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サイケおやじの生活と音楽

追悼・鈴木淳:なみだ恋に涙する…

2021-12-14 18:09:21 | 追悼

なみだ恋 / 八代亜紀 (テイチク)

我が国の歌謡界に大きな足跡を残した作曲家・鈴木淳の訃報に接しました。

故人の作った名曲の数々は、それこそエバーグリーンな歌謡曲として、今も聴き継がれ、また歌い継がれていくに違いありませんが、サイケおやじが故人の天才に感服させられるのは、歌詞にジャストミートのメロディを書けるところであり、また同時に、それをオリジナルバージョンとして歌うボーカリストの個性や良い部分を引き出せるプロデューサー的な働きです。

それは例えば伊東ゆかりの「小指の想い出」、小川知子の「初恋のひと」、黒木憲の「霧にむせぶ夜」、ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」「朝がくるまえに」「四つのお願い」等々、数えきれませんが、何れも演じた歌手がトップスタアに成長したのも、鈴木淳の手腕があればこそっ!

ですから、ど~しても外せないのが、昭和48(1973)年2月に発売されるや、忽ち大ヒットして、八代亜紀を今に至る大スタアに押し上げた本日掲載のシングル盤A面曲「なみだ恋」でありましょう。

もちろん、楽曲そのものについては皆様ご存じのとおり、これを耳にした事が無い日本人は皆無と思われるほどに素晴らしい哀愁の盛り場歌謡なんですが、サイケおやじとしては、まずは故人の細君・悠木圭子の書いた絶品の歌詞が素晴らしく、そして附されたメロディを哀愁たっぷりに節回す八代亜紀の歌唱力の凄さこそが、三位一体となった傑作の要因と思うばかり (^^♪

加えて、当然ながら、小谷充のアレンジも秀逸ですし、そのあたりを俯瞰してメロディを紡いだ鈴木淳の懐の深さは、流石!

ちなみに故人の前妻は、これまた作詞家として売れっ子の有馬三恵子であり、彼女とのコンビにおいても、前述「小指の想い出」が決定的な代表作と思えば、常に歌詞の世界を尚更に印象づける作曲の作法(?)は、やっぱり天才の証じゃ~ないでしょうか。

それと決して忘れられないのが、昭和45(1970)年にスタートした伝説のテレビオーディション番組「全日本歌謡選手権(日本テレビ)」におけるメイン審査員としての活動であり、ここからは五木ひろし、天童よしみ、そして八代亜紀が勝ち抜いて、その実力を満天下に知らしめたのですから、これからも語られ続けるに違いありません。

一説によると、ちあきなおみとの確執(?)から、次のスタア歌手を探していたところで発見したのが、八代亜紀!?

そんな、これまた「運命の伝説」も、この「なみだ恋」には秘められているとしたら、何度聴いても、せつない歌心に心が揺さぶられるのが、サイケおやじの偽りの無い本心です。

そんなわけですから、同年夏に東映で制作公開された歌謡映画としての「なみだ恋(齋藤武市監督)」には、中島ゆたか、谷隼人、片山由美子、等々と共に八代亜紀もクラブ歌手本人として登場しているんですが、この作品は、ちょい前にCS東映チャンネルで放映されましたので、再放送があれば、お楽しみくださいませ (^^♪

最後になりましたが、この大ヒット曲「なみだ恋」の舞台は新宿であり、ですから当時、その界隈で下積みを重ねていた岡千秋、徳久広司、すぎもとまさと等々、現在の歌謡界を牽引している作曲家の名匠達が大いに触発されていたという逸話も、折々に語られているんですから、そんなところも、鈴木淳の功績のひとつかもしれませんねぇ……。

最近は、追悼を綴る事が増えた拙ブログではありますが、偏に諸行無常では拭いきれない思いが、サイケおやじには確かにあります。

そんな時にこそ、歌謡曲が尚更に胸に染入るわけですが……。

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

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1 コメント

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新宿小僧 (大のベンチャーズ・フリーク)
2021-12-14 20:40:45
“なみだ恋”  テイチクレコード


夜の新宿 裏通り
肩を寄せあう 通り雨
誰を恨んで 濡れるのか
逢えばせつない 別れがつらい
しのび逢う恋 なみだ恋


夜の新宿 こぼれ花
一緒に暮らす しあわせを
一度は夢に みたけれど
冷たい風が 二人を責める
しのび逢う恋 なみだ恋


夜の新宿 裏通り
夜咲く花が 雨に散る
悲しい運命を 占う二人
何故か今夜は 帰したくない
しのび逢う恋 なみだ恋


当時会社に入って3年目社長が熊本出身のためか八代亜紀の大ファン勿論支持してました。飲み会などでは必ず亜紀ちゃんの曲を歌ってました。
新宿育ちの私としては良い想い出が蘇ってきます。偶然にも社長のご自宅は四谷左門町でした。
とにもかくにもトワイライトゾーンに飛び込んだ感じです。
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