ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

極楽おおがっそう。

2017年08月14日 | 百島極楽遊園地

珠洲しさや やがて能登なり 大和なる


(百島 極楽遊園地ロケ記念碑から向島を望む。画:藤本重男)

現在の風景、時が過ぎれば、人の風貌も変わるが、景色も変わる。

段々畑が、野となり山となる。





「瀬戸の花嫁♬」がヒットした昭和の時代ぐらいまでは、どこの島々にも、美しい「だんだん畑」が残っていました。

作詞:山上路夫
瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へ お嫁に行くの
若いと誰もが 心配するけれど
愛があるから だいじょうぶなの
だんだん畑と さよならするのよ
幼い弟 行くなと泣いた
男だったら 泣いたりせずに
父さん母さん だいじにしてね

岬まわるの 小さな船が
生まれた島が 遠くになるわ
入江の向うで 見送る人たちに
別れ告げたら 涙が出たわ
島から島へと 渡ってゆくのよ
あなたとこれから 生きてく私
瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
二人の門出 祝っているわ

「だんだん畑」・・ほんとうに、「さよならするのよ」となりました。

今は、まったく見ることができません。

明治時代、瀬戸内海の風景を「美しい!」と絶賛した当時の欧米人が、今の瀬戸内海の風景を眺めると、どんな感想を漏らすのかな?

スイスやスコットランドの風景は、よく散髪されています。

「おおがっそう」は、鳥や獣や虫や草木が大喜びする極楽の地かもしれません。

人間は、きちんとした小奇麗な清爽な地を好むのでしょう。

「風雅(が)わりぃから、散髪せぇ」という声が聞こえてくるようです。


禅の教え。

2017年08月14日 | 易行難行修行

「朝から晩まで、幸福と繁栄を求めて、汗を流して働いている。どうすれば、自分の目標を達成できるか? どうすれば、周りの人間と衝突しないで生きて行けるか? どうすれば、自分の中に自信が湧いてくるのか? どうすれば、マイペースで生きていけるか?」

お坊さん、神主さん、神父さん、牧師さん・・皆さん、善いお答えをおっしゃる。

「生、老、病、死」・・苦楽の果てに「真の幸福、極楽浄土」があります。

・・ん?

苦楽の果て・・?

さて、「禅の教え」は、「人工知能(AI)」に限りなく近いものかもしれません。

ある意味において、食欲も金銭欲も、持ち家も身なり服装の心配も、欲望の無いであろう無心の「人工知能」に、幸福となるべき国家予算、極楽となるべき人生の予算概算してもらうとどうなるのかな?

戦争に関わる巨大な予算、武器商人、武器製造業、戦争屋・・幸福も極楽とも無縁となるはずです。

ただ、物事の「美醜」「善悪」という判断基準は、神の力という神秘性を伴い、それを問うものかもしれません。

「自分の目標をはっきり立てて、その目標を達成したイメージをどんどん広げなさい。必ず実現できる。自分で考えて目標を持って生きる」・・道元禅師は、こんな言葉を一切否定しています。

・・心身とは、自意識とのこと。

「自意識を捨てて、もっとおおらかな自然の心、宇宙の生命との共生という心身脱落」を、道元禅師は、説いています。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」



新緑も、紅葉も、波も、せせらぎも・・すべて、自然の姿、宇宙の声だとのこと。

「禅の教え」・・風雅漂うこと也。

身の周りから掃除を始めよ。

洗面も掃除も修行・・曹洞宗開祖の道元禅師の「禅の教え」は、見事です。

・・追伸添えます。

同級生の皆さん・・永平寺に参拝に行こう。

鎌倉時代に生きた道元禅師が、ひたすら仏道を求め暮らした福井の「永平寺」を案内できます。

・・人生は、常に変化するものです。

だから、次の同窓会は、金沢。

その次の同窓会は、鎌倉でね。