だちのひとりとして、私に心を許してくれていたのだと思う。
なのに私は、彼女に一度たりとも心を許すことができなかった。
彼女は何も悪くない。私が全部悪いのだと思う。
彼女と出会ったのは、ちょうど10年前のことだ。
当時、何の経験もないNGOの仕事を探していて、パートタイマーで採用になった某NGO関連会社の先輩として私を指導してくれたのが彼女だった。
彼女はそのときすでに退職が決まっていて、その交代要員として採用されたのが私だった。
震災を挟んで数ヶ月間、彼女の指導を受け、引き継ぎを済ませ、彼女は予定通り会社を去っていった。
退職後も彼女はいろいろとまめに連絡をくれて、仕事の相談にのってくれたり、食事をしたり、映画を観たり、買物にでかけたりもした。
彼女の完璧な指導が功を奏したのか仕事は順調で、トントン拍子に成果が出るようになった。もちろん会社は評価してくれたし、彼女はそれを我がことのように喜んでくれた。
彼女自身は仕事を辞めた後、通信教育で勉強をしたりお稽古事をしたり、無職生活をのんびりと過ごしているようだった。
数ヶ月経って、彼女はとある別の団体の職員に誘われて正職員になった。そしてその直後に、私に連絡してきて「うちでいっしょに働こう」と誘ってくれた。
誘ってくれたことはもちろん嬉しかったけれど、私はそのときとりくんでいた分野でキャリアアップをめざしていて、相応に長期的なプランを意識していた。だから始めて間もない仕事を1年も経たないうちに放り出すわけにはいかなかった。申し訳ないけど、彼女のお誘いは丁重にお断りした。
ところが彼女は諦めなかった。
何度も何度も、私の仕事が終わるのが遅かったために、日によっては深夜ともいえる時間でも構わず連絡してきて、「絶対あなたのためになるから」と移籍を迫った。
いくら何をいわれても私の意志は堅かったので、そのたびに私は言を弄してのらりくらりと断り続けた。たとえば「いまの働き方をずっと続けるつもりはない」「職場を移ってもキャリアアップにならないのでは意味がない」「いまとりくんでいる分野をもっとしっかり追求したい」などなど。
それを聞いた彼女は、「後悔はさせない」「必ずキャリアアップになる」「なんなら将来のための踏み台にでも使えばいい」とまでいって正職員のポストを用意してきた。何の気なしに「給料がなぁ」といったら、当時私が受けとっていたアルバイト代の5割増以上の給与まで上長にとりつけてきた。
そのころ毎月のように通っていた震災復興ボランティアの活動さえ、入職後も続けていいと約束してくれた。
ここまできたら、人として、もう断れないなと思った。元の職場を離れるにあたってはそれなりに揉めたが、最終的には労基法に準じて円満に退職し、再び彼女の同僚として働くことになった。
最初に誘われてから半年以上経っていた。
彼女は自分で私を引っ張ってきたという責任意識もあってか、直属の上司でもないのにいつも私の仕事ぶりを気にしてくれて、退勤後はそれこそ毎晩のように夕食をいっしょに食べて帰った。
食べながら仕事の愚痴をいいあったり、恋バナもした気がする。
そんなときの彼女はとてもオープンで、びっくりするぐらい素直で、ある意味、非常に人間らしい人でもあった。
そういう彼女を私は嫌いではなかった。それでいて、この先も彼女を好きになることはないだろうということは確信していた。
なぜなら、彼女には驚くような二面性があったからだ。
二面性どころか、人間なら誰でも多面的であって当たり前だと思う。多面的であっても全然構わないと思う。
ただ彼女は、理想の自分自身を演出することに異常に長けていて、その技が完璧過ぎた。
職場での彼女は誰に対しても大らかで穏やかでスマートでポジティブで、それでいてどんなに厳しい努力も怠らなかった。ITにはやや疎かったが仕事ぶりは優秀で、発言は常にど真ん中のど正論、あくまで物腰柔らかだがしたたかにはっきりものをいう方だったが、それだけに議論にはいっさい無駄がなかった。
