■遠い海の記憶 c/w 海は女の涙 / 石川セリ (フィリップス)
1970年代には歌謡曲とは別に、今日ではニューミュージックと称される日本語歌詞によるオリジナルメロディが流行しましたが、何故に「ニュー」なのかといえば、それ以前のGSや歌謡フォーク以上に洋楽からの強い影響を受けていただけであって、結局はそれも新手の歌謡曲だったと思います。
極言すれば、LPにだけ収録されていた洋楽曲の替え歌だったり、あるいはもっと露骨にシングルヒット曲をパクリまくったものさえ、堂々と日本語詞で歌われれば、それでOKという芸の無さも……。
このあたりは職業作家ならば、元ネタよりも良い曲を書こうとするプロ意識が昭和歌謡曲を支えていたわけですが、ニューミュージックにおいては所謂シンガーソングライターという自作自演がひとつのウリになっていたことが裏目となって、失礼ながら安易な姿勢を増長させたんじゃないでしょうか?
ですから、ニューミュージックとして分類されながら、実は確固たる個性を持った専業歌手が何時までも記憶に残るのは当然の成り行きで、本日の主役たる石川セリも、そのひとりです。
おそらくサイケおやじと同世代の皆様ならば、彼女の名前が何らかの印象として、今も残っているのでは? と、推察しております。
で、私が石川セリを強く意識したは、日活がロマンポルノ制作へ方針転換する最後の一般作品となった「八月の濡れた砂(昭和46年・藤田敏八監督)」の主題を歌っていた事に他なりません。
映画そのものは村野武範やテレサ野田が出演した、如何にも藤田敏八監督らしい無気力節と空回りした青春の情熱が横溢する名作になっていますが、それを決定づけたのが石川セリの主題歌だったという部分も否定出来ないでしょう。
この曲は翌年の春にシングル盤として発売され、ラジオの深夜放送や有線放送等を中心に小ヒットしていますが、売り上げ以上に石川セリというアンニュイで不思議なムードの歌手を世に知らしめたことは意義がありました。
しかし彼女のキャリアについてはイマイチ、分からないところが……。
どうやら生粋の日本人ではないらしい? モデルをやっていた? シングアウトというコーラスグループに在籍していた……等々、まあ、そのあたりが幾分アクの強いルックスと相まって、ますます石川セリという名前がミステリアスな印象として残るのでしょう。
そこで本日ご紹介のシングル盤は、石川セリのおそらくは3枚目になりましょうか、昭和昭和49(1974)年8月に発売されたものですが、まずA面の「遠い海の記憶」が今日では和製ソフトロックの傑作として評価も著しい名曲になっています。
なんといってもアコースティックギターによる印象的なリズムストロークと浮遊感溢れるオーケストラアレンジが秀逸ですし、せつなくて胸キュンの曲メロと力強い歌詞をクールに熱唱する石川セリのボーカルが、まさに一期一会の刹那の境地!
実はこの曲は、NHKの少年ドラマとして昭和48(1973)年に放映された「つぶやき岩の秘密」の主題歌として、作詞:井上真介、作編曲:樋口康雄のコンビで書かれたものなんですが、全体の雰囲気が英国カンタベリーサウンドの代表選手たるキャラバンの演奏にも通じるという、滋味豊かなジャズっぽさがニクイばかり♪♪~♪
と、すれば、効果的なエレピの隠し味も大きな魅力ですし、ベースやソプラノサックスによる演奏パートのキメも全く出来過ぎという感じで、石川セリの節回しが、ますます心に染みてくるというわけです。
そしてB面の「海は女の涙」が、これまたフォーク歌謡っぽい大名曲♪♪~♪ 作編曲はA面と同じく樋口康雄ですから、その洒落たソフトロック的なメロディ展開と緻密で親しみ易いアレンジは期待を裏切りませんが、作詞が映画監督の村川透というのがミソ!?!
実は日活ロマンポルノ「哀愁のサーキット(昭和47年・村川透監督)」の主題歌なんですねぇ~、これがっ!?
