落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Fire of Sticks

2010年04月24日 | book
『薪の結婚』 ジョナサン・キャロル著 市田泉訳

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恋愛中の人間は誰もが妄想家だ。
大好きな人、愛する人と、こんなことがしてみたい、あんなことがしてみたい、こんな話もしたい、あんなこともしてあげたい、それこそ傍にいないときはいつでも、相手と自分との未来を思い描いて夢心地にひたるのが、恋愛のいちばん幸せな部分なんじゃないかと思う。
逆にいえば、人には妄想する力があるからこそ、恋愛というものができるのかもしれない。相手と自分を重ねあわせてその将来を妄想することが楽しめなかったら、恋に堕ちるなどという愚行はなかなかできない。
恋をしなくても人を愛することはできるだろう。でも、妄想なくして恋はないと思う。
恋と愛は違うものだからねー。

『薪の結婚』は最初から半分くらいはごくごくよく描けた、リアルにロマンチックな恋愛小説である。
ミランダは30代の稀覯本ディーラー。高校時代は学校中の憧れのまとだった同級生のジェームズと交際したが、卒業後の進路で離ればなれになり、それっきりになってしまった。同窓会でジェームズのその後を耳にして、自分がもう若くないこと、恋の儚さを実感した矢先に、別のパーティーで魅力的な既婚男性ヒューと出会う。知的でユーモアがあって遊び慣れたヒューに抗いがたく惹かれていくミランダ。ふたりが抜き差しならない関係に陥るのに時間はかからなかった。
ところがこのあたりから話は怪しくなってくる。この邦訳版は創元推理文庫から出ている。つまり、この小説はジャンルとしてはラブロマンスではなくミステリーなのだ。
というわけで、前半の甘々な空気がだんだんきなくさいニオイに変わってくる。有り体にいうとオカルトチックになってくるんである。

ぐりはべつにオカルトとかミステリーが好きなわけではないので、読んでる途中は「??なんじゃこりゃ??」と思っていたのだが、読み終わるとなんだかにんまりしてしまった。あんまり詳しくいうとネタバレになってしまうので避けますが。
こーいっちゃなんだけど、小説にでてくるほど甘くロマンチックな恋なんて、現実にはそうはないのだ。現実よりも妄想の方がずっと甘くてロマンチックなわけで、そういってしまえば、この小説の題材がものすごくリアリスティックに感じられてくる。
おもしろいよね。なるほどーって感じです。
この作家の本は初めて読みましたが、また他のも読んでみよっかな?

もっとあなたの声を聞きたくて

2010年04月23日 | book
『福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽』 増田美智子著

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ぐりはどっちかといえばマスコミ側に属する人間だけど、正直にいって、マスコミ業界の体質にはかなり抵抗があるし、それは年を追うごとに慣れるどころかひどくなっていっている気がする。
たとえば、ぐりは取材相手や制作協力者にはできる限りの礼は尽くすし、事前のリサーチも決して手は抜かない。手に入るだけの資料は網羅しておいて、そのうえで、本人に気持ちよく取材に応じてもらえるよう、楽しんで制作に協力してもらえるようにアレンジする。何よりも信用第一だから、提示できる情報はすべてあらかじめ提示するし、それなりに下手にも出る。時間や場所の都合は完全に相手ありきで決める。こっちのペースはほぼ二の次、あるいは三の次である。
べつに卑屈になっているつもりはなくて、これはぐり自身が仕事を楽しまなければいいものはできないし、意地をはって突っ張りあったところで観てくれる一般視聴者の心にちゃんと届く表現にはならない、と考えているからだ。
だから、まずはとにかく相手のことを好きになるように努めるし、よしんばどこかに反感をもったとしても、取材中/制作中はあくまで良好な関係を保つ。そのうえで、他のマスコミには決して見せない顔をひきだしたいと狙っている。
もちろん、取材が済んで制作も完了すればきちんとお礼をする。借りた資料などはなるべく早く自ら返却するし、完成品には手書きの礼状をつけて届ける。

