『浅田家!』
父親(平田満)からプレゼントされたカメラをきっかけに写真に興味を持った政志(二宮和也)は、写真の専門学校で落第しかかり、幼いころ父と兄(妻夫木聡)と自分とが同時に怪我をして母(風吹ジュン)の勤める病院で手当てを受けた少年時代のコスプレをした家族写真を提出し、高評価を受ける。
その後も消防士や極道やレーサー、戦隊ヒーロー、選挙、大食い選手権、バンド、海女さん、ラーメン屋、医者などあらゆるコスプレ家族写真を撮りため、本格的な写真家を目指して上京、個展に来場した編集者(池谷のぶえ)の発案で写真集を出版。第34回木村伊兵衛写真賞を受賞する。
現在も写真家として活躍する浅田政志氏の写真集をもとに映画化。
家族写真で一躍有名、という同級生が私にもいる。といっても面識はないのだが、彼女は大学在学中に家族写真をオールヌードで撮影して賞を獲り脚光を浴びた。私自身もちょっと写真をやっていたので(展覧会は何度かやりました)、いろいろと共感することの多い映画でした。
とくに後半、東日本大震災が起きて、いてもたってもいられなくなった政志がかつて家族写真を撮った岩手の高原家(駿河太郎ほか)の安否を確認したくて、車にあらゆる物資を積んで被災地に入り、その場のあまりの惨状に息をのむシーンは、当時のことを思い出して胸が痛かった。津波に襲われた現場を初めて目にしたときの、喉がぎゅっとつまって息がうまくできなくなる感じ。何年経っても忘れることはない。
高原家の安否がわからないまま、政志は避難所の外で寒風に吹かれながら、泥にまみれた写真を洗って展示している青年・小野(菅田将暉)の手伝いを始める。
これもね、やりました(当時のブログ)。私がやったのはもう震災発生から半年以上が過ぎて、泥の中のバクテリアが写真を腐食してしまっている段階に入っていて、なかなかきれいには洗えなかった。しとしとと雨がそぼ降る寒い東北の秋の日、膨大な遺品の山に囲まれて、いろいろなスナップや記念写真を冷たい水で洗った日のことも、昨日のように覚えている。
政志が被災地で写真を撮ることなく、ひたすら写真洗浄のボランティアに徹した気持ちもすごくよくわかる(当時の気持ちを書いたブログ。いつの間にか某メジャーポータルサイトにリンクが貼られていたせいで、おそらくこのブログのどの記事よりも多くの人に読まれた)。
とにかく手を動かして、せめて何か自分にできることをしたい、その情動に、本来の自分ならいちばんやりたいと思う欲望はどこかへ吹き飛んでしまう。いまはそれじゃない、いまはここにいて、辛いめにあっている人たちに少しでも寄り添いたい、寄り添えるものならなんでもしたい。自分自身のことはかなりどうでもよくなってしまう、あの不思議な感覚は体感した人にしかわからないかもしれないけど。
末っ子次男坊の気質なのか、マイペースで甘え上手な政志のキャラクターが二宮くんにとても似合っている。そして彼がやろうという家族コスプレに面白がって乗っかってしまう浅田家の人々の雰囲気がとてもいい。ただべたべたと仲がいいわけではない。いつもニコニコしているお母さんだって怒るときは怒る。なりたいものにはなれなかったお父さんだけど、主夫として家庭をまもっているぞなんて矜恃はちらりとも見せず、とにかく優しく穏やかに、家族全員に愛情を注いでいる。
そして政志は気づくのだ。被災地で「父親の写真がどうしても見つからない」と悲しむ少女(後藤由依良)の涙の、そのわけを。
政志のように、とにかく頼れるものには堂々と頼って、なりたい自分になる、やりたいことに徹するという生き方はやろうと思ってもなかなかできるものではないかもしれない。
でも人間て案外頼られることが好きだったりするから、いちいち自分ひとりで背負いこまないで、甘えたいときはうまく甘えてみるのも悪くない。それってでもやさしいようで、結構難しいんだけどね。