告白すればサイケおやじは、後追いでしたが名画座で鑑賞した時、ど~しても石川セリの歌が忘れられなくなり、ここにようやく収録レコードを発見! 即ゲットしたのが真相です。
ちなみに「哀愁のサーキット」は峰岸隆之介と名乗っていた頃の峰岸徹がカッコ良すぎるレーサー役で出演し、ヒロインの木山佳と濃厚なラブシーンを繰り広げたという、今や幻の名(迷)作なんですが、その木山佳が新人歌手役で、些かネタバレになりますが、結局は愛する峰岸徹が事故死した後にヒットさせるのが、この「海は女の涙」という物語でした。
しかも、ふたりが最初に出会う海岸では、彼女が波に向かってレコードを投げ捨てているという設定なんですから、たまりません♪♪~♪ ここは実際に映画に接し、この曲を聴いてみれば、尚更に心が揺れるてしまうのは必定です。
さらに石川セリ本人も、ちょい役で出演していますので、これは観てのお楽しみなんですが、現在までソフト化された形跡はあるんでしょうか? 一刻も早いDVD化が望まれるわけですが、現実的には村川透監督にとってはロマンポルノの最終作でもあり、世評もリアルタイムから芳しくなかったことを思えば……。
ということで、冒頭の話に戻れば、当時は歌謡曲の保守本流とは微妙に一線を画する歌手が求められていた証左として、石川セリの存在があったように思います。
平たく言えば、あまり芸能界どっぷりではなく、自らの意思によって自在な表現が出来る歌手というか、そういうイメージを持ったボーカリストが求められていたんじゃないでしょうか? 彼女がほとんどテレビに出演しなかった事も、ある意味では戦略だったのかもしれません。
ですから、何枚も出しているアルバムには、ユーミンや後に結婚した井上陽水あたりが堂々と良い楽曲を提供していますし、近年は現代音楽の巨匠たる武満徹が残した大衆曲を歌うという、驚くべき活動も出来たんじゃないでしょうか。
う~ん、それにしても、このシングル盤はA面がNHK少年ドラマ、B面が日活ロマンポルノという、共に主題歌のカップリングとしては恐ろしき正逆!?!
まあ、それゆえに発売時期をずらしたのは意図的なのかもしれませんが、これも昭和歌謡曲のひとつの側面として、ご堪能下さいませ。
ニューミュージックだって、歌謡曲だよなぁ~♪
>結局はそれも新手の歌謡曲
昭和37年生まれの私は歌謡曲とニューミュージックは切れたものという認識でしたが、面一とは。
こちらを拝見させていただいて少し分かってきたような気がします。
毎度、コメントありがとうございます。
昭和歌謡曲は基本的に朝鮮半島モードと米国スタンダードのユダヤ人モードという、ふたつの流れが折衷しているように思います。
それを一番上手く表現して歌ってくれたのが、橋幸夫かもしれません。
それと吉田拓郎やユーミンあたりが書いた曲を堂々と歌う昭和歌謡曲のスタアの存在も、侮れません。
歌謡曲とニューミュージックは「切れている」と思わせたのは業界の戦略じゃないでしょうか? 実質的に日本語で歌われていたら、それは歌謡曲から逃れられない宿命があって、はっぴいえんどが日本語ロックの大御所となったのは、松本隆の歌詞が従来の歌謡曲のビートから逸脱するものを秘めていたからかもしれません。
もちろん松本隆が、後には歌謡曲をリードする作詞家になったのも、不思議ではないのです。
長々と屁理屈、ご容赦願います。
付録の解説は彼が書いていて、当時まだアルバイトだった彼は色んな雑用をやったり、エキストラとしてあのドラマに出演(浜辺に打ち上げられた死体役)したりもして真冬だったし凄く寒かったそうです。
オールロケというのはNHK少年ドラマシリーズ初のことで、それまで番組テーマはインストだけだったこともあり、そこに「主題歌」を入れたらどうかと何気に監督に進言したら「いいね、それ。じゃあ君、書いて」となってしまったらしいです。
作詞はかなり難航して、音楽打ち合わせ当日の朝になっても出来なかったので、仕方なく怒られようと諦めてコーヒーを飲んだとき、やっぱり何も持たないで打ち合わせに行くのは気が引けるので、新聞折込の裏にテキトーに書いて出来ちゃったのが「遠い海の記憶」なんだそうです。
音楽担当(樋口康雄)に気に入られたのを幸いに、歌手の人選でも「石川セリにしてもらえるならギャラはいらない」とかいって、その希望を通しちゃったらしいです(ギャラはちゃんと貰って)
ところで日本の歌謡曲が基本的に朝鮮半島モードと米ユダヤモードの折衷というのは、戦後の日本統治作戦と通じるところがあって説得力がありますね。
本来切れてない、争う必要のないところを争わせるのなんかホント同じ考えっぽいです。
また来年は靖国参拝が良い悪いとか始まるのかなあ。。。
もういい加減なんかおかしいなとか思って貰いたいですねぇ。
貴重なお話、ありがとうございます。
石川セリ起用も、説得力がありますねぇ~♪
そういう裏話は、後年になるほど重みが出てくるわけでして、リアルタイムでは苦労話だったところに良さがあるんじゃ~ないでしょうか。
何事も安易に出来あがっては、面白みもありません。
それと「靖国」問題は他国の内政干渉であり、戦犯云々なんて事は勝った側の理屈でしょう。
なにはともあれ、祖国のために散華された英霊を欺くようなことは、特に政治家ならば絶対にやってはならない事でしょう。
信教の自由はあれど、立場と義務を疎かにしたら、それこそ笑われますよ。
今そこ、真摯に向き合うべきと考えています。