つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

自民「政治的中立」ネット調査は1954年「教育2法」成立前の状況と酷似

2023-06-24 22:31:37 | 教育

 自民党は公式HPで「学校教育における政治的中立性についての実態調査」なるものを、6月25日に開設し、7月18日付で閉鎖した。投稿の際には、投稿者の氏名や連絡先とともに「いつ、どこで、誰が、何を、どのように」を明らかにする事を要求していた。閉鎖に際し、作成を指示した木原稔・党文部科学部会長は「参院選が終わり、一通りの(事例)が出尽くした」と述べた。この調査では、「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」を募集するとしていたが、その目的について木原氏は、「選挙年齢が18歳以上となった参院選前後で高校などで混乱がなかったかを調べるためである」と説明していた。またHPでは、「主権者教育が重要な意味を持つ、偏向した教育が行われる事で、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがある」とか、「教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる事も事実」と断定し、「高校などで行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行う事で、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出される」などと主張して情報提供を呼びかけていた。

逸脱しているか否かについては、「安保関連法は廃止にすべき」については「逸脱」するとしていた

部会内のPTは5月に、高校教員が政治的中立を逸脱場合に罰則を科せるように法改正を検討するという中間とりまとめをすでに発表している。また部会は「教育公務員特例法を改め、中立性を逸脱した教員に罰則を科す事を検討している。

さて、敗戦後の日本で、政府が、教育を「偏向」しているとみなし問題とした最初は、1953年の第5次自由党吉田内閣(1953年5月21日~1954年12月7日)の時である。6月、大達茂雄文部大臣が山口県教組の作成した小・中学生の夏休み日記帳に「偏向」記事があるとしたのである。

 1953年12月23日、文部省は「教育の中立性が保持されていない事例の調査について」という極秘通牒を全国の教育委員会に出した。その内容は、

「近時新聞等に、学校内において教育の中立性を阻害するがごとき事例が報ぜられているが、その実情を承知致したいので、貴都道府県内の公立学校等において、特定の立場に偏した内容を有する教材資料を使用している事例、または特定の政党の政治的主張を移して、児童・生徒の脳裏に印しようとしている事例、その他一部の利害関係や特定の政治的立場によって教育を利用し、歪曲している事例等、教育の中立性が保持されていない事例について至急調査の上、該当事例の有無ならびに該当事例があれば、その関係資料添付の上、できる限り具体的に、至急報告願います。」というものである。

 その動きを受けた中教審(53年1月発足)からは1954年1月に「教育の政治的中立維持に関する答申」が出された。

 その動きに対して同月の参院本会議で左派社会党の荒木正三郎が質問(教育規制の特別立法に対する質問)に立って述べた。その大まかな内容は、

「今回の措置は、吉田首相のいう占領政策の是正に名を借りて、占領中の諸制度を一挙に反動化しようとする現れの一環であって、教育と警察と知事を一手に掌握する事は、民主主義を崩壊させるものである。さらに、池田・ロバートソン会談(1953年10月共同声明、1954年3月MSA協定=日米相互防衛援助協定締結、内容は①日本は米国による軍事的・経済的援助を受ける ②日本は防衛力を強化する義務を負う)の目的である再軍備という深い関連性がある。

 さらに、会談の中で日本政府は教育及び広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長する事に第一の責任を持つという了解がなされている。MSA再軍備を推進するために、日米双方において責任を持って愛国心を養成するとともに、自発的に再軍備に協力させようというものである。これを実施に移そうとすれば、政府に忠誠を尽くす教員でなければならないという事になるのである

  大達文部大臣は、平和教育は困ったものである。何とか今のうちに禁止しなければならないと言っているが、平和教育とは何の事か。何を指しているのか。日本国憲法は平和憲法と言われている。戦争を永久に放棄して恒久の平和を理想とする憲法だからである。この憲法に基づいて教育基本法第1条に教育の理想を掲げ、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期す」とある。日本の教育は平和教育だと名づけても一向おかしい事はない。なぜいけないのか説明をしてもらいたい。」などである。

