ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

自立愛(2006.2月・再掲載)

2014年12月08日 | 千伝。
奈良の唐招提寺の近くに、民主党の馬渕澄夫さんのポスターが貼られていました。

地元奈良1区の選出でした。

最近、「指示ではないですか。指示ではないですか?」の言葉で名をあげた馬淵さんです。

僕は、民主党支持ではないのですが・・とても、いいことを書いています。

馬渕さんのHP:http://www.mabuti.net/ をのぞくと、「あるべき社会像ー自立する勇気、見守る愛」というテーマで、とても良い事が書かれてあったので、下記に抜粋します。

(2006.2月記載)

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あるべき社会の姿として、私は誰もが挑戦できる社会を目指します。

この国の多くの人々は、失敗すれば二度と立ち上がれなくなると思っています。

確かに、今のこの国の仕組みは、「レールを外れるな!失敗したら大変なことになるぞ!」と脅しているのと同様です。

国民が大きな構造の変化を求めないように仕向けています。

なぜ、これほどまでに国民が萎縮する仕組みが出来上がってしまっているのでしょうか。

今のままでいいと思っている人々が一部にいて、社会の仕組みを変えないでおこうと必死に守ろうとしているからです。

一部の政治家や、官僚組織、業界団体・企業、こうした人たちが大多数の国民に勇気と希望を与えすぎてはマズイと思っているのです。

自分達の既得権益が侵されることに、不安を感じているのです。

自立することは確かに不安になります。

怖いことです。

「失敗したらどうしよう。」

誰しもが考えることです。

でも、失敗してもやり直しがきけば、不安も和らぐはずです。

私は、今の社会を、「誰もが挑戦できる、そして失敗しても再挑戦できる社会」にしたいと考えています。

そのためには一人一人が「自立」を目指さねばなりません。

自立するためには少しばかりの勇気が必要かもしれません。

その勇気を国民に与えるのが、目指すべき「社会の仕組み」なのです。

そして、国民一人一人が勇気を持って自立を目指し、万が一失敗したときに、それを温かく見守る慈愛が必要です。

周囲が暖かく見守ってあげることによって、再度挑戦する勇気が湧いてくるのです。

私は「誰もが、挑戦・再挑戦できる社会」の仕組み作りを目指します。

そのために、「自立する勇気を持とう!」、「挑戦する人を見守る愛を持とう!」と訴えます。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

一蓮托生(2007.5.20・再掲載)

