ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

親ガチャ、出身地ガチャ。

2024年09月19日 | 資本と社会の問題
アメリカ合衆国は、トランプ前大統領がオハイオ州スプリングフィールドでは、移民のハイチ人がペットの犬猫を食べているという発言で、大問題。
 
はて? 同じような話が日本でもありました。
 
10年前か、20年前には、中国人が暮らし始めたエリアでは、犬、猫、亀、鯉がいつの間にか消えるという不思議な噂話が広がりました。
 
生活とは、何でしょうか?

広辞苑では、生存して活動すること、生きながらえること、世の中で暮らしてゆくこと・・だとか。

生活してゆくには、仕事が不可欠なのは言うまでもありません。

「サルがヒトになることに、労働はどのように関与したか?」経済学者エンゲルスの一節です。

直立に歩みだした人類の祖先は、手を自由に使い、新しい技能を次々と得ることに進化しました。

仕事とは、何でしょうか?

仕事とは、どのような意味を持っているのでしょうか?

労働という仕事は、人間の能力を発達させてきたのは、歴史的事実です。

人間の労働は、自然まかせの狩猟や採取の段階から、言語を持ち、人間が主体となる社会的集団労働に発展しました。

集団での多面的な労働を構築して、計画的な分業協業による組織性が生まれてきます。

こうして、仕事は、社会的な性格を備えるようになりました。

仕事は、人間の自己実現の場であり、社会への参画でもあり、生きがいにも相当することにもなります。

「仕事は、人間生活の第一の基本条件」は、揺るぎない事実です。

英国の顔、BBC の良心的なアナウンサーでもあった、ヒュー・エドワード氏(63歳)が児童ポルノ画像で有罪判決、ショッキングな事件です。

ウェ―ルズ出身のこの方が20代の頃、BBC でデビューした時代を覚えているけど、キュウピーさんと呼んでいました。
 
その愛くるしい表情で公平無私、重厚感のあるアナウンサーでした。
 
BBC には大幅な人事異動がないのか、キュウピーさんが何年経ってもBBC のニュース報道の画面に出ているのが楽しみでしたから、至極残念です。
 
それでも、なぜ?

仕事が苦しいという生活感覚が、現われてくるのでしょうか?

資本主義社会の矛盾です。

自らが、職業の自由を選択できるようになったのは、誰もが知っています。

近代となり、資本主義社会は、身分制度を廃止して、強制的に縛られていた人間を解放しました。

解放はされましたが、現代社会における、引きこもり問題、生活保護者の増大、労働者の高齢化、派遣労働の有期雇用、非正規労働者の低賃金、農林漁業の低迷、商店街の衰退、人手不足、巨大企業と中小企業の格差拡等々・・貧困、生活困難の社会問題が浮かび上がります。

例えば、先進国の多国籍企業が、途上国の安価な労働力を使って生産しています。

社会は、不変ではなく固定的なものではありません。

絶えず、変化、発展してゆくものです。

親ガチャ、出身地ガチャ、そんな言葉を打破するような社会でなければなりません。

ただ、その変化、発展の本質を考えるのも大事です。

仕事が苦しくなるのは、労働者による労働する過程で自主的管理、利潤獲得範囲での裁量があるにせよ、それ以上のコントロールを、自分では、できないからです。

消費者に生産物を購入させて利潤をあげるだけの労働仕事・・。

消費者に生産物を使用して、より豊かになってもらう労働仕事・・。

自ら考えて判断できる人間としての労働意欲ではなくて、資本・経営側による最終判断を委ねるような疎外されて、労働に従属されているような現実社会の状況です。

現場の自由を制限して、管理ばかりが強化されると、自律性も自立性も失われてゆきます。

自立的で自由な思考、発想、精神を失った仕事や生活は、楽しいはずがありません。

イライラよりもワクワクする・・労働者が、労働過程での適切な労働時間、適切で安全な労働内容、環境を備える社会の実現を備えるのが、社会福祉が充実した先進国としての基本条件かと考えます。



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