ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

沖縄復帰50周年。

2022年05月15日 | 空木宝剣

今日は、沖縄復帰(1972年5月15日)から半世紀。

与儀くんや ちむどんどんの  ころからか

1964年の東京オリンピックを、最期の大仕事とした池田勇人首相(1899~1965)。

そのあとを次いだのは、政界の団十郎と称された佐藤栄作首相(1901~1975)。

佐藤首相在位期間は、8年間(昭和39年~昭和47年/1964~1972)。

沖縄の返還がなされたのは昭和47年5月15日、まさしく日本国総理大臣佐藤栄作の最期の大仕事だった。

大学紛争や、アポロ11号の月面着陸、大阪万博やら三島由紀夫事件と、光陰交錯の昭和40年代。

NHK朝ドラの、ちむどんどん。

沖縄やんばる地方の比嘉家の物語を見ていると、団塊の青春時代にフィードバックする。

那覇高出身の与儀君を思い出す。

夏休みで帰省した際、ドル建てのジョニ赤やカティサーク  ホワイトホースやらを手土産にして、振る舞ってくれたものだった。

当時は、神戸港から、関西汽船等の沖縄航路があって、船便を利用していたようである。

沖縄復帰から50年の今日。

お陰様で、青春時代に舞い戻り、もう一つのドラマを見せてもらったような気がする。

戦後77年。27年間のアメリカ占領下の沖縄うちなんちゅうの苦労。

戦争という悪い出稼ぎは、21世紀の今でも、ウクライナ国民を苦しめている。

戦争は、千害あって、一利なし。

休むに似たりと、千利休(1522~1591)は、言ったか言わなかったか。

国土を焦土化する以外のなにものでもない。

下手な考えの為政者が、侵略者となる。

戦前を拒み、戦後記録を継続する事こそが、平和の力かな。