百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

神在り月

2011年10月11日 | 百伝。
三連休も終わり、信州に行く予定が、知人の身内の不幸で、大野市まで出かけていた。

先日も書いたが、大野は、名水の里である。

大野市は、上水道を設置せず、井戸水を使用しているのである。

何か・・素晴らしく、清く、神々しい街に映るのである。

今月は、神無月。

出雲地方に八百万の神々がお集りになっているとのこと。

だから、出雲だけは神在月・・。

昨日、兄夫婦が母校の応援のために出雲に行っているというので、テレビで全日本大学選抜駅伝を観ていた。

いい夫婦関係だなぁ・・と思いながら、百島のことを考えていた。

11月に、百島へ帰省して、墓地の脇に桃の木を植えようかと考えている。

百島の我が実家も、じきに築後50年になる。

いずれ、母もいなくなると・・空き家になるのかなぁ。

親がいなくなると、故郷の百島への足も遠のくのかなぁ。

自分の意思として、跡取りの兄と小生の家族には伝えている・・。

自分の死後、父と母のそばに分骨して欲しいと頼んでいる。

小生の一部は、百島に戻ることを希望しているのである。

自分の「分」に合った、今を楽しむ。

くよくよせず、未来を思い煩わない。

人の財産は、「人」である。

自分を見守ってくれる家族や友人である。

「人」から「会いたい」と思われる人がよい。

八百万の神々のように「元気の源」になるのである。

今宵は、十三夜を過ぎての朧月夜。

百笑の盃に月を浮かべ、「生まれてきてありがとう」。

いつも、神在り月。

だから、感謝。