OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

平山洋子の濃さは本物

2021-11-30 17:27:16 | 歌謡曲

死ぬまで一緒に / 平山洋子 (ポリドール)

この芸名にして、このジャケ写ポートレートから既に皆様ご推察のとおり、平山洋子は平山三紀の実姉なんですねぇ~~ (^^)

もちろん、芸能界に入ったのは妹の平山三紀よりも早く、確か最初は松竹の女優として、昭和42(1967)年頃から、ちょい役出演での名前を確認出来るのですが、その時代の芸名は「園江梨子」でした。

また、当然ながら、その当時は女優でもレコードを出すのが普通の仕事だったんですが、失礼ながら、彼女ぐらいの「格」でも既にして昭和44(1969)年には「園えり子」名義でシングル盤を出していたのは、相当に歌唱力が認められていたのでしょう。

残念ながら、サイケおやじは、そんな諸々は後で知り得た情報でして、件の「園えり子」のレコードは聴いた事がありません。

で、掲載したシングル盤が発売されたのは昭和48(1973)年であり、作詞:水木かおる&作曲:藤原秀行、そして編曲:川上義彦から提供の収録A面曲「死ぬまで一緒に」は、それなりに小ヒットし、その時点で初めて、彼女が平山三紀の実姉だったという真相が明かされたというか、改名したのも、妹の平山三紀がオンタイムでブレイクし、人気を集めていたからという推察も易いところでしょう (^^)

しかし、それにしてもミディアムテンポでラテン風味のリズムを用い、ギターや電子(?)オルガンで味付けしたムード歌謡をじっくりと節回す平山洋子の歌唱力は本物で、特に高音域での声質が梶芽衣子を想起させるあたりも、サイケおやじのツボが刺激されます (^^♪

ちなみに楽曲そのものは西田佐知子が昭和40(1960)年頃にヒットさせた、これは所謂カバー物なんですが、そのオリジナルバージョンに比べると、平山洋子は尚更に「ねちっこく」歌っておりまして、幾分細身の声質で「せつなさ」を表出させていた西田佐知子のバージョンとの差異は、そのまんま、時代性とリスナーの好みの変化が意識されている様に思うんですが、いかがなものでしょう。

ということで、平山洋子のレコードは中古屋でも幾つかの出会いが普通にあるんですが、冒頭に述べた「園えり子」名義のブツは、なかなか……。

今後の探索目標としている次第です。

最後になりましたが、この姉妹はテレビやステージギグ等々での共演とかあったんでしょうか?

そんなところも気になっているのでした (^^ゞ

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1 コメント

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きいてみたいな~♫ (パンドラズボックス)
2021-12-01 17:03:47
“園えり子”名義で3枚のシングルが確認できました。

1969年
JRT-1040 A面 もうひとつの鍵
        B面 夜は嫌い

1970年 6月
JRT-1083 A面 気にしないでね
        B面 これきり別れて

1971年 6月
JRT-1164  A面 ねむれなくて
        B面 好きになりすぎて

オークションでは高値が付いてました。
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