父親(平田満)からプレゼントされたカメラをきっかけに写真に興味を持った政志(二宮和也)は、写真の専門学校で落第しかかり、幼いころ父と兄(妻夫木聡)と自分とが同時に怪我をして母(風吹ジュン)の勤める病院で手当てを受けた少年時代のコスプレをした家族写真を提出し、高評価を受ける。
その後も消防士や極道やレーサー、戦隊ヒーロー、選挙、大食い選手権、バンド、海女さん、ラーメン屋、医者などあらゆるコスプレ家族写真を撮りため、本格的な写真家を目指して上京、個展に来場した編集者(池谷のぶえ)の発案で写真集を出版。第34回木村伊兵衛写真賞を受賞する。
現在も写真家として活躍する浅田政志氏の写真集をもとに映画化。
家族写真で一躍有名、という同級生が私にもいる。といっても面識はないのだが、彼女は大学在学中に家族写真をオールヌードで撮影して賞を獲り脚光を浴びた。私自身もちょっと写真をやっていたので(展覧会は何度かやりました)、いろいろと共感することの多い映画でした。
とくに後半、東日本大震災が起きて、いてもたってもいられなくなった政志がかつて家族写真を撮った岩手の高原家(駿河太郎ほか)の安否を確認したくて、車にあらゆる物資を積んで被災地に入り、その場のあまりの惨状に息をのむシーンは、当時のことを思い出して胸が痛かった。津波に襲われた現場を初めて目にしたときの、喉がぎゅっとつまって息がうまくできなくなる感じ。何年経っても忘れることはない。
高原家の安否がわからないまま、政志は避難所の外で寒風に吹かれながら、泥にまみれた写真を洗って展示している青年・小野(菅田将暉)の手伝いを始める。
これもね、やりました(当時のブログ)。私がやったのはもう震災発生から半年以上が過ぎて、泥の中のバクテリアが写真を腐食してしまっている段階に入っていて、なかなかきれいには洗えなかった。しとしとと雨がそぼ降る寒い東北の秋の日、膨大な遺品の山に囲まれて、いろいろなスナップや記念写真を冷たい水で洗った日のことも、昨日のように覚えている。
政志が被災地で写真を撮ることなく、ひたすら写真洗浄のボランティアに徹した気持ちもすごくよくわかる(当時の気持ちを書いたブログ。いつの間にか某メジャーポータルサイトにリンクが貼られていたせいで、おそらくこのブログのどの記事よりも多くの人に読まれた)。
とにかく手を動かして、せめて何か自分にできることをしたい、その情動に、本来の自分ならいちばんやりたいと思う欲望はどこかへ吹き飛んでしまう。いまはそれじゃない、いまはここにいて、辛いめにあっている人たちに少しでも寄り添いたい、寄り添えるものならなんでもしたい。自分自身のことはかなりどうでもよくなってしまう、あの不思議な感覚は体感した人にしかわからないかもしれないけど。
末っ子次男坊の気質なのか、マイペースで甘え上手な政志のキャラクターが二宮くんにとても似合っている。そして彼がやろうという家族コスプレに面白がって乗っかってしまう浅田家の人々の雰囲気がとてもいい。ただべたべたと仲がいいわけではない。いつもニコニコしているお母さんだって怒るときは怒る。なりたいものにはなれなかったお父さんだけど、主夫として家庭をまもっているぞなんて矜恃はちらりとも見せず、とにかく優しく穏やかに、家族全員に愛情を注いでいる。
そして政志は気づくのだ。被災地で「父親の写真がどうしても見つからない」と悲しむ少女(後藤由依良)の涙の、そのわけを。
政志のように、とにかく頼れるものには堂々と頼って、なりたい自分になる、やりたいことに徹するという生き方はやろうと思ってもなかなかできるものではないかもしれない。
でも人間て案外頼られることが好きだったりするから、いちいち自分ひとりで背負いこまないで、甘えたいときはうまく甘えてみるのも悪くない。それってでもやさしいようで、結構難しいんだけどね。
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