OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

これぞっ! 1970年代ロックの歌心

2012-06-20 15:21:14 | Rock

My Angel Baby / Toby Beau (RCA / 日本ビクター)

大ヒットは、これ、一発!!

しかも極みつきの名曲にして、名演名唱であればこそ、リスナーはその巡り合わせの幸せに感謝する他はないでしょう。

例えば本日ご紹介の「My Angel Baby」は、1978年の夏に流行りまくったAORの人気曲として、今日でも忘れらていないでしょう。

それは聴いた瞬間にグッと惹きつけられる、ちょいとオールディズ風の曲メロに所謂泣きのギター、キメがハイトーンのボーカル&コーラスに哀愁のハーモニカが絶妙の彩りを添えるという、完全に出来過ぎの仕上がりがニクイばかりのウケ狙いであり、同時代に絶頂を迎えていたウエストコーストロックと懐メロポップスの美しき融合の成果でもありました♪♪~♪

ちょいとシカゴソウルっほいピートも良い感じ♪♪~♪

う~ん、これは最高~~~♪

と実際、サイケおやじはラジオから流れてきた瞬間、一気呵成にレコード屋へ向かう決意をさせられたほどなんですが、なんとっ! てっきりAORのソロシンガーが歌っていたものと思い込まされていた「My Angel Baby」は、テキサス出身のカントリー&サザンロックをやっていたバンドの歌と演奏だったんですから、完全に意表を突かれた感じです。

つまりトビー・ボーは、バルデ・シルヴァ(vo,g)、ダニー・マッケンナ(vo,g)、アート・メンドーサ(vo,g)、スティーヴ・ジッパー(b,vo)、ロブ・ヤング(ds) という、ジャケ写にも登場している5人組で、これが見事な大ブレイクというわけなんですが……。

そこまでのキャリアとしては、ドゥーピー・ブラザーズ等々の前座をやっていた仕事から大手のRCAレコードと契約し、いきなり「My Angel Baby」が大ヒットしたという流れは如何にもラッキーですが、実はそこからレコード制作の現場では、なかなかゴタゴタがあったと言われています。

結果的にトビー・ボーは3枚ほどのLPを出して解散した事は歴史的事実であり、実質的にヒットしたのは「My Angel Baby」だけでありながら、それらのアルバムは何れも纏まりが良く、安定した仕上がりなんですから、ウエストコーストロック大好き人間には時代を超えての御用達♪♪~♪

当然ながらバンドメンバーよりも、助っ人のスタジオミュージシャンが相当な部分をやってしまった真相が表れているんですねぇ。

そして「グループとしてのトビー・ボー」は消えてなくなり、メインで歌っていた「バルデ・シルヴァ=トビー・ボー」という構図が成立していたのです。

以降、トビー・ボーは完全にAOR~シティミュージックがど真ん中のアルバムを出すようになり、如何にも1980年前後の流行に沿った制作方針は今も気持E~♪ そういう歌と音楽を提供してくれました。

しかし「My Angel Baby」を共作したバルデ・シルヴァとダニー・マッケンナが、果たしてその段階まで読んでいたかは疑問の余地があるところで、少なくとも最初のアルバムではイーグルス直系の爽やかハーモニーを駆使したカントリーロックを指向していた事を忘れてはならなでしょう。

ただしバルデ・シルヴァの歌いっぷりが、なかなかソウルフルな響きとあっては、選んだ道の正しさも納得する他はないのかもしれませんねぇ……。

ということで、名曲不滅の定理があるとすれば、そこから導き出された正解のひとつが、このトビー・ボーの「My Angel Baby」です。

いゃ~、全く胸キュンのギターや曲メロのせつなさは本当に絶品で、こういう歌があるからこそ、1970年代ロックも捨て難いわけですねぇ~♪

マ~~~ィ エンジェルベイビィ~~~♪

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地味~な名曲にも光を

2012-06-19 15:29:29 | Rock

ハンドバッグと外出着 / Rod Stewart (Mercury / 日本フォノグラム)

