OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

あれから1年の誓い

2012-03-11 16:35:58 | Weblog

大震災追悼集会に参加してきました。

あたらめて時の流れの早さの非情さを感じ、自らも含めた人間の非力を痛感させられた次第です。

しかし今は前を向いていく他はないでしょう。

そこで思うのは、ほとんどの人は趣味に癒され、助けられることが少なからずあるという真実です。

ある人はカラオケや歌に救われ、映画やAVソフトを観ることで活力を得たりするでしょう。

例えギャンブルだって、他人には否定することの出来ない、本人だけの楽しみや憩いであるはずです。

そこで憚りながら、自己満足としてやっている拙ブログも、そうした趣味で繋がり、訪れていただいた皆様に何か、そうしたものをお伝え出来れば……。

そういう基本姿勢を心に抱きつつ、これからも続けられまで、やっていきたいと思います。

独断と偏見、ジコチュウとジコマンばかりかもしれませんが、今後とも、よろしくお願い致します。

そして被災地、さらに日本や世界全体の明日を少しでも……、等々の願いは、決して大それた希望ではないと確信するばかりです。

 

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フィンガーズの転身、あるいは転進

2012-03-10 16:28:12 | 日本のロック

愛の伝説 c/w 天使の横顔 / ザ・フィンガーズ (London / キングレコード)

とかく世の中は儘ならず、それでも稀な幸運に震えてしまう事だって確かにありますから、人は生きて行けるのかもしれません。

例えば本日ご紹介は、我国のロックバンド史にその名を刻すフィンガーズの4枚目のシングル盤なんですが、発売された昭和43(1968)年初夏といえばGSブームが爛熟していた時期でありながら、結論から言うとヒットしなかった1枚です。

それはフィンガーズが当時、エレキインストの若手最高バンドとして認知されていたにもかかわらず、ここを境に歌謡フォークのグループへ転身した様なイメージの所為でしょうか、明らかなファン層の変化が売れずに終わった原因と思われます。

しかし、実はそれこそが重要であって、既に芸能界のトレンドはエレキインストからアイドルGSにシフトした制作方針が定まり、まずは売れる事を目指すなら、甘~い楽曲にオーバープロデュースなアレンジもイヤミ寸前という、ほとんど少女趣味に近いヒット曲が求められていたのです。

そしてフィンガーズもレコード会社を移籍、さらにメンパーチェンジによって成毛滋(g)、高橋信之(g,vo)、蓮見不二男(key)、シー・ユー・チェン(vo,b)、松本幸(ds) という布陣になった事で、堂々とミーハー(?)路線を歩み始めたわけですが……。

ここからはサイケおやじが十八番の結果論として、かなり硬派のイメージがあったオリジナルのフィンガーズに対し、特にシー・ユー・チェンが女の子にダントツの人気を集めたこの時期は、どこか裏切られた気持にさせられた野郎どものファンがいたように思います。

もちろんサイケおやじも、そのひとりとして、リアルタイムではこのレコードを買う気はしなかったんですが、時が流れてみると、歌謡フォーク系ソフトロックの裏名盤として、これはなかなかの仕上がりと納得させられたんですねぇ~♪

なにしろA面の「愛の伝説」からして作曲が村井邦彦! ですから尾中美千絵の綴った歌詞を彩るメロディセンスの良さはお洒落な洋楽ポップスのムードに溢れ、ミディアムテンポの曲進行には甘茶なストリングも良い感じ♪♪~♪

しかも、それまでのバンドのウリだった成毛滋のド派手なギターソロが封印されているところは、完全に特別な意図がミエミエです。

つまり成毛滋はアイドル化計画には無用の長物って事なんでしょうか!?

もし、そうだとすれば、あまりの仕打ちだと思うんですよねぇ……。硬派なファンが離れてしまうのも当然だと思うばかりです。

実は告白すると、サイケおやじが高校の時に入れてもらっていた同好会のバンドで、この「愛の伝説」をやるという話があったんですが、それはガチガチのロックを学校側から禁じられていた故の方策ではありながら、サイケおやじはど~しても納得出来ずに猛反対! 結果的にボツになった事は我儘以上ではありますが、ちょいと今でも面映ゆい思い出です。

と言うのも、既に述べたとおり、時が流れてみると、この「愛の伝説」は実に味わい深い名曲であった事に目覚めたからであって、短く出てくるギターソロも含めて、あぁ~、あんときやっておきたかったなぁ~~、という後悔が残っているんですよ……。

