ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

金沢せせらぎ散策

2014年12月01日 | 百伝。
金沢を散策しました。

加賀百万石の藩祖、前田利家公とその正室、お松の方を祀る尾山神社です。



和洋漢折衷の建物が見えます。



神門です。



武家屋敷跡です。



写真に人影が映っていませんが、かなり多くの観光客が散策しています。



金沢には、海外からの多勢の様々な外国人ツーリストが地図を片手に散策しています。

京都から、福井を通り過ぎて、金沢に行き交うようです。

まるで、尾道から、百島を通り過ぎて、鞆の浦へ行き交う船の旅のようなものです。

最近、飛騨の高山への海外からの観光客が驚異的に増えています。

映像と英語力でのインターネット発信に効果があったようです。

あれこれと考えた・・せせらぎ通りです。



通り過ぎるだけの忘れられた地域でもいいのかなぁ・・?!

金沢21世紀美術館へ・・つづく。

哀悼 文太さんへ 

2014年12月01日 | 千伝。
菅原文太さんが亡くなられたとのこと。

NHKの大河ドラマ「利家とまつ」にも利家の父親役で出演していたとか・・思い出せません。

文太さん・・広島に縁深い人物でした。

ヤクザ映画「仁義なき戦い」で、広島弁を全国に広めた第一人者かもしれません。

尾道の選挙区に、亀井静香さんの応援にも来られていました。

晩年は、福岡でお暮しになっていたとか・・?!

東映の全盛時代のスターであった菅原文太さんは、ぼくが下宿していた杉並区荻窪の同じ町内で暮らしていました。

文太さんが、隣家との境界線を巡って、訴訟問題を起こしていたのを思い出します。

荻窪始発の丸の内線地下鉄車内で、真っ白なコートを羽織って座っていた菅原文太さんを思い出します。

「トラック野郎シリーズ」にエキストラのバイトをした時に、「どこの学生だ?」と声をかけてくださったのを思い出します。

撮影現場で、テキパキと先頭に立ってお仕事をしていたイメージが強いです。

随分前、文太さんが、岐阜県高山市(旧清見村)に引っ越された時、隣県人として何気無く嬉しくなったのを憶えています。

菅原文太さん・・俳優業というよりも社会思想家を目指していたような気がします。

たくさんの思い出をくださり、ありがとうございました。

心から深く哀悼の意を表します。

合掌。