おはようございます。
百島で迎える朝に感謝。
朝起きて、泊の神社まで散策。
大正9年、百年昔、百島の先人の皆様が建立した「日御碕大神」の石碑に参拝、報告。
帰り道、御近所の京泉さんと少し立ち話。
太ったとの指摘あり・・痩せないとなぁ。
さて、昨日の午前中、出雲の日御碕から、百島に帰省。
墓参りのあと、百島一番のパワースポットとも言える茶臼山登頂に挑戦しました。
今まで一度も入っていない未知の領域です。
上り始めて、振り向けば、対岸の常石が見えます。
延々とジャングルのような道なき道を上ります。
格闘すること、30分後? 60分後?
頂上は、背丈を超えた竹藪の世界でした。
およそ50メートルぐらいの長細い台地があるかな?
二つの巨石があるのが、分かりますか?
僅かの間から、下界風景が垣間見えます。
しばらく、言葉がでないくらいのパワーを感じました。
62歳での初挑戦、茶臼山登頂成功❗
富士山登山に使った杖が頂上で折れました。
折れた杖は、巨石に供えました。
心は、折れません。
かつては、300度見渡せた極めて重要な場所。
(あと60度は、背後に十文字山あり。)
後ろは、十文字山、因島村上水軍のみ。
先人は、凄いよ❗
この茶臼山の所有権は誰? 西林禅寺かな?
真っ正面に、広島県有数の高級リゾートホテル、ベラビスタ境ガ浜を見下ろします。
靹の浦からの口無し瀬戸の船の行き来も丸見え。
左側に向島、松永湾、そして、石山、軍殿山がすぐ隣りに手の届く距離です。
右側には、横島、田島の睦橋が真下に、その向こう燧灘も見えて、遠く四国山脈の西日本最高峰石鎚山も見えるはず。
つまり、この場所は、尾道からも、靹の浦からも、燧灘からの船の行き来も丸見えなのです。
瀬戸内海の村上水軍盛衰の歴史は、この茶臼山城主村上高吉が、この場所で考え、口述したと伝わっています。
百島の茶臼山は小さな山ですが、目印を付けながら登らないと、降りる際は、ジャングル状態なので迷います。
西林禅寺の裏手の畑に無事下山、茶臼山登山終了です。
一泊40万円から100万円の超豪華客船ガンツウも停泊しているのが見えます。
茶臼山頂上は整備すると、瀬戸内海屈指の眺望を望めるかもしれません。
対岸のホテル宿泊客からも見上げる存在となります。
将来・・茶臼山にも登って欲しいものです。
唐突ですが、尾道のいちぱんの宝は、何だと考えますか?
リニューアルされた尾道の玄関となる尾道駅ではありません。
いちばんのは宝は、向島です。
さもなければ、尾道水道は、存在しないのです。
同じく、百島が存在しなければ、備後の国は、殺風景で、蘇民将来も存在しません。
北海道の北に千島。
鹿児島の南に十島。
真ん中に、百島と名付けた智恵ある先人は、どんな人物だったのかな?
百島の先人たちは、茶臼山頂上から、百の夢を見て、旅立ったのかもしれません。
今日は、百島からの発信でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます