■Summer Wine / Nancy Sinatra with Lee Hazlewood (Reprise / 日本ビクター)
1枚のレコード、ひとつの歌から広がる世界の奥深さ、という点において、本日ご紹介の「Summer Wine」は、まさにサイケおやじにとっての重要ポイントでありました。
ご存じのとおり、この曲は日本盤ジャケットに登場しているナンシー・シナトラのソロシングルのイメージとは裏腹に、その実態はリー・ヘイズルウッドなる男性歌手とのデュエットソングであり、1967年にヒットしているんですが、実は同年同時期の彼女は父親であるフランク・シナトラとのデュエットによる「恋のひとこと / Somethin' Stupie」を全米チャートのトップに輝く大ヒットにしていましたから、明らかな二番煎じというところでしょうか。
そして実際、この「Summer Wine」は昭和42(1967)年秋から冬にかけて、我国のラジオでも流れまくったんですから、そういう路線は正解だったのでしょう。
しかし、サイケおやじの本音としては、もっとナンシー・シナトラの単体物が聴きたいという欲求があり、父親のフランク・シナトラならまだしも、なんで彼女が得体の知れない中年男と一緒に歌わなきゃ~いけないんだっ!?
と、嫉妬まじりに憤っていたわけですが、実際、「Summer Wine」で聞かれる男性ボーカルの妙に自信たっぷりな歌声は、西部劇の主題歌みたいな曲調にはジャストミートでありながら、同時に美女をいたずらしそうな下心に感じられるんですよねぇ……。
おまけに当時の洋楽雑誌に掲載されていたナンシー&リーの写真、あるいはテレビで流れたフィルム映像を見ると、これが完全に美女と髭の中年男なんですから、怪しさも絶頂!?
一応、2人を主役に作られたアメリカ盤LPのジャケットを掲載しておきますが、流石に日本盤シングルをナンシー・シナトラだけのピクチャースリーヴにしたのは、当然と思う他はありません。
う~ん、それにしても、このリー・ヘイズルウッドって奴は、誰なんだぁ~~!?
という疑問から、サイケおやじの例によっての探索は奥の細道となったわけです。
そして調べるほどに明らかになる、その驚愕の実績は過言ではなく、R&R期以降のハリウッドポップスの一端を作り上げたものでした。
中でもフィル・スペクターの相棒として有名なレスター・シルとの共同作業は、レスター・シルがフィル・スペクターとの仕事を本格化させる以前の重要なものです。
実はリー・ヘイズルウッドはアリゾナ州のラジオDJであり、当地でレコード制作もやっていたのですが、1955年にサンフォード・クラークというローカルな白人歌手を起用して、エルヴィス・プレスリーの物真似曲「The Fool」をプロデュースし、大ヒットさせた事により、おそらくはそれで既に業界裏方の実力者であったレスター・シルと意気投合したものと思われます。
ちなみにレスター・シルについて、サイケおやじはイマイチ、その人物像や履歴を知り得ないんですが、とにかく業界で名を上げたのは、黒人音楽も作る某レコード会社で働いていた頃にジェリー・リバー&マイク・ストーラーという、ロック史では有名なソングライターコンビを発見育成した事が最初でしょう。
そして以降、楽曲管理や音楽業界関連の様々なマネージメント等々へ事業を広げていく過程で、リー・ヘイズルウッドと知り合ったのでしょうが、リー・ヘイズルウッドにしても、いろいろと練っていたアイディアを実践していく中では、レスター・シルの協力が大きな後ろ盾になっていたと思います。
例えばギターインストの最初の大スタアとなったデュアン・エディのプロデュースについても、ハリウッドの有名スタジオやセッションプレイヤーを使う算段において、レスター・シルはかなりの働きがあったはずですし、同時に大手レコード会社との音源供給契約や新設レーベルの運営等々、2人の音楽的嗅覚は絶妙のコンビネーションとなって結実し、後のサーフィン&ホットロッドの大ブームを誕生させた事も無視出来無いはずです。
また、一説によると、駆け出し時代のフィル・スペクターに様々な録音技法を教え込んだのはリー・ヘイズルウッド!?
そこからレスター・シルとフィル・スペクターの歴史的コンビが発展的に出来上がり、リー・ヘイズルウッドが孤立(?)したという穿った解釈もあると言われていますが、どうなんでしょうねぇ~~~?
ただしリー・ヘイズルウッドにはアル・ケイシー(g,key,arr)、ハル・ブレイン(ds)、ビリー・ストレンジ(g,arr) 等々の有能なセッションプレイヤーが既に子飼になっていたと言われていますから、結果的にレスター・シルとの共同作業の終焉、またデュアン・エディとの喧嘩(?)別れがあって以降も、それほど逼迫した事態には陥らなかったはずで、現にアストロノウツを大ブレイクさせたり、ついに1960年代初め頃には自らのボーカルアルバムを出しています。
また同じ頃、フランク・シナトラが出資したレコード会社のリプリーズからプロデューサー業の依頼があったのも、そういう実績があればこそ!
そしてディーン・マーチンの息子たちがやっていたディノ・デジ&ビリーというアイドルグループを担当しては、忽ちにヒット曲を作り出し、いよいよフランク・シナトラの愛娘としてアイドルからバツイチ美女になっていたナンシー・シナトラとの仕事に入ったのですが……。
結論から言うと、直ぐに2人は恋愛関係というか、下世話に言えばデキてしまったそうですから、ナンシー・シナトラのセクシー路線転換もムペなるかな、1966年に出した「にくい貴方 / These Boots Are Made For Walkin'」が大ヒットしたのも当然が必然!?
ついにはデュエット作品が作られたのも、自然の流れなのでしょう。
と、些か物分かりの良い事を書いているサイケおやじではありますが、当時のフランク・シナトラの心中は如何ばかりかっ!?
そんな思いも確かにあるんですよねぇ。
だって、前述の親子デュエットの大ヒット曲「恋のひとこと / Somethin' Stupie」は、内気な男の愛の告白という歌詞がちょいヤバのラブソングであり、それを父娘に歌わせてしまったのがリー・ヘイズルウッド本人のプロデュースなんですから、いやはやなんとも……。
ちなみに呆れるほど上手い同曲でのギターは、アル・ケイシーというのも、念が入っています♪♪~♪
ということで、リー・ヘイズルウッドというアメリカ大衆音楽の偉人も、今はすっかり忘れられているのかもしれませんが、正確に言えば、凄い業績が真っ当に伝えられて来なかったと思います。
そのあたりを今、ここに全てを書くのは不可能であることをお断りしつつ、他にもカントリーロックの先駆者と評されるグラム・パーソンズが在籍していたインターナショナル・サブマリン・バンドのプロデュースやグラム・パーソンズのバーズへの移籍加入による音源管理のゴタゴタは有名でしょう。
またリー・ヘイズルウッド本人が歌った数多いレコードのほとんどが、時代を鑑みて新感覚のポップカントリーであった事も侮れません。
おそらく1960年代後半からは、後にカントリーロックとして確立されるジャンルを狙っていたのでしょう。しかし前述したとおり、グラム・パーソンズとバーズが結託して作った名盤アルバム「ロデオの恋人」に関する訴訟問題等々で消耗したのか、以降はアメリカの業界から手を引いた感があり、どうやら渡欧してしまったと言われています。
しかし、1960年代のリー・ヘイズルウッドの活動は知るほどに凄くて、未だに全貌が掴めないサイケおやじにしても、その探索の発端を与えてくれたナンシー・シナトラの「Summer Wine」を大切に聴く気持は失っていません。
最後になりましたが、「Hazlewood」は「ヘイゼルウッド」と書くのが正しいのかもしれませんが、サイケおやじが、あえて「ヘイズルウッド」としているのは、ここに述べた素晴らしき機会を与えてくれたレコードのジャケット表記に準拠した敬意であります。
どうか、ご理解下さいませ。
コメントありがとうございます。
男女デュエットは悲喜こもごも、何かと問題点もあるんですが、当たると大きいんで、いろいろとやってしまうんだと思います。
ナンシー・シナトラの美点は、イケイケのイメージとは逆のナイーヴさが、ジワジワと効いてくるところかもしれませんよ♪
英語表記は固有名詞に限らず、今昔、あちこちで変わっているんですが、最初の印象を大切にしないと、後で後悔するような……。
コメントありがとうございます。
やはり当時の表記は「ヘイズルウッド」でしたかっ!
リアルタイムの印象は大切にするべきでしょうねぇ。
コメント&ご紹介ありがとうごいます。
まあ、あのバンドも三人では魅力ありませんよ。
確執は分かりますが、潔くない態度は、いけませんねぇ。
当時のファンも胸が苦しいってところかも……。
コメント&素敵なご紹介、ありがとうございます。
どうです、それが往年のセクシー路線、保守本流ですよっ!
今のエロカッコイイ、なぁ~んてのは、完全に戯言と知れるでしょう。
ナンシー・シナトラ、最高ぉぉぉぉ~♪
正確にはヘイズルウッドでしょう。
でも私、こんな些細なことは気にしません。
The Supremesは最初「シュープリームス」ときいていたが今ではウィキでさえ「スプリームス」となっており、私が買ったベストでも「スプリームス」となっています。
ちょっと方向が違うが「ザ・フォーク・クルセイダーズ」が最近「ザ・フォーク・クルセダーズ」とイが抜けている。
私にとっては許せない事です。
著作権にうるさい音楽界なら、もっとしっかりしてほしい。
ヘイズルウッドになってました。
あのスペルなら ゼルというのがやはり無理かも・・・
ここで取り上げたサマー・ワインもそうです。
トワ・エ・モワの芥川という男も良い声とは言えないのに、前に出て来てしょうがありませんでした。
ナンシー・シナトラは父・フランク・シナトラやディーン・マーチンとはうまくデュエットしている。
歌っている姿をみると、男をたてて、自分は力を抜いて楽しんで歌っている。
ナンシー・シナトラが好きな一因がそこにもあります。
http://www.youtube.com/watch?v=9ure6rCt5X4
キライだったらゴメンナサイ。。。
http://www.youtube.com/watch?v=9Q9D8_rGHlY&feature=fvwrel
鬱陶しい雨空を吹き飛ばす、実に良い「目の保養」をさせていただきました。
今でいうと、マドンナやレディ・ガガみたいなもんだったのでしょうか。
ちなみに、レディ・ガガさん、激太りだそうです。近時の写真を見て唖然としました。イタリア系女性の宿命でしょうか。