 しかし、「平和教育」が「偏向教育」の見本として攻撃され、1953年2月22日には「教育二法案」(①「教育公務員特例法の一部改を正する法律」と②「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」)が衆議院に提出され、参議院の議決を経て、1954年5月29日衆議院で「教育二法案」は成立したのである。二法案の①は「教育公務員の職務と責任の特性を逆用して、公立学校の教育公務員の政治的行為を地方公務員法ではなく、国家公務員法により制限すると規定」したものである。

 安倍自公政権による、教員を沈黙させ、抵抗を削ぐ弾圧は、さらにパワーアップしたものとなりそうである。権力で暴力で憲法改正(自民党改憲草案)を達成し、それに基づいた政策の実現をしようとしているのである。

 「天皇の生前譲位」も「改憲草案」実現の地ならしである。感情に流され騙されてはいけない。彼らは国民は理性的に考える事ができないと考えているのだ。それは彼らの常套手段である。そのためには、これまでの天皇のダブル・スタンダード(二枚舌ともいう)の動向を正確に把握しておかなければならない。彼らは権力維持のためには非常に悪賢いのであり、高度な知恵者であるから。それを打ち倒すためには、国民はそれ以上の悪賢さと、彼らの真実をしる努力が必要である。そして彼らを上回る知恵を持つ事が必要なのである。「悪人世にはばかる」にしてはいけない。

(2016年8月8日投稿)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごまかしの「政治的中立逸脱」ではなく「憲法尊重擁護義務逸脱」への罰則を提言すべきだ!

2023-06-24 22:29:53 | 教育

 自民党(冨岡勉・党文部科学部会長)は7月8日、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる事に伴う主権者教育のあり方について、高校教員に「政治的中立」を求め、逸脱した教員には罰則を科すよう法改正を促す提言を安倍首相に出した。提言には「学校における政治的中立性の徹底的な確立」を掲げて「教員個人の考えや特定のイデオロギーを子どもたちに押しつけるような事があってはならない」と明記。罰則については「教育公務員特例法」の改正を求めた。しかし、「政治的中立性」の明確な定義や、誰がそれを判断するのかは盛り込まれていない。また日教組が「教育を偏向させている」という考えのもとに、教職員組合に対し収支報告の義務づけも盛り込まれている。

 下村文科相は2010年、教員が違法な政治活動をした場合、「3年以下の懲役か100万円以下の罰金」を科せるようにする「教育公務員特例法」改正案を、みんなの党とともに国会提出したが12年に廃案。2014年4月には衆院文科委員会でも、「政治的中立性が教育現場で担保されている事を示す事も必要」と述べていた。政治的中立性の意味について「多数の者に強い影響力を持ちうる教育に、一党一派に偏した政治的主張が持ち込まれてはならない」「(自治体の)主張や教職員組合という主体を問わない」と述べていた。ただし、「違反しても刑事罰は受けない」とした。

 自民党内には日教組が「教育を偏向させている」(中立ではない)という意見が多いらしいが、彼らの言う「偏向教育」とはどういうものだろうか。安倍首相が日教組に関する事実でない「ヤジ」発言をした事をメディアが報道した事もあったが。自民党の言う「偏向」の意味とは、一言でいえば、「ある事が事実であっても、自民党が自身にとって不利益となると判断した事を、教員が授業などで生徒に話している場合」といえる。それを「政治的中立逸脱」という言葉で批判し処罰しようという事なのである。人権無視、憲法違反そのものであり理不尽も甚だしいことだ。だから、「政治的中立性」の定義をしないのである。というよりできないのである。さらに、逸脱した場合に「罰則」を科すべきだとしている事には、非常識も甚だしいといわねばならない。「偏向」という言葉で教師を「萎縮」させる事を狙い、それでも従わない教師に対しては「罰則」で脅すという考えだ。さらに言えば、「罰則」を科す教員が出た場合、彼らを「見懲らし」(勧善懲悪)として利用する考えだ。その目的は何かと言うと、教師を教育を子どもたちを、安倍自公政権にとって都合のよいように作り上げるという事だ。前近代的発想(例えば江戸時代の刑罰思想)そのものである。民主主義的ではない。人権を持つ個人として子どもたちを見る(子どもの権利条約)のではなく、安倍自公政権にとっては単なる人的資源(奴隷?)である。

