山梨県南アルプス市百々(どうどう)に参りました。
東には富士山、北には八ヶ岳、西には日本で2番目高い北岳、3番目に高い間の岳が見渡せる南アルプス市。
南アルプスの市木は桃、桃の生産量は日本一だとの事。
桃源郷マラソン大会も開催する南アルプス市。
コンセプトは「自然と文化が調和した幸せ創造都市」。
平成26年6月には、南アルプス市はユネスコエコパークに登録されています。
さて、南アルプス市の百々地区。
さくらんぼ、桃やスモモの広大な栽培畑が広がり、その中に大きな屋敷が点在して、百々という地域は、豊かな地域に映りました。
桃泥棒も徘徊しているという事、やはり僕のような者が突然現れて散策していると、不審者に映るかもしれません。
とりあえず、百々公民館ヘ。
立派な公民館でした。
あいにく、どなたも常駐されていません。
ただ、百々という地域の誇り、由緒ある歴史の由来を大きな看板の表と裏にビッシリと書き込み紹介していました。
素晴らしいです❗
百、百々という地名を、いかに誇りとして愛着があるのか、愛郷無限の一言に尽きます❗
要約すると、明治以前には元々、百々を含めて62の集落、村が存在したようです。
合併、合併、また合併して現在の南アルプス市になったとの事。
百々は、中心的な位置にあったようです。
始まりの居住は平安時代、鎌倉時代に入ると、この地域は八田御牧として甲斐源氏の有力な軍馬の供給地となり、村落の形成も進んだとの事。
明治8年、百々、上八田の二村が合併して「百田村」が誕生。
その後、しばらく「百田村百々」は存続した後、現在、南アルプス市白根町百田(百々)となっています。
それまでの合併経緯は複雑で、南アルプス市の市制史によると、「巨摩町が誕生した昭和26年を境に以後3次にわたる合併を経て成立していきます。出発点ともいえる1次の合併は、昭和29年2月22日に源村が5カ町村合併案から外れ、巨摩、西野、百田、今諏訪の4カ町村の合併協議が成立したことを受け、昭和29年4月1日、この1町3村により白根町が誕生したとの事。」
白根町という名前は、住民になじみ深い南アルプスの白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)に由来しています。
そして、2003年(平成15年)4月1日に山梨県中巨摩郡八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の6町村が合併し、南アルプス市が誕生、今に至るとの事。
百々 ➡ 百田村 ➡ 白根町 ➡ 南アルプス市。
かつては、白根町百田は、今は、南アルプス市百々となっているのかな?
南アルプス市立白根百田小学校の住所表記は、南アルプス市百々です。
公民館の御近所の方に、百々の氏神様である神社を教えていただきました。
百々 諏訪神社。
地元出身の政治家、かつては、昭和の信玄公、政界のドンと呼ばれた金丸信氏による揮毫。
武田信玄は、諏訪大明神を軍神として信仰していたので、甲斐の国、山梨県にも諏訪神社が多いのは納得しますが、この神社は、所蔵品から鎌倉時代からではないかという説もあります。
この界隈には、平安時代の集落という百々遺跡がありますが、当時は、百々という地名はあり得ないと考えます。
看板にも記されている、江戸時代にまとめられた山梨の地誌『甲斐国志』によると、このように説明されています。
「本村ノ北御勅使川ニ望ム百々(ドンドン)ハ水ノ鳴ル音 北山筋(甲斐市敷島)ニ百々河・江戸ニ百々橋ノ類也」
百々は河川に近い場所で、水がドッと流れる音、様子を表しているとの事。
全国の百々には、同じような地域由来の説明が残ります。
つまり、百々という地名は、室町時代嘉吉の乱前後に、ほぼ全国同時に生まれたと推測できるのです。
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