先月、厚生労働省が、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組みのアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の愛称を「人生会議」に決めたと発表しました。
人生会議・・・終末期というよりも、人生の困難に立ち向かうため、どのような戦略を企てるような意味合いが深いです。
昨晩の福井地方、雷が轟き、暴風が吹き荒れていました。
また、我が家が壊れるかもしれないと思いながら、ラジオを聴きながら寝ていました。
62歳になりました。
65歳までの特別支給の老齢厚生年金が受け取れると確信していると、大間違いでした。
今の収入を減らして、もっと貧しい経済生活でないと、貰えないのです。
労働意欲を削ぐ、不可解な制度です。
人生を有意義に過ごすために「人生会議」を開催するのが、国や社会の務めだと思う。
多分、たいていの人にとっては、「お金」は、万能の道具なのでしょう。
「何のために、働くのか?」と問えば、「名誉のため、社会奉仕のため、生きがいのため」と答える人は、生活に困らない人です。
誰でも、最低生活を過ごすために「お金」を得るために働くのです。
ただね・・・「お金」があると、大抵それを守ろうとして、積極的な勇気、冒険は、生まれてきません。
明日は、大きな病院での定期診断。
人生の最終段階を話し合う、取り組みを、政府公認の「人生会議」と呼ぶ理想、もしくは秘密会議。
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
いくら悩んでも、人生を理屈で理解できるものではありません。
生きるとは、起きて、食べて、歩いて、坐って、寝て、また起きる生活そのものが、人生。
自分と他人様を比較しないこと。
音楽を聴いたり、何かを読んだり、歩いたり、日々の自分の手入れ(元気)を怠らないこと。
元氣がいちばん・・・人生談義。