 安倍自公政権ワールドは、国家(国民も国土も主権も)を自分たちのものだと考えており、彼らのいう「国益」という言葉は、、「彼らのワールドの利益」を意味し、「国民の利益」は考慮していない。考慮したとしても、それは「活かさぬように殺さぬように」考慮しているだけである。主権は国民にあるとの考え方ではなく安倍自公政権にあるのだ(国民は政府のためにあるのだ。「百姓とごまの油は絞れば絞るほどとれるものなり」)とし、国民は安倍自公政権に従っておればいいのだ(「由らしむべし知らしむべからず」)とする考え方に立っている。

これは、主権は天皇政府にあり、その政府が国民(臣民)を自己の利益のためだけに利用し存在する事を許した、敗戦までの「神聖天皇主権大日本帝国政府」の考え方そのものなのである。この点でも、安倍自公政権ワールドはこの「神聖天皇主権大日本帝国」への回帰を目指している事がわかるのである。(天皇も善人を装った「グル」なのだ)。

 主権者がどの政党に政治を託すかを判断する場合、現在の政党・政治家がどういう政治活動・政策を実施しているかを知る必要がある。そのためにはその政党・政治家がどういう事をしてきたのかを知る必要がある。そのためにはその政党・政治家に関わる過去の詳細な歴史を知る必要がある。そのためには学校教育でその事を保障しなければならない。その場合、特に地歴公民の教科書で現在社会とそれに至る過去がどのように説明されているかが大切であるが、現在の教科書の内容はそれに対して十分とはいえない。最低限の条件として「もっと詳しく」叙述される事が必要だ。細かく叙述される事によって理解が深まる。それによって誤解を少なくできるし、恣意的な解釈が生まれる余地も少なくなる。それこそが「政治的中立」とかの言葉遊びをするのではなく、教科書の目指すべき事であり、あるべき姿ではないか。そしてその教科書をベースにして、教師の教育活動は行われるべきである。その教育の目的は、その最大の目的は、すべての教科や活動が、その特性を生かして、この日本社会のあるべき姿を示す日本国憲法の理念や内容を、生徒が理解し、生活に生かし、幸せな生活を獲得できる能力、民主主義を支える能力を身に付けられるようにサポートする事だ。この考え方こそ「政治的」に「偏向」しているかどうかの判断規準とすべきものである。

 それを判断基準として、それを意図的に逸脱する教師の授業は「指導」に値するし、場合によれば教師不適切として「処分」の対象または「辞職」を求めてよいであろう。

 しかし、自民党の提言は冨岡勉・党文部科学部会長の記者団に対しての「罰則規定がないから、野放図な教員の政治活動につながるのではないか」という発言からは、ただ単に自分たちの求める教育をしていない教員に対しての不満にしか過ぎないのではないか。これこそ偏向発言でしかない。また、安倍首相からは異論はなかったとの事であるが、やはり「同じ穴のむじな」である事が証明されている。これこそ偏向であり、問題としなければならない。

 他の安倍自公政権ワールドの政策についても上記の判断基準で考えると、「国旗国歌の掲揚を強制」する文科相が偏向しているのか否か、同じく文科省が「大学の人文社会科学系学部の廃止」が偏向しているのか否か、同じく文科省が「道徳」を教科化する事が偏向しているのか否か、などについては、明確に結論を出すことができる。また安倍自公政権ワールドは、「日本国憲法」を判断基準としていない事が明確に理解できる。憲法制定以後、自民党は少しづつ着実に国民の反対に対して、むき出しの権力と欺瞞によって対抗しながら「日本国憲法」体制を空洞化し、敗戦前の大日本帝国憲法への回帰をすすめてきたが、今日の安倍自公政権ワールドは最後の仕上げをする役割を担っているのである。

