■旅の終わりに / 冠二郎 (日本コロムビア)
この年末年始は有名人の訃報が相次ぎ、その中ではアクション演歌で人気を集めた冠二郎が元日に鬼籍に入られた事を知りました。
良く知られているとおり、故・冠二郎には長い下積み時代があり、それでも歌の実力は認められていたのでしょう、昭和42(1967)年の公式デビュー以来、それなりにシングル盤を出し続け、ついに平成4(1992)年、前述したアクション演歌の大ブレイク曲「炎」によって若年層にも受け入れられるスタア歌手となったわけですが、それゆえに正統派歌謡曲のファンからはキワモノ扱いを受けていたのも、また事実でした。
しかし、それでも冠二郎という歌手が支持されていたいたのは、昭和52(1977)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「旅の終わりに」が当時、強い印象を残すヒット曲になっていたからであり、加えて作詞:立原岬=五木寛之&作編曲:菊池俊輔が提供の件の「旅の終わりに」はロングセラーヒットになって当然という決定的な傑作曲!
実際、八代亜紀や藤圭子、他にも大勢の男性歌手によってカバーバージョンが制作されたほどなんですが、やっぱり冠二郎のオリジナルバージョンには独特の哀愁が滲み出ているあたりは、既に述べたとおり、長い下積み時代の諸々があるからでしょうか。
実は、この「旅の終わりに」は五木寛之の小説「海峡物語」と「旅の終わりに」をベースにした連続テレビドラマ「海峡物語(テレビ朝日)」の劇中歌としてレコーディングされたという経緯があり、主題歌は内山田洋とクールファイブの「ふたりの海峡」だったんですが、物語進行のキーポイントになっているのは落ち目になって隠棲した歌謡曲のプロデューサー=芦田伸介が件の楽曲「旅の終わりに」の制作に再起を賭ける!
―― という展開でしたからねぇ~~、それは江藤潤が演じる新人歌手のデビュー曲という設定ながら、実際は毎回の様に冠二郎のアテレコの歌声がハードボイルドな物語展開とリングして流れるとあっては、ヒットするのも当然が必然!
放送されていたのは昭和52(1977)年の春から秋だったんですが、その終了後に間髪を入れずに世に出た冠二郎の「旅の終わりに」は、待ってましたの売れ行きだったわけです。
ちなみにテレビドラマ「海峡物語」の劇中には主役の芦田伸介が育てたという設定になっている八代亜紀と再会する名場面があったと記憶していますので、追悼の再放送を強く望んでいるのはサイケおやじだけでは決して無いと信じる次第です。
ということで、冠二郎はド派手なアクション演歌と共に、こ~ゆ~哀愁演歌も持ちネタにしていた実力派でありました。
皆様ご存じのとおり、故人は以前に病気療養していた時期があり、それゆえに復帰後は往年の濃すぎる熱血歌唱が薄れてしまった晩年、だからこそ、深い味わいが歌唱表現に加わり、この「旅の終わりに」も尚更に哀切感を込めて歌っていたんじゃ~ないでしょうか。
サイケおやじは以前、全盛期の冠二郎のステージギグに接した時、当たっていたアクション演歌路線とは真逆とも云える「旅の終わりに」が同時に披露されていた事に感銘を受け、それはシンミリとした泣き節でありましたですねぇ~~。
そんなこんなを思い出してしまうもんですから、本日は「旅の終わりに」を取り出したというわけです。
衷心より、合掌。