身なりは趣味がよく、質の良いものを手入れして長く大事に着ていて、それがまたよく似合っていた。綺麗な人でほとんど化粧はせず、定期的に身体を鍛えているせいか常に明るく溌剌として元気で、フルタイムで働きながら学位を取るべく通信で勉強を続け、論文を執筆し、いくつか習い事までしていた。いま思えば、よく私と遊ぶ時間なんかあったなと思う。
要は、職場で知られていた彼女は、完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンだった。
一方で、私とふたりでいるときの彼女は、全然パーフェクトヒューマンではなかった。
私も他人のことは言えた義理ではないが、彼女の口の悪さは筋金入りだった。誰だって他人の悪口をいいたいときぐらいある。それでも、職場で完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンを演じている彼女のネガティブな悪口雑言を聞いていると、つい「きっと私のことも陰ではいろいろいってるんだろうな」と思わず背中が寒くなるような気分がした。
口が悪いだけではない。
彼女は、普通、それは他人に話してはいけないことではないのか?という体験談もしばしばした。有り体にいえば違法行為に類することだ。それも、おそらく私だけに。
彼女がいなくなってもう何年も経つけれど、私は彼女の打ち明け話のすべてを、このまま墓まで持っていくしかないと思っている。死ぬまで、口が裂けても誰にもいえない話ばかりだった。
いまでも、彼女がなぜあんな話を私にしていたのか、理由はまったくわからない。私を信用してくれていたのかもしれないけど、彼女のいくつもの打ち明け話は、赤の他人の私が背負うにはあまりにも重過ぎた。
そんな彼女の二面性に、いつしか私はほとほと疲れ果てていた。距離を置きたいと真剣に思ったこともあるし、実際に距離を置いたこともある。
それなのに、気づけば関係性は自然と元に戻っていた。戻るように彼女が努力してくれていたのだろうと思う。
私たちは同じ職場の先輩後輩として、仲良くいっしょに働いて、夜はいっしょに食事をして、休みの日にはときどき待ち合わせてどこかに出かけたりした。
彼女は将来パートナーと海外に移住する計画をたてていて、移住先で起業するつもりでいた。学位や習い事は全部そのためだった。あなたもいっしょにきてビジネスしようよ、大丈夫、絶対うまくいくからと、彼女は笑って話していた。
私は顔では笑いながら、心の中では「とんでもない」と思っていた。そんなことしたら本気で逃げ場がなくなる。
そんなふうにして何年か経った。
やがて移住の話が具体化して、彼女は準備のために退職することになった。
退職が決まったとき、心の底から力一杯安堵したことを、いまでもはっきり憶えている。
自分でも人でなしだと思う。これだけお世話になっておきながら何の恩返しをするでもなく、ただ離れられると知って胸の内では小躍りする人間なんか最低だ。
ほんとうに申し訳ないとは思うが、私は彼女との関係にとことんうんざりしていた。逃げ出したくてたまらなかった。彼女の方からいなくなってくれるなんて、これほどありがたいことはない。書いていて自分の腹黒さに気持ち悪くなるけど、そのときは正直にそう思った。
退職後も、例によって彼女はまめに連絡をくれて、食事したり映画を観たりしたことが何度かあったけれど、彼女の方でも流石に私の心情に思い当たるところがあったのか、そのうち連絡は途絶え、疎遠になっていった。
そして1年経って、彼女は亡くなった。
突然の病死だった。
遺族の希望で私は葬儀に参列したが、それは葬儀と呼ぶにはあまりにも寂しいものだった。
参列したのは、生前ほとんどつきあいがないといっていた数人の親族(あとで20年以上あっていなかったと聞かされた)と、パートナーと、私と、退職前の直属の部下で、全部合わせても両手で数えられるほどの少人数で、場所も葬儀場ではなく火葬場だった。
パートナーはひどく冷静で、彼女が最期まで人生に満足して、幸せなまま、苦しむこともなく世を去ったことは幸運だと、にこやかに話してくれた。
