落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

壁の名前

2006年05月04日 | book
『もう一つの国』ジェームズ・ボールドウィン著 野崎孝訳

やっと読み終わりました。長かった。てゆーかここんとこゆっくり本を読む時間が足りなくて、なかなか読み進めませんでした。
いやスゴイ本です。大ショック。なんであたしコレ今まで読んでなかったんだろ?日本ではそれほど有名ではなかったからかな?黒人文学だし、ボールドウィン自身同性愛者だし。けどできることなら10代のうちに出会いたかった本だ。これほどのショックを受けた本は、20代で読んだ『写真の館』(ポール・セロー著)以来かもしれない。これもいい本です。ぐり的名著ランキングの常にベスト3に入ってます。今後は『もう一つ〜』もそこにいれるべきだろう。

舞台は1960年前後のニューヨーク。
「黒人」ドラマーのルーファス、その親友で作家の卵のヴィヴァルド(白人)、ヴィヴァルドの恩師で友人のリチャードとキャス夫妻(白人)、ルーファスの妹で歌手志望のアイダ、フランス帰りの俳優エリック(白人)、彼らと彼らを取り巻く人々との心の交流と葛藤を内面から描き出した群像劇が『もう一つの国』という物語である。
彼らはそれぞれに健康で若く美しく、才能にも運にも恵まれ、友人や愛する恋人・家族にも恵まれている。それなのに彼らは不幸だ。どうしようもなく深い孤独に苛まれ、自分のことも他人のことも許すことができず、ひとりぼっちで地獄をのたうちまわっている。
なぜ彼らは不幸なのか。それは社会全体をびっしりと雁字搦めに縛りつけた人種差別・階級差別・性差別という“壁”を抜きにして語ることができない。南部の白人女性レオナを愛したがために死ぬほど激しく嫉妬し続けたルーファス、その妹アイダとの愛とふたりを隔てる肌の色に苦悩するヴィヴァルド、旧家の令嬢を娶ったことで無意識にその階級差に囚われ続けるリチャード、フランスに残してきた恋人を思いながら人妻や友人と肉体関係をもたずにはいられないバイセクシュアルのエリック。
彼らが“壁”としているものは、乗り越えようとしてもその側面に指をかけることもできないし、どれほどの高さがあるのかも見当がつかない。ただ彼らにわかっていることは、自分が傍にいて常に掌に触れている“壁”のひややかさだけだ。世間のまともな人たちは“壁”になんか目もくれない、ふだんは“壁”があること自体忘れ、無視して生きているだろう。ところが彼らにはそんな生き方はできない。なぜなら“壁”の存在そのものが彼ら自身にとっては決して許しがたいものだからだ。人と人との間に“壁”なんかあってはいけない、彼らのごくささやかに当り前の感覚が、むしろ彼ら自身を傷つけ、苦しめる。自分自身の勇敢さと抗いがたい愛の魔力ゆえに、彼らは心を引き裂かれ、血と涙に溺れている。

この本のすごいところは、そうした差別意識をあえて表立って主張することなく、登場人物の個人的な意識として、ごく当り前にそこにある自然な現象として描いている点にある。
つまり差別を肌の色や着ている服や住んでいる場所などの目にみえるものとしてではなく、人々の身体の中に綿々と脈打つものとして描いている。もちろん人は差別意識によって鼓動したり呼吸したりしているわけではない。だがそれと同じくらい重く、深く、強烈に人間の精神に根ざしているのも事実だ。言葉の上で肌の色なんて、男なんて女なんて、ということは簡単だ。しかし最も重要なことはそうしたありきたりの言葉で説明することのできない部分にこそ潜んでいる。それを、見事に小説という「言葉」に再現したテクニックと文学魂はまったくすばらしい。
できれば今度はゆっくり時間をとってじっくり読みたい本です。今回読んだのは図書館で借りた新潮社版だけど、幸いにもネットで1980年の集英社版が手に入ったので機会があればどっぷり再読します。

ちなみに今回ぐりがこの本を知ったきっかけは何を隠そう『ブロークバック・マウンテン』だったりする(笑)。一昨年撮影を中断して『デイ・アフター・トゥモロー』のプロモーションで来日していたジェイク・ギレンホールが、記者会見で「災害時に持って逃げるたった1冊の本は」という問いに答えていたのが『もう一つの国』だった(ソース)。彼の愛読書としては『ライ麦畑でつかまえて』や『アラバマ物語』が有名で(個人オフィスの名前はサリンジャーの短編集、愛犬の名前は『アラバマ〜』の登場人物名に因んでいる)この“『アナザー・カントリー』”は初耳だったので興味が湧いた。こんなにすばらしい本の存在を教えてくれたジェイクに心から感謝します。
また、記事中の『アナザー・カントリー』は原題で邦題は『もう一つの国』、映画化されたジュリアン・ミッチェルの小説とは別物であることをご教授下さった某氏にも感謝します。ありがとうございました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