■恋の汽車ポッポ / 大瀧詠一 (キングレコード)
今年のお正月は、悲しい……。
そう、嘆いていたポップスファンが夥しいのは、昨年の大晦日、公にされた大瀧詠一の突然の訃報によるものでしょう。
決して優良なポップスファンでは無い不肖サイケおやじにしても、その悲報に接してしまえば、やはり驚きと悲痛な思いは……。
と書いてしまったのは、どうにも故人の偉大な業績に対し、かなり分からない部分が多いからでして、まあ、そんな事を言うと、おまえはダメだなぁ~、と呆れられるのが現代の我国ポップスマニアの世界観ですから、自分でもどうにもならないものは感じています。
ご存じのとおり、大瀧詠一は元祖ニッポンのロックという評価も今は高い、はっぴいえんどのメンバーであり、グループ解散後は自ら設立したナイアガラレーベルで地道に活動しつつ、歌謡曲を中心にした日本の芸能に洋楽ポップスのエッセンスを塗した、そのある種の「布教」は信者を増やすばかりではなく、結果的にニューミュージックが、そこに成り立ったというべきかもしれません。
しかしサイケおやじは、はっひえんどを好きではありませんでした。
何故ならば、メロディが好みでないというか、良くないなぁ……、という本音があり、今となってはビートルズを筆頭とするリアルタイムの最先端ロックであった「ブリティッシュ」が封印され、「アメリカンロック&ポップス」が優先されていた事を、未熟なサイケおやじは気がつかなかったというわけです。
極言すれば、ビートルズが何でも一番の我国洋楽事情に楔を打ち込み、それを個性とすることで「ニッポンのロック」=「日本語のロック」を成立させんと試み、さらには大瀧詠一は自らが、こんなレコードがあればなぁ~♪ というマニア憧れの音楽道を進んだにちがいありません。
ですから、はっぴいえんど解散後は相当に経済的な苦境の時期もあったそうです。
さて、そこで本日掲載したのは、大瀧詠一の初めてのソロ名義作品を収めたシングル盤なんですが、そのA面曲「恋の汽車ポッボ」が驚くなかれ、発売された昭和46(1971)年末としては「珍しい」という認識よりは、失礼ながら「変態」としか思えない、モノラルミックスだったんですよねぇ~~~。
これは当時の深夜放送の音楽偏重のDJ達が、何度も話されていた事ではありますが、結果的に洋楽ポップスのシングル曲は「モノラルミックス」であらねばないない!
という、如何にもポップス博士の大瀧詠一ならではの企画実証だったのかもしれませんが、発売レコード会社は???だったかもしれませんねぇ……。
もちろんリアルタイムで接した高校生のサイケおやじは、そこに何の意味があるのか? さっぱり分かりませんでした。
しかし同じ頃、大きなブームになっていたシンガーソングライターとしてのきキャロル・キングの存在を意識した、つまりは彼女が職業作家時代の名作「ロコモーション / The Loco-Motion」に肖った「恋の汽車ポッポ」という目論見が、ジャケ写のパロディ感覚共々、大瀧詠一という粋な趣味人の稚気と気がつけば、あらためてポップスの持つ魔法に魅了され♪♪~♪
ちなみにレコーディングされていた時点では、はっぴいえんどは解散していなかったので、当然ながら制作参加メンバーは、その人脈ながら、何故かクレジットは変名ばかり!?
今日、その正体は明らかになっているとはいえ、大瀧詠一(vo,g) が自ら多羅(尾伴内(作編曲)、南部半九郎(b) を名乗った他、作詞が江戸門弾鉄=松本隆、ほしいも小僧=鈴木茂(g)、宇野主水=細野晴臣(ds) とは、なんでこんなにっ!?
という感じがしますよねぇ~。
ということで、結果的にはヒットしたとは言い難いレコードではありますが、既に述べたようなサイケおやじの屁理屈に従えば、これはニューミュージック出発点のひとつに思えたりします。
最後になりましたが、大瀧詠一の最大の功績は、山下達郎を世に出した事でしょう。そういう評価は故人にとっては迷惑かもしれませんし、コアなナイアガラ研究家の諸先生方からもお叱りは覚悟して、ここではそう書かせていただきました。
もちろん故人への哀悼の気持ち、尊敬と崇拝の念は変わらず、サイケおやじはこれからも分かるまで、大瀧詠一を聴き続ける所存でございます。
合掌。