時間になって、炉の前で彼女と最後のお別れをした。
いつもの普段着を着て棺の中に横たわった彼女は、ほんの少し顔色は悪かったけれど、ただ目を瞑って軽く唇を開いて、ぐっすり眠っているだけのように見えた。みんなで棺に花を詰めたが、参列者が少なくて、詰めても詰めても花がなくならなかった。
親族のひとりが「せっかく20年ぶりに会えたのに。生きている間に会いたかった」と泣いていた。
お別れの時間が終わり、彼女の棺は静かに炉の中に運ばれていった。
炉の扉が閉じられ、お坊さんがお経をあげている間、参列者一同は頭を垂れて手を合わせて拝んでいたが、私の目の前に立っていたパートナーの丸まった背中が激しく震え、両足を交互に細かく踏み換えながら、必死に嗚咽を堪えているのがわかった。
私はその背中を、手のひらでゆっくりゆっくり、長い間、撫でていた。
ただただ、撫でさする以外、何もできなかった。
彼女が焼かれている間、火葬場の喫茶室で参列者みんなでお茶を飲んだ。
近年の彼女を知らない親族は生前の彼女がどう過ごしていたかを知りたがり、パートナーは彼女が常に誇りにしていた私たちとの仕事のことを知りたがった。
問われるままにあれこれと答えているうちにあっという間に時間が過ぎ、みんなで彼女のお骨を拾った。
参列者が少な過ぎて、真っ白になったお骨は拾っても拾ってもなかなか骨壺いっぱいにならなかった。
私は、たくさんいたはずの彼女の友人が誰ひとり葬儀に招ばれなかったことで、やはり、彼女はほんとうの自分の姿を誰にも見せたくなかったのではないかと思った。
火葬場の外の立派な桜の並木が満開で、風に吹かれた花びらがひらひらと大量に舞っていた。
その夜、私はやめていたお酒を飲むために数年ぶりにバーに入り、ひとりでワインを2本空けた。
飲んでも飲んでも酔いが回らず、葬儀では一滴も出なかった涙ばかり流れた。
葬儀の後、彼女のパートナーが何度か連絡をくれて、お茶を飲んだり食事をしたりした。
彼がいうには、彼女は生前、私のことを頻りに心配してくれていたらしい。彼の中でも、私は彼女の友人ということになっていた。彼は彼女のスマホを開いて、亡くなったその晩に、彼女が自室のベッドで自撮りした写真を見せてくれた。自撮りが好きだった彼女の柔和な表情は確かに、満ち足りて幸せそうに見えた。
それから私は彼のメールにろくに返信しなくなり、まもなく、彼は予定通り日本を離れた。
彼女と私との関係は、そうして消えた。
もう地上には存在しない彼女のことを、私はいつも忘れたかった。
完全に忘れてしまいたかった。
でもどんなにそう願っても、彼女が私の心の中に残していった歪で仄暗く気味の悪い「何か」はどこにもいってくれなかった。
わかりやすくいえば、トラウマのようなものだ。
ときどき彼女は心の中から勝手に這い出てきて、私がずっとずっと彼女を騙していたことを思い出させた。
二度と取り返しのつかないことを、私はした。
好きでもない、信頼もしていない彼女の前で、何年も、まるで友人であるかのようなふりを続けていた。
私に、それ以外に何ができただろう。
職場の同僚である以上、穏当な人間関係を維持するのは社会人としての常識だ。
それでもどこかに「私はあなたの友人じゃない」と告白するチャンスはきっとあったはずなのに、鈍臭い私はそれをいつも見逃してしまっていた。
そしてその機会は永遠に失われた。
最近、ある人に「心の中に抱えているものを、一度外に出してみよう。どんな形でもいいから、それがあなたに必要だから」といわれた。
私の心の中に抱えているものは、彼女のことだけではない。
ただ、いま外に出せるとしたら、彼女のことぐらいしか思いつかなかった。
外に出したところで、何も変わらないだろうと思う。
あの朝、夢に出てきた彼女は、眉を下げて困ったような顔で笑いながら、「もういいよ」といっていた。
何が「もういい」のかはわからないけれど。
「友人」という呼び方はもしかしたら適当ではないかもしれない。
