『それでも僕は帰る』
2011年に始まった「アラブの春」以降、政府軍と反政府軍の争いが続くシリア。
サッカー選手だった19歳のバセットと、友人で市民カメラマンのオサマは故郷ホムスをまもる闘争に身を投じるが、それは終わりのない暴力の嵐の幕開けに過ぎなかった。
サンダンス映画祭2014ワールド・シネマ ドキュメンタリー部門グランプリ受賞。クラウドファンディングで日本でも公開。
ホムスは人口120万人を擁するシリア第三の大都市。紀元前まで起源を遡る古都で、首都ダマスカスとアレッポの中間に位置する。日本でいうと名古屋みたいなもんでしょうか。
そこが戦場になるわけです。
まだISがはいってくる前だから、そこで飛び交う弾丸の多くは政府軍のものだ。反政府勢力ったって人数にすればわずか数百人単位、資金は個人の寄付だから武器調達能力にも限界はあるし、組織力だってたかが知れている。
それを政府軍がボッコボコにやるわけです。文字通りボッコボッコのフルボッコ。容赦ない。
カメラはずっとバセットのそばにいて、ひたすら彼の日常をとらえ続ける。
デモ隊のなかにいてみんなで歌を歌っていたころの映像には誰もが見覚えがあるだろう。中東地域で火が燃え広がるように拡大した「アラブの春」の、自由をもとめる人々の希望と熱意に満ちた歌声。
それが銃撃され、銃弾はやがて砲撃に変わり、人々は町からいっせいに去っていった。大人も子どもも誰も彼もが、我が家を捨てて逃げた。残ったのは戦士と、逃げ場のない貧困層だけ。
120万人はどこにいったのか。難民である。ヨーロッパを大混乱に陥れ、いまも世界中でもっとも関心の高い政治問題のひとつとなった難民問題の現在の最大の契機が、このシリア内戦だ。それがいかにして起こったかが、よくわかる。
世に流布している難民問題でとりあげられるのは主に国外難民だが、国内に残った人たちはどんな人物なのか、そこで何が起こっていたのかを取材したのが、ほかならぬシリア人映像作家の手で撮られたこの作品だ。
歴史ある美しい町が、画面のなかで見る間に破壊されていく。
破壊なんて生易しいもんやないな。壊滅?とにかくムチャクチャになる。
こちらは去年公開された映像。
ここに120万人が住んでいた。それを、政府軍は徹底的に破壊しつくした。
劇中、最初は夜、クルマでヘッドライトを点けずに移動(ものすごく怖い)していたバセットが、道路はもう危険だからと破壊され無人となった家から家へ、壁に開いた穴づたいに移動していく長いシークエンスがある。数えきれない家々の、瓦礫に埋もれ焼け焦げた家具調度やファブリックや日用品に、そこで暮していた人々の面影が濃く重なる。彼ら自身はそこに映ってはいない。だが、長い年月、愛する家族と人生を過ごしたであろう我が家をこんな形で追われた彼らの心中を思うと、その荒廃ぶりにただただ胸が痛む。
ここに、人が住んでたのに。でももう彼らはいない。どこかに行ってしまった。もしくは死んでしまったのだ。
画面のなかでもどんどん人が死んでいく。
さっきまでそこで笑ってた人が、次に映るときはもう動かない遺体になっている。なのに悲しむヒマすらない。
カリスマ的な人気を集めたバセットの周りの市民兵たちも減っていく。それでも彼は戦い続ける。彼らのために食糧を調達しようとした人たちも死ぬ。オサマは政府軍につかまって消息を絶つ。
バセットも何度も怪我をする。サッカー人生は断たれてしまった。彼に残されたものもわずかになっていく。20歳そこそこでもさすがに疲れを口にする。戦闘中、ケータイに親族から電話がかかってくる。誰かの名前を口にして、「あいつなら死んだよ」と告げて電話を切る。
内戦の前線の日常。反政府軍という言葉では顔の見えない、ごくふつうの若者の顔。覆面もスカーフもない、アルファベットのロゴの入ったTシャツを着てジーンズにブーツ姿の、どこにでもいるようなかわいい男の子。
そこに正義は見えない。見えるのは「故郷をまもりたい」という正義感と大義名分だ。その背後に見えるのはもうムチャクチャになってしまった故郷の風景。
バセット個人にフォーカスすることで、そこに不在のシリアのふつうの人たちの声が、心の中から聞こえてくる。この戦争はいったい誰のための戦争なのかと。
イスラム国といえど西欧に近くさして宗教色の強くないシリアの内戦は、民族紛争でも宗教対立でもない。
この映画の時点(2011〜12年)では独裁政権とそれをゆるさない市民との衝突でしかなかったのが、国外から入り込んだISをはじめとするさまざまな勢力の介入によって泥沼と化していった。
いったん包囲網を出たバセットが、まだ残っている人たちがいるからと市内に戻ろうとするところで映画は終わるが、その後ホムスは陥落、停戦によって孤立した市民は避難し2014年に市街戦が終結した。この闘いで亡くなった人は2,000人をこえる。
オサマもバセットも、インターネットを通じて必死に世界にここで起きていることを発信し続けていた。その国際社会が、彼らに何ができただろうか。
観終わって、疑問ばかり残ってしまった。シリアのことを、もっと知りたい。知りたいです。わかりたいです。
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2011年に始まった「アラブの春」以降、政府軍と反政府軍の争いが続くシリア。