その意味でB面収録の「天使の横顔」が、これまたイントロからパロック風味のオルガンとミエミエのコーラスがキワドイ、まさに当時のGSトレンドがど真ん中のクラシック調歌謡フォークの決定版で、もちろんオーケストラ入りの演奏パートは刹那の境地♪♪~♪

しかも作詞:尾中美千絵、作曲:葵まさひこの相性の良さは特筆物で、出来はA面以上かもしれません。

ですから、この売れなかったシングル盤が幻の人気アイテムとなって幾年月!? 中古屋巡りでもサイケおやじの特標的になっていたんですが、それを先日、某ネットオークションでゲットすることに成功し、ついに昨夜、手元に届きました♪♪~♪

あぁ、この幸運♪ この幸せ♪ 世間様に対し、申し訳ないという気持さえあるほどです。

そして、こういう事があるからこそ、人生は大切にするべきと自覚を新たにするのでした。

感謝!

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ポール・サイモン vs. フィービ・スノウ

2012-03-09 14:41:38 | Simon & Garfunkel

哀しみにさよなら / Paul Simon with Phoebe Snow (Columbia / CBSソニー)

人は誰でも夢を見るし、それはもちろん寝ている間だけでなく、終りなき日常の合間にも所謂夢想は尽きませんが、特に自分が様々な事に対して煮詰まりを感じていればこそ、せつなくなるほどです。

あぁ、こうであったらなぁ……、なればいいなぁ……。

しかし、それが本当にせつないのは、文字通り「夢」は「夢」でしかない事を自分自身が一番良く知っているからでしょう。

さて、そこでサイケおやじが思い出してしまうのが、本日ご紹介のシングル曲「哀しみにさよなら / Gone At Last」で、自作自演のポール・サイモンにフィービ・スノウが加わったデュエットというよりも、ふたりがそれぞれに主役として歌いきった潔さが最高の名唱♪♪~♪

なにしろ曲メロとその展開は完全なる黒人ゴスペルからの転用であり、イントロのピアノはそれが十八番のリチャード・ティー、そしてゴードン・エドワーズ(b) やグラディ・テイト(ds)、さらにはジェシー・ディクソン・シンガーズによるコーラスが立派な仕事をやっていますから、思わずグッと惹きつけられるのは必定でしょう。

そして気になる歌の内容は、自分の人生に行きづまりを感じている冴えない男が、凍てつく冬のドライヴインで、これまた運もツキにも見放された女と出会い、ふたりでもう一度だけ未来を見つめようとする、現実には有りそうで、決してない物語なんですが、もちろん男のパートはポール・サイモンが、女のパートはフィービ・スノウが演じる事により、尚更に刹那の状況が表現されていると思います。

しかも全篇が既に述べたとおり、実に力強いアップテンポのゴスペル調ですから、当然ながら最終章は男女混声の歌となり、バックコーラスや演奏共々の大団円に向かう高揚感は、まさに絶品のグルーヴが満喫出来ますよ。

ところが、これが実に巧いところだと思うんですが、現実ではそう簡単に前向きの解消にはならない大人の悩みを、ひとつの「夢の過程」に仕上げてしまうのは、流石ポール・サイモン!

またフィービ・スノウの実質的に主役となった歌唱力も素晴らしいかぎり!

ですからこれを最初に聞いた瞬間のサイケおやじは、迷わずレコード屋に直行し、シングル盤をゲットさせられましたですよ♪♪~♪

ちなみに同曲はポール・サイモンの代表的名盤アルバムとして1975年に発売された「時の流れに」にも収録されていますが、本来は先行シングルの役目を果たしていた事を付け加えておきます。

ということで、例え叶わぬ夢だとしても、自らの煮詰まりを何とかするためには、夢は持ち続ける必要があるんじゃないか?

そんな事をポール・サイモンは主張しているのかもしれません。

個人的にはそこまでの共感も賛同も無いんですが、しかし歌唱と演奏の素晴らしさには震えがくるほどですから、これで良いんでしょうねぇ~。

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ソフトになったマンフレッド・マンの新生

2012-03-08 15:49:28 | Rock

Mighty Quinn c/w So Long Dad / Manfred Mann (Fontana / 日本ビクター)

あらためて述べるまでもなく、ボブ・ディランは偉大なソングライターでもありますから、その作品には夥しいカバーバージョンが存在し、と同時に作者自演のバージョンよりも先に世に出て、ヒットした楽曲も少なくありません。

例えば本日ご紹介の「Mighty Quinn」は、モッド系人気バンドだったマンフレッド・マンが1968年に自国イギリスのチャートトップを飾るほどに大当たりさせた不滅の名曲!

