ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

いとをかし。

2015年11月27日 | 千伝。
今日の午後「アデライン100年目の恋」という映画を観たという方とラーメンを食しました。

落雷によって百歳を過ぎているのに、29歳のままで老化現象が止まっている女性が主人公。
FBI にも追われ10年ごとに名前も住所も変えなければならないこと。
娘も自分の祖母のように老いてゆくこと。
ペットの犬も何匹も逝き写真のアルバムが増え続けること。
歳をとらないという孤独の悲しさ・・。
歳をとるという老いの悲しさ・・。



つけ麺を食べながら、その映画のイメージを追っていました。

・・いつの頃が、いちばん輝いていたのかな?

時々、中島みゆきさんの「糸」という唄を口づさみます。

♪なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
♪いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

♪縦の糸はあなた  横の糸は私
♪逢うべき糸に 出逢えることを
♪人は 仕合わせと呼びます

悲しみも喜びも織り成す仕合わせかな?

不幸も幸福も編み込む仕合わせかな?

逢うべき人と出会えた時が、いちばん輝く時かな?

アイルランドのエンヤさんのように時を止めるような感覚もよいですが、中島みゆきさんも・・よいです。

僕は、この方のレコード、カセットテープをほとんど持っていました。

昔、お世話になったフィールドでは・・。

たて糸は、経糸と書きます。

よこ糸は、緯糸と書きます。

地球上の経度と緯度が語源になっています。

・・仕合わせですね。

年末年始の勤務表完成♪

今日の「いと麺うまし」の話でした。

東京物語

2015年11月27日 | 千伝。
鎌倉市浄明寺町に暮らしていた原節子先生。

心からの御悔やみを申し上げます。

今日は、このブログに、以前書き認めた「東京物語」をアップさせていただきます。

素晴らしい映画、そして素晴らしい女優でした。

合掌。感謝!

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その人と再会することができました。

その人は、よくこんな事を言っていました。

「FISH(魚)とVISITOR(訪問者)は、3日過ぎれば、SMELL(臭くなる)」 

それとよく似た話が、戦後まもない映画、小津安二郎監督の映画「東京物語」です。

尾道から老夫婦が、東京見物をかねて、息子、娘を訪ねて上京します

一応、はじめは歓迎されるのですが、だんだん時間を弄ぶようになります。

結局、熱海へ旅行しなさい、と押しやられてしまう老夫婦(笠智衆、東山千栄子)の孤独な哀歓を見事に描いています。

そして、尾道に帰ったあとに老婦の死、葬式。

最後には、死んだ息子の義理の嫁(原節子)が一番優しく世話を尽くして呉れるというスト―リです。 

その人は、この映画『東京物語』を、どこで観たのか甚く感心して、「いつか日本に来てください」と言う度に、この映画と魚と訪問者の話を持ち出しては、「行きたくない」と言ってました。

あれから12年。

その人は、80歳を過ぎて、はじめて日本の土を踏みました。

最初で最後の日本の旅になると思います。

7年ぶりの再会でした。
 
急拠、東京に家内と息子を連れて行って参りました。

もうじき帰国するその人を、次の世話案内役にバトンタッチするため、そして万全を期して回復するためにホテルでの滞在でした。

その人は、幼い頃、両親が離婚したせいでしょうか・・?。

若い頃に、恋に破れたせいでしょうか・・生涯独身です。

英国王室よりも古い貴族出身であり、財産がありながらも、生活は非常に質素、倹約家。

父方の家系は、軍人であり大地主であったため、管理できずナショナルトラストに、ほとんど寄付。

母方の家系からも、作家、画家、ロンドン市長、王室特使等々を輩出。

兄弟身内はいませんが、いとこや親類連中は、ハイソサエティの上流社会に属しています。

そんな環境で育った、その人が言いました。

「東京は、スペクタクルな都会だ・・でも、暮らしたくない。例えば、新宿のあの人波と都庁の高層ビルとホームレスの人ごみのアンバランス・・どこか異常だ」

世界中の大都会は混沌としていて、地方都市や田舎は人が少ない分、カオスの世界を形成できません。

だから、若者は大都会を好むし、田舎に暮らす人は大都会に魅せられるのかもしれません。

次の世話役にバトンタッチする時、あの映画、東京物語を思い出しました。

もう会えないかもしれないのに、もっと一緒に過ごせないのかという、一種の後ろめたい気持ちです。

その人は、別れ際、私の息子に、敬礼の挨拶をしながら「また会おう!」と言って呉れました。

はしゃぐ息子をよこに、帰り道は、なぜか足取りは重く、その人のこれからの最後の晩年と、これから始まる息子の未来に、心が揺れました。

他愛の無い、小生のもうひとつの東京物語でした。

2008年4月記。

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その人と原節子先生は、ほぼ同年齢、生涯独身を貫き通しました。

あの世で仲良く語り会える仲良しになって欲しいものです。

合掌