百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島 茶臼山登頂記。

2019年03月16日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

おはようございます。


百島で迎える朝に感謝。


朝起きて、泊の神社まで散策。



 



大正9年、百年昔、百島の先人の皆様が建立した「日御碕大神」の石碑に参拝、報告。





帰り道、御近所の京泉さんと少し立ち話。


太ったとの指摘あり・・痩せないとなぁ。


さて、昨日の午前中、出雲の日御碕から、百島に帰省。


墓参りのあと、百島一番のパワースポットとも言える茶臼山登頂に挑戦しました。


今まで一度も入っていない未知の領域です。


 


上り始めて、振り向けば、対岸の常石が見えます。



延々とジャングルのような道なき道を上ります。


格闘すること、30分後? 60分後?


頂上は、背丈を超えた竹藪の世界でした。


およそ50メートルぐらいの長細い台地があるかな?


二つの巨石があるのが、分かりますか?




僅かの間から、下界風景が垣間見えます。



しばらく、言葉がでないくらいのパワーを感じました。



62歳での初挑戦、茶臼山登頂成功❗


富士山登山に使った杖が頂上で折れました。


折れた杖は、巨石に供えました。


心は、折れません。


かつては、300度見渡せた極めて重要な場所。


(あと60度は、背後に十文字山あり。)


後ろは、十文字山、因島村上水軍のみ。


先人は、凄いよ❗


この茶臼山の所有権は誰? 西林禅寺かな?


真っ正面に、広島県有数の高級リゾートホテル、ベラビスタ境ガ浜を見下ろします。


靹の浦からの口無し瀬戸の船の行き来も丸見え。


左側に向島、松永湾、そして、石山、軍殿山がすぐ隣りに手の届く距離です。


右側には、横島、田島の睦橋が真下に、その向こう燧灘も見えて、遠く四国山脈の西日本最高峰石鎚山も見えるはず。


つまり、この場所は、尾道からも、靹の浦からも、燧灘からの船の行き来も丸見えなのです。

瀬戸内海の村上水軍盛衰の歴史は、この茶臼山城主村上高吉が、この場所で考え、口述したと伝わっています。


百島の茶臼山は小さな山ですが、目印を付けながら登らないと、降りる際は、ジャングル状態なので迷います。


西林禅寺の裏手の畑に無事下山、茶臼山登山終了です。


一泊40万円から100万円の超豪華客船ガンツウも停泊しているのが見えます。



茶臼山頂上は整備すると、瀬戸内海屈指の眺望を望めるかもしれません。


対岸のホテル宿泊客からも見上げる存在となります。


将来・・茶臼山にも登って欲しいものです。


唐突ですが、尾道のいちぱんの宝は、何だと考えますか?


リニューアルされた尾道の玄関となる尾道駅ではありません。


いちばんのは宝は、向島です。


さもなければ、尾道水道は、存在しないのです。


同じく、百島が存在しなければ、備後の国は、殺風景で、蘇民将来も存在しません。



北海道の北に千島。


鹿児島の南に十島。


真ん中に、百島と名付けた智恵ある先人は、どんな人物だったのかな?


百島の先人たちは、茶臼山頂上から、百の夢を見て、旅立ったのかもしれません。


今日は、百島からの発信でした。



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