もちろん異論があろう事は承知しておりますが、個人的にはパラードシンガーとしてのロッド・スチュアートが一番好きです。

例えば本日ご紹介の「ハンドバッグと外出着 / Handbags & Gladrags」は、ピアノがメインのバックを従え、シンミリシミジミと歌いあげるスタイルを貫き、見事なソウルフィーリングを醸し出した1969年の大名唱にして、英国風白人R&Bのひとつの頂点かもしれません。

と書いてしまったのも、実は皆様ご存じのとおり、この「ハンドバッグと外出着 / Handbags & Gladrags」はロッド・スチュアートがレコーディングする以前の1967年末、ストーンズの弟分的存在だった同じ英国のホワイトソウル歌手というクリス・ファーロウによって大ヒットしていた、言わばリバイバル&リメイクなんですが、それはやっぱり名曲不滅の証!

クリス・ファーロウがストリングも入れた分厚い演奏をバックに熱っぽく歌っていた、まさに正統派の仕上がりを目指して成功したのは別に、ロッド・スチュアートは既に述べたとおり、淡々と噛みしめるようなスタイルに徹しています。

まあ、このあたりは、どっちが好きかという問題も含んでいるわけですが、サイケおやじの場合は先にロッド・スチュアートのバージョンを聴いてシビれた前科前歴ゆえに、愛着も一入というわけです。

ちなみに、ここでのピアノ伴奏とアレンジは作者のマイク・ダボで、この人はやはりサイケおやじが大好きなイギリスのバンドだったマンフレッド・マンの二代目ボーカリストして活躍していたのですから、因果は巡るってやつでしょうか。

結局、自分の好みや嗜好には、きっちりそれなりの理由が潜んでいるという事かもしれませんねぇ~♪

尤も、クリス・ファーロウ云々と書いたのは、告白すればロッド・スチュアートが歌う「ハンドバッグと外出着 / Handbags & Gladrags」が気に入っての、つまりは後追い鑑賞だったんですから、額に汗が滲みます。

なにせクリス・ファーロウの幾つかのヒット曲はラジオでしか聴いたことがなく、レコードが欲しくてもリアルタイムではど~しても入手が不可能だった現実への意趣返し!?

そんな風に受け取られても、サイケおやじには言い訳が出来ないです。

と同時に、掲載した私有シングル盤にしても、結局は当時の日本盤でも1750円の収録LP「ロッド・スチュアート・アルバム」が買えなった所為なんですから、若い頃の苦労はなんとやら……、なぁ~て、本当は恨めしいわけですよ。

つまりはロッド・スチュアートのバージョンがあってこそ、クリス・ファーロウのコンプリートコレクションという、なんとも無謀な奥の細道に踏み込んだサイケおやじの、今日はひとつの懺悔でもあります。

ということで、こういう地味~な歌も好きなもんですから、今日でも過小評価されているマイク・ダボという才人に注目して欲しいという願いも含む文章です。

すると驚いた事には、最近になってマイク・ダボの無視され続けてきた音源がCD復刻されたらしく、なにやら紙ジャケット仕様というのは、思わず手が出る商魂に完全降伏!

こうなったら、後はクリス・ファーロウも、お願いしますよっ!

う~ん、今日は何を結論にしたいんだから、自分でも混乱してます。

失礼致しました。

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こうなったからには…

2012-06-18 15:20:48 | プレイガール

何がどうしてこうなった / 大信田礼子 (CBSソニー)

昨夜は某与党代議士先生の集会に引っ張り出されて、辟易してきました……。

もちろん議題は例の消費税問題で、案の定、本人は増税反対で熱弁を弄していたわけですが、当然ながら近々行われるであろう選挙運動も兼ねている事は言わずもがなでしょう。

そして会場にはテレビでも、たま~に見かける同じ党の先輩議員も来ていたわけですが、話の内容がどうにも諦めている雰囲気濃厚???

なんだぁ~、こいつらっ!

それがサイケおやじの素直な気持でした。

で、ちょいと懇親会ムードになった時、件の代議士先生に――

採決の時には反対票、入れるんだよなぁ~?

と尋ねたところ、やっぱり、まずは拙速な採決より、充分な審議が必要云々と先延ばし論を展開され、完全な腰ぬけぶりを露呈!

ちなみにサイケおやじが天下の衆議院議員にこんなタメ口きけるのも、その先生とは昔っからの知り合いというか、ちょいとした腐れ縁があるからで、どういうわけか前回の選挙で初当選したのも、国家国民の為には大きな間違いとは思っていたのですが、それにしても、こんなテイタラクを演じてくれようとは情けないですよ。

つまり採決に反対票を投じれば、当然ながら離党勧告や除名の処分を受け、次の選挙では公認を得られず、となれば大切な「公認料」が入りませんからねぇ~、全くそれを目的に選挙活動の真似事をやっているバカ野郎です。

代議士は議場において、堂々と賛否を表明する!

それが一番大切な仕事のはずです。

ど~せ、あんたは、棄権退席するのが精一杯でしょうよ……。

思えば前回の選挙で、夢のような公約を堂々と訴えていた、あの姿勢は偽りであったと自分で告白するのような事態に、ど~して陥ったのか!?

まずは真相から話し、支持者の理解を得る事もせず、闇雲に保身を図る引き延ばし工作を訴えるなんて、やっぱりあんたはサイケおやじが知っているダメ男の本性を現したわけだっ!

という怒りとも、諦めとも判別し難い自分の心持ではありますが、それでも相手は一応の友人であれば、些かの弁護かもしれませんが、決して最初っから詐欺師紛いの行動をやろうとしていたわけではないでしょう。

確かに新しい理念理想に燃え、勇躍立候補し、見事に当選した時の前向きな勢いに嘘は無かったはずですし、サイケおやじは、そう思いたいです。

それが……。

ということで、集会の帰り道、思わず口ずさんでしまったのが、本日ご紹介の昭和歌謡曲がど真ん中の大ヒット♪♪~♪

大信田礼子にとっては昭和47(1972)年5月に出した、歌手デビュー4枚目のシングル盤A面曲ではありますが、例によって幾分不安定な歌唱力が不思議な居直り感を表現するという結果オーライは、なかなか捨て難い魅力ですよ♪♪~♪

 何がどうしてこうなった
 そもそも私の人生は
 悲しい涙のお話ばかり
 笑ったつもりが 泣き顔に

う~ん、なんとも言えませんねぇ。

そしてウリだった素晴らしい弾力性が妄想を誘う脚線美を堪能出来るジャケ写も、たまらないでしょう♪♪~♪ もちろん、猫顔も素敵です♪♪~♪

本日は相当に鬱陶しい話を書いてしまいましたが、どうか大信田礼子の美味しいインディビジュアルに免じて、ご容赦下さいませ。

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凝縮されたエリック・クラプトンへの憧れ

2012-06-17 15:28:58 | Rock

Eric Clapton (Atoc)

未だ評価の定まらないというか、好き嫌いが賛否両論を左右するような存在感こそ、エリック・クラプトンの最初のリーダーアルバムに相応しい!

