OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

太陽と戦慄の大義名分

2014-01-21 16:22:23 | Rock Jazz

太陽と戦慄 / King Crimson (Island)

 A-1 Lark's Tongues In Aspic, Part One / 太陽と戦慄パート1
 A-2 Book Of Saturday / 土曜日の本
 A-3 Exiles / 放浪者
 B-1 Easy Money
 B-2 The Talking Drun
 B-3 Lark's Tongues In Aspic, Part Two / 太陽と戦慄パート2

キング・クリムゾンが1973年に出したアルバム「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」は、同バンドのデビュー作「宮殿」と並び称される絶後の名盤とされていますが、例によってサイケおやじはリアルタイムで接しながら、全くそれが分かりませんでした。

結論から言うと、収録トラックには分かり易い歌と意図不明な演奏が混在した印象で、しかも複雑怪奇な部分とシンプルで退屈なところが当時のサイケおやじには、ついていける世界ではなかったのです。

しかし、この「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」に期待するところは大いにありました。

なにしろ大好きなビル・ブルフォード(ds) が在籍していたスタアグループのイエスを抜けてまで参加した作品でしたからっ!

きっと物凄く構築された完全無欠の様式美が堪能出来るにちがいないっ!

つまりは前述「宮殿」における絶対的なキーマンであったマイケル・ジャイルズの敲き出していたシャープなリズム&ピートが蘇り、極言すればマイケル・ジャイルズが辞めてしまった事で迷走(?)したとしか思えなかったキング・クリムゾンが再生したはずという思い込みがあったわけで、その意味においては「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」が「宮殿」と並び立つ云々は正しいという解釈になるんでしょうが……。

実際に「太陽と戦慄」を初めて聴いた時の肩すかし、混乱と拍子抜けはサイケおやじの偏狭な感性を裏付けるものでした。

ちなみにアルバムに参加していたキング・クリムゾンのメンバーは御大ロバート・フリップ(g,key) 以下、ジョン・ウェットン(vo,b)、ビル・ブルフォード(ds)、ジェイミー・ミューア(per)、デイヴィッド・クロス(vln,key) の5人組で、御大以外の新顔達の履歴にはプログレ、正統派ロック、クラシック、フリージャズ等々の広範に培われた音楽性がある事は、現在の常識ではありますが、リアルタイムでは一番有名だったのがビル・ブルフォードでしょう。

そしていよいよレコードに針を落してみれば、とにかくA面ド頭の「Lark's Tongues In Aspic, Part One / 太陽と戦慄パート1」からして、いきなりアフリカあたりの虫の音というか、なかなか自然描写の効いた音作りは、そのSE気味の構成がしっかりしていようとも、なかなか悪い予感に満たされている感じでしたねぇ……。

すると案の定、演奏は急激に切り込んでくるヘヴィ&ハードロックなリフの展開となり、そのまんま多分7拍子(?)と思われる変則ピートの中でギターによる複座雑怪奇なスケールが律儀に披露され、さらにベースまでもが細かい動きを推進すれば、ドラムス&パーカッションはオンピートの様でありながら、実は意地悪な「はがらかし」としか感じられないイヤミが続くのですから、これを聴くのは最初、なかなかの苦痛でありました。

しかしバイオリンの存在が妙に和むというか、そういうアンバランスなコントラストを狙ったのは、頭脳的と言えば聞こえは良いかもしれませんが、またそれもイヤミと受け取ったのがサイケおやじの初体験の感想です。

おまけに途中には一瞬、日本の筝曲みたいなパートまで挿入されているんですから、始末が悪いですよ……。

ところが続く「Book Of Saturday / 土曜日の本」がギターのハーモニクスプレイを上手く使った、如何にも英国的な穏やかな抒情歌というイメージで、前曲からの混濁した気分が慰められ、続く「Exiles / 放浪者」が哀愁のバイオリンとダレ無いビート感が上手く融合した、これまた人気曲の必要十分条件を満たした傑作トラック♪♪~♪

実際、この安堵感を堪能するためには、初っ端「Lark's Tongues In Aspic, Part One / 太陽と戦慄パート1」の苦行に耐えてこそっ!

そう思わざるを得ないほどで、その意味では「宮殿」における「I Talk To The Wind / 風に語りて」~「Epitaph」の流れを踏襲したと思しき策略に飲まれてしまった感があります。

こうしてレコードをひっくり返す儀式から「Easy Money」は、なんとっ!

クリムゾン流儀のハードロックとして、これが一番に分かり易い曲でしょう。

しかし聴くほど驚かされるのは、パーカッションの唯我独尊であり、ど~やって出しているか分からない音が決してSEでは無いところです。

もちろんベースの蠢きやドラムスのシャープなビートは「お約束」なんですが、それゆえに「暴れ」が物足り無いと思うのも、またサイケおやじの本音であります。

その要因は御大のギターの冷徹さ???

ですから、続くインストの2連発、「The Talking Drun」と「Lark's Tongues In Aspic, Part Two / 太陽と戦慄パート2」が単なるリフの繰り返しに聞こえたとしても、責められるべきは自己の感性!?

それを斟酌してくれたかのように「The Talking Drun」の終末に置かれたバイオリン(?)の絶叫からスト~~ンッと入っていく瞬間の「Lark's Tongues In Aspic, Part Two / 太陽と戦慄パート2」は忽せに出来ない現実です。

実は些か確信犯的な書き方になりますが、このアルバム制作前後に行われていたキング・クリムゾンのライプ音源を聴くと、恐ろしいまでの躍動感と深淵な暴虐に気がつかさせるんですよっ!

あぁ~、スタジオ録音されたLP「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」は所謂「たたき台」であり、またライプでやらかした無分別(?)に整合性を与える大儀名分なのかもしれません。

例えばマイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」がそうであったように、それほど整った音楽性が凝縮されているんですよっ、このアルバムには。

繰り返しますが、当時のキング・クリムゾンのライプ音源を聴いてからの方が、スタジオ録音盤「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」は楽しめると思っているのです。

ということで、一部では「メタル期」と称されるクリムゾン・キングの諸作は、以降も激烈な問題作をレコーディングしながら、同時にライプ巡業も精力的にやっていました。

言い換えれぱ、だからこそ作ることの出来たアルバム群の充実については追々に書きたいと思いますが、殊更「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」については現在、13CD+DVD+BD からなる「40周年記念ボックス」が出されていますから、ライプ音源にスタジオアウトテイク、ミックス違いにライプ映像までも含めて凝縮され、解き明かされた秘密の世界は、まさに戦慄!

恥ずかしながらサイケおやじは、件の箱物でようやく「太陽と戦慄 / Lark's Tongues In Aspic」の真の凄さに覚醒したというわけです。

そして最後になりましたが、ロバート・フリップのギターって、ジャズからはジム・ホールの影響が強く感じられ、併せてパワーコードの凄味は特別という変態性が、サイケおやじには憧れと畏怖!?

レスポール派の本懐であります。

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3 コメント

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お待ちしておりました。 (ちんたろ男)
2014-01-21 21:38:45
人生で自分を誉めたいことのひとつはクリムゾンのファンであることです。先日の話の通り、ポール・モーリアやサウンド・トラックからリスナーの道に入ったちんたろ男がビートルズと出会うのは意外に速かったのですが、アラン・パーソンズ・プロジェクトの「怪奇と幻想の~」からクリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」にたどり着いたちんたろ男にとって、「太陽と戦慄」は理解不能、とても同じクリムゾンとは思えませんでした。なにかジャングルのようなイメージしか湧いてこず、戸惑うだけでしたが、すでにクリムゾンを無条件に信じきっていたちんたろ男には「これは絶対にすごい音楽なのだ。」というゆるぎない確信があったのです。この「太陽と戦慄」が理解できたとき、ちんたろ男の感性は解放され、音楽の無限地獄に堕ちていったのでした。話は変わってこのアルバムではジェイミー・ミューアのプレイが高く評価されているけど、レコードで聴く範囲ではそれほどではない。ただし、ブラッフォードに与えた影響ははかりしれない。ミューア脱退後のビルのプレイはアグレッシブでパーカッシブさをとてつもなく増している。まさに「知的な暴虐性」を秘めたキング・クリムゾンに対するミューアの貢献は果てしなく大きいと言える。言いたいことの100分の1でした。
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もう一言 (ちんたろ男)
2014-01-21 23:41:30
「クリムゾン・キングの宮殿」から「アイランド」とクリムゾンを追っかけたファンの「太陽と戦慄」に対する驚き、衝撃は相当なものだったろうと思う。でも、あれから40年以上が経って俯瞰で見れる今、69年から74年まで通底する「知的な暴虐性」は同じである。80年代のクリムゾンも同じようにとらえる向きもあるが、ちんたろ男はあれを70年代のクリムゾンと全く別の代物であると宣言する。もうひとつの重要な要素は「悶えのエロス」である。ロバート・フリップのギターを核として、これが70年代のクリムゾン・サウンドを決定付けていたと思う。またまた話変わって、写真のジャケットはアイランド・オリジナル盤ですね?
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進化の過程 (サイケおやじ)
2014-02-02 08:05:00
☆ちんたろ男様
熱いコメント、ありがとうございますっ!

全く当時の我が国クリムゾンファンの気持ちの大部分は貴兄に共感するところと思います。

ご指摘のジェイミー・ミューアの存在意義ですが、この鬼才が抜けてしまった事が結果的に当時のクリムゾンの起爆剤になったという、些かの皮肉は否めないのかもしれません。
特にドラムスとベースが、その空いてしまった隙間を埋め尽くす作業は、しかしこれほど良い方向に作用するとは、御大フリップも意想外だったんじゃ~ないでしょうか?

そのあたりについては、以降も書いていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
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