OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

世の中、儘ならず

2012-03-21 15:57:42 | Weblog

行く先々でトラブってばかり……。

誰が悪いというわけじゃなくて、巡り合わせが宜しくないんでしょうねぇ。

そう、納得しないと、やっていけない感じです。

う~ん、思わず愚痴になってしまいました。

本日の1枚、またまたの休載共々、ご容赦お願い申し上げます。

 

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自然には勝てない…

2012-03-20 15:30:38 | Weblog

出張の予定が大狂いのため、本日の1枚は休載、ご理解願います。

それにしても、この時期に大雪で飛行場閉鎖なんて、あるんでしょうか?

自然の驚異、痛感してます。

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夢のような夢のディープ・パープル

2012-03-19 15:04:01 | Pops

夢のディープ・パープル / Nion Tempo & April Stevens (Atoc / 日本ビクター)

さて、本日ご紹介の「夢のディープ・パープル / Deep Purple」もまた、サイケおやじの子供心に刷り込まれた名演名唱のひとつです。

というか、「夢のディープ・パープル / Deep Purple」は本来、古い歌物スタンダード曲であって、このシングル盤で演じられたバージョンとは別物に聞こえるほど!?

つまり如何に突飛(?)なアレンジが用いられたか、そしてそれゆえにR&Rの影響下にある白人ポップスがすっかり大衆音楽の主流となった1963年に大ヒットしたのか、その理由も後付けながら納得されるのですが……。

まあ、とにかくニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスの姉弟によって演じられた「夢のディープ・パープル / Deep Purple」は、その邦題どおり、フワフワとした気持良さが満点♪♪~♪

ですから我国のラジオでもリアルタイムの当時から昭和40年代には、何かにつけて流される事が多かったので、曲名は知らなくとも、メロディや歌声は必ずや一度は耳にされた皆様も大勢いらっしゃると思います。

そしてサイケおやじは、その頃に我が家に下宿していた叔父がこのレコードを持っていて、時折に鳴らしていた事から、もうすっかり少年時代から虜になっていたというわけで、このシングル盤も元々は叔父の所有物を永久貸与された1枚です。

肝心のニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスは、このシングル盤ジャケットには写っていませんが、殊更エイプリル・スティーヴンスはハリウッド芸能界にスカウトされたほどの美貌とスタイル抜群のルックスで、しかも甘くてセクシーな声質とイヤミの無いメロディフェイクの感覚も含めて、完全にサイケおやじのストライクゾーンにど真ん中!

結論から言うと、この「夢のディープ・パープル / Deep Purple」のキメになっている絶妙の「語り」は、ここで射精してもOKって感じですよねぇ~~♪ もちろん、それすらも「歌の上手さ」の一部であることは説明不要と思います。

一方、ニノ・テンポはサックスやクラリネット等々のリード楽器奏者として、ジャズやポピュラー音楽の世界で少年時代から活動していたらしく、あのフィル・スペクターの仕事も手伝っていたところから、アトランティックレコードのオーナープロデューサーだったアーメット・アーティガンとコネが出来たようですが、実はアーメット・アーティガンは既に人気のあったエイプリル・スティーヴンスがお目当てだったと……。

まあ、そのあたりの真偽はさておいて、とにかくレコーディングされた「夢のディープ・パープル / Deep Purple」のアイディアとアレンジはニノ・テンポによるものだったのですが、デモテープ作りの段階で偶然(?)に録音されたエイプリル・スティーヴンスのナレーションが好感触♪♪~♪

そこで二番目を歌うニノ・テンポのパートに被せる形で彼女の語りを入れたのが、やはりヒットの秘訣だった事は否定出来ないはずです。

ちなみに実際のマスターレコーディングは10分間ほどだったという逸話は有名で、サイケおやじも以前にラジオの深夜放送でDJの糸井五郎が喋った事の受け売りではありますが、ダラダラやっても決して良いものは出来ないという証明になったわけですよね。

