ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

壺と甕。

2017年06月05日 | 百伝。
今日は、眼科へ。

昨日の夕方、駅前界隈を散策して参りました。



お花、お花でいっぱいでした。





・・久しぶりに嗅ぐバラの香り。



・・ぷーんとしますね。





さて、高校時代の友人から、仲間内でのLINEが出来上がったので「参加するか?」という連絡を頂きました。

その返答の件で、彼と久しぶりの会話。

卒業して、40年以上も経ちましたが、今尚、会話が始まると、あっという間に「当時の高校生気分に戻れること」が嬉しいです。

我々の母校は、不合格者ばかりが集まる滑り止めの私立の工業系男子校でした。

当時の広島県東部地区の県立高校は、福山の誠之館、尾道の尾道北、三原の三原をトップに序列・偏差値化された進路コースがありました。

・・気の滅入る事も多かったけど、振り返れば、県立の共学校に進学しなくてよかったというのは、結果オーライの事実です。

彼が、今も嬉しいことを言ってくれるのは、高校三年間無事に卒業できたのは「おまえが、百島から通学してくることで、凄く元気を貰っていた!」と言うのです。

朝起きるのが辛く眠い時でも、「おまえが、もう起きて船に乗っていると思うだけで起きなければ!」と気合いが入ったとのこと。

・・人を喜ばすことが巧い面白い人物です。

彼は、東京六大学の一つに入学卒業、20代半ばで若くして起業、経営者一筋の人生を過ごしています。

今思えば、偏差値重視の学力教育よりも、「いじめ」やら「人間関係」やら・・その障害物を乗り越えてゆく「生きていく能力」を重視した教育の方が大切なのかもしれません。

この夏、また恩師のH先生を囲んでの同窓会があるとか・・。

高校入学した際、担任となったまだ若かったH先生が最初に言い放った言葉を思い出しています。

「おまえら、県立高校で不合格になって来たんだろう? この高校に入って来て本当に悔しくないのか? この三年間で見返してやれ!」

あの三年間で見返すことができたかどうかは、兎も角です。

我々が卒業したあと、このH先生自身が、私立高校教員を辞めて、県立高校の教員へ転職。

その後、転々といつのまにか三原高校校長となり、市の教育委員長まで勤め上げたのです。

ユニークな団塊世代の先生でした。

・・感謝です。

今日は、大戸屋でランチ。



・・友人たちにも感謝です。



白い世界、白い人。

黒い世界、黒い人。

・・白黒の世界、黄色の人。

壺の人。

甕の人。

白い目で見る世界は、歪(いびつ)な社会になります。

白内障になったみたいです。