■花の手拍子 / 英亜里 (CBSソニー)
民謡から歌謡曲に転じて成功したスタアの多くは、一般的な意味での歌唱力に加えて、個性的なセンスを持っていた事を鑑みれば、英亜里(はなぶさあり)も忘れられません。
特に本日掲載のシングル盤A面曲「花の手拍子」は、発売された昭和43(1968)年の我国音楽状況の中にあっても、なかなかお洒落なサウンドと彼女持ち前の民謡調のコブシが絶妙の按排で楽しめる傑作として忘れられません。
とにかくライトタッチのラテンフィールにジャズっぽいギター、意図的に薄くしたが如くストリングの存在もさることながら、フックの効いたメロディ展開のイヤミの無さは流石、浜口庫之助の作詞作曲と納得して感服ですよ♪♪~♪
もちろん森岡賢一郎のアレンジが冴えている事は言わずもがな、あくまでも英亜理のボーカルがメインから外れない仕掛がニクイわけです。
う~ん、これぞ昭和歌謡曲の底力!
もう、何も言えず、書けませんですよ。
つまり皆様には、ぜひともお楽しみいただきたいと切に願うばかりであります。
ということで、最後になりましたが、妙な病を患って、指の動きがぎごちないサイケおやじは、そのリハビリという大義名分を得て、キーボード、もちろん楽器のですが、それを買おうと画策しています。
フェンダーローズが欲しいんですが、流石にそれ無理ですから、あれこれネットで探索しては、ニヤニヤするのも楽しいのでした。
ちなみに一昨年だったかと思いますが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーで「GOLDEN☆BEST limited 英 亜里」 の廃版CDの復刻企画があり、申し込んでいたら、突然この1月10日に「予定数に達したため、制作します。」との返事が来て先日手に入れました。全24曲 浜庫、平尾昌晃、三木たかし、千家和也、岩谷時子などそうそうたる先生方による楽曲でしたが、そこそこのヒットはやはり「花の手拍子」くらいでしょうか?ビクターに移籍後、マヒナスターズの「愛してはいけない」 をカバーしてますが、これはまた彼女にぴったりの良い曲です。
コメント&フォロー、感謝です。
彼女がフォーリーブスと同期デビューとは知りませんでしたが、そういえばその頃はテレビに出まくっていた記憶が強くあります。
おそらくは今も彼女の人気が高く、というよりも、忘れられない魅力に虜なんでしょう。
CD復刻は、めでたいかぎり♪
お元気でお過ごしでしょうか
このコーナーも活性化のために使わせて頂きます。
今は満々の水をたたえる樽床ダムも、湖底には樽床集落がその長い歴史とともに沈んでいます。
国土開発を説く広島県と中国電力K.Kの強い要請でやむなく立ち退きを容認したのが、昭和32年7月31日。
住み慣れた我家を棄て幼いころから親しんできた人々と別れ、朝夕に見てきた野山を後にして、370人が後髪をひかれながら、ちりじりに故郷を離れていったのです。
そして同日(昭和32.7.31)にダムが完成
田畑71、6ha(72,2町)、山林原野254,8ha(256,8町)、神社1棟、小・中学校々舎1棟、家屋73戶の集落ひとつが、すっぽりとダムの底となったのです。
十数年たった今も、故郷を失った悲しみは深く、故郷の念はつのるばかりです。
国の発展のために、涙をのんで犠牲となった樽床集落の人々の気持ちを、今一度この“樽床湖哀歌”により押しはかっていただければ幸いです。
作詞:高藤 整 作曲:越部 信義 歌:英 亜里
「花の手拍子」が陽であれば「樽床湖哀歌」は良い意味での陰ではないでしょうか?
それにしても“英 亜里”さんの歌唱力には脱帽です、そしてファルセットの心地良さ♪心をこめて歌い上げるその志誠に涙腺がとまりません、表には出ませんが“英 亜里”さんは本当に凄い歌手です!♪
5月11日から14日までの4日間「古都の雨」のキャンペーンのため彼女は、京都 大阪をおとずれた。
円山公園で舞妓さんに会い曲名の入った蛇の目傘をプレゼントしたり、観光客やバスガイドに歌唱指導をしたり、東映撮影所の「銭形平次」のセットに大川橋蔵を訪問したり、マイクロバスを使って立体的に新曲のPRを行なっていた。
東京生まれ、東京育ちの彼女だが、そのしっとりとした純日本的ムードが、古都の風情ととけあって見事な効果をあげていた。
’69.5の記事(’69.3月21日発売「古都の雨」)
CBSソニーレコードのロゴマークがはいった宣伝カーで巡業先を回っていたのでしょう。
このころから私が描いていた理想像人でした。
CBSソニー唯一の艶歌歌手として今年は大いに気を吐きそう
無口なことでは人後に落ちない“おすまし屋”さんだが、内に秘めた根性は仲々のもの。
毒舌おじさん・前田武彦が“大仏さま”と命名しても、まるで反応示さず、大物の片鱗をうかがわせている。
’1969年4月1日「読切文庫」
深川木場の川岸(後方には橋が)に腰をおろして佇む“英 亜里さん”♪本当に絵になります。
(当時 純下町深川は木場の町として栄えてました、その地で生まれ育った“英 亜里さん”が羨ましいです)
“英 亜里さん”の「うみねこ音頭」でした 1969、12月リリース「逢いみての」のB面でこの地をテーマにした正式な音頭歌謡です。
勿論のこと直ぐにターンテーブルに針を落とし聴きました。
♪ハアー
船は出て行くしぶきをあげて ハヨイショ
蕪の花咲く蕪島のうみねこさんも
勢揃い コリャ
白いつばさが 白いつばさが手を振る様に サテ
大漁祈って大漁祈ってソレ舞いあそぶ
♪ハアー
唄で知られた八戸みなと ハヨイショ
紅い夕日に照らされてうみねこさんも…省略
♪ハアー
年に一度蕪島まつり ハヨイショ
島の社は厳島…~省略
、
加山雄三 作曲、小桜葉子 作詞の「りんどう小唄」と共に好きな曲です。
オープニングの曲は勿論「花の手拍子」を歌われました。初めてのハワイ公演と言うことも有り少し緊張う気味ではありましたが、これぞプロの歌をオワフ島のお客様に聴いて頂く良いチャンスでしたのでしょう。!♪
ここで順番に歌われた曲目を紹介いたします。
①花の手拍子②鹿児島小原節③旅姿三人男
④ハワイアンウェディングソング(デニス大城とのデュエット)
⑤愛してはいけない⑥ここに幸あり⑦旅の夜風
全七曲を熱唱しましたが、圧巻はファルセットを有効に生かした「ハワイアンウェディングソング」で司会者からも素晴らしいと絶賛されてました。
私が思ったのは“英 亜里”さんの声の良さで何時間でも聴いていたいですね(司会者とのトークのお声最高!)
P.S 事務所の後輩“中山恵美子”さんも出演されました。そして最近亡くなられたスチールギター奏者の山口軍一さんも飛び入りでスチールギターを披露してました。
点と点を結んで考えていくうちに、彼女の生い立ちや兄弟家族のことなど知りたくなりました。
最初のヒットからそれを凌ぐヒットが出ないことへの
いらだちなど、周りの期待にそぐえず、ずいぶん悩まれたことだろうと推察すれば 可愛そうな気持ちがわいて来ます
無口な彼女のことだから、だれにも打ち明けず深い孤独を味わい続けたに違いないと思うからです
歌手生活の後半の歌にそれが表現されています
私は若いときの希望いっぱいで色彩豊かな艶のある
歌声も 後半の人生を感じさせる歌も どちらも大好きです、
新しく入手した 民謡アルバム 花物語(LP)
をたっぷり聴いて新しい発見をしたいと思っています
今後ともうれしい情報よろしくお願いいたします。
この空間は一種独特の雰囲気があり、多くの歌手やコメディアンは一度は通る登龍門的な場所(円卓ステージ)であったことには間違いないでしょう・・・?
また客層は様々でホロ酔客!、泥よ酔客!シモネタを連呼する客、いはや実に楽しめる楽天地そのものです。
このステージで“英 亜里”さんが歌われた曲を紹介します。
①古都の雨 ②メドレーで“旅の夜風”すみだ川”関東春雨傘”お吉物語”旅の夜風”以上5曲
③愛はひとすじ④雨の鎌倉(キャンペン曲)⑤アンコールで“花の手拍子”
私のボックス席には中年のホステスが2名ほど付いてましたが、視線の先は♪花歌謡“英 亜里”さんに釘ずけでした。(心境を察するところ苦痛では・・・?)勿論デンスケで録音~!♪
さて疑問点を幾つか述べたいと思います。
“英 亜里”さんは生れも、育ちも、東京深川ですが、一時 日本橋“蛎殻町”にも移り住んでいました。
“英 亜里”さんには兄弟はいません・・・・・・しかし!?
お父さんは公務員、お母さんは専業主婦です。
“英 亜里”さんは熱烈な 三田 明さんのファンでした。
乱筆ご容赦ください
メドレー曲、最後は“旅姿三人男”でした。
失礼いたします。