ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

クレージーキャッツ

2007年03月31日 | 千伝。
フーテンの寅の渥美清さんの最大のライバルだったのが、無責任男シリーズの植木等さんでした。

子供の頃から印象に残る楽しい大人に映った一人でした。

小生が18歳の頃、たまたまラジオを聴いていると、植木等さんが生出演して、ハナ肇さんとの出会い、クレージキャッツ結成の逸話を聴いた記憶が残っています。

この方、随分と真面目な大人に思えたものでした。

浄土真宗テンプルの出。東洋大学の空手部所属だった植木さん。
何かの理由で学生服を着てTBSか、どっかの放送局に行くと、そこにスーツを着ていた十代の生意気なハナ肇がいたそうです。

当時、ハナ肇さんの年齢も身元もわからなかったので、ハナから「おまえは、どこの大学だ?」と偉そうに命令口調で訊かれも、丁寧に答えていたようです。

植木さん、「東洋大学です」
すると、ハナが「東洋には、○○というのがおるだろう。空手の達人の。あれは、オレの友達だ」と言ったそうです。
「○○は、空手部の自分の先輩にあたり、よく知っています」と答えたら、ハナ肇の態度が、コロリと変わったそうです。(笑)
名前だけ知っているだけで、知り合いでもなければ、大嘘だったようです。

ハナは十代の頃から、人を動かす方法をよく熟知していたのでしょう。

それが年上の大学生、植木さんには、通用しなかったようです。
武道も身の助け、財産です。

昔、取引先の営業マンの方が、犬塚弘さんと子供の時からの幼馴染だったと・・よくおしゃっていた方を思い出しました。

その方の車を借りて、皇居界隈をぐるぐると車の練習運転をさせていただいた思い出があります。感謝感激でした。

・・クレージーキャッツ。

合掌。