こんなことはほとんど素人のぐりがわざわざえらそうに主張するようなことではなくて、相手の立場になって考えれば誰でもすぐわかるはずの常識ではないかと思う。
ところが、ほとんどのマスコミ関係者はぐりとはまったく別の捉え方をしている。
ぐりの目からみれば、彼らの多くは「臆病なくせに、高級でも何でもないそこらへんのボロをかむって“虎の衣を借る狐”を気取っているイタイ人たち」にみえる。取材といえば誰でも大喜びで協力するのが当り前だと大真面目に思いこんでいるマスコミのなんと多いことか。あからさまな上から目線を隠そうともしない仕事仲間の傲岸な態度に、イヤな汗を抑えながら黙って尻拭いしてきたことも何度もある。
相手が誰であろうと、それぞれに生活があること、仕事があること、将来があることが、なぜマスコミにはわからないのだろう。マスコミ対応よりもずっとずっと大切なものを、誰もがそれぞれに抱えて生きている。
どうしてそんな当然のことがわからないのだろう。

この著者の増田氏は経歴をみるとフリーライターなどという大層なものでもなんでもなく、ごくふつうのそのへんの素人記者である。
だから取材スタイルはぶっちゃけ完璧にど素人である。はっきりいって見てられないくらいひどい。新聞読んだだけで裁判経過をおさらいもしないって、それどー考えてもアタマおかしいでしょ。
この取材対象者の被告については、既に元弁護団の今枝仁氏が『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』を書いているし、捜査段階から彼本人の生い立ちが相当に不幸なものであったことが明らかになっている。
でも彼の家族にも生活はある。ほんとうによい取材をし、彼本人の死刑判決に議論をもたらすだけの証言をひきだしたければ、家族がどんな人物であろうと通すべきスジは通さなくてはならない。なのにしょうもないケンカなんかしてそれをそのまま書くなんて、まるっきり子どものやることではないか。著者は被告を「幼い」と表現しているが、著者本人もどっこいである。
弁護団とのやりとりにしてもそうだ。なんでこの人はいちいちこんなに喧嘩腰なのか。相手が取材に応じないのには相応の理由がある。それを忖度もせずにただ批判ばかりしている。徹頭徹尾感情論でしかない。こんなものジャーナリズムでもなんでもない。

クオリティからいえば、わざわざ少年法を犯してまで実名を冠するほどの本ではない。
だが、何度も拘置所で被告と面会し、インタビューした内容には確かにほろりとさせられる。
被告は罪もない被害者を殺した犯罪者だが、この犯罪を犯すことなく知り得なかった世界で、死刑を待つ人間にしか持ち得ない精神を日々磨いて暮している。
彼ひとりを死刑にしたところで、おそらく日本は何も変わりはしないだろう。
しかし、なぜ彼が人を殺し、何のために死刑になるのかは、誰もが真剣に考えるべきだと思う。
彼がはまり込んだ袋小路は、もしかしたら、誰ものゆくてに待ち構えているのかも知れないのだから。


関連レビュー:
『休暇』
『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』 草薙厚子著
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。』 森達也著

からすの窓とふくろうの森

2010年04月19日 | book
『1Q84 Book3』 村上春樹著

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こないだから都内の本屋で探しておったのですが。やっぱしどこでも売切れでー。
週末にレディガガを観に(聴きに)横浜アリーナまで行ったので、新横浜駅前の本屋に寄ってみたらありましたん。
あ、レディガガはおもろかったっす。客のコスプレ率が異常に高くてびびる。しかも皆さんめーちゃーめーちゃー気合い入ってます。マジっす。真剣と書いてマジと読む。的な。
しかし前座が長い。そしてこの前座の曲がものすごくどーでもいーカンジなのがキビシイ。みるからに!ゲイゲイしいボーカルのパーソナリティはべつとして(中性的な声音がセクスィー)、音楽性がどーにも今日的でない。20世紀的。それが一曲演奏しおわるごとに「サワゲ!」「shat up!」みたいな煽り方をする。なんじゃらほいである。
しかし他のお客さんたちはみんなして曲にのってあげたり、煽られるままにコールしてあげたり、まったく日本人てば親切よねえ〜。つかこれ同じことを関西でやったら、ステージに座ぶとんとかコーラとかやきそばとか飛んできそーやな。偏見。
本家ガガ姫は若干体調がよろしくなかったらしく、かなりぜえぜえと息をきらしておられました。がむばってスタミナつけてくださいまし。