と、本日もいきなりの独断と偏見の書き出しではありますが、少なくともサイケおやじにとっては、ちょうど高校生となり、ついにエレキギターを手にした頃の憧れがぎっしりと詰まった愛聴盤なのです。

 A-1 Slunky
 A-2 Bad Boy
 A-3 Lonesome And A Long Way From Home
 A-4 After Midnight
 A-5 Easy Now
 A-6 Blues Power
 B-1 Bottle Of Red Wine
 B-2 Lovin' You, Lovin' Me
 B-3 I've Told You For The Last Time
 B-4 Don't Know Why
 B-5 Let It Rain

もちろん、皆様もご存じのとおり、このアルバムがリアルタイムで世に出た1970年、その評判は決して芳しいものでは無く、特に世界中のファンが望んでいたギターの神様としての威厳威光も何処へやら……。

皆が期待する、あのクリーム時代の狂熱的なギターソロや鋭いリフがほとんど無いに等しいという噂はそのとおりですし、何よりも今日では「スワンプロック」と認識されているスタイルの先駆けにしても、当時は中途半端なブルースロックの変形???

なぁ~んていう情報が先入観念になっていたんですよっ!

おまけにその頃は未知数だったエリック・クラプトンのボーカリストとしての力量にも疑問符が打ち消せず、また、これ以前に例のブラインド・フェィスでの些かのヘタレもマイナスに作用していました。

ところがレコード屋の壁に堂々の新譜として飾られている、実に雰囲気満点のレコード現物、そのジャケ写にギター共々登場しているエリック・クラプトンの落ち着いた佇まいは、十代だったサイケおやじには、まさに神様!

なにか昔の絵画に描かれているキリストの如き神々しささえ、感じられたですねぇ。

しかも後に「ブラウニー」と呼ばれていた事を知る、神様に寄り添うギターへの憧れも強かったわけです。

あぁ~~、聴きたいなぁ~、欲しいなぁ~、このLPがっ!

心底、そう思いつめるサイケおやじに非情だったのは、もちろん当時の個人的経済状況の厳しさであり、さらに前述したような悪評(?)が優先していては、サイケおやじの周辺に誰一人、このアルバムを所有しているどころから、しっかり聴いた者さえいない始末……。

そんなこんなの、ど~にもならない欲望が高じていたわけですから、高校入学時に速攻で入会させてもらった所謂ケイオンのバンド組のアンケートにあった「聴きたいレコード」という回答欄に、「エリック・クラプトンのソロアルバム」と書いてしまったのは、あながち若気の至りではありません。

すると一途な思いは必ず通じるわけで、それからしばらく後、先輩が調達貸与してくれのがアメリカ盤ではありましたが、切望していた件のブツ♪♪~♪

いゃ~、それを手渡された時の高揚感は、今も忘れていませんし、実際、自宅でそれに針を落す瞬間のワクワクドキドキした気分は、大袈裟ではなく、人生の大切な宝物になっているほどです。

しかし同時に先輩が、「つまんねぇ~から、あんまし、期待すんなよ」と忠告してくれた一言は、既に刷り込まれていた前述の評判を裏書きされたようで、些か悪い予感もあった事は否めません。

そして……!?

まず、ド頭の「Slunky」が如何にも途中でミスって止めました……、的なR&B風のテナーサックスがメインという短いインストで、エリック・クラプトンのギターにしても、バリバリ弾きまくるというよりは、合の手中心主義???

なんだぁ~~、これっ!?

う~ん、悪い噂は、本当だったのかぁ~~~!?

というのが、その瞬間の偽らざる告白です。

ところが聴き進んでいくうちに、本質的にはR&Bが好みというサイケおやじの趣味嗜好に合っていたのでしょう、アルバム全体から放たれる粘っこいピート感、あるいは当時はその正体を知る由も無かった所謂ゴスペルフィーリングや南部ソウルサウンドの熱気等々が、グリグリに迫ってきたんですねぇ~♪

そこでまず最初にシビれたのが、A面ラストのカッコE~ロッキンソウル「Blues Power」で、思わせぶりなイントロから一転、どっしりと粘っこいリズムパターンに煽られるように力んで歌うエリック・クラプトン! その現実だけで、何か血沸き肉躍る衝動が溢れてくるんですが、加えて鋭いギターによるオカズはブルースロックを凝縮したかの如きテンションの高さだと痛感させられましたですねぇ~♪

またB面初っ端の「Bottle Of Red Wine」が、これまたシャップルビートでノリノリのブルースロックでありながら、明らかにブリティッシュでは無い、ソウルっぽいグルーヴが実に新鮮でしたし、もちろんギターソロも最高の極みですっ!

