■空には名前がない / マイク真木 (フィリップス)
入れてもらっているおやじバンドのメンバーは二人が専業農家ということで、本日は田植えを手伝ってきました。
本当は五月の連休~直後あたりに例年はやるそうですが、今年は低温続きなんで今頃の実施とはいえ、実に気持良い快晴の空の下とあれば、広大な水田と対峙する慣れない肉体労働も苦になりません。
もちろん田植えそのものは機械化された専用のトラクターを使うわけですが、それにセッティングする稲苗を運んだり、コンテナを手際よく移動させたり等々、それをむしろ楽しかったと言えば、本業の皆様からはお叱りかもしれませんが、そこは何事も享楽的なサイケおやじの本性に免じて……、というわけです。
そして時折見上げる青空に、思わず口ずさんでしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲「空には名前がない」でした。
空には名前がない
空にはまた限りがない
そこには西東の分かれもない ない
愛には理由がない
愛にはまた限りがない
そこには人と人の心があるだけ
あぁ~、ちょっとBS&Tがやってくれそうな、膨らみ豊かなブラスロックの壮大なイントロから、実に大らかなメロディで歌われる素直な理想の素晴らしさ♪♪~♪
ゆったりした曲展開とマイク真木のハートウォームな節回しが、実に良いですねぇ~~♪
ちなみに作詞:安井かずみ、作曲:かまやつひろし、そして編曲:大野克夫という制作陣の顔ぶれからすれば、これは発売された昭和47(1972)年の流行最前線だったソフトロック系ハリウッドポップスの歌謡曲版が狙いだったと思われますが、告白すればリアルタイムのサイケおやじには、イマイチどころか、ちっとも好きになれませんでした。
もちろんそこにはマイク真木が歌謡フォークにどっぷりのスタアであり、当時は抜群のナイスバディと美貌のアイドルだった前田美波里を結婚でファンから奪い取ったという、不条理な嫉妬心があった事は否めません。
と同時に、未だ血が滾る高校生だったサイケおやじにすれば、学校内の同好会で片隅に追いやられながら、どうにかロック体裁のバンドをやっていたという立場から、こうした歌を良いなぁ~んてことは、絶対に公言出来ない意地があったのです。
まあ、今となっては馬鹿らしいツッパリではありますが、当時はガチガチに真剣でしたし、同じような歌や演奏が入っている洋楽ポップスは平然として聴いていたんですから、その自己矛盾には我ながら情けない……。
ですから数年後、中古屋で掲載したシングル盤に遭遇した時も、実は十枚千円みたいな、所謂「まとめ売り」の員数合わせでゲットしていたのが真相であり、そしてなんとなく針を落して、思わず唸ってしまいましたよ。
いゃ~、全くお恥ずかしいかぎりなんですが、そこでいろいろと調べてみると、これと同時期に世に出たLP「エトセトラ」がマイク真木&前田美波里名義の隠れ名盤らしく、そう書かざるをえないのは、サイケおやじが未だ聴く事の叶わない幻の1枚だからです。
そして、もしかしたらCD化されているかもしれませんが正直、聴かずに死ねるか! という心境になるほど、この「空には名前がない」は素晴らしい名曲名唱と思っています。
ということで、結局は虚心坦懐とは程遠い若気の至りが、今日まで尾を引いてしまったわけでして、なんとか残りの人生は、それを取り戻すべく奮闘(?)するしかありません。
確かに自分の人生はロクなもんじゃ~ありませんが、「空には名前がない」の前には、仕事という大義名分で姑息な手段を弄したり、時には悪辣な遣り口に手を染めているサイケおやじも心を洗われる気分に浸ります。
この世に追われている時 空を忘れ
戦い疲れている時 愛を忘れる
う~ん、身に覚えの言葉の響き……。
ちょいとロンサムな呟きならば、それはそれでハードボイルドですけど、最近は矢鱈に自分の過去を悔いることの多いサイケおやじには、爽快な青空に憧れるのみであります。