ということで、これは良い「曲」というよりは、良い「バージョン」というべき傑作です。特に今頃の、もうじき春という季節には、その到来を待つ嬉しい予感、あるいは春だけのウキウキ感が、まさに夢のようにリスナーを包んでくれる事が必定♪♪~♪

最後になりましたが、エイプリル・スティーヴンスは本当に素敵な女性歌手で、ここには掲載出来ませんが、ぜひとも皆様にはネットで検索し、彼女の魅惑的なお姿に接していただきとうございます。

また、結局は果たせませんでしたが、個人的にはエイプリル・スティーヴンスのコンプリートコレクションも、ある時期にはやっていた事を告白しておきます。

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お彼岸の呆れた話

2012-03-18 15:53:07 | Weblog

彼岸の法要でお寺に行ってきたんですが、住職から仰天の報告がありました。

それは先日夜、本堂の横の墓場でAVの野外露出物の撮影があったとか!?

もちろん住職には無断ですから、発見して即一喝!

相手は逃走したものの、転倒したひとりを捕まえて、警察に連絡したそうです。

実はその現場、なかなか見事な梅の古木があるんで、狙いたくなる気持ちもわかりますが……。

しかし、ねぇ~~。

お墓もきっちり映り込むわけですから、「家名」がそういう映像に入ることを許せる人、いますかねぇ?

当然ながら、撮影責任者は後日、寺にやってきてマスターテープを提出、謝罪したそうです。

ということで、本日は騒動のご報告になりました。

そしてこれから、ぼたもち食べます。

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霧の中の素敵なメロディを思い出す

2012-03-17 15:47:53 | Pops

霧の中のジョニー / John Leyton (Top Rank / 東芝)

洋楽ヒットに日本語の歌詞がつけられて、それが歌謡曲として流行ってしまう事象は、今でも立派に通用する業界の常套手段ですが、本日ご紹介の「霧の中のジョニー / Johnny Remember Me」も、オリジナルのジョン・レイトンよりは克美しげるのデビュー曲として記憶されている皆様が多いと思います。

もちろんサイケおやじも充分にそのひとりであって、それは昭和36(1961)年の事ですから、あの「ジョォ~ニ~、リメンバァ~ミ~」というキメが子供心に強い印象として残されているんですねぇ~♪

しかし、これがジョン・レイトンのオリジナルバージョンになると、さらに鮮やかなサウンド作りの妙が堪能出来まして、何故、原題「Johnny Remember Me」が邦題「霧の中のジョニー」とされたのか納得されるのです。

それはもちろん、歌詞の最初の一節が「When the mist's a-rising」である事にもよりますが、全体にアップテンポで、何やら西部劇の主題歌のような曲メロが軽いタッチで展開される時、イントロからのSEも含めて、サウンドの作りそのものが「霧の中」のようなミステリアスなムードに包まれているからだと、サイケおやじには感じられるのですが、いかがなもんでしょう。

そして実はプロデュースしたのが、トルナドースの「Telstar」でもお馴染みの効果音を巧みに使ったスタジオの魔法が得意というジョー・ミークであれば、尚更の事です。

ちなみに歌っているジョン・レイトンはイギリスの二枚目俳優として、1960年代には相当な人気者でしたが、劇場用映画は有名な「大脱走」での活躍はあるものの、どちらかと言えばテレビドラマが中心でしたから、掲載したシングル盤ジャケ写のイメージどおり、昭和42(1967)年頃に我国でも放送されていた「ジェリコ」のような戦争スパイアクションが十八番の当たり役!

しかし歌手としては、この「霧の中のジョニー / Johnny Remember Me」をイギリスのチャートトップにして以降、幾つものヒットを放っていますが、我国では慣例というか、発売楽曲の多くが例えば原題「Lonely City」を「霧の中のロンリーシティ」という邦題で出したように、「霧の中=ジョン・レイトン」という印象が如何にも当時の洋楽事情♪♪~♪

それと今日の日本では言わずもがなの定説ではありますが、大滝詠一が太田裕美に書いた「さらばシベリア鉄道」は、あまりにも「霧の中のジョニー / Johnny Remember Me」をモロパクリしていて、かえって潔いほどです。

そのあたりも含めまして、この曲は完全に日本人の琴線に触れる要素に溢れているんでしょうねぇ~♪

ということで、私有のシングル盤は再発物ですし、克美しげるの日本語盤も入手出来ていませんが、しっかり楽曲はサイケおやじの中に刷り込まれています。

そして願わくば、克美しげるの音源も復刻して欲しいわけですが、例の事件で服役~仮釈放中に悪いクスリの再犯では、やっぱり無理でしょうか。関係者やファンの熱意は、それを待っていると思うのですが、結論は霧の中……。

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欲しくなった新型iPad

2012-03-16 16:06:03 | Weblog

例によって旅中なもんで、本日の1枚は休載、ご理解願います。

しかし、それにしても発売されたばかりの「新型iPad」を、こんなところで!?

という場所で見せていただきましたが、これが噂どおり、画質が綺麗です。

う~ん、欲しい、欲しい、欲し~~い!

そう思わせた事だけで、これは「勝ち組」ってやつなんでしょうねぇ~。

問題の音声認識は、どうなのか?

持ち主も懐疑的で、いろいろテスト中だそうですが、何れにしても楽しみにちがいないでしょう。

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ルーベッツはプロのお仕事

2012-03-15 15:53:30 | Pops

Sugar Baby Love / The Rubettes (Polydor)

洋の東西、とにかく流行歌は売れたもん勝ち!

特に未だラジオがそうしたメディアの中心だった頃の我国洋楽事情においては、殊更な言葉の壁がありましたから、キャッチーなメロディラインやリズムパターン、印象的なリフやコーラス等々、直截的にリスナーの耳へ訴えかけてくるものが必須とされました。

で、本日ご紹介の「Sugar Baby Love」は、まさにその点を見事にクリアした永遠の名曲であり、1974年春先頃からラジオや有線で流れ始めるや、忽ち大ヒットした記録した傑作です。

演じているルーベッツはイギリスのバンドで、これがデビュー作ながら、ジャケ写からも一目瞭然という、アイドルにしては些か年齢が高く、しかしロックバンドのイメージも希薄という、今となっては中途半端な印象を持たれてしまう存在かもしれませんが、当時はこうした所謂ミドル・オブ・ザ・ロード=MORのグループが数多登場し、様々に素敵な歌な演奏を聞かせてくれた歴史は否定しようもありません。

以前にご紹介したエジソン・ライトハウスクリスティーホワイト・プレインズ等々の楽曲優先グループにしても、そうした属性が顕著ですし、逆に言えば英国や欧州各地をメインにする市場の需要が高かったということでしょう。

そして当然の如く、我国の洋楽はビートルズ以降のイギリス贔屓でしたから、推して知るべしとは言え、楽曲の良さは大きな魅力♪♪~♪

なにしろ初っ端から脳天直撃のハイトーンコーラスが覚え易いメロディを歌ってくれますし、シンプルでノリの良いリズムとボーカルの相性は、もう、これ以上は無いと思えるほどです。

ちなみにメンバーはアラン・ウィリアムズ(vo,g,key,per)、ミック・クラーク(g,b,vo,per)、ジョン・リチャードソン(ds,per,vo)、トニー・ソープ(g,key,vo)、ビル・ハード(key,vo)、ピーター・アーニセン(key,vo) が初期の顔ぶれと言われていますが、後に知ったところでは、彼等は本業がスタジオミュージシャンであり、ルーベッツとしてのレコードデビュー以降も、各々がマルチプレイヤーとして様々な歌手やグループのバックバンドを掛け持ちでやっていたそうですから、この「Sugar Baby Love」の世界的メガヒットは瓢箪からコマだったんでしょうか?

そんな所為もあって、実際のライプ巡業では常にバンド構成が変化していたという説もありますが、一貫しているのはアラン・ウィリアムズのリードボーカル! まさに彼こそが、ルーベッツだったのかもしれません。

しかも彼等の偉いところは、相当なキャリアと腕前がありながら、見事なほど芸能界どっぷりを演じていたことで、それは悪趣味寸前の衣装のダサい雰囲気にも表れていますが、テレビ出演ではしょ~もないコントをやっていたり、ステージでのミエミエに媚びたアクションやキザな語り等々、全くの臆面の無さは逆にプロ意識と敬服すべきものでしょう。

ちなみに知り合いのイギリス人から仕入れたネタではありますが、当時を過ごした少年少女たちは長じてからも、白い帽子を被ると「ルーベッツ!」とおどけるのが定番だとか!?

それほど刷り込まれたグループなんですよねぇ~、ルーベッツは♪♪~♪

ですから、続けて1970年代後半には幾つかのヒット曲を放ち、現在でもメンバーは入れ変わっていますが、きっちりバンドは存続して、今日も元気に営業をやっているそうです。

ということで、こうやって書いてしまうと、何かバブルガム系のコミックバンドみたいですが、音楽的な部分では、例えば「Sugar Baby Love」にしても、全体としてビーチボーイズを徹底的に研究した痕跡が散見されますし、ルーベッツの本質的なポップセンスはアレンジや演奏諸々に隠し様も無く、それも不滅でしょう。

そして最後になりましたが、この曲を書いたのはウェイン・ビッカートン&トニー・ワディングトンとクレジットされていますが、それには様々な諸説があって、既に述べたように1970年前後のビーチボーイズ風味が強いこともありますから、案外と有名なミュージャンかプロデューサーの仕業かもしれませんねぇ。

あっ、そういえば我国の女の子アイドル2人組として一時は爆発的人気があったウインクも、日本語バージョン、歌っていましたですね♪♪~♪

やっぱり名曲、不滅の法則だと思います。

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やっぱり、こっちのビーチボーイズ

2012-03-14 15:05:29 | Beach Boys

Dance, Dance, Dance c/w 太陽あびて / The Beach Boys (Capitol / 東芝)

本当は待望久しいと言うべきなんでしょうが、個人的にはイマイチ期待していないのがビーチボーイズの再集結と新作発表、そして予定されているらしい来日公演の諸々です。

なにしろバンド結成50周年ですからねぇ~、そりゃ~、正直、分かりますけど、サイケおやじが懸念しているのはブライアン・ウィルソンばかりか、最近は他のメンバーでさえ固執(?)している「ペットサウンズ」や「スマイル」への姿勢で、もしもそれがライプで再現されるとしたら、なんだかなぁ……。

だって、率直に言って、ビーチボーイズが一番輝いていたのは、それ以前の時期でしょう。

もちろんサイケおやじだって、「ペットサウンズ」は最高に素敵なアルバムだと思いますし、「スマイル」だって未だ難解だと自覚しつつも、先日ようやく公表された集大成ボックスはゲットしたほど、これはなかなか無視出来ない領域だと認めているところです。

しかし、それは本当に近年の世評による後押しがあっての事で、現実的にはリアルタイムでのヒット盤では無く、ビーチボーイズ本隊とブライアン・ウィルソンが決定的に対立する火種だった事実は一概に過言ではありません。

そこで思い出されるのが、サイケおやじも出かけて行った昭和54(1979)年8月の二度目の来日公演で、それは「Japan Jam」と銘打たれた江の島での野外ライブだったんですが、他にもファイアー・ホール、ハート、そして日本のバンドとしてサザン・オール・スタアズ等々が登場の大イベントでした。

で、この時の一番の注目点は「ブライアン・ウィルソンが入ったビーチボーイズ」という、日本のファンにとっては非常な関心事で、なにしろ前回の初来日では、ブライアン・ウィルソンが巡業には不参加という既定路線に入っていましたからねぇ~~。

残念ながらデニス・ウィルソンは怪我を理由に休んではいたものの、マイク・ラブ、カール・ウィルソン、アル・ジャーディン、ブルース・ジョンストンに数名のサポートメンバーを入れた陣容は、まさに夢の出来事だと、サイケおやじは舞い上がっていましたですねぇ、実際にライプがスタートするまでは。

ところが肝心のブライアン・ウィルソンはキーボードの前に板付状態……。

時にはベースも担当していたような記憶もあるんですが、おそらくは楽器も、ボーカルマイクもオフ設定だったと思うほどの飾り物だったんですよ。

しかも演じられた代表曲の数々の中でウケていたのは、往年のサーフィン&ホットロッドのヒット曲だけで、1960年代半ば以降の例えば「Darlin'」や「Do It Again」等々になると観客のノリが急激に低下し、さらに1970年代のリアルタイムの演目なんて、もう悲惨なほどに……。

ちなみに、この時のビーチボーイズは決して手抜きでは無かったと思いますし、サポートメンバーを入れたライプステージは既に当時の定番構成でしたから、個人的には違和感を覚えるほどではありませんでした。

むしろマイク・ラヴを先頭にしたグループとしての旺盛なサービス精神は感度良好♪♪~♪ 歌もコーラスワークも演奏も、なかなか纏まりがあった印象です。

そしてビーチボーイズは、やっぱり「ペットサウンズ」以前だよなぁ~~♪

絶対の確信を得ましたですねぇ~♪

さて、そこで本日ご紹介のシングル盤はアメリカでは1964年晩秋、我国では翌年早々に出た、まさに急所を突かれたような素敵なカップリング♪♪~♪

なにしろA面の「Dance, Dance, Dance」からして、実にノリが最高というビーチボーイズ流儀のR&Rであり、痛快なギターリフと複雑なベースラインの混在は明らかに狙ったものでしょうが、これは見事な大正解だと思います。

しかも様々な打楽器を使用した厚みのあるサウンド作りも侮れません。つまり各方面で言われている、フィル・スペクターに対する挑戦的恩返しという証明なのでしょうか? 翌年春に出される名作アルバム「トゥデイ!」の見事な予告編となって、サイケおやじは大好きです。

一方、B面の「太陽あびて / The Warmth Of The Sun」は同年春先に出していたアルバム「シャットダウン Vol.2」からカットされた、素晴らしすぎるスローバラードの決定版で、美しくも儚い心象風景がジンワリと焼きつけられる感動の名曲ですよ。

あぁ、最初っから最後までファルセットで歌うブライアン・ウィルソンを他のメンバーが綺麗なコーラスワークで彩る構成こそ、ビーチボーイズの真骨頂じゃないでしょうか!

本当に何度聴いても、泣けてきます。

ということで、このあたりの刹那の快楽性こそが、サイケおやじにとってはビーチボーイズの最高点でありますから、すっかり濁り声になってしまったブライアン・ウィルソンやノリが衰えたマイク・ラブ、また失礼ながら結果的に形骸化しつつあるビーチボーイズに過大な期待は禁物と思うわけです。

しかし同時に、もしかしたら……!?

そう思いたい気持も確かに有るんですから、予定されている今年の来日公演が夏頃という噂には、ちょいとばかりのウキウキ感が、う~ん、この自己矛盾!?

それを解消するためには当分の間、初期ビーチボーイズを聴きまくる他は無いと思うのでした。

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アメリカンズというイタリア系白人グループ

2012-03-13 16:04:11 | Pops

This Magic Moment / Jay & The Americans (United Artists / キング)

現在から見た表層的ロック&ポップス史では、1960年代からはバンドスタイルのグループが主流となっていた感さえありますが、実際のヒットパレードでは相当数のコーラスグループが活躍していました。

中でもアメリカ東海岸地域で殊更盛んだった所謂ホワイト・ドゥーワップ、つまり白人によるR&B系のコーラスグループは、その普遍的親しみ易さゆえに長年のファンを掴み、本日ご紹介のジェイ&アメリカンズも決して忘れられません。

しかし、もちろん彼等は、本国アメリカではどうなのかは知る由もありませんが、我国では同系最高のグループだったフォー・シーズンズの様に派手な人気があったわけではなく、それでもラジオから流れてくるジェイ&アメリカンズの歌声による素敵な楽曲はその都度、ハッとするほど良い感じ♪♪~♪

特に掲載したシングル盤A面曲「This Magic Moment」は大好きでしたねぇ~♪

そしてジェイ&アメリカンズこそ、サイケおやじがアメリカ東海岸のポップス系音楽業界のあれこれを探索する足掛かりとなったグループのひとつなんです。

メンバーはジェイ・ブラックをリードボーカルに、ケニー・ヴァンス、サンデー・ディーン、ホウイ・ケーン、マーティ・サンダースの5人が全盛期の顔ぶれとされていますが、当然ながら1959年の結成から1961年の公式デビュー以降も度々のメンバーチェンジがあった事は言うまでもありません。

なにしろグループの看板であるジェイが、その時既に二代目であり、最初に参加していたジェイ・トレイナーがレコードデビュー翌年に脱退した事から、代役で入ったデヴィッド・ブラックが「ジェイ」に改名させられたという真相は如何にも芸能界でしょう。

ちなみに、彼等もフォー・シーズンズ同様にイタリア系アメリカ人いう系譜は、様々な点において深い意味合いがあるのかもしれません。

それとグループの黒幕というか、その裏方には当時第一線のソングライターコンビにして各方面のプロデュース活動も手広くやっていたジェリー・リーバー&マイク・ストーラーの存在があり、それゆえにコネや楽曲にも恵まれていたわけですが、実質的にグループのリーダー格だったケニー・ヴァンスの人脈や先進性も調べるほどに侮れません。

なんとっ! この「This Magic Moment」をヒットさせていた1969年春頃の巡業用バンドには、後にスティーリー・ダンとなるドナルド・フェイゲン&ウォルター・ベッカーが雇われていて、既に例のミョウチキリンな歌を作っていた2人の良き理解者として、デモテープ制作を手助けしていたというのですからねぇ~!?

また他にも末期ラスカルズとの交流やアメリカ東海岸の芸能界に脈々と受け継がれてきたイタリア系ミュージシャンの多くが、何らかのルートでジェイ&アメリカンズに関連している事象は知るほどに唸ってしまうばかりで、そのあたりは追々に拙プログで書いていく所存ではありますが、もちろんそれは政財界や例の裏組織にも繋がっているので……。

で、肝心の「This Magic Moment」は洒落たセンスで人気の黒人R&Bコーラスグループだったドリフターズが1960年に放ったオリジナルヒットのリメイクなんですが、なんらの遜色も無い仕上がりは好き嫌いはあるにせよ、長く聴き継がれるものと思います。

ということで、今となっては軽んじられている白人コーラスグループも、ラジオで洋楽に親しんだサイケおやじを含む世代の皆様には、なかなか忘れ難いんじゃないでしょうか。

決してロック云々では括れないところが、洋楽のひとつの魅力であって、それが1970年代末頃までの美しき流れだったとしたら、メロディ優先主義のルーツはそこにあると確信しております。

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コブシがあってこその泉アキ

2012-03-12 16:05:06 | 歌謡曲

愛を下さいマリアさま c/w 青い蝶々 / 泉アキ (フィリップス)

日本の歌謡曲を、そうならしめているのは、なんでせう?

一説によると特有の「節」を携えたメロディの基本は「朝鮮半島のモード」と言われていて、それは実際、例えばピアノの黒鍵だけを弾いていると、何かしら歌謡曲のメロディになってしまう結果は不思議な事でもありません。

そしてもうひとつ、これはサイケおやじが一番に感じていることなんですが、所謂「コブシ」という「味」も大きな要素じゃないでしょうか。

と言うよりも、サイケおやじの世代では、ある時期にそれが泥臭いものとして大いに否定され、それゆえに洋楽の影響下にある歌謡ポップスが人気を集めた流れがありますし、ニューミュージックと称される歌謡フォークの後継種も同様でありますが、しかし日本という風土に根ざしている以上、「コブシ」を否定することはナチュラルな感性として幾分の無理が……。

例えば、これはお叱りを覚悟で書かせていただきますが、山下達郎がブレイクしたヒット曲「Ride On Time」のサビは、あの「ラァ~ィドオンタァ~~ィム」という特有の節回しがあってこそで、きっと本人はそれを「黒人ゴスペルの節回し」云々と解説して下さるでしょうし、評論家の先生方も同様だと思います。