 日本の教育は、どんなに表面的には自由であり、民主的であるように装っても、「国家」に奉仕する教育という根本的な性格からそれてはならないものとされてきた。これは明治以来の日本の教育がもつ性格であった。

 有島武郎1921(大正10)年3月『自由教育』「一人の人のために」によれば、

「自由教育なるものも……それを実行に移すに少なからず困難を伴うと私は考える」「現代において、社会生活の内容が……一人の人というものが無視されているに近いからだ」、その当時の社会生活においては「国家に有用なものでなければ学問でも学問ではないのだ。(社会の)柱石のお役に立つものでなければ技術でも技術ではないのだ。僻見なしに物を正視しようという人間や、自分の天分を思う存分伸ばしてみようというような人間は、いわばわが教育当事者にとっては継子である」「小学校は中学校のために、中学校は高等学校のため、高等学校は大学のため、大学の目的は先ず第一に国家有用の人物をつくるにあるということになっている」「つまり人間になるのは二の次にして、始めから石や柱になりたがるものになる稽古をするのが当時の教育だった」とある。

(2015年7月13日投稿)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄戦国家賠償責任を認めぬ理由は、天皇の戦争責任を問う事につながるからだ

2023-06-23 12:35:33 | 沖縄

 2017年11月30日、沖縄戦で被害を受けた住民や遺族が国に損害賠償と謝罪を求めた訴訟の控訴審で、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は原告の訴えを棄却した。判決の内容は一審と同様である。一審では、「(戦前の)明治憲法下では国の責任を認める法律がない」と判断。国家賠償法の施行(1947年)前の行為について、国は賠償責任を負わないとする『国家無答責』の原則を採用。「軍人・軍属との差異」は「違法とは認められない」としていた。

 控訴審においては、沖縄戦で住民が追い込まれた「集団自決」について「日本軍の兵士による傷害行為や自殺教唆行為の存在がうかがわれる」と言及し、戦争による心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神疾患の訴えを認めながらも、「当時は国家賠償についての規定がない」とし、日本兵の行為についても「(公務員の)逸脱行為について国の使用者責任を認める事は当時の法令解釈上できない。その軍人が個人責任を負うしかない」とし、民間人の救済法が作られなかった事についても「違法性が生じるというものではない」と退けた。

 ところで、沖縄県民はどのように扱われたのであろう。一部ではあるが紹介しよう。

 沖縄県民は軍と「共生共死」を強いられた。1944年7月のサイパン玉砕の後、沖縄守備に当たっていた第32軍渡辺正夫司令官は「地元住民は軍と共に玉砕するのだ」と公言していた。

 次の牛島満司令官(44年8月~45年6月23日)は、地元の官民を喜んで軍の作戦に寄与させるとともに、「敵の来攻に当たりては軍の作戦を阻害せざるのみならず、進んで戦力増強に寄与して郷土を防衛せしむる如く指導すべし」と指示した。

 1944年10月10日の米軍による「10・10那覇大空襲」(沖縄初空襲)以降、現地守備軍の最高首脳たちは、「世紀の決戦場である沖縄の戦略的使命は重大だから、県民は必勝の信念に徹して、一人で敵を十人殺す決意で軍に協力せよ」などと、軍人、非戦闘員の別なく叱咤し、「沖縄は軍の血を流させる『吸血ポンプ』の役割を果たせ」と呼号するだけであった。

 長参謀長は県民に向けて「今更言ったって始まらぬが、ただ軍の指導を理屈なしに素直に受け入れて、全県民が兵隊になる事だ。すなわち一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ」と発言した。

 守備軍首脳は、「直接、戦闘任務につき敵兵を殺す事が最も大事だ」といい、県民に「ナタでもクワでも竹槍でも、身近にある武器で夜間斬り込みからゲリラ攻撃にいたるまで、あらゆる手段を尽くして敵軍を撃滅せよ」と指示した。

