ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島ビンテージ・ファーム

2014年12月04日 | 百伝。
家庭菜園をされている方々から、時々野菜をいただきます。

最近、気がついたのですが・・。

一方は、無農薬野菜だと前置きしてくださるのです。

もう一方、農薬を使ったきれいな野菜をくださるのです。

でも、野菜に直接「薬」を飲ませるわけではありません。

土地、土壌に「栄養」やら「薬」を与えるのでしょう。

子供の頃に憶えているのは、肥料として「糞便」やら「海藻」を大地という畑に与えていました。

今朝の地元新聞のコラム・・ものは言いようで、空き家を「ビンテージ・ハウス」と言う提案が出ていました。

それならば、耕作放棄地は、「ビンテージ・ファーム」と呼ぶのもよろしいかもしれません。

若年者が主人公となるのが、未来の希望社会です。

社会的弱者も主人公となるのが、未来の安心社会です。

未来への安全社会作りの仕事も、ビンテージ・ファームなのかもしれません。

盤古知新

2014年12月04日 | 千伝。


金沢城址公園です。

もう40年程昔になりますが、初めて、金沢を訪れたのは十九歳の夏でした。

当時、ここは金沢大学のキャンパスでした。

日本で二番目に広い砂丘、内灘にテントを張って寝泊り、翌日、兼六園へ。

その隣りにあった、ここ金沢大学の学食で何かを食べた記憶があります。

まさか、あの頃は、将来、北陸地方で暮らすことになろうとは、夢にも思わなかったです。

金沢大学が移転して、この場所は、うっそうとした森林公園になりましたが・・

さらに、整理整地して、現在の金沢城址公園と変化して相成りました。



懐かしい木製ベンチ(バンコ?)があります。



子供の頃、こういった木製ベンチ(盤古)に寝そべって青空や夜空を見上げたものです。

寒桜が、咲いていました。





・・寒椿かな?



十九歳の北陸の夏・・日本中が、とても騒がしかった国政選挙運動の真っ最中でした。

あれから・・40年。



あの頃の若者が、日本の政治の場で活躍しています。

昨今では、英国のスコットランド独立の住民投票は16歳からでした。

香港では、未来の主人公となるべき若者が民主運動の声を上げています。

今回の衆議院選挙・・。

アベノミックスやら消費税10%アップの社会保障の見直し、老後の介護・医療問題だけではありません。

日本の若者が選択すべき・・社会保障の見直し、集団自衛権、原発再稼働の問題選択こそ、日本のあるべき未来の姿になるのです。

若者へ、清き一票を投じるべきです!

・・金沢・百番街にて。



サルトルの弟子たち

2014年12月03日 | 千伝。

マロニエの 根っこニョロニョロ 寄生獣
~空木宝剣の五七五メッセージより~

映画「寄生獣」は、サルトルの「嘔吐」を催す程よく出来ている。
マロニエの根っこの先にロカンタンの目。
人間の前足は鉄腕となり、その手は森を壊し、巨大な人間の巣窟を造り上げ、その口は肉食花のように、際限なく家畜を喰い漁る。
その行き着く先は人間同士の共食いか?
魯迅の「阿Q正伝」ごとくに口からジュエリーを、平らげた皿に吐く。
食卓の皿と血の字はよく似ている。

百の美術館・百島分室

2014年12月02日 | 百伝。
久しぶりに金沢21世紀美術館へ見学に参りました。





この美術館が凄いと感じる事・・二点あります。



第一点は、誰もが気軽に入館(無料)出来て、帰り際に「また来たい!」という気持ちになるということです。



第二点は、誰もが芸術家になれるという気持ちにさせてくれるということです。



展示場は自分で創意工夫、作品・展示物は、ありのままを自己表現すれば好いのです。

その点、百島は、空き家も多く、絶妙かつ絶好のロケーションとなる可能性があります。



向かって、右側が兼六園、左側が金沢城公園になります。

この界隈を、ゆっくりと散策しようとすれば、丸一日必要です。

金沢21世紀美術館から金沢城址公園へ・・つづく。

金沢せせらぎ散策

2014年12月01日 | 百伝。
金沢を散策しました。

加賀百万石の藩祖、前田利家公とその正室、お松の方を祀る尾山神社です。



和洋漢折衷の建物が見えます。



神門です。



武家屋敷跡です。



写真に人影が映っていませんが、かなり多くの観光客が散策しています。



金沢には、海外からの多勢の様々な外国人ツーリストが地図を片手に散策しています。

京都から、福井を通り過ぎて、金沢に行き交うようです。

まるで、尾道から、百島を通り過ぎて、鞆の浦へ行き交う船の旅のようなものです。

最近、飛騨の高山への海外からの観光客が驚異的に増えています。

映像と英語力でのインターネット発信に効果があったようです。

あれこれと考えた・・せせらぎ通りです。



通り過ぎるだけの忘れられた地域でもいいのかなぁ・・?!

金沢21世紀美術館へ・・つづく。

哀悼 文太さんへ 

2014年12月01日 | 千伝。
菅原文太さんが亡くなられたとのこと。

NHKの大河ドラマ「利家とまつ」にも利家の父親役で出演していたとか・・思い出せません。

文太さん・・広島に縁深い人物でした。

ヤクザ映画「仁義なき戦い」で、広島弁を全国に広めた第一人者かもしれません。

尾道の選挙区に、亀井静香さんの応援にも来られていました。

晩年は、福岡でお暮しになっていたとか・・?!

東映の全盛時代のスターであった菅原文太さんは、ぼくが下宿していた杉並区荻窪の同じ町内で暮らしていました。

文太さんが、隣家との境界線を巡って、訴訟問題を起こしていたのを思い出します。

荻窪始発の丸の内線地下鉄車内で、真っ白なコートを羽織って座っていた菅原文太さんを思い出します。

「トラック野郎シリーズ」にエキストラのバイトをした時に、「どこの学生だ?」と声をかけてくださったのを思い出します。

撮影現場で、テキパキと先頭に立ってお仕事をしていたイメージが強いです。

随分前、文太さんが、岐阜県高山市(旧清見村)に引っ越された時、隣県人として何気無く嬉しくなったのを憶えています。

菅原文太さん・・俳優業というよりも社会思想家を目指していたような気がします。

たくさんの思い出をくださり、ありがとうございました。

心から深く哀悼の意を表します。

合掌。