しかも、前評判では懸念されていたエリック・クラプトンのボーカルにしても、そんなに酷くは無いよなぁ~~、という印象ですから、後は自ずと素直に聴けてしまったのが本音です。

中でも特にソウルっぽい「Bad Boy」や「Don't Know Why」における堂々とした感じは、もしかしたら居直りかもしれませんが、決して卑屈ではないと思いますし、絶対の自信を持っているはずのギターが案外とさりげない分だけ、尚更に惹きつけられるんですよ♪♪~♪

また、このアルバムでは共に演奏を作り上げている助っ人の存在感も非常に強く感じられ、特にブラインド・フェィスのアメリカ巡業では前座をやっていたデラニー&ポニー、そのバックバンドのメンバーだったカール・レイドル(b)、ジム・ゴードン(ds)、ボビー・ホイットロック(key) という、まさに後のデレク&ドミノスのレギュラー陣はもちろん、ボビー・キーズ(ts)、レオン・ラッセル(p,g)、リタ・クーリッジ(vo) 等々、所謂スワンプロックの立役者が挙って参加しており、裏ジャケットに掲載の集合写真も壮観の一言!

ただし、今では歴史になっているそうした美しき流れの証明作になったライプ盤「デラニー&ポニー&フレンズ・オン・ツアー」は、もちろんサイケおやじがこのエリック・クラプトンの初リーダーアルバムを聴けた時点で既に我国でも発売されていたんですが、リアルタイムでは書いているような客観的なポイントは全然掴めておらず、正直に告白すれば、ギターの神様が長いアドリブソロをやってくれないのは、バックがニューロックでは無いからだっ!?

なぁ~んて、マジでピントがズレまくった解釈をしていたんですから、お笑い下さいませ。

ちなみに収録曲は「After Midnight」と「Lovin' You, Lovin' Me」除いて、エリック・クラプトン本人がレオン・ラッセル、あるいはデラニー・ブラムレットと共作した事になっていますが、そのデラニー・プラムレットが意図的にクレジットを当時の妻だったポニー名義にしているあたりは、後の離婚騒動を思えば意味深でしょうか?

しかし、まあ、それはそれとして、オリジナル楽曲の質は決して低くありません。

特に今や「クラプトン・クラシックス」のひとつになっている「Let It Rain」は、如何にもブリティッシュなバンドアレンジや素晴らしいギターソロも含めて、全く何時までも聴いていたい名曲名演だと思います。

それと、完全に「らくしない」アコースティックギターをメインに歌われる「Easy Now」が、これは親友のジョージ・ハリスンからプレゼントされた? と思わざるをえない胸キュンフィーリングがたまりません。なにしろ歌い方そのものがジョージ節になっているんですからねぇ~、憎めませんよ♪♪~♪

その意味で「Easy Now」をB面に、このアルバムからシングルカットされた「After Midnight」は、今や有名人となったJ.J.ケイルの作品というのも、なかなか深淵な企画のような思えますが、ここでのスピードのついた演奏は、そのゴスペル風味を提供するコーラス隊の存在も抜群のスパイスとなって、明らかに新しいエリック・クラプトンがお披露目されています。

ただし、そうした部分がすんなりとファンに受け入れらなかったのは事実であり、極言すれば、背信行為!?

結局のところ当時、こういう音楽を素直に聴けたのは、案外とソウルファンだったのかもしれませんし、少なくとも往年のクリームの夢よ、もう一度と期待する正統派ロック好きには不完全燃焼だったという気持は、サイケおやじにも納得されました。

それは既に述べた先輩からの「つまんねぇから」云々が、真に正鵠を得ていたわけで、実は相当に気に入ってしまった自分の本音なんか、これで正しいのか?