てなワケでやっと読めた『1Q84 Book3』〜。
おもしろかったですうー。一気読みしちゃいましたですよ。1と2をおさらいしなかったので、こんどまた3冊まとめて読みなおしたいですけど・・・でもおさらいしなくてもおもしろかった。
てゆーかそもそもオチは完全に読めてたよね?2のラストでさ?あれ?なことない?
ぐり的にはこのラストは100%予定調和なんだけど、それでもこのとっちらかった展開をどーやってそこの「お約束」までもってくか?とゆーストーリーテリングには毎度感服いたしますです。
ところどころでビックリするくらい強引なパートもあるし、主人公たち以外の何人かの登場人物にむちゃくちゃデジャヴュを感じたりもしますけど(食べるものとか着るものとかがあまりにそのまま)、まあ全体的にはけっこうバランスもとれてるし、村上春樹とゆー独自のジャンルとゆーか、独自の世界観をますます確立してんなあー、とゆーあたりでもふとほくそ笑んでしまう。

著者自身が予告したのよりは短いけど、村上作品では『ねじまき鳥クロニクル』と同じくらいの長さになったけど。ぐりはこっちの方が好きかな?だってラブロマンスなんだもーん。ヲトメでごめん。
だって究極の愛じゃない?青豆と天吾くん。ぐりもどこかに天吾くんがいないかな。なんてこと思ってしまうわけですよー。アラフォーでもね。
しかしこーゆーことをゆうと、世の男性はみんな怒っちゃいそーですよねー。だって天吾くんは自分ではべつになんにもしないんだもん。見事になんにもしない。ただそこにいるだけ。そこにいて、すべてを受け入れるだけ。命をかけて闘ってるのは青豆とか牛河とか、他の人ばっかりで。
けどさ、現実には「ただそこにいてすべてを受け入れる」ってこともふつうの人にはなかなかできないと思うんだ。少なくとも、天吾くんが青豆を受け入れるみたいな受け入れ方は、それこそ究極の愛としかよべないものであって、誰にでもできることじゃないと思うよ。
そういうところまで自分をもっていく、それだって自分のエゴとの命がけの闘いなんじゃないのかな?

この小説は話法自体は冒険小説風とゆーか、サスペンス風とゆーか、SF風なんだけど、全体のテーマはやっぱし「愛」だよね。
それも、ただ綺麗なだけの愛じゃなくて、どろどろした愛とか、血腥い愛とか、純粋無垢な愛とか、愛のいろんな側面が描かれている。親子の愛もでてくるし、男女の愛もでてくる。女同士の友情の愛もある。
けど、どんな愛でも、究極のところまでいけば全てを超越できるんじゃないか、そんなロマンが表現されてるみたいな気がしました。
ほんとに、そーだといいんですけどね。
ちゅーかこれはこれで終わりだよね?続き・・・あんのかな?ありそーでこわい。

死ぬ夢

2010年04月14日 | diary
自分が死ぬ夢を見たのはこれが初めて。

経緯はわからないが(忘れた)、刃物で右肩をかなり深く刺される。
意外にそれほど血は出ないし、痛くもないのだが、頭がくらくらして吐き気がする。
近くにいた人が病院に運んでくれるのだが、救急で診てもらえず待合室で待たされる。身体がどんどんつめたくなっていくのを感じる。
出血は大したことはないのだが、刺した刃物が汚れていたのか、全身に菌がまわって敗血症のような状態になっているらしい。
吐きたいのだが何も出てこない。
自分自身は冷静で、待合室にひしめいている子どもの声がうるさいななどと思っているのだが、連れの人たちはおろおろして今にも泣き出しそうになっている。
もうダメだろうな、これは死ぬな、などと思いつつ、どこかで、いやこんなことでは死なないだろうとも思っている自分もいる。
しかし連れの男は浅野忠信(『モンゴル』のもっさもさバージョン)そっくりだ。むちゃくちゃ毛深いんですけど。
みたいな。

すごくヘンだったのは、そのとき起きている(ぐりが死にそうになっている)ことと同時に、ぐりが死んだ後で周りの人がそれについて思い返していることも夢に出て来たこと。
ぐりを刺した男や、現場で応急処置をした女性、ぐりをクルマに乗せて病院に連れていったクマみたいな男、待合室で泣きそうになっていた浅野忠信似のクマ男その2など、それぞれが経験したことが、副音声みたいに夢にかぶってくる。場合によっては映像も入ってくる。
なのでぐり自身が死ぬ夢なのに、なんだかあまり怖くなかった。