 読谷村のチビチリガマでは45年4月2日に「集団自決」(集団強制死)が起きた。「10・10大空襲」以降、読谷村への空爆も日毎に激しくなり、4月1日の上陸が近づくと艦砲射撃も加わり、村民は防空壕と化したガマに釘付けとなった。4月1日、海を埋め尽くした米国軍艦は上陸作戦前に読谷村に向けて艦砲射撃を行ったが、それは約3時間に合計9万9500発、1分間に約552発という激しさで、平均1坪に1発を打ち込んだ。これが沖縄では「鉄の暴風」と名づけられた沖縄戦の状況である。

 チビチリガマの「自決者」数は82人。調査は1983年に苦悩の末になされたが、この人たちの年齢を知ると「集団自決」という言葉は明らかに不適切であり、「集団強制死」と言うべきものである事がわかる。なぜならそれは、0~9歳=26人(幼児・小学校低学年)、10~12歳=15人(小学校高学年)、13~15歳=6人(中学生・うち男3人)、16~18歳=3人(高校生・全員女)、19~49歳=19人(働き盛り・うち男1人)、50歳以上=12人(高齢者・うち男5人)であるからだ(年齢不明者1人除く)。

 半数の41人が12歳以下の幼児と小学生で、中学生と高校生を含めると50人で、61%となる。中学生以上は40人であるがうち男は9人(中学生3人、55歳までの働き盛りが2人で、その2人のうち1人が視覚障害者、1人は身体障害者で、他の4人は老人)で、女が31人で圧倒的に多い。また、25歳から56歳までの17人の女のうち16人が、10歳未満の幼児の母親である。つまり、「教育勅語」を叩き込まれた母親が我が子を道連れにしたというのが実態なのである。そしてこのような行動へ率先して導いたのが、「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩き込まれた複数の元日本兵や看護婦だったのである。

 では、上記のような沖縄戦の悲劇が起きた根本原因はどこにあったのか。それは天皇の決断にあった事を紹介しよう。

 1945年2月14日、昭和天皇は国体護持のため、近衛文麿の即時講和を奨める上奏を受け入れず、「もう一度戦果を挙げてからでないと、話はなかなか難しいと思う」と答えた事にあった。そのため、2月26日に大本営が決定した「本土決戦完遂基本要綱」に従い国内の決戦体制が進められるのである。沖縄県は、本土決戦を遅らせる時間稼ぎの捨て石とされるのである。それに対し、米軍は3月26日には慶良間列島へ、そして4月1日には沖縄本島読谷村への上陸作戦を開始し、沖縄県民の悲劇が始まるのである。

 5月19日、昭和天皇は梅津参謀総長を介して沖縄の皇軍に対する次のような激励の言葉を伝えている。「第32軍(沖縄戦の主力部隊)が来攻する優勢なる敵を迎え、軍司令官を核心とし挙軍力戦連日よく陣地を確保し敵に多大の出血を強要しあるはまことに満足に思う」

 6月18日、梅津から牛島満司令官からの「訣別の辞」を知らされ、昭和天皇は「第32軍は長い間、非常に優勢なる敵に対し孤軍奮闘し敵に大なる損害を与え大層よく奮闘す。しかし最後の段階まで立派にやって国軍のためになるように」と述べた。

 このように見てくると、沖縄県民の悲劇の発生は昭和天皇の決断こそが大きな原因である事は明白である。そして、その沖縄県民の悲劇の代償を求めようとすれば、大日本帝国憲法第13条に定める「戦を宣し和を講じる」天皇や、第11条に定める「陸海軍を統帥する」天皇の戦争責任を問う事を避ける事はできないのである。また、職業軍人の戦争責任を問う事も同様に避ける事はできないのである。司法が沖縄戦の国家賠償責任を認めない大きな原因がここに存在するのである。

 大日本帝国憲法下では、軍人・軍属については、佐賀の乱、台湾侵略を機に「恩給制度」により、軍人・遺族らの生活保障をした。また、庶民については、1942年4月の空襲被害を機に戦時災害保護法などを適用した。しかし、敗戦後、GHQが軍人恩給停止命令(45年11月25日)を出したため、「保護法」ともども46年2月に廃止した。ちなみにGHQは「現在の惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が、他の多数の犠牲者において極めて特権的な取扱いを受けるがごとき制度は廃止されなければならない」(非軍事化政策の一環)として、軍人恩給に代わる「善良なる市民のための社会保障計画」の提示を求めたのである。