という自問自答に繋がったわけですが……。

今となっては信じてもらえそうもない真相のひとつとして、決定的な傑作名盤「レイラ」が、リアルタイムの我国では、それほど評判にもならず、売れ行きもイマイチだった事実は軽くないでしょう。

多分、それは後追い、あるいは再発見として、デュアン・オールマンが在籍していたオールマンズの人気沸騰、さらにはデュアン・オールマンの突然の訃報があって以降の「レイラ」神話誕生かと思うばかりです。

最後になりましたが、サイケおやじがデラニー&ポニーの「オン・ツアー」に夢中になったのは、このアルバムが好きになっていた下地があったからだと自覚しております。

そしてもちろん、相互作用としての両者愛聴盤化も必要十分条件! あえてバーゲンではありましたが、輸入のアメリカ盤を買ってしまったのも、最初の印象を大切にしたいがゆえの事!

しかし、今でも達せられないのは、ジャケ写に登場しているブラウニー=サンバーストのフェンダー・ストラトキャスターを入手する夢で、これは死ぬまでにはなんとかしたいという、人生の目標のひとつになっています。

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ズー・ニー・ヴーの永劫

2012-06-16 15:52:38 | 歌謡曲

涙のオルガン c/w 白いサンゴ礁 / ズー・ニー・ヴー (日本コロムビア)

ライプの現場では本音のロックやR&Bをやっていても、それが認められてのレコードデビューが歌謡曲だったGSは数多存在していますが、本日ご紹介のズー・ニー・ヴーは、ちょいと微妙な立ち位置のバンドでした。

というのも、その成り立ちはカレッジフォークのグループでありながら、時流がエレキブームから本格的なボーカルを入れたロックバンドのスタイルに移り変わっていく中で、ズー・ニー・ヴーもメンバーを補強増員しつつ、デビュー前にはR&Bを得意とするハコバンの仕事をやっていたと言われています。

ちなみにズー・ニー・ヴーを名乗ったのは、実はその時であり、フォークグループ時代はキャッスル&ゲイツ、あるいはマックルズというアマチュアバンドだったそうですが、いずれにしろ、そうしたバンドに在籍していたメンツが集合し、ズー・ニー・ヴーが結成されたのは昭和43(1968)年春というのが定説です。

そしてラッキーだったのは、当時としては異例中の異例とも言うべき、デビュー盤がR&B主体のカパー曲をやったアルバム「ズー・ニー・ヴーの世界」だった事です!

メンバーは町田義人(vo)、上地健一(vo)、山本康生(g)、桐谷浩史(key)、塚谷茂樹(b)、大竹茂(ds) という6人組なんですが、特にツインボーカルがカッコ良かったですねぇ~♪

なにしろ、これはサイケおやじがリアルタイムで接したラジオかテレビの放送用公開録音のステージで、町田義人と上地健一の二人のボーカリストが徹底的に絡み合うような歌唱スタイルを披露し、実はそうしたパフォーマンスは後にサム&デイヴからの影響と知る事にはなるのですが、いゃ~、当時は中学生だったサイケおやじにしてみれば、本当に強烈な刺激でした。

演じていたのも、確か「Hold On」や「My Girl」といった最新ヒットの黒人R&Bだったと記憶しています。

ところが、ちょうど同じ時期に出したというシングル曲「水夫のなげき」も一緒に演じられながら、これがどうにもイマイチ???