彼女はいつも私を信頼し、どんなときも優しく寄り添い、たまには厳しく叱咤激励してくれたり、くだらないようなどうでもいいような話で笑いあったり、おそらくは、親しい友だちのひとりとして、私に心を許してくれていたのだと思う。
なのに私は、彼女に一度たりとも心を許すことができなかった。
彼女は何も悪くない。私が全部悪いのだと思う。
彼女と出会ったのは、ちょうど10年前のことだ。
当時、何の経験もないNGOの仕事を探していて、パートタイマーで採用になった某NGO関連会社の先輩として私を指導してくれたのが彼女だった。
彼女はそのときすでに退職が決まっていて、その交代要員として採用されたのが私だった。
震災を挟んで数ヶ月間、彼女の指導を受け、引き継ぎを済ませ、彼女は予定通り会社を去っていった。
退職後も彼女はいろいろとまめに連絡をくれて、仕事の相談にのってくれたり、食事をしたり、映画を観たり、買物にでかけたりもした。
彼女の完璧な指導が功を奏したのか仕事は順調で、トントン拍子に成果が出るようになった。もちろん会社は評価してくれたし、彼女はそれを我がことのように喜んでくれた。
彼女自身は仕事を辞めた後、通信教育で勉強をしたりお稽古事をしたり、無職生活をのんびりと過ごしているようだった。
数ヶ月経って、彼女はとある別の団体の職員に誘われて正職員になった。そしてその直後に、私に連絡してきて「うちでいっしょに働こう」と誘ってくれた。
誘ってくれたことはもちろん嬉しかったけれど、私はそのときとりくんでいた分野でキャリアアップをめざしていて、相応に長期的なプランを意識していた。だから始めて間もない仕事を1年も経たないうちに放り出すわけにはいかなかった。申し訳ないけど、彼女のお誘いは丁重にお断りした。
ところが彼女は諦めなかった。
何度も何度も、私の仕事が終わるのが遅かったために、日によっては深夜ともいえる時間でも構わず連絡してきて、「絶対あなたのためになるから」と移籍を迫った。
いくら何をいわれても私の意志は堅かったので、そのたびに私は言を弄してのらりくらりと断り続けた。たとえば「いまの働き方をずっと続けるつもりはない」「職場を移ってもキャリアアップにならないのでは意味がない」「いまとりくんでいる分野をもっとしっかり追求したい」などなど。
それを聞いた彼女は、「後悔はさせない」「必ずキャリアアップになる」「なんなら将来のための踏み台にでも使えばいい」とまでいって正職員のポストを用意してきた。何の気なしに「給料がなぁ」といったら、当時私が受けとっていたアルバイト代の5割増以上の給与まで上長にとりつけてきた。
そのころ毎月のように通っていた震災復興ボランティアの活動さえ、入職後も続けていいと約束してくれた。
ここまできたら、人として、もう断れないなと思った。元の職場を離れるにあたってはそれなりに揉めたが、最終的には労基法に準じて円満に退職し、再び彼女の同僚として働くことになった。
最初に誘われてから半年以上経っていた。
彼女は自分で私を引っ張ってきたという責任意識もあってか、直属の上司でもないのにいつも私の仕事ぶりを気にしてくれて、退勤後はそれこそ毎晩のように夕食をいっしょに食べて帰った。
食べながら仕事の愚痴をいいあったり、恋バナもした気がする。
そんなときの彼女はとてもオープンで、びっくりするぐらい素直で、ある意味、非常に人間らしい人でもあった。
そういう彼女を私は嫌いではなかった。それでいて、この先も彼女を好きになることはないだろうということは確信していた。
なぜなら、彼女には驚くような二面性があったからだ。
二面性どころか、人間なら誰でも多面的であって当たり前だと思う。多面的であっても全然構わないと思う。
ただ彼女は、理想の自分自身を演出することに異常に長けていて、その技が完璧過ぎた。
職場での彼女は誰に対しても大らかで穏やかでスマートでポジティブで、それでいてどんなに厳しい努力も怠らなかった。ITにはやや疎かったが仕事ぶりは優秀で、発言は常にど真ん中のど正論、あくまで物腰柔らかだがしたたかにはっきりものをいう方だったが、それだけに議論にはいっさい無駄がなかった。
身なりは趣味がよく、質の良いものを手入れして長く大事に着ていて、それがまたよく似合っていた。綺麗な人でほとんど化粧はせず、定期的に身体を鍛えているせいか常に明るく溌剌として元気で、フルタイムで働きながら学位を取るべく通信で勉強を続け、論文を執筆し、いくつか習い事までしていた。いま思えば、よく私と遊ぶ時間なんかあったなと思う。
要は、職場で知られていた彼女は、完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンだった。
一方で、私とふたりでいるときの彼女は、全然パーフェクトヒューマンではなかった。
私も他人のことは言えた義理ではないが、彼女の口の悪さは筋金入りだった。誰だって他人の悪口をいいたいときぐらいある。それでも、職場で完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンを演じている彼女のネガティブな悪口雑言を聞いていると、つい「きっと私のことも陰ではいろいろいってるんだろうな」と思わず背中が寒くなるような気分がした。
口が悪いだけではない。
彼女は、普通、それは他人に話してはいけないことではないのか?という体験談もしばしばした。有り体にいえば違法行為に類することだ。それも、おそらく私だけに。
彼女がいなくなってもう何年も経つけれど、私は彼女の打ち明け話のすべてを、このまま墓まで持っていくしかないと思っている。死ぬまで、口が裂けても誰にもいえない話ばかりだった。
いまでも、彼女がなぜあんな話を私にしていたのか、理由はまったくわからない。私を信用してくれていたのかもしれないけど、彼女のいくつもの打ち明け話は、赤の他人の私が背負うにはあまりにも重過ぎた。
そんな彼女の二面性に、いつしか私はほとほと疲れ果てていた。距離を置きたいと真剣に思ったこともあるし、実際に距離を置いたこともある。
それなのに、気づけば関係性は自然と元に戻っていた。戻るように彼女が努力してくれていたのだろうと思う。
私たちは同じ職場の先輩後輩として、仲良くいっしょに働いて、夜はいっしょに食事をして、休みの日にはときどき待ち合わせてどこかに出かけたりした。
彼女は将来パートナーと海外に移住する計画をたてていて、移住先で起業するつもりでいた。学位や習い事は全部そのためだった。あなたもいっしょにきてビジネスしようよ、大丈夫、絶対うまくいくからと、彼女は笑って話していた。
私は顔では笑いながら、心の中では「とんでもない」と思っていた。そんなことしたら本気で逃げ場がなくなる。
そんなふうにして何年か経った。
やがて移住の話が具体化して、彼女は準備のために退職することになった。
退職が決まったとき、心の底から力一杯安堵したことを、いまでもはっきり憶えている。
自分でも人でなしだと思う。これだけお世話になっておきながら何の恩返しをするでもなく、ただ離れられると知って胸の内では小躍りする人間なんか最低だ。
ほんとうに申し訳ないとは思うが、私は彼女との関係にとことんうんざりしていた。逃げ出したくてたまらなかった。彼女の方からいなくなってくれるなんて、これほどありがたいことはない。書いていて自分の腹黒さに気持ち悪くなるけど、そのときは正直にそう思った。
退職後も、例によって彼女はまめに連絡をくれて、食事したり映画を観たりしたことが何度かあったけれど、彼女の方でも流石に私の心情に思い当たるところがあったのか、そのうち連絡は途絶え、疎遠になっていった。
そして1年経って、彼女は亡くなった。
突然の病死だった。
遺族の希望で私は葬儀に参列したが、それは葬儀と呼ぶにはあまりにも寂しいものだった。
参列したのは、生前ほとんどつきあいがないといっていた数人の親族(あとで20年以上あっていなかったと聞かされた)と、パートナーと、私と、退職前の直属の部下で、全部合わせても両手で数えられるほどの少人数で、場所も葬儀場ではなく火葬場だった。
パートナーはひどく冷静で、彼女が最期まで人生に満足して、幸せなまま、苦しむこともなく世を去ったことは幸運だと、にこやかに話してくれた。