 大日本帝国憲法を否定して新たに制定した日本国憲法の「前文」では先の「アジア太平洋戦争」について反省し、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と定め、「戦争は政府が起こした」ものである事を明確にしている。この事はつまり、日本国憲法下に成立した政権は日本国憲法の精神に則り、大日本帝国政府による人権侵害政策が国民に負わせた被害・損害について、帝国政府に代わって謝罪し賠償の手立てを講じる事は当然至極の事である事を意味していると理解すべきである。旧西ドイツ政府では、空襲被害も戦争犠牲者援護の対象としている。また、ドイツの憲法裁判所は「国家の人権侵害から市民の権利を守る事を任務」としている。

 しかし、主権を回復した現自民党系日本政府はそれとは違った道を選択した。1952年には元軍人軍属を対象とする戦傷病者戦没者遺族等援護法を制定し、53年には軍人軍属の恩給制度を復活させ、54年には戦犯に対する恩給給付さえも復活させた(東條英機未亡人は56万円)。軍人軍属への補償を一番早く復活させ、その補償額も旧軍隊で責任ある階級の高い者ほど高額とする基準を決定をした。つまり、軍人恩給は戦争遂行の功績を讃え、昭和天皇(天皇家)への奉仕に対する「ご褒美」を意味しているのである。しかし一方で、戦時災害保護法は廃止したままにしておき、今日、東京や大阪の大空襲訴訟においても「受忍論」を押し付けつづけ、沖縄戦訴訟においても上記のような、大日本帝国憲法を尊重しこそすれ現行憲法の精神に基づかない、今日の人間からすれば「屁理屈」としかいえない事を理由として棄却の判決を出しているのである。司法は「軍人軍属との差異」を「違法とは認められない」とした理由を現行憲法の精神に基づいて誰もが理解納得できるように論理的詳細に説明すべきである。今日の司法の果たすべき役割は、安倍自民党政府や天皇家に対し、大日本帝国政府が庶民に与えた被害や損害について積極的に謝罪し賠償に応じるよう命じる事である。

(2017年12月8日投稿)

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争ことばは日清戦争下の大阪商人が歓楽街花街のお座敷に持ち込み広まった

2023-06-20 15:42:21 | ことば

 2018年10月23日の朝日新聞「声」欄に、新聞・テレビなどのメディアを主に多方面で、「戦争言葉」の使用が氾濫している状況についての投稿が載せられていました。その方は平凡な言い回しでも良いのではないかという気持ちを述べられていたが、私も同感である。

 ところでこの「戦争ことば」の使用についてであるが、いつどこで誰が使用し広く聞かれるようになってきたのかを思い出したので紹介しておこう。

 それは日清戦争下の事であり、大阪商人が大阪の歓楽街花街のお座敷に持ち込み使用し広まったのである。

 たとえば、「おやおや、また、わてにおちょこを。そないに攻めなはんな北京やおまへんで。さあだんさん、予備役の隠し芸を出しなはれ。広乙(清国軍艦)やあろまいし。そない沈んだらあきまへん」というように使用した。また、口先ばかりのお客を「李鴻章」(清国・北洋大臣)と、料理場を「兵站部」と、世話焼きを「赤十字」と、盃をとるのを「ぶんどる」と、引っ張り込まれた客は「捕虜」と呼んだのである。そして、花街をこの時以降「軍艦町」と呼ぶようになったのである。

