今日は、沖縄復帰(1972年5月15日)から半世紀。
与儀くんや ちむどんどんの ころからか
1964年の東京オリンピックを、最期の大仕事とした池田勇人首相(1899~1965)。
そのあとを次いだのは、政界の団十郎と称された佐藤栄作首相(1901~1975)。
佐藤首相在位期間は、8年間(昭和39年~昭和47年/1964~1972)。
沖縄の返還がなされたのは昭和47年5月15日、まさしく日本国総理大臣佐藤栄作の最期の大仕事だった。
大学紛争や、アポロ11号の月面着陸、大阪万博やら三島由紀夫事件と、光陰交錯の昭和40年代。
NHK朝ドラの、ちむどんどん。
沖縄やんばる地方の比嘉家の物語を見ていると、団塊の青春時代にフィードバックする。
那覇高出身の与儀君を思い出す。
夏休みで帰省した際、ドル建てのジョニ赤やカティサーク ホワイトホースやらを手土産にして、振る舞ってくれたものだった。
当時は、神戸港から、関西汽船等の沖縄航路があって、船便を利用していたようである。
沖縄復帰から50年の今日。
お陰様で、青春時代に舞い戻り、もう一つのドラマを見せてもらったような気がする。
戦後77年。27年間のアメリカ占領下の沖縄うちなんちゅうの苦労。
戦争という悪い出稼ぎは、21世紀の今でも、ウクライナ国民を苦しめている。
戦争は、千害あって、一利なし。
休むに似たりと、千利休(1522~1591)は、言ったか言わなかったか。
国土を焦土化する以外のなにものでもない。
下手な考えの為政者が、侵略者となる。
戦前を拒み、戦後記録を継続する事こそが、平和の力かな。