サッカー選手だった19歳のバセットと、友人で市民カメラマンのオサマは故郷ホムスをまもる闘争に身を投じるが、それは終わりのない暴力の嵐の幕開けに過ぎなかった。
サンダンス映画祭2014ワールド・シネマ ドキュメンタリー部門グランプリ受賞。クラウドファンディングで日本でも公開。
ホムスは人口120万人を擁するシリア第三の大都市。紀元前まで起源を遡る古都で、首都ダマスカスとアレッポの中間に位置する。日本でいうと名古屋みたいなもんでしょうか。
そこが戦場になるわけです。
まだISがはいってくる前だから、そこで飛び交う弾丸の多くは政府軍のものだ。反政府勢力ったって人数にすればわずか数百人単位、資金は個人の寄付だから武器調達能力にも限界はあるし、組織力だってたかが知れている。
それを政府軍がボッコボコにやるわけです。文字通りボッコボッコのフルボッコ。容赦ない。
カメラはずっとバセットのそばにいて、ひたすら彼の日常をとらえ続ける。
デモ隊のなかにいてみんなで歌を歌っていたころの映像には誰もが見覚えがあるだろう。中東地域で火が燃え広がるように拡大した「アラブの春」の、自由をもとめる人々の希望と熱意に満ちた歌声。
それが銃撃され、銃弾はやがて砲撃に変わり、人々は町からいっせいに去っていった。大人も子どもも誰も彼もが、我が家を捨てて逃げた。残ったのは戦士と、逃げ場のない貧困層だけ。
120万人はどこにいったのか。難民である。ヨーロッパを大混乱に陥れ、いまも世界中でもっとも関心の高い政治問題のひとつとなった難民問題の現在の最大の契機が、このシリア内戦だ。それがいかにして起こったかが、よくわかる。
世に流布している難民問題でとりあげられるのは主に国外難民だが、国内に残った人たちはどんな人物なのか、そこで何が起こっていたのかを取材したのが、ほかならぬシリア人映像作家の手で撮られたこの作品だ。
歴史ある美しい町が、画面のなかで見る間に破壊されていく。
破壊なんて生易しいもんやないな。壊滅?とにかくムチャクチャになる。
こちらは去年公開された映像。
2016 Drone Aerial from Homs, Syria from Mohamad Hafez on Vimeo.
ここに120万人が住んでいた。それを、政府軍は徹底的に破壊しつくした。
劇中、最初は夜、クルマでヘッドライトを点けずに移動(ものすごく怖い)していたバセットが、道路はもう危険だからと破壊され無人となった家から家へ、壁に開いた穴づたいに移動していく長いシークエンスがある。数えきれない家々の、瓦礫に埋もれ焼け焦げた家具調度やファブリックや日用品に、そこで暮していた人々の面影が濃く重なる。彼ら自身はそこに映ってはいない。だが、長い年月、愛する家族と人生を過ごしたであろう我が家をこんな形で追われた彼らの心中を思うと、その荒廃ぶりにただただ胸が痛む。
ここに、人が住んでたのに。でももう彼らはいない。どこかに行ってしまった。もしくは死んでしまったのだ。
画面のなかでもどんどん人が死んでいく。
さっきまでそこで笑ってた人が、次に映るときはもう動かない遺体になっている。なのに悲しむヒマすらない。
カリスマ的な人気を集めたバセットの周りの市民兵たちも減っていく。それでも彼は戦い続ける。彼らのために食糧を調達しようとした人たちも死ぬ。オサマは政府軍につかまって消息を絶つ。
バセットも何度も怪我をする。サッカー人生は断たれてしまった。彼に残されたものもわずかになっていく。20歳そこそこでもさすがに疲れを口にする。戦闘中、ケータイに親族から電話がかかってくる。誰かの名前を口にして、「あいつなら死んだよ」と告げて電話を切る。
内戦の前線の日常。反政府軍という言葉では顔の見えない、ごくふつうの若者の顔。覆面もスカーフもない、アルファベットのロゴの入ったTシャツを着てジーンズにブーツ姿の、どこにでもいるようなかわいい男の子。
そこに正義は見えない。見えるのは「故郷をまもりたい」という正義感と大義名分だ。その背後に見えるのはもうムチャクチャになってしまった故郷の風景。
バセット個人にフォーカスすることで、そこに不在のシリアのふつうの人たちの声が、心の中から聞こえてくる。この戦争はいったい誰のための戦争なのかと。
イスラム国といえど西欧に近くさして宗教色の強くないシリアの内戦は、民族紛争でも宗教対立でもない。
この映画の時点(2011〜12年)では独裁政権とそれをゆるさない市民との衝突でしかなかったのが、国外から入り込んだISをはじめとするさまざまな勢力の介入によって泥沼と化していった。
いったん包囲網を出たバセットが、まだ残っている人たちがいるからと市内に戻ろうとするところで映画は終わるが、その後ホムスは陥落、停戦によって孤立した市民は避難し2014年に市街戦が終結した。この闘いで亡くなった人は2,000人をこえる。
オサマもバセットも、インターネットを通じて必死に世界にここで起きていることを発信し続けていた。その国際社会が、彼らに何ができただろうか。
観終わって、疑問ばかり残ってしまった。シリアのことを、もっと知りたい。知りたいです。わかりたいです。
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