■Kicks / Paul Revers & The Raiders (Columbia / 日本コロムビア)
GS=グループサウンズは我国芸能界の造語ですが、ご存じのとおり、それは未だ「ロックバンド」という呼称が一般的ではなかった昭和40年代の表れながら、同ジャンルに括られていたのは紛うことなくロックをやっていた先人であり、ビートルズやストーンズ等々の人気グループを目標として、模倣していたことは言うまでもありません。
また今では歴史という昭和40年代、つまり1965~1974年のロック先進国はイギリスでありましたから、その流れの中では日本だけでなく、R&R発祥の地であるアメリカでさえも、芸能界は所謂ブリティッシュ・インベンジョンの猛威から逃れることが出来ず、結果的に日本のGSと似たようなグループが現れても不思議ではなかった!?
それがサイケおやじの確信的妄想です。
例えばポール・リヴィアーとレイダースは、1960年頃から活動を開始した地方のハコバンでしたが、かなりの実力があったのでしょう、マイナーなレコード会社から幾枚かのシングル盤を出しているそうですし、1963年には大手のコロムビアと正式契約を結んでいます。
そして前述したブリティッシュ・インベンジョンの波に乗り、1964年には早くも最初のアルバムを出すほどの意欲を示すのですが、バンドを実質的に仕切っていたのは、今日では伝説的人物となっているマネージャーのロジャー・ハートで、以前はラジオのDJ等、放送業界で働いていたコネを有効に活かしての売り込みは効果絶大!
1965年からはシングルヒットも安定的に出せるようになり、翌年にはアメリカ芸能界の大物司会者だったディック・クラークが制作していたテレビバラエティ番組のレギュラーに抜擢されたのですから、後は勢いにまかせるだけ!?
なにしろ全米に放送されていた件の番組に出演したポール・リヴィアーとレイダースは、掲載したジャケ写でもご覧になれるとおり、18世紀風の上着とタイツの衣装も強烈な印象ですが、用意されていた台本以上のオトボケや洒脱なコメディを演じてしまうメンバー各人の芸達者な才能は、初登場から忽ち人気を集めたと言われています。
しかし、さらに凄いのは、そうやって注目された時期に出していたバンド本来の持ち味というロック性感度の強い楽曲の数々で、例えば本日ご紹介の「Kicks」は一度耳にすれば絶対に忘れられない、真ロック的なギターリフを核とする1966年の大ヒット♪♪~♪
ちなみに当時のメンバーはマーク・リンゼイ(vo)、ポール・リヴィアー(key)、ドレイク・レビン(g)、フィリップ・ボーグ(b)、マイケル・スミス(ds) の5人組だったそうですが、実はレイダースは結成当初から正式デビュー後もメンバーチェンジが頻繁で、結局はマーク・リンゼイとポール・リヴィアーが入っていれば、それはレイダースと名乗って正解のグループだったようです。
そして実際、1970年頃からはバンド名がレイダース、あるいはマーク・リンゼイとレイダースという、レコードを出す毎に変わるような状況となり、また並行してマーク・リンゼイがソロシンガーとしてヒットを飛ばすという結果は、それを証明していると思います。
ただし、こういう履歴や経緯をサイケおやじが知ったのは、例によって後付けでしたから、リアルタイムの洋楽雑誌やテレビ放送されたフィルムでポール・リヴィアーとレイダースに接した時は、そのコスチュームや演奏の雰囲気が、実にGSだと思いましたですねぇ~~♪
というか、今となっては我国のGSがポール・リヴィアーとレイダースを真似ていた部分は否定出来ないと思うことさえあります。
それは例えば衣装の問題、テレビ登場時のバラエティ的な演出、マネージメントのマスコミへのコネクション等々、これは所謂芸能界どっぶりの伝統的なノリであり、今日の感覚から想定されるロック的なものとは別次元の軽薄さ!?
そう受け取られても、言い訳出来ないものがあるかもしれません。
しかし、現実的には昔も今も、ロックであろうが、芸能界であろうが、それは立派なプロのビジネスである以上、否定してしまったら、ビートルズだってデビュー前から同じ地平の存在なんですよねぇ。
それに、あの「サージェント・ペパーズ」が、ポール・リヴィアーとレイダースから何らかのインスピレーションを得なかったという確証は無いわけでしょう。
元祖ミリタリールック!?!?
我国のGSにも、例えばスパイダースやジャガーズ等々がそれを御愛用でしたから、ますますなんですよ♪♪~♪
そこでサイケおやじがポール・リヴィアーとレイダースを好きなのは、とにかく残されたレコードの隅々から感じられるロック魂の強烈さで、まずはこの「Kicks」をお聴き下さいませっ!
これも後に知ったことですが、ポール・リヴィアーとレイダースのレコーディングは基本的に「一発録り」だったそうですし、それを纏め上げる段階で主なプロデュースを担当していたテリー・メルチャーが様々な詐術を用いたとしても、それゆえの勢いは消せるものでは無い事が、絶対に感じられるはずです。
そして、そのあたりが、またしてもGS的だと思うばかりです。
特にマークに痺れました。
アメリカでもマークは女性に凄い人気でした。
1967年9月にベスト盤のLP買っただけで
詳しいことわかりませんが、一発録りとは
はじめて知りました。
アメリカ独立戦争の英雄ポールリヴィアから
名前拝借したバンドだけに背広を着て演奏したら
やっぱりちょっとおかしいですね?
スカパーの中にあるミュージックエアネットワークと云う音楽専門チャンネルで、レイダーズのビートクラブに於いてのスタジオライブをオンエアしてます。
カッチょいい~~。
因みに演ってる曲は『Let Me』です。
コメント、ありがとうございます。
このバンドを印象づけていたのは、まちがいなく例の衣装だと思うんですよ。
それでいて、演奏はしっかり出来ていたんですから、案外とテレビ向けだったのかもしれませんね。
「一発録り」はバンドの基本方針だったらしいですよ。しかし製作側は、そこに様々な装飾を付ける事によって、完成度を高めていたという裏話を故・福田一郎氏がラジオで語っていました。
コメント、ありがとうございます。
レイダースは、かなりの実力派バンドだったと思いますよ。そのあたりが真っ当に評価されていないだけじゃないでしょうか。
キャッチーなロック的魅力は、後に多くのパクリに結びついていますし、例えば我が国のサザンオールスタアズの某曲なんか、リフから全部が、モロに「Kicks」ですよね。
やってしまう気持ちは、理解出来ますが(苦笑)。