2014年12月08日 | 千伝。
振り返ると、小さな田舎町で生まれ育った若者が、大都会に憧れるのは当然だと思います。

決して、田舎が不便だから、夢も仕事が無いから・・それだけの理由や動機づけで都会へと向かいません。

理由は、簡単です。

田舎の濃密な対人・友人関係の煩らわしさです。

思春期に最も大事なイベントは、異性との語らい、過ごし方でした。

田舎で恋に破れた者も、都会へ向かいたくなる・・これまた同じ動機です。

また、子供の頃から育ってゆくと、友情という美辞麗句よりも力学的な上下構造の人間関係があります。

品の悪い、強い奴の口数、暴言に閉口しつつ、このまま何年も同様な人生を田舎で過ごすかと思うと、人生は空しいと感じます。

「故郷には、それほど美しい物語はない」と誰かが言いましたが、共感する部分も多々あります。

かつては、東京にある大学を、すべて地方に移転させる妙案もあったと思いますが、何故か、今は、東京にある企業本社機能を移転せよ・・という過激的な発言も出てきます。

要は、東京で暮らしみるとよく解りますが、それほど便利な大都会、街の生活ではありません。

が、雑多な清潔な空間に品の良い人間が多いので心地良いのです。

とりわけ、地方から上京すると、この状況が、よく解るのです。

昨晩のNHKの「日本の、これから 止められますか地方の衰退」・・このままでは、止められません。

わざわざ、NHK大阪から「東京一極集中」を取り上げていたのがおかしいです。

昭和初期まで、日本一の大都会は、商都の大阪でした。

東京は、第二位の都会でした。

その大阪も、徐々に地盤沈下しています。

海外では、それほど大阪のネームバリュはありません。

海外で有名な日本の街は、圧倒的に、東京、広島、京都です。

東京で暮らした者にとって、田舎に戻るという決意は大変な勇気がいると思います。

田舎者という言葉がありますが、実際、何の変哲もない田舎者に戻るということなのです。

田舎者というイメージが、善いのか悪いのか・・今の時代は、都会人という言葉のあやふやな存在の無さに較べると、断然、重みや厚みが多少加味されています。

これは、今や世界共通の印象かもしれません。

フィルムの中で、パリジャン、パリジェンヌに憧れたフランス国民の田舎者も同様で、都会暮らしが、単純に心地良い生活地域に変化し実感して認識しているように思えるのです。

日本の高校生の修学旅行の行く先に、英国の都会と田舎を薦めたいものです。

日本の方言よりも、英国の方言の数が多い・・それに、その方言をあまり直そうとしません。

いかに、ロンドンよりもカントリーサイドの方が、美しいのか・・歴然とします。

英国の田舎者が、大都会ロンドンに暮す人間を憐れむかのようにです。

日本の地方の特権は、卑屈にも誇りにもなりうることです。

東京の問題は、日本の大問題です。

しかし、地方の問題は、日本の死活問題です。

都知事の石原さんが、「東京は、人間で言うと心臓部にあたる」と喩えていましたが、心臓移植は、いくらでもできます。

逆に、東京の衰退と地方の繁栄であるならば、日本人のほとんどが納得できるのではないでしょうか!

東京がなくても、地方は存在します。

昔、東京に憧れて暮していました・・今も東京は、好きです。

しかし、地方の田舎風景をもっと愛してしまい、いつのまにか東京を離れた田舎者の小生の感想です。

ニューヨークから東京に入ると、東京は、混沌とした大都会に映り、ニューヨークが洗練されたビジネス街に映ります。

逆に、そのニューヨークの摩天楼が、ロンドンやパリの風格のある都市美に較べて、金をかけた巨大な墓石街としか映りません。

東京の一極集中問題は「過信すぎる東京には、これから美しい物語が始まるのだろうか?」の一言に尽きると思います。

東京は、まだまだ差し置くことの出来ない存在です。

それだけ、人口の多い分、日本人の夢が詰まった世界に誇れる日本一の場所だと思います。

ただ、近い将来、日本一老人の多い首都東京になるという前代未聞の現実と大前提(天災も含む)が、警鐘として響き渡っていないのが、この国のお粗末さ、能天気な日本の実情です。


このままの日本の地方の衰退は、忍び寄る東京の衰退を救えません。

一蓮托生の日本の現実社会です。

百島トキドキ食堂

2014年12月08日 | 百伝。
ここ二~三日の雪かきの為、体調悪化・・よく寝ています。

最近、縁側カフェというのが流行りなのかなぁ?

可能性大の現実性を帯びた夢みたいな事を書くと、そのまえに死んでしまうような気がして、何も書く気がなくなるのですが・・

越前おろし蕎麦(そば)を食べながらイメージが湧いてきたので、気がついたことを書き残して置きます。



日本蕎麦に百島大根と野菜を添えれば、百恵もしくは百島蕎麦になるとのでは?

うどん文化圏では、中華蕎麦と和蕎麦が曖昧になっているような気もするのですが、百島ラーメンでも百島パスタでも百島丼でもいいのです。

まずは、百島一点メニュ(御品書き)勝負でいいかなぁ・・と思います。

以前、知り合いの蕎麦打ち名人が、月のひと日曜日だけ、山深い場所に自分の蕎麦店を開いていたことを思い出しました。

カレーライスならば、百島の野菜と神石高原ポークを使って、「百神カレー」。

今日のタイトルは「百島トキドキ食堂」だけど、どなたか、百神カレーは、いかがですか?

・・という提案です。