■ある愛の詩 / 倉沢淳美 (リプリーズ / ワーナーパイオニア)
今日は久々に晴れましたですね (^^)
そんな爽やかな空の下、サイケおやじは相変わらず陰湿な奸計を練っているのがバカらしいという思いから、移動時間の合間に、ちょいと中古屋に立ち寄ってゲットして来たのが本日掲載した倉沢淳美のシングル盤なんですが、理由は既に皆様ご推察のとおり、ジャケ買いですよ、ジャケ買いっ!
だって、この彼女のポートレートの和み性感度の高さは最高でしょう。
所謂タヌキ顔に黒髪ってのも高得点 (^^)
もちろん、倉沢淳美は説明不要、萩本欽一のお気に入りとして昭和57(1982)年、本格的に芸能界にデビューしたのが超人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの(NET=現・テレビ朝日)」に出演したユニット「わらべ」の次女役・かなえ (^^)
そして、その流れから当然のソロ活動としてアイドル歌手や女優、声優の仕事もやっていくのですが、やはり気になるのは発売されたレコードの数々でしょう。
で、この掲載盤は昭和59(1984)年7月、2作目のシングルとして発表された期待の作品でありながら、実は収録A面「ある愛の詩」は空振りに終わったわけでして……。
それは作詞:康珍化&作編曲:馬飼野康二が手掛けたにしては正直、ありがちなアイドル歌謡ポップスという印象しかなく、スローなイントロからテンポアップして歌われる主旋律にも、キャッチーなメロディが出てこないという現実に加えて、失礼ながら倉沢淳美のボーカルにも精彩が……。
サイケおやじとしては、彼女は基本的に音楽的なセンスや歌唱力はあったと思っているのですが、何故かボイストレーニングがしっかり出来ていない感じに思えるんですよ (^^;
このあたりは当時のアイドル全盛期にあって、女の子アイドルには歌唱力よりも佇まいと雰囲気の良さが求められ、むしろ歌が上手いなんてのは二の次どころか、不必要とされていた風潮が作用していたのでしょうか……?
今になっても、倉沢淳美には、そんな一般的なアイドルのステレオタイプ的仕様は邪魔だったと思いますし、和み系のルックスにイイ楽曲が与えられれば、更なるブレイクは必至だったはずなんですがねぇ……。
それでも、倉沢淳美のアイドルとしての存在の記憶は決して消える事はないでしょう。
ちなみに彼女の残したシングル曲としては、翌年早春に出した「卒業」がベストだと思いますので、追々にご紹介させていただきますね (^^)
ということで、現在では結婚され、海外で幸せな家庭を築いているらしい倉沢淳美が、時折にテレビ出演される番組があったりすると、やはり嬉しくなるのがサイケおやじの偽りの無い気持ちです。
そして掲載盤は、そのまんま、サイケおやじ自室の壁に収まるのでした (^^)