ただし我国ではリアルタイムのマンフレッド・マンが落目になっていたことで流石にそこまでの注目度は無く、実は当時のグループはメンパーチェンジにより音楽性の要だったマイク・ヴィッカーズ(key,g,sax)、そして何よりも一座のスタアだった実力派イケメンボーカリストのポール・ジョーンズの脱退が響いていたことは否めません。

で、このシングル盤を出した頃の顔ぶれはマンフレッド・マン(key)、トム・マッギネス(g)、クラウス・ヴァマン(b)、マイク・ハグ(ds,per,vib)、マイク・ダボ(vo) という、失礼ながらジャケ写を見ても明らかにルックスがイケてない面々……。

しかし音楽的な実力は、その目指した方向性に鑑みて、以前に勝るとも劣らない結果を証明したと言えるでしょう。

と、ここまで書いてきたサイケおやじではありますが、例によってこのシングルは後追いゲットであり、本音としてマンフレッド・マンは好きですが、「Mighty Quinn」の、このバージョンには些かの失望を隠せませんでした。

それは先にボブ・ディランの自作自演バージョンを聴き、一発でシビれまくっていたからなんですねぇ……。

もちろん歴史的にはマンフレッド・マンが「Mighty Quinn」を英米で大ヒットさせたのが1968年春であり、ボブ・ディランが自らの歌と演奏を出したのは1970年に発売した2枚組LP「セルフ・ポートレイト」に収録しての事ですから、はっきり言えば順序が逆でありながら、それがザ・バンドをバックに従えた1969年8月のワイト島におけるライプバージョンであれば、そのワイルドなロックフィーリングは言わずもがなでしょう。

しかし一方、マンフレッド・マンのこのシングルバージョンは所謂ソフトロックであり、浮ついた表現が噴飯物という感情的結論さえあるのです。

まあ、今となっては、どちらが楽曲に対する正当的な表現なのか?

そんな答えはボブ・ディラン本人だって簡単には答えられることではないと思われます。だって現実にはカバーとはいえ、英米ではメガヒットしているんですから!?

と言うことで、ヒット曲の世界も奥が深~~いんですよねぇ、今さら述べるまでもなく。

ただ、その中に有るのは十人十色の感性でしょう。

ですから現在のサイケおやじが、マンフレッド・マンの「Mighty Quinn」も大好きだぁ~~! と居直れる言い訳も成り立つはずですが、その節操の無ささえもボブ・ディランのソングライターとしの力量に免じてなんとやら!?

既に述べたとおり、マンフレッド・マンの長閑な歌と演奏は妙に人懐っこい味わいがあって、ヒットするのもムペなるかなです。

最後になりましたが、B面に収録された「So Long Dad」はボブ・ディランと似て非なるシニカルな感性のシンガーソングライターとして、特にアメリカでは絶対的に評価されているランディ・ニューマンの作品で、実はイギリスでは既に前年に発売されていたシングル曲でしたが、おそらく我国ではここが初出と思われます。

そして、これがまた味わい深い仕上がりなんですねぇ~♪

結局、新生マンフレッド・マンというか、ポール・ジョーンズが在籍していた時代がR&Bやモダンジャズに軸足を置いた「黒人系」だとすれば、メンバーチェンジ意向はジャズ風味はそのままに、もっとお洒落なフィーリングを前面に出した「白人系」と言えなくもありません。

そのあたりの変化と個人的な好き嫌いの評価の判別が、時代の流れの証というやつなんでしょうか?

そう思えば、音楽業界の流行が直後からシンガーソングライターのブームに突入していくのも不思議ではないのですが……

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だからこそのエレキ歌謡

2012-03-07 15:47:02 | 歌謡曲

太陽がこわいの / 響かおる (クラウン)

どんな世界にも、それが勢いのあるうちは「ライバル」の登場が必要十分条件です。つまり「ライバル」の存在があってこそ、ブームの勢いは加速するわけですが、しかし「ライバル」とは決して簡単になれるものではなく、ほとんどが所謂「二番煎じ」とか「焼き直し」と思われるのが、世の中の厳しさでもあります。

ところが、その中にも決して忘れられない、否むしろ、だからこその強い印象が何時までも残る場合だってあるのです。

例えば本日ご紹介のシングル曲「太陽がこわいの」で昭和43(1968)年にデビューした響かおるはスバリ、黛ジュンの対抗馬として売り出されたエレキ歌謡のビートガールだったんですが、結果はご存じのとおり、残念ながら……。

確か活動していたのは2年ほどだったんですが、発売された5~6枚のシングル盤の楽曲だって、これがなかなか充実していましたし、ルックスも歌の実力も芸能オーディション番組「あなた出番です(日本テレビ)」の合格者という履歴があるんですから、保証付きでした。

そして実際、このシングル盤A面「太陽がこわいの」は、思わせぶりなSE(?)気味のハミングからエレキ歌謡特有のシビレるイントロとビート感満点の曲メロに下世話なアレンジ、さらには夏の狂騒の哀しい思い出綴った歌詞がパンチの効いた彼女の歌いっぷりにジャストミートした、まさに名曲にして名演名唱♪♪~♪

流石は作詞:万里村ゆき子、作曲:叶弦大、そしてアレンジが高見弘というプロの手腕が冴えまくった傑作なんですが、同時に如何にも黛ジュンを意識したプロデュースが裏目と言えなくもありません。

何よりも、失礼ながら、響かおるのボーカルスタイルが、モロなんですねぇ。

それを「良」とするか「可」とするか、はたまた「否」とするかが如実な結果となったことは、既に述べたとおり……。

しかし、殊更「エレキ歌謡」というジャンルに特化すれば、この「太陽がこわいの」は永遠の人気曲じゃないでしょうか。

そして響かおるの存在もまた、忘れられるもんじゃ~、ありません!

機会があれば、皆様にもお楽しみいただきたいと切に願うのが、サイケおやじの素直な気持です。

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歌謡ロックもカップスの真髄

2012-03-06 15:28:56 | 日本のロック

蝶は飛ばない c/w もう一度、人生を / ザ・ゴールデン・カップス (東芝)

サイケおやじの最近の仕事は「情に流されている」と、周囲から言われています。

まあ、その点は多少の自覚症状が確かにあって、今更の言い訳も見苦しいだけなんですが、しかしそれを一概に否定されてしまうのは、何か自分の性分に合いません。

もちろん仕事は自分の為だけにあるわけじゃないんで、突き放す時には徹底する事が必要でしょう。ただ、思えばサイケおやじだって、その「情」に助けられ、甘えてきた過去に感謝する気持は有るんですから、分かって欲しいなぁ……。

それが今の正直な気持です。

さて、そこで本日の1枚は、そんな気分の中で口ずさむ事も多い私的名曲のカップリング盤♪♪~♪ 今日ではGSブーム期に一番の本物ロックと思い込まれているゴールデン・カップスの歌謡ロックの傑作が、これなんですよっ!

なにしろ両面2曲共に作詞:なかにし礼、作編曲:鈴木邦彦という黄金コンビの手となれば、発売された昭和44(1969)年夏のムードはジャケ写ばかりではなく、今となっては些か説明が難しいような独得の諦観と気だるさが、たまりません。

 あの日から空には
 黄色い蝶々が消えはてた
 あの日からなんだか
 悲しい毎日さ

 そんなむなしさが 雲より重く
 空をかくして 蝶々は飛ばない

という、最初っから諦めているような刹那の状況が、しぶとい味わいのオルガンで彩られながら歌われるA面「蝶は飛ばない」の正当性は、それが現在ではニッポンのロックに認められることが少ないという現実により、尚更に素晴らしさを増しているんじゃないでしょうか。

ジャケットには「アート・ロック」というウリ言葉もデカイんですが、個人的には「歌謡ロック」の真髄を感じてしまいます。

ちなみに当時のゴールデン・カップスのメンバーはジャケ写からも一目瞭然、エディ藩が脱退したことにより、林恵文=リン・ケイブン(b,g) が新加入し、デイヴ平尾(vo)、ルイズルイス加部(g.b)、ミッキー・吉野(key)、マモル・マヌー(ds,vo) という顔ぶれになっていましたが、歌謡曲テイストが濃いとはいえ、その基本的演奏能力の高さは極めてロック的であり、またリードを歌うデイヴ平尾の節回しも楽曲に合っていると思います。

一方、B面の「もう一度、人生を」はリアルタイムよりは時を経る毎に人気と評価が高まっているブルース系歌謡ロックの裏名曲!

 道端に 小さな足跡を残して
 すりきれた古い靴よ
 歩くのに疲れて 傷ついた私に
 新しい靴をおくれ

 もう一度 もう一度人生を
 涙と愁いの月日だけど
 何処かに 落して来たらしい
 自分をさがしに でかけたい

という歌詞そのものがブル~スしている事は言わずもがな、随所で粘っこく絡みつつ、間奏で思いっきり炸裂して聴かせるルイズルイス加部のギターが圧巻ですよっ!

しかもAメロをマモル・マヌー、サビをデイヴ平尾が歌うというツインボーカル体制が、見事にジャストミートしているんですねぇ~♪

昭和50年代頃から堂々と流行するようになった、所謂「歌謡ロック」永遠のアンセムじゃないでしょうか。

サイケおやじは大好きです。

なによりも、現在の自分の心境を鑑みて、琴線に触れまくりなんです!

ということで、最近は愚痴になってしまうことも多い拙プログではありますが、きっとそういう時期が自分の人生にやって来たのかもしれません。

そして、仮にもう一度、人生をやり直せるとしても、サイケおやじは決して上手くやれるとは思っていないのですが……。

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ジェームス・ブラウン真骨頂のライブ映像

2012-03-05 14:59:40 | Soul

James Brown Live At The Boston Garden April 5, 1968 (Shout = DVD)

ソウルブラザー・ナンバー・ワン!

ファンクの帝王!

等々、数え切れない称号を与えられつつ、決してそれに負けない存在感を示し続けたジェームス・ブラウンは、しかし、それゆえに残した音源やレコードがどっさりありますから、果たして何から聴いていいのやら……。

そのあたりの戸惑いは後追いになるほど強いはずですし、実際、サイケおやじにしても、運良く昭和40年代にラジオで「パパのニュー・バッグ / Papa's Got A Brand New Bag」や「It's A Man's Man's World」といった代表的ヒット曲にシビれる事は出来ましたが、さて、それでも本格的にジェームス・ブラウンを聴くには、何から入っていいのか、相当に迷いましたですねぇ。

そこで結局、おそらくは人気曲ばっかりが演じられているはずと見当をつけて、最初に買ったLPがアポロ劇場で1967年に録られたライプアルバムだったんですが、これが最高に大正解!

今となっては歴史的な名盤でありますし、ちょうど正統派R&Bからファンク期に移行しつつあった意欲満々のジェームス・ブラウンがリアルで記録されている真実は絶対的だったのです。

で、いよいよこれからジェームス・ブラウンという濃厚なソウルの世界へ歩まれんとする皆様には、ぜひともライプアルバムからっ!

と、声を大にするサイケおやじではありますが、それ以上なのが実際のステージギグである事は言うまでもなく、その生ライプの壮絶にして狂熱の世界は唯一無二ですから、それが収められている映像作品がレコードやCDを上回るという印象も強烈です。

そして本日ご紹介のDVDは、まさにジェームス・ブラウンの真骨頂が感性直撃の決定版で、それが演じられた1968年4月5日といえば、黒人公民権運動の指導者としてアメリカの黒人達から絶大な尊敬を集めていたキング牧師が暗殺された翌日!

つまり全米各所で黒人暴動が起こっていた、とてつもなくアブナイ時期であったことは歴史に記録されているとおりであり、ちょうどその日にボストンで野外ライブを予定していたジェームス・ブラウンに対しても、当局は暴動の誘発を恐れて興業の中止を勧告するのですが……。

しかし既に黒人大衆音楽の絶対的スタアであり、その影響力も社会的になっていたジェームス・ブラウンはスタッフや現地為政者と協議の末、予定通りにライプを強行! それはもしも予定がキャンセルとなった場合の更なる険悪な事態を憂慮しての決断だったと言われています。

そしてそれを「キング牧師追悼公演」という名目でテレビとラジオで生放送する企画も進行し、地元の放送局WBGHが全面的に協力することにより、ついに実現したのが、ここでも存分に楽しめる魂のコンサートというわけです。

01 Introduction Speech By Mayor Of Boston Kevin White
 まずボストンのケビン・ホワイト市長と同市議(?)のトーマス・アトキンスからの開式の辞が、このパートです。
 ちなみに、このDVDは輸入盤なのでチャプターもジャケットにはテキトーに記載されていますので、ここでは一応正しておきますが、日本語字幕も当然ありませんので話の正確な意図がちょいと掴めません。
 しかしおそらく観客は黒人ばっかりだったでしょうから、ステージという高い場所から白人の為政者が「お願い」をする事そのものが、状況を考慮するほどに凄いとしか言えません。
 皆さん、お互いに見つめ合いましょう。
 偉大なJBの音楽に免じて、偉大なキング牧師を尊敬し、……云々。
 いゃ~、その場にジェームス・ブラウンが居ればこその緊張が、ひしひしと伝わってくる、まさに歴史の一場面だと思います。
 映像が些かコントラストの強い照明によるモノクロというのも、結果オーライかもしれませんねぇ。

02 That's Life
 こうしてスタートするライプの初っ端は、ジェームス・ブラウンが得意とする「思わせぶりなツカミ」であって、ミディアムスローなソウルバラードが個性的な熱血節で歌われる時、そこにはハート&ソウルがジワジワと充満していく瞬間が堪能出来ますよ。
 もちろん客席は既にして興奮のルツボってところでしょう。
 くわっ~~、JBのシャウト! 最高~~~!

03 Kansas City
 そして間髪を入れずに始まるのが、お馴染みの人気R&Bということで、ここではアップテンポで狂乱するジェームス・ブラウンが十八番のダンスアクションも冴えまくり!
 そうです、ファンクの帝王はソウルダンスのナチュラル名人でもあって、そのあたりを楽しめるのも映像作品の大きな魅力♪♪~♪ 観客への煽りも強烈ならば、バックバンドへの的確な指示指令も、その間にあるというわけです。
 ちなみにここで帝王はステージから退場しますが、実は日常的なステージ進行では、この後にバックバンドだけの演奏や座付歌手&ダンサーのパフォーマンスがあって、この日もそれが行われたことは司会者のMCの流れでわかると思います。

04 Medley:It's A Man's Man's World (incomplet)
05 Medley:It's A Man's Man's World / Lost Someone / Bewildered
 で、ここからが再びジェームス・ブラウン登場の所謂「スタアタイム」の始まりなんですが、しかしそのド頭が果たして「It's A Man's Man's World」であったかは定かではありません。
 というのも、ここに収められたトラックはメドレーの最初の部分の映像が欠落しており、音声だけになっているのですから!? しかしチャプターを打ち直したところからは、もう、熱いエモーションに怒涛の黒人ビートが強烈な渦を巻いていきます。なにしろ「It's A Man's Man's World」は説明不要の泣き落としがたまりませんし、結果的に最後までブッ続けで演じられる歌と演奏の流れは圧倒的であって、一瞬たりとも耳目が疎かになるなぁ~んて事はないはずです。

06 Got It Together
07 There Was A Time
08 I Got The Feelin'
09 Try Me
10 Medley:Cold Sweat / Ride The Pony / Cold Sweat
11 Maybe The Last Time
12 I Got You
13 Please, Please, Please
14 I Can't Stand Myself
 という構成のステージ展開の中にあって、極言すればファンクビートのシンコペイトしまくった世界が連続するという、ちょいと「お経」の様に聞こえるのもまた、黒人ファンクの表層のひとつでしょう。
 つまり同じ事の繰り返しが延々と続くのが、JBファンクの特質であって、しかも歌や楽器演奏のテンションが相互作用的に高まっていくのは、如何にもライプの現場であることを映像で確認出来るのですから、もう、何百何千回鑑賞しても、これに飽きるなんて事は無いはずです。
 それは既に述べたとおり、恐怖(?)の連続ともいうべきスリル満点のメドレー形式が演じられればこそ、ジェームス・ブラウンとバックバンドのスタミナと気合は驚嘆の極み! ちなみにそのメンバーの中にはメイシオ・パーカー(ts)、ジミー・ノーラン(g)、クライド・スタブルフィールド(ds) といった名手が揃っていますから、各々のソロパートはもちろんの事、カウンター的に炸裂するホーン&ビートリフの凄さは圧巻! このあたりの快感は、ぜひとも皆様にもお楽しみいただきとうございます。
 そして、この日のライプを完全に歴史にしているのが、いよいよクライマックスに向かう中で突発していく観客とジェームス・ブラウンの繋がりの凄さで、平たく言えばステージに押し寄せるファン、それを制止するスタッフや白人警官、ついにはステージ上でジェームス・ブラウンと一緒に踊り出す者も出てくるんですが、流石にジェームス・ブラウンはお客さんを大切にする姿勢が鮮明です。
 収拾不能となった会場でジェームス・ブラウンに駆け寄る黒人ファンのひとりを白人警官が暴力的に突き飛ばして排除した次の瞬間、爆発寸前の空気を察知したジェームス・ブラウンは演奏を中断させ、会場に冷静さを求めるのですが、その切り札に使われるのが、黒人としての尊厳なんですねぇ~。
 ここはサイケおやじが稚拙な筆を弄するよりも、絶対に観て欲しい場面であって、流石という言葉しか、今は使えませんっ!

ということで、これに接して、何も感じるところが無かったとすれば、それは黒人音楽を理解する因子に欠けているのかもしれませんよ。僭越ながら、サイケおやじはそのように思います。

とにかくジェームス・ブラウンの全盛期が記録されているのは絶対で、あまりにも有名な「Please, Please, Please」におけるマントショウも楽しめますし、バンドメンバーの超絶的な演奏能力は、何かイノセントなジャズファンからはバカにされる一般的な評価なんて、如何に的外れか!? それすらも痛快に確認出来るでしょう。

最後になりましたが、このDVDは輸入盤ながらも公式商品としてリージョンフリーですから、ご安心下さい。当然ながら、これまでブートとして流通していたものよりも画質&音質の向上も保証付き♪♪~♪

また、これは1枚物ですが、他に関係者インタビューや1960年代の他の映像をオマケに入れた3枚組も出ています。ただし繰り返しますが、日本語字幕が無いので、まずはこっちの1枚物をオススメしておきます。

いゃ~、何度観ても、最高ですねぇ~~♪

ジェームス・ブラウンを体験するには、まず、これでっ!

まさに溜飲が下がるってやつです。

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出先で不調…?

2012-03-04 16:17:30 | Weblog

というのが、PCという我儘なやつの一番悪い癖ですね。

なんか電圧が安定しないのか……。

とりあえず本日の1枚は休載致しますが、早く帰宅して、調子を戻したいです。

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この一発の効き目は絶大なホール&オーツ

2012-03-03 15:50:08 | Rock

微笑んでよサラ / Daryl Hall & John Oates (RCA / RVC)

だいたいヒット曲は「耳ざわり」の良さが一番のキモかもしれませんねぇ~♪

それをサイケおやじに証明してくれた好みの名曲のひとつが、本日ご紹介の「微笑んでよサラ / Sara Smile」で、とにかく1976年にはラジオはもちろん、飲み屋とかパチンコ屋とか、この曲が様々な場所で流れて来る度に思わず耳を奪われたものです。

なにしろそれは、全く自分の好みにジャストミートのメロディとサウンドが濃密に凝縮されていて、大好きなフィリーソウルと西海岸ロックの巧みな融合の他に、もっと下世話な歌謡曲テイストまでもが滲んでいるように感じられたのです。

ところが自作自演で歌っていたダリル・ホールとジョン・オーツという二人組は、当時の感覚から言っても、およそロッカーでは無いし、そうかと言ってシンガーソングライターという雰囲気も伝わって来ない、極言すれば「男色系」の何かさえ!?

そんな諸々が洋楽雑誌のグラビアやレコードジャケ写から窺えるんですが、その反動がまた演じている音楽の本物感を強めている印象なんですから、最初っから一筋縄ではいきません。

結局、後に知ったところでは、このデュオチームは決して新進気鋭では無く、ダリル・ホールは白人ながら少年時代から生まれ育ったフィラデルフィアの黒人スラム街で所謂ドゥワップコーラスのグループで歌い、長じてからは黎明期フィリーサウンドの制作現場でセッションミュージシャンとして働いていたそうですし、一方のジョン・オーツも同地でR&Rやフォークを歌っていたところで、最初に出会った頃には、まず曲作りが主な仕事だったと言われています。

そして当然ながらと言うか、彼等の背後にはケニー・ギャンブル&レオン・ハフに繋がる人脈があり、音楽性の下地は後にフィリーソウルと称されて世界中で大旋風となったお洒落なセンスなんですが、しかし時代は1970年頃から急速にフォーク系シンガーソングライターのブームが爆発!

所詮は白人デュオとしか一般の認識が無かったホール&オーツは、公式デビューのレコードでも、今となっては中途半端なフォークロックやカントリーロックの「もどき」をやらかしているように、後追いでサイケおやじは聴いたものです。

ただし「微笑んでよサラ / Sara Smile」でブレイクするまでの1972~1974年の間に作られたアルバムや残された音源の中には、確かに洗練されたブルーアイドソウルに「あと一歩」という残念賞的な歌と演奏もあって、それらは何れご紹介したいと思いますが、とにかくも大ヒットを出したのは、決して「運が良かった」とか「マグレ」では無かった証明になっています。

しかもサイケおやじは、この時点で大きな誤解をしており、結局ホール&オーツは新世代のブルーアイドソウルを歌う二人組では決して無かったんですねぇ~~!?!

極言すれば、ニューウェイヴのロックグループでしょう。

ということで、普通に解釈すれば、ホール&オーツなんて全く自分の守備範囲では無いはずが、この稀代の名曲「微笑んでよサラ / Sara Smile」の特大ホームランによって、その「なんて」という言葉と文字を打ち消すしかない境地に、サイケおやじは追い込まれたというわけです。

う~ん、これが名曲の底力ってやつなんでしょうねぇ~♪

一生、ついていきますよっ!

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カリフォルニアは晴れているか

2012-03-02 15:13:50 | Pops

カリフォルニアの青い空 c/w 雨に消えた初恋 / 南沙織 (CBSソニー)

最近、やたらに自分の人生を振り返るというか、それを後悔する時間が増えています。

例えば交通機関での移動中、風呂に浸かっている時、眠りに入る前の布団の中……等々、全く自分の生きて来た道はロクなもんじゃ~ない事は自覚していたはずなのに、それでもど~して、あの時……。

そんな思いに囚われているわけです。

で、今の自分を苦しめているのは、なんだっ!?

と考えてみれば、それは仕事に他ならないんですよねぇ。

もちろん、それを放り出すなんて事は出来るはずもなく、すると、こんな答えの出ない後悔なんてもなぁ~、無意味なんですが。

まあ、そんな情けない気分の終りなき日常の中、以前にもちょいと書いたように、長年密かに愛し続けていた女性が危篤だった病から、本当に奇蹟的に意識を取り戻し、幾分の回復と安定に入ったという今朝の知らせは嬉しいかぎりでした。

そして彼女と親族の希望により、それまで暮らしていたアメリカ西海岸に戻るという決断は、サイケおやじとしては心底、せつないわけですが、尊重せずにはいられません。

医者からも、このままであれば、数週間後には可能という診断が出ているそうですし、何よりも本人のそこへっ! という強い希望は叶えてあげるのが人情&愛情でしょう。

さて、そこで本日は思わず、掲載のシングル盤を取り出してしまいました。

説明不要のアイドル歌手として、今も決して忘れられていない南沙織が昭和48(1973)年に出したローテーションシングルで、収録2曲は両面共に洋楽ヒットのカバーという、すっかり日本語によるオリジナル歌謡ポップスがひとつの主流になりつつあった当時としては些か珍しい企画だったんですが、それも「南沙織という歌手」の存在証明でありました。

つまり彼女のフィリピーナ系のキュートなルックスと返還されたとはいえ、未だアメリカ色が強かった沖縄からやって来たという条件(?)は、英語の発音そのものも含めて、その頃の本土日本で生まれ育った我々にとっては、ある意味での憧れの対象であった事が否めないのです。

まあ、このあたりの感覚は、今のお若い皆様には理解不能かもしれませんが、とにかく南沙織には洋楽ポップスのストレートカパーも違和感が無かったという現実は確かあったんですよっ!

そこでこのシングル盤なんですが、A面の「カリフォルニアの青い空 / It Never Rains In Southern California」はアルバート・ハモンドが前年秋から翌年春にかけて、日本を含む世界中で大ヒットさせた爽やか系ヒットポップスの決定版として、今では誰もが一度は耳にしたことがあるに違いないほどの名曲ですし、B面の「雨の消えた初恋 / The Rain, The Park And Othe Things 」にしても、これまた一時は飛ぶ鳥を落とす勢いがあったカウシルズというファミリーグループの代表曲として、1967年に破格の大ヒットを記録した素敵なメロディですから、たまりません♪♪~♪

そして何よりも魅力的なのが、このシングル盤のジャケ写&デザインで、まさにカリフォルニアの青い空の下で微笑む南沙織は、シンシアというニックネームがジャストミートですよねぇ~♪

ちなみに収められた2曲共、これ以前に発売されていたLPアルバムからのカットという企画故に、シングルバージョン用としてイントロ等に幾分の編集が施されていますし、後にシングル集としてCD化されたバージョンにしても、ミックスや音の質感が異なっていますから、コアなファンは要注意ですよ。

と、またまた奥の細道を書いてしまいましたが、それもこれもジャケ写の素晴らしさに免じて、ご容赦下さいませ。

そしてサイケおやじは、それでもプラトニックを貫き通した愛おしい女性が、こういう西海岸の青空の下で安らかに暮らせる事を祈っているのです。

う~ん、今日は書いていて、自ら歯が浮いてしまい、お恥ずかしい……。

失礼致しました。

コメント (2)
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