 ついでながら日清戦争の端緒も紹介しておこう。

 反封建反侵略を掲げる甲午農民戦争(1894年2月~)は、日清間の天津条約に基づいた神聖天皇主権大日本帝国政府軍が朝鮮国仁川へ上陸(6月12日)した時点ですでに、朝鮮国政府と農民側との間で和約が成立(6月10日)した後であったため朝鮮政府は日清両軍の撤退を要求した。そのため神聖天皇主権大日本帝国政府には出兵理由がなくなったのであるが、神聖天皇主権大日本帝国政府の目的は清国から朝鮮国を奪い取るためであったので、清国が拒否するのを計算ずくで「日清両国による朝鮮の内政改革」を提案した。しかし、清国は朝鮮に対する内政干渉であるとして「日清共同撤兵」を主張したため対立した。また、神聖天皇主権大日本帝国政府の強引な手法に対して列国が干渉してきた。ロシアは「共同撤兵を拒否すれば、日本政府の責任は重大である」と主張した。神聖天皇主権大日本帝国政府を支持していたイギリスは東洋貿易の途絶をおそれ日清間の調停に乗り出したが、清国は譲歩しなかった。そこで神聖天皇主権大日本帝国政府は清国に「将来不測の変生ずるあるも、神聖天皇主権大日本帝国政府はその責に任ぜざるべし」との絶交状を、朝鮮国には「7月22日までに清国の宗主権を認めた条約を破棄せよ」との最後通牒を突きつけ、期限切れを待って実力行使(クーデター)に出た。

 7月23日未明、まず朝鮮王宮を占領、親清派の閔妃政権を廃し、親日派の大院君を国王に据え、25日には「朝鮮国は清国の属国ではない。清国軍は即時退去せよ」と宣言させた。同日に海軍が豊島沖で清国海軍を攻撃、陸軍もソウルから牙山へ進撃、安城で戦闘開始した。そして、8月1日に宣戦布告を行った。当時、大日本帝国国民(臣民)は中国人を蔑視を込めて「チャンチャン坊主」「チャンコロ」などと呼び、「欣舞節」の中にも歌われていた。

 福沢諭吉は『時事新報』社説「日清戦争は文野の戦争なり」(1894年7月29日付)に、「日清戦争は……文明開化の進歩を謀るものとその進歩を妨げんとするものとの戦いにして……清兵は何れも無辜の人民にして之を皆殺しにするは憐れむべきが如くなれども、世界の文明進歩のためにその妨害物を排除せんとするに多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、彼らも不幸にして清国の如き腐敗政治の下に生まれたるその運命の拙きを自ら諦めるの外なかるべし」と主張。朝鮮に対しても社説で「文明流の改革のためには脅迫を用いざるを得ず、国権の実権を日本が握るべきだ」と主張した。

 「余も一時はかかる愚(戦争の利益)をとなえた者」と反省し日露戦争の際には非戦論に転換した内村鑑三も「孔子を世界に供せし中国は、今や成人の道を知らず、文明国がこの不実不信の国民に対する道は、唯一途あるのみ、鉄血の道なり、鉄血を以て正義を求むるの途なり、……日本は東洋における進歩主義の戦士なり、故に我と進歩の大敵たる中国帝国を除くの他、日本の勝利を望まざるものは宇内万邦あるべきにあらず……」と主張した。

(2018年10月30日投稿)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西経済連合会は正気か?政府に「原発新増設」の意見書

2023-06-20 00:57:57 | 原発

 2017年12月14日、関西経済連合会は、安倍政権が見直している「エネルギー基本計画」に対する意見書をまとめたという。

 その内容がなんと、あまりに非常識で、世界の多くの国々やその国民が、また日本国民の多くが、呆れて開いた口が塞がらないものなのだ。まったく企業倫理を有していない考え方なのである。

 関経連は2017年度から、原発への理解活動なるものを実施しており、小学生には原発見学をしてもらったり、大学生には原発理解の講義を開講しているようである。

 また、古川実・日立造船相談役は「住民の不安で、原発が(裁判によって)いつ止まるか分からない事をなくすためにも、地道に教育を続けて、納得してもらう事が大事だ」と話しているようだ。

 国民の皆さん、これって「時代錯誤」も甚だしいし、世界と日本の国民を馬鹿にしているとしか思えない。また、世界の人々は、安倍政権の思考体質に不信感を抱かざるを得ないだろう。

(2017年12月20日投稿)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする