「わが父・溥傑 ラストエンペラーの弟・波乱の生涯」
満州国皇帝溥儀の弟・溥傑と日本華族・嵯峨浩の間に生まれた嫮生さんが、中国で父の足跡を辿る旅のドキュメンタリー。
浩さんの自伝は映画化されたりドラマ化されたりしているが、実はぐりはどれも見たことがないし、本も読んでいない。この機会に読もうと思う。
満州で生まれた嫮生さんは終戦後幼くして父と生き別れ、国共内戦に巻きこまれて戦地を彷徨いながら九死に一生を得て日本に帰ってきた。シベリアに抑留され中国の戦犯収容所に入っていた父とは長い間別れて暮したが、結果的には生きて再会することができた。
きれいな日本語で丁寧に淡々と語る嫮生さんの口調と、真摯で率直な言葉で綴られた父・溥傑氏の手紙や自伝からは、人はひとりで生きているのではない、まして生きていくにはそれぞれが互いに向きあい、相手を思いやることがいちばん大切であるというごく当り前のことが、実感としてせつせつと伝わってくる。
溥傑氏一家の日中友好への願いは深く清々しくまっすぐで、それだけに今現在の日中関係のあまりの愚かしさが虚しく思える。外交とはいったい何のためにおこなわれるものなのか。互いの権利主張を押し通したところで何が解決する訳ではない。まず向きあって相手のいうことをちゃんと聞くことからしか何も始まりはしない。
嫮生さんは今の日中関係をどう思っているだろう。それが聞いてみたい気がしました。
浩さんが中国で亡くなったとき、遺体に取りすがって「浩さん、浩さん」と泣く父の姿を見て嫮生さんは「たいへんな苦労はしたけど、夫にこれほど愛し抜かれた母は女性として幸せな一生だったんではないか」と思ったそうだ。
溥傑氏と浩さんは政略結婚ではあったけど、心の底から信頼し尊敬しあった愛情深い夫婦だった。生まれ育った国も環境も全然違っていたけど、ふたりにはそんなことは関係なかった。
人間には本来そうした壁を乗り越える能力はあるのだ。今の日本人と中国人は、そのことを忘れているのではないだろうか。互いの壁取り払い、溝をうめる努力を惜しまないこと。簡単なことではないかもしれないけど、今の日本と中国にもっとも必要なことは、それなんではないだろうか。
満州国皇帝溥儀の弟・溥傑と日本華族・嵯峨浩の間に生まれた嫮生さんが、中国で父の足跡を辿る旅のドキュメンタリー。
浩さんの自伝は映画化されたりドラマ化されたりしているが、実はぐりはどれも見たことがないし、本も読んでいない。この機会に読もうと思う。
満州で生まれた嫮生さんは終戦後幼くして父と生き別れ、国共内戦に巻きこまれて戦地を彷徨いながら九死に一生を得て日本に帰ってきた。シベリアに抑留され中国の戦犯収容所に入っていた父とは長い間別れて暮したが、結果的には生きて再会することができた。
きれいな日本語で丁寧に淡々と語る嫮生さんの口調と、真摯で率直な言葉で綴られた父・溥傑氏の手紙や自伝からは、人はひとりで生きているのではない、まして生きていくにはそれぞれが互いに向きあい、相手を思いやることがいちばん大切であるというごく当り前のことが、実感としてせつせつと伝わってくる。
溥傑氏一家の日中友好への願いは深く清々しくまっすぐで、それだけに今現在の日中関係のあまりの愚かしさが虚しく思える。外交とはいったい何のためにおこなわれるものなのか。互いの権利主張を押し通したところで何が解決する訳ではない。まず向きあって相手のいうことをちゃんと聞くことからしか何も始まりはしない。
嫮生さんは今の日中関係をどう思っているだろう。それが聞いてみたい気がしました。
浩さんが中国で亡くなったとき、遺体に取りすがって「浩さん、浩さん」と泣く父の姿を見て嫮生さんは「たいへんな苦労はしたけど、夫にこれほど愛し抜かれた母は女性として幸せな一生だったんではないか」と思ったそうだ。
溥傑氏と浩さんは政略結婚ではあったけど、心の底から信頼し尊敬しあった愛情深い夫婦だった。生まれ育った国も環境も全然違っていたけど、ふたりにはそんなことは関係なかった。
人間には本来そうした壁を乗り越える能力はあるのだ。今の日本人と中国人は、そのことを忘れているのではないだろうか。互いの壁取り払い、溝をうめる努力を惜しまないこと。簡単なことではないかもしれないけど、今の日本と中国にもっとも必要なことは、それなんではないだろうか。
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