ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島の宝。

2020年06月23日 | 百伝。
たぁ兄(あに)やんが、亡くなったとのこと。

哀しい❗

また、大事な人が逝ってしまった。

船乗りになった若い頃は、父と同じ貨物船に乗っていた。

父は、たぁ坊と呼んでいた。

僕が幼稚園児の頃だったかな?

大阪港から離れていると、あれは通天閣。

神戸港の埠頭に着いて、目の前出来上がった塔は、あれはポートタワー。

高松港を離れると、あれは男木島、女木島。

瀬戸内海の女王と呼ばれた、関西汽船のくれない丸、むらさき丸。

いろんな事を教えてくれたのが、たぁ兄やんでした。

小倉だったか、博多だったか、映画にも連れて行ってくれた。

氷の世界で、大暴れする八つぐらい頭を持つ大蛇を退治するストーリーだった。

その後、外航船に航海士として乗船して、地球を何周も廻ったと教えてくれた。

定年後、百島で葡萄を栽培していた。

帰省すると、昔話に花が咲いた。

葡萄も、よく頂いた。

船乗りになった頃が一番懐かしいんだ、と言っていた。

父の事を船長と呼ばないで、キャプテンと呼んでいた。

英語が好きだったのかな?

尾道の本通りで、外国人に質問されて説明していた。

This is Japanese GETA.と足元を指して、面白おかしく日本の伝統下駄を説明してくれた。

姿三四郎のような容貌で、いつも元気で明るく接してくれた。

ほんとうに元気を与えてくれる兄さんだった。

享年77歳・・・たぁ兄やんに、感謝しかありません。

百島の宝のような人柄でした。

百島の宝が、またひとつ消えたような寂しさ、悲しみです。



心より御冥福をお祈りいたします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