■Song Sung Blue / Neil Diamond (Uni / 日本ビクター)
ヒット曲の大きな要件のひとつとして、う~ん、どっかで聞いたような?
というメロディのフックは欠かせないと思うんですが、逆に言えば、それが書ける作曲家こそが重宝される世界でもあるんでしょう。
例えば本日掲載のシングル盤A面曲「Song Sung Blue」は、実力派のシンガーソングライターとして殊更大きな存在のニール・ダイアモンドが1972年に出した、実に親しみやすい大ヒットなんですが、それが前述した「う~ん、どっかで聞いたような?」の決定的な証拠物件??!?
ご存じの皆様も大勢いらっしゃるにちがいないほど、これは元ネタが「モーツァルトのピアノコンチェルト21番 / Mozart's Piano Concerto No.21」でありまして、その潔さは天下一品ですよねぇ~♪
こういうクラシックのメロディを剽窃したポップス&ロックヒットは数あれど、絶対上位にランクされる傑作と思うばかりです。
さて、そこでニール・ダイアモンドの存在なんですが、歌手としても、また作曲家としても、本当に王道路線であるがゆえに、我国では幾分薄い人気しか得られていない感じがしています。
もちろんサイケおやじにしても、この才人を知ったのは1970年初頭に「Sweet Caroline」や「Cracklin' Rosie」等々の洋楽ヒットをラジオを通じて流行らせていた事に所以していますので、当初は普通のポップスシンガーだと思っていました。
つまり有能なソングライターであった実績、あるいはシンガーソングライターという、リアルタイム最先端の流行に位置づけられる存在であろうとは、全く想像も出来なかったのが個人的な心象です。
ところが時が流れ、アメリカの音楽業界について様々な内幕を知ってみれば、ニール・ダイアモンドはサイケおやじが好きだった往年のヒット曲の数々、例えばモンキーズの「I'm A Beliver」やディープ・パープルの「Kentucky Woman」等々を書いていた事が判明!
それが1960年代中頃からの話だったので、後は一気呵成に調べてみれば、ニール・ダイアモンド本人も地道に自らのレコードを出し続けていたんですねぇ~~~♪
残念ながら、それは大きなヒットにはならなかっただけの事です。
そしてニール・ダイアモンドの履歴の中では、ポップス史にその名を刻すジェフ・バリー&エリー・グリニッチの弟子としての修行(?)が大きなところでしょう。
ですから循環コードを基本にしつつも、シンコペイションを上手く使ったサビの展開という、これがニール・ダイアモンドの持ち味である親しみ易くて、覚え易いメロディを紡ぎ出す個性も、直伝だろうと思います。
また、既成の有名メロディのフェイクも悪意を感じさせずやれる手腕も、また然り!
ということで、実はニール・ダイアモンドには、もうひとつの凄い才能として、作詞の魅力があるんですが、残念ながらそれは英語ですから、日本人にはイマイチ、ストレートに伝わってこないのが、残念無念……。
この「Song Sung Blue」にしても、誰もが悲しい歌を知っているし、それを歌うことは素晴らしい云々、という内容に仮託して、ネクラにならずに生きることが人間の本質? みたいな事を訴えているのでしょう。
と言うのも、ニール・ダイアモンドの人気の秘密は、地元のアメリカ人からすれば作詞の奥深さにあるとさえ言われているんですよねぇ。
あぁ、すると我国で人気が薄いのも、その所為なんですかねぇ……?
そんなこんなを踏まえつつも、サイケおやじにとっては単純に良い曲を書いて、歌ってくれるニール・ダイアモンドが、今も気になる存在というわけです。
最後になりましたが、掲載の日本盤シングルのピクチャースリーブに写る本人のポートレイトの「濃い」雰囲気は、藤岡弘???
一時期、そんなネタもありましたとさ♪