しかし天の邪鬼なサイケおやじには、そりゃ~、絶対に「コブシ」であって、確信犯だよなぁ~~!? と僭越ながら……です。

だって、それがあってこそ、山下達郎の代表曲にして、今や国民的な冬の歌になっている「クリスマス・イブ」がウケた要素は共通し、例の「サァィレンナァ~ィ、ウオホィィ~、ホォ~リィ~ナァ」というキメが活きてくるわけでしょう。

ですから、そうした「味」を否定してしまったら、「日本の歌」を楽しむ喜びを自ら減少させてしまうんじゃないでしょうか。

さて、そこで本日ご紹介のシングル盤は泉アキが昭和44(1969)年春に出した、レコード会社移籍の第一弾ですから、当時気鋭のソングライターを起用しての力作ヒットになったものです。

なにしろ、まずはA面「愛を下さいマリアさま」からして、作詞:林春生、作曲:鈴木邦彦、そして編曲:川口真という豪華強力トリオ♪♪~♪ ということはイントロから琴線に触れまくりのラララのコーラスが既に昭和歌謡どっぷりですし、バックの演奏も当時ならではの蠢くエレキベースを中心に、ヘヴィな8ビートや合の手感覚のプラス&ストリングスが全体を彩り、そして泉アキが歌う曲メロの「泣き」は言わずもがなの素晴らしさなんですねぇ~♪

もちろん、これが「コブシ」の決定版を全篇で回す彼女は声質そのものにパンチがありますから、グッと粘っこいR&Bフィーリングと演歌が見事な化学変化となっている感がありますよ♪♪~♪

しかも彼女がハーフ特有の西洋顔とグラマーな肢体であることが、こんな「コブシ」を多用せざるをえないポップな楽曲を歌うことで、ある意味の倒錯性さえ醸し出されるのですから、侮れません。

まあ、その点はリアルタイムでは童貞少年だったサイケおやじには全く踏み込むことの出来ない境地ではありますが、長じてからは、完全に制作側の意図を勘繰る他はありません。

そこでB面「青い蝶々」が、これまた同系の属性を発揮する名曲名唱で、こちらも作詞:橋本淳、作編曲:鈴木邦彦というヒットメーカーの力作! マーチングドラムがアップテンポのビートをリードするアレンジも秀逸ですが、なによりも当時のGSがやってもOKというノリの良さ、そして再び全開の「コブシ」が彼女のストレイキャットなパワフルボイスで歌われるんですから、たまりません♪♪~♪

ちなみに演奏パートでのエレキベースは、ここでも蠢きドライヴが常套手段ですから、ドラムスを所謂ニューオリンズセカンドライン風にシンコペイトさせれば、なんとなくリトルフィートが昭和歌謡曲をやってしまった味わいになるっ!?

なぁ~んて思い込みを強くしているのはサイケおやじだけでしょうねぇ……。

閑話休題。

しかし泉アキが一番輝くボーカルスタイルはロックでもソウルでもなく、やっぱりポップス系昭和歌謡曲であるという確信は揺るぎません。

また、そういう個性があったからこそ、未だ強い印象が残り続ける彼女の歌が愛されるんじゃないでしょうか。

ということで、一般的に否ポップス的であるとして、何か敬遠気味の「コブシ」を素直に受け入れられるようになると、昭和歌謡曲もさらに味わい深く楽しめるのです。

もちろんこれはサイケおやじの体験学習的結論であって、当然の如く、若い頃は「コブシ」否定派でした。

う~ん、そのあたりの境界線が何時頃とっぱらわれたのか、ちょいと自分でも定かではないんですが、今では演歌や歌謡浪曲も実は大好きな体質を鑑みれば、自分の中にそういう因子があったという事なんでしょうねぇ。

そして当然ながら、「コブシ」を楽しめるのは人類共通の感性ではありますが、それにしてものサイケおやじは日本人として生まれ育って良かったと、ひたすらに感謝であります。

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