今年も、気がつかないまま、24分の1が過ぎました。
歳を取るということは、老化が進むということです。
アンチ・エイジングという意味合いが分かりません。
一年でも、一か月でも、一日でも若く生き生きとしたいのでしょうか?
老いていくと、必然的に自立歩行が困難になります。
トイレに行くのにも困難が生じます。
そうなると当然ですが、入浴も自炊もできません。
誰かの手を借りないと、生きてゆけません。
身内、とりわけ家族の世話にならなければなりません。
家族のいない独居暮らしだと深刻な問題に直面します。
無縁死・孤独死という現実的な不安です。
ただ、家族と同居したとしても、高齢者にとっての終末期の行き場所(終の棲家)は、大きな不安材料です。
在宅で介護、そして看取ることが出来れば、幸せなのでしょう。
現実、これが非常に難しくなっているのが日本社会の終末期です。
政策通は、簡単に「訪問介護サービスの充実」と言うけれども、現場の介護側も、受け入れる家族側も仕方なくでしょう。
どこかの病院、施設に入れるだけでも、ホッとする家族がほとんどなのです。
最近は、入院・入居している親である高齢者を全く見舞いにも来ない放置状態の家族と、これでもかというぐらい見舞いに来てはクレイマーのような家族と・・どんどんと反比例するような状況が見受けられます。
おそらく・・経済的なゆとりの有る、ゆとりの無さ、その格差問題が生じているような気がします。
根本的には「年金の有無」「金銭勘定」・・嫌なものです。
10年ほど昔ならば、「お年寄りを自分の親のように思って寄り添う」という「やりがいのある至上名言」が、介護の世界にはありました。
残念ながら、今の現状は、「やりがい搾取から逃れる。自分を壊すな!」が、最優先です。
暴力的、暴言を吐く、パワハラ、セクハラ何でもアリの「とんでもない高齢者」が増加中というのも事実です。
・・本当に困った高齢者社会の一面です。
この頃は、デイ・サービスに送り迎えする車・ミニバスが日常風景となりました。
毎朝、「行きたくない」と駄々をこねる高齢者が多いのです。
高齢者と幼児の共通点は、誰からも優しく相手にして欲しいのです。
誰でも、イジメのあるような場所には、行きたくありません。
昨日、大きな病院の待合室で診察待ちをしていると、とある老夫婦を見かけました。
御主人が車椅子に乗り、人工呼吸器を抱きかかえています。
奥さんが、その車椅子を押しての通院風景です。
・・老々介護と呼びます。
朝、服を着させて、食事を用意して、車を呼んで・・想像するだけでも大変です。
でも、何かしら安堵感が漂うご夫婦でした。
軽く笑顔で会釈をすると、向こう側も理解してくれたのでしょう。
・・エールと呼ぶのかな?
「生き方」よりも「死に方」が大事だと考える年齢になりました。
「若さ」というのは、それだけで美しいという意味が理解できます。
そして、「老いる」ということも美しいと思える社会にならないとね!
今日は、大寒。