結局、そうしたシビれるズー・ニー・ヴーは前述したLP「ズー・ニー・ヴーの世界」で楽しめるわけで、サイケおやじは残念ながら経済的事情から、その頃には聴くことが出来ませんでしたから、思い出しても溜息が……。

そしてさらに吃驚したのは、翌年になってジワジワとヒットし始めた「白いサンゴ礁」という歌謡フォークがど真ん中の名曲が、R&B専門バンドと思い込んでいたズー・ニー・ヴーの新作シングルだったという現実です。

う~ん、これには本当に違和感があったんですが、やはり楽曲そのものの魅力は絶大で、しかも珍しく家族揃って気に入ったという事もあり、母から特別にお金を貰って買ったのが、掲載したシングル盤というわけです。

しかもレコード屋でさらに驚いたのは、お目当ての「白いサンゴ礁」が、なんとっ! B面収録曲!?!

まあ、こうした事は流行歌の世界では珍しくもないわけですが、未だ純真だったサイケおやじにすれば、煮え切らない思いでしたねぇ。

それでもA面曲の「涙のオルガン」は、そのタイトルからして、一度も聴いたことが無いはずなのに、所謂「泣きのR&B」かなぁ~? と思い込むだけのインパクトがあったのは事実です。

ところが、そう思い込んで針を落してみたところ、実際にはアコースティックギターがメインでベタベタの歌謡フォークなんですから、いやはやなんとも……。期待されたオルガンにしても、ストリングに埋もれるように薄~く鳴っているだけでは、失礼ながら作詞:大橋和枝&作編曲:村井邦彦の狙いが何処にあったのか、ちょいと分かりません。

一方、B面収録でありながら、今や昭和の名曲と認定される「白いサンゴ礁」は、町田義人の大らかな歌いっぷりが実に心地良く、こちらは阿久悠の作詞を得た村井邦彦の作曲がスパっと決まった感じです♪♪~♪

結局、ズー・ニー・ヴーは、なかなか汎用性の高い音楽性と実力を兼ね備えた名人堅気のグループであり、このレコードはロックやR&Bには分類されない歌謡曲ではありますが、特に「白いサンゴ礁」はガチガチの洋楽ファンにも素直に楽しめるんじゃないでしょうか。

また、その意味でさらに歌謡曲どっぷりの「涙のオルガン」にしても、これがもしもタイガースで作られていたら、どうだったのか? なぁ~んて妄想が尽きない名曲候補の筆頭だと思いますし、それだけ昭和の歌謡曲は洋楽を地道に導入していた証かもしれません。

ということで、ズー・ニー・ヴーは例えば後に尾崎紀世彦でメガヒットする「また逢う日まで」の原型となった「ひとりの悲しみ」を歌っていたという、ちょいとツキの無いバンドであったかもしれませんが、同時に「白いサンゴ礁」という永遠不滅の名曲を残したんですから、それだけで忘れられないと思います。

というよりも、ズー・ニー・ヴーだからこそ、というべきでしょうか。

最後になりましたが、それにしても「ズー・ニー・ヴー」というバンド名は、どういう意味なんでしょうか?

個人的にはリアルタイムから、サイケおやじの子供時代にNHKで放送されていたテレビ人形劇「ブー・フー・ウー」を即座に連想し続けているのですが、まあ、そういう印象も強いというわけです。

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あべ静江のフェロモン最強説

2012-06-15 17:31:27 | 歌謡曲

みずいろの手紙 / あべ静江 (キャニオン)

サイケおやじの連日の戯言文章ばかりでは、あたかも昭和の芸能界はイケイケのお姉様が主流?

なぁ~んて思われるお若い皆様もいらっしゃるでしょうか。

しかし、それは全くの危惧であって、やはり主流は所謂清純派であり、例えば本日の主役たるあべ静江は昭和40年代末頃に、その最右翼でありました。

なにしろ、これは今でも鮮烈に覚えているのですが、昭和48(1973)年初夏の歌手デビュー時には、「フリージアの香り」というキャッチフレーズがウリだったんですよっ!

しかも、それを裏切らない清楚なルックスと落ち着いた喋り方は、まさに清純派としか言えませんでした。

そして忽ちヒットを連発し、中でも掲載した「みずいろの手紙」は