時間になって、炉の前で彼女と最後のお別れをした。
いつもの普段着を着て棺の中に横たわった彼女は、ほんの少し顔色は悪かったけれど、ただ目を瞑って軽く唇を開いて、ぐっすり眠っているだけのように見えた。みんなで棺に花を詰めたが、参列者が少なくて、詰めても詰めても花がなくならなかった。
親族のひとりが「せっかく20年ぶりに会えたのに。生きている間に会いたかった」と泣いていた。
お別れの時間が終わり、彼女の棺は静かに炉の中に運ばれていった。
炉の扉が閉じられ、お坊さんがお経をあげている間、参列者一同は頭を垂れて手を合わせて拝んでいたが、私の目の前に立っていたパートナーの丸まった背中が激しく震え、両足を交互に細かく踏み換えながら、必死に嗚咽を堪えているのがわかった。
私はその背中を、手のひらでゆっくりゆっくり、長い間、撫でていた。
ただただ、撫でさする以外、何もできなかった。
彼女が焼かれている間、火葬場の喫茶室で参列者みんなでお茶を飲んだ。
近年の彼女を知らない親族は生前の彼女がどう過ごしていたかを知りたがり、パートナーは彼女が常に誇りにしていた私たちとの仕事のことを知りたがった。
問われるままにあれこれと答えているうちにあっという間に時間が過ぎ、みんなで彼女のお骨を拾った。
参列者が少な過ぎて、真っ白になったお骨は拾っても拾ってもなかなか骨壺いっぱいにならなかった。
私は、たくさんいたはずの彼女の友人が誰ひとり葬儀に招ばれなかったことで、やはり、彼女はほんとうの自分の姿を誰にも見せたくなかったのではないかと思った。
火葬場の外の立派な桜の並木が満開で、風に吹かれた花びらがひらひらと大量に舞っていた。
その夜、私はやめていたお酒を飲むために数年ぶりにバーに入り、ひとりでワインを2本空けた。
飲んでも飲んでも酔いが回らず、葬儀では一滴も出なかった涙ばかり流れた。
葬儀の後、彼女のパートナーが何度か連絡をくれて、お茶を飲んだり食事をしたりした。
彼がいうには、彼女は生前、私のことを頻りに心配してくれていたらしい。彼の中でも、私は彼女の友人ということになっていた。彼は彼女のスマホを開いて、亡くなったその晩に、彼女が自室のベッドで自撮りした写真を見せてくれた。自撮りが好きだった彼女の柔和な表情は確かに、満ち足りて幸せそうに見えた。
それから私は彼のメールにろくに返信しなくなり、まもなく、彼は予定通り日本を離れた。
彼女と私との関係は、そうして消えた。
もう地上には存在しない彼女のことを、私はいつも忘れたかった。
完全に忘れてしまいたかった。
でもどんなにそう願っても、彼女が私の心の中に残していった歪で仄暗く気味の悪い「何か」はどこにもいってくれなかった。
わかりやすくいえば、トラウマのようなものだ。
ときどき彼女は心の中から勝手に這い出てきて、私がずっとずっと彼女を騙していたことを思い出させた。
二度と取り返しのつかないことを、私はした。
好きでもない、信頼もしていない彼女の前で、何年も、まるで友人であるかのようなふりを続けていた。
私に、それ以外に何ができただろう。
職場の同僚である以上、穏当な人間関係を維持するのは社会人としての常識だ。
それでもどこかに「私はあなたの友人じゃない」と告白するチャンスはきっとあったはずなのに、鈍臭い私はそれをいつも見逃してしまっていた。
そしてその機会は永遠に失われた。
最近、ある人に「心の中に抱えているものを、一度外に出してみよう。どんな形でもいいから、それがあなたに必要だから」といわれた。
私の心の中に抱えているものは、彼女のことだけではない。
ただ、いま外に出せるとしたら、彼女のことぐらいしか思いつかなかった。
外に出したところで、何も変わらないだろうと思う。
あの朝、夢に出てきた彼女は、眉を下げて困ったような顔で笑いながら、「もういいよ」といっていた。
何が「もういい」のかはわからないけれど。
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