■すてきな貴方 / 横本メイ (ポリドール)
横本メイも、これまた大きなブレイクはなかったんですが、サイケおやじに強い印象を残したアイドルのひとりです。
それは確か昭和51(1976)年のデビュー時から、極端に長い黒髪と真っ黒な瞳の面立ちが目立ちまくりでしたし、歌っている楽曲、つまり本日掲載のシングル盤A面曲「すてきな貴方」が当時としては異様とも思えるエスニック調の歌謡ポップスだったんですねぇ~~~!?!?
もう、何んと言っていいのか、基本的に保守的なサイケおやじではありますが、それにしても当時の我国芸能界を鑑みても、その違和感や浮き上がり方ゆえのインパクトを狙ったのだとしたら、あまりにも確信犯だったんじゃ~ないでしょうか?
実はご存じのとおり、横本メイはスタア誕生の優勝者であり、ハワイ出身だったんですが、サイケおやじはてっきり芸歴のある東南アジア系の輸入アイドルかと思っていたわけでして、だからこそデビュー曲の狙いもあれこれ推察可能と思うんですが……。
結果的に売れなかったのは、それが早すぎたのか、あるいは日本本土に馴染まなかったのか? 原因は案外とギリギリに微妙なのかもしれません。
なにしろソングライターが阿久悠&筒美京平という、当時最強のコンビだったんですから!?
もしかしたら南沙織の路線新展開を模索していた中での企画だったのか!?
なぁ~んていう、穿った想いまで浮かんでは消えていくのです。
そしてそれゆえに強い印象が尚更に増幅された記憶になっているのは冒頭に述べたとおりであり、リアルタイムでは買わなかった彼女のレコードは、時を経るにしたがって、中古屋の狙い目物件のひとつになっていきました。
ということで、このレコードは4年ほど前、某ネットオークションに出ていた「纏め売り」の中にボンヤリと写っていた画像を頼りに即入札し、運良く格安でゲット出来たものです。
結局、横本メイはボーカリストである以前にビジュアル系のアイドル、特にヒップライン近くまで届く美しい黒髪の印象が強すぎたのかもしれませんねぇ~♪
おそらくもう少し、芸能界に登場するのが遅かったら、イメージビデオでの活躍が全面的に可能であり、別角度からの商品価値が絶対に成功していたと思うばかり……。
ちなみに黒髪フェチ(?)の友人に言わせると、横本メイは最強アイドルだそうで、未だ家庭用ビデオ機器が無かった当時の悔しさを語ることが度々なんですから、やはり注目度は高かったわけです。
もちろん似合いもしない茶髪なんかに染まっている日本の婦女子が氾濫している現代にこそ、横本メイは思い出される存在なのでしょう。
うむ、アイドルの世界も深~い、記憶の奥の細道であります。
このひと歌は聴いたこと無かったですが、観たことはあるような。。。
たしかに70年代初期のテイストはしっかりありつつ、沖縄・中国的フレイバー?でユニークですな。
最近はYOUTEBEで当時のアイドル漁りをするのが日課みたくなってしまいましたけど、この人もグラビアに出まくって歌手の方ではヒットなしっぽいですが、やはり昭和歌謡の典型的パターンでありつつも、古典的ヨーロッパフレイバー?がユニークな感じで気に入りました。
http://www.youtube.com/watch?v=Lf8HGsmaHHU&feature=endscreen&NR=1
歌詞も「イジメてやろうか」「泣かしてやろうかな」等というあまり類のない感じです。
ずん子の「ひとり歩き」にもチョット似てると思いました。
コメント感謝です。
昭和のアイドル業界は「拡大解釈」もキーワードのひとつだったと思うんですよ。
言うまでもなく、アタリとハズレは紙一重でしたけど、それゆえにヒットがデカイので、皆が夢中でしたよねっ!
ご紹介の相本久美子は好きでしたよ♪
昔、アイドルを卒業した頃ですが、彼女と同じ飛行機で通路を挟んで隣の席になった事がありました。
別にサインとかはもらいませんでしたが、ちょっぴりドキドキしましたですね(自嘲)。
いまだにとってもかわいらしくて、やさしくて、みんなから慕われています。芸能界をやめたのは、大学進学のためだったって先日聞きました。ショートカットのメイさんもとっても素敵ですよ。
コメント&貴重な情報、ありがとうございます。
そうですか、彼女は今も元気にしている事が分かって、嬉しいです。なによりも皆に慕われている、その人柄が素敵ですよねぇ~♪
ショートカットの彼女のお姿、ぜひとも拝見したく思います。
夏の土曜の夜、懐かしい歌謡ディスコ・サウンドで。
優雅(ゆうや) 台湾出身のアイドルでした。
1974年(昭和49年)、ディスコチックなシャレた筒美京平作品でデビュー。
『処女航海』 優雅
作詞・有馬三恵子 作曲・筒美京平
♪青い 波止場まで 走って
♪私 呼びとめた あの人
♪駄目なのよ 止めないで
♪私は 私を ためしてみたい
優雅は、日本に来る前は、台湾でテレビドラマに主演し、自らが歌う主題歌も大ヒットするなどの実績があったようです。
CBSソニーの敏腕プロデューサー・酒井政利氏により、デビュー曲『処女航海』が大々的にプロモートされ、ホリプロ初の台湾アイドルとして、スマッシュ・ヒットとなりました。
第2弾が『胸さわぎ』です。
これまた、ソウル・ディスコの雰囲気のある曲で連続ヒット。
『胸さわぎ』 優雅
作詞・有馬三恵子 作曲・筒美京平
♪ヘイヘイヘヘヘイ 夏は何かが起こるの
♪ヘイヘイヘヘヘイ そうよ この空 この風
♪胸さわぎがしてるのよ 身体がうずうずしてる
♪刺激的なくちづけで 私は悪くなりそうよ
1960年代は欧米の可愛い娘がたどたどしい日本語でカバー曲を歌うのが流行りましたが、1970年代に入ると、アジア系の女性アイドルが登場して来ました。
その先駆けが、1971年、台湾出身のビート歌謡の欧陽菲菲。
『雨の御堂筋』の迫力は衝撃でした。
その後は、同じく台湾のヤン・シスターズ、テレサ・テン、香港のアグネス・チャン、リンリン・ランランなどなど。
現在も多いですよね。