鎌倉幕府を倒した一番手の功労は、新田義貞、次に足利尊氏です。
室町幕府を倒した一番手の功労は、明智光秀、次に織田信長、羽柴秀吉です。
その新田義貞と明智光秀、接点となる地があります。
今日は、その場所を訪ねて散策。
鎌倉幕府滅亡後、南北朝という日本史の中でも極めて混沌した状況の中で、南朝側に付いた新田義貞は、足利尊氏に追われ・・・越前の地で討ち死に自刃を遂げます。
その墓所があるのが、福井県坂井市丸岡にある時宗称念寺。
それから、約220年の時を隔てて、戦国時代、今、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智十兵衛光秀が突然此の地に現れます。
歴史に初めて登場する明智光秀は、この越前からなのです。(それ以前は不明。)
明智光秀が暮らした場所が、この称念寺の門前だとの史実が始まりなのです。
黒髪伝説の地。
その後の江戸元禄時代、松尾芭蕉が、この地を訪ねて、のちに伊勢で詠んだ俳句です。
月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せむ。
明智の妻は、細川ガラシャの母親であり、現在の細川家に脈々と繋がっています。
因みに、江戸幕府を開いた徳川家康の祖は、新田家に繋がるとか。
天下に手が届かなかった新田義貞公、終焉の地。
三日天下まで手が届いた明智光秀公、発端の地。
これまた余談ですが、
松尾芭蕉は、どうも天下の敗者の生き様に心が動いていたような気がします。
芭蕉は終焉の地として、平家追討一番手であり、その後、源義経に討たれた源(木曽)義仲公の墓所の隣に眠っています。
称念寺・・・今、裏手には、金沢から敦賀まで延伸する北陸新幹線の高架工事が着々と進捗しています。
月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せむ。
月明かりには、より美しい黄金の麦畑です。
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