『休暇』
拘置所勤務の刑務官・平井(小林薫)は、見合いで知りあった美香(大塚寧々)との新婚旅行のため、死刑囚・金田(西島秀俊)の執行の“支え役”を願い出る。支え役には1週間の特別休暇が許される慣例になっていたからだった。
原作が短編なので、ストーリーはほんとうにこれだけである。
主人公と婚約者が出会って結婚を決め準備を進めていくプライベートなパートと、拘置所での淡々とした勤務を描いたパブリックなパートが、時制を異にしながら交互に描かれる。それぞれのパートには、平井という物静かな中年男性の主人公以外に関わりはない。美香の連れ子・達哉(宇都秀星)がじわじわと平井に懐いていく以外にドラマらしい展開は何もない。
平井本人が自ら感情を口にすることがまったくないせいもあり、初めは、彼がなぜわざわざ結婚直前に執行担当に名乗り出たのかわからない。上司(大杉漣)もそれを踏まえて彼を担当から外し、「そんなのに立ち会っちゃったら、どんな子が生まれるかわからないだろ」と新人(柏原収史)に説明する。
だがこのやりとりも含めて平井の同僚たちの会話が、公権力が人の生き死にを司る機関内部の微妙な空気を、さりげなくリアルに表現しているところに非常に説得力を感じる。慶事前に死刑に関わらない方がいいと考えたり、執行が決まった死刑囚にやさしくしたくなったり、同僚たちの素直な心理は安易に共感しやすい。
しかしそんな些末な感情論を挟もうと挟むまいと殺人は殺人だし、平井はこれまでずっとそういう機関で働いて、これからもその職で妻子を養っていくのだ。彼は誰もが後込みする支え役に名乗り出ることで、それまで長い間消化しきれなかった葛藤を捨て、自分の職務に、人生に、まっとうに向きあいたかったのではないだろうか。死にゆく人を抱きしめることで、これからともに生きていく家族をも全力で抱きしめることができるかもしれないと、彼は考えたのではないだろうか。
こんな言葉にしてしまうと陳腐な話だが、映画は実に真摯に丁寧に、死刑の現場をしっかりと描いている。
シナリオには無駄なものがいっさいないし、俳優の演技もこれ以上はとても望めない熱演だし、穏やかで控えめなカメラワークやカット割り、パートごとにコントラストの効いた精密な照明設計、到底つくりものとは思えないほどリアルな美術装飾、とにかく地味に徹した音響効果など細部の細部に至るまで、まったく妥協点というものが見受けられない。出来うる限りのことはすべて完全にやりきっている。素晴しい。
そしてそれは、それだけ「死刑」「命」というテーマの重さにそのまま繋がっている。昨今は簡単に人が病気になったり死んだりする子ども騙しのメロドラマが“涙の感動物語”などと謳われてもてはやされているけれど、ほんとうは人の命はそんな軽薄に語れるものではない。
この映画では、刑務官や死刑囚など当事者自身を等身大のひとりの人間として描くことで、近く導入される裁判員制度も含めて議論される死刑制度とそのほんとうの意味とを、観る者にまっすぐに問いかけている。そこに明確な答えはない。でも答えなどなくても、ごく当り前の真理を改めて問い直すことでみえてくる事実を確認するだけでも、この映画の意義は大きいと思う。
死刑囚を演じた西島秀俊の演技が素晴しかった。いい役者だとは思ってたけど、この役はものすごい当たり役でした。
というか、この映画の出演者は全員がこれまでにない当たり役だと思う。いちばんおいしかったのが西島秀俊ってだけのことかも。
きちんとした作品だけにデジタル撮影だったのが惜しまれる。これだけ重厚な物語こそフィルムで撮ってほしいんだけどね。
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拘置所勤務の刑務官・平井(小林薫)は、見合いで知りあった美香(大塚寧々)との新婚旅行のため、死刑囚・金田(西島秀俊)の執行の“支え役”を願い出る。支え役には1週間の特別休暇が許される慣例になっていたからだった。
原作が短編なので、ストーリーはほんとうにこれだけである。
主人公と婚約者が出会って結婚を決め準備を進めていくプライベートなパートと、拘置所での淡々とした勤務を描いたパブリックなパートが、時制を異にしながら交互に描かれる。それぞれのパートには、平井という物静かな中年男性の主人公以外に関わりはない。美香の連れ子・達哉(宇都秀星)がじわじわと平井に懐いていく以外にドラマらしい展開は何もない。
平井本人が自ら感情を口にすることがまったくないせいもあり、初めは、彼がなぜわざわざ結婚直前に執行担当に名乗り出たのかわからない。上司(大杉漣)もそれを踏まえて彼を担当から外し、「そんなのに立ち会っちゃったら、どんな子が生まれるかわからないだろ」と新人(柏原収史)に説明する。
だがこのやりとりも含めて平井の同僚たちの会話が、公権力が人の生き死にを司る機関内部の微妙な空気を、さりげなくリアルに表現しているところに非常に説得力を感じる。慶事前に死刑に関わらない方がいいと考えたり、執行が決まった死刑囚にやさしくしたくなったり、同僚たちの素直な心理は安易に共感しやすい。
しかしそんな些末な感情論を挟もうと挟むまいと殺人は殺人だし、平井はこれまでずっとそういう機関で働いて、これからもその職で妻子を養っていくのだ。彼は誰もが後込みする支え役に名乗り出ることで、それまで長い間消化しきれなかった葛藤を捨て、自分の職務に、人生に、まっとうに向きあいたかったのではないだろうか。死にゆく人を抱きしめることで、これからともに生きていく家族をも全力で抱きしめることができるかもしれないと、彼は考えたのではないだろうか。
こんな言葉にしてしまうと陳腐な話だが、映画は実に真摯に丁寧に、死刑の現場をしっかりと描いている。
シナリオには無駄なものがいっさいないし、俳優の演技もこれ以上はとても望めない熱演だし、穏やかで控えめなカメラワークやカット割り、パートごとにコントラストの効いた精密な照明設計、到底つくりものとは思えないほどリアルな美術装飾、とにかく地味に徹した音響効果など細部の細部に至るまで、まったく妥協点というものが見受けられない。出来うる限りのことはすべて完全にやりきっている。素晴しい。
そしてそれは、それだけ「死刑」「命」というテーマの重さにそのまま繋がっている。昨今は簡単に人が病気になったり死んだりする子ども騙しのメロドラマが“涙の感動物語”などと謳われてもてはやされているけれど、ほんとうは人の命はそんな軽薄に語れるものではない。
この映画では、刑務官や死刑囚など当事者自身を等身大のひとりの人間として描くことで、近く導入される裁判員制度も含めて議論される死刑制度とそのほんとうの意味とを、観る者にまっすぐに問いかけている。そこに明確な答えはない。でも答えなどなくても、ごく当り前の真理を改めて問い直すことでみえてくる事実を確認するだけでも、この映画の意義は大きいと思う。
死刑囚を演じた西島秀俊の演技が素晴しかった。いい役者だとは思ってたけど、この役はものすごい当たり役でした。
というか、この映画の出演者は全員がこれまでにない当たり役だと思う。いちばんおいしかったのが西島秀俊ってだけのことかも。
きちんとした作品だけにデジタル撮影だったのが惜しまれる。これだけ重厚な物語こそフィルムで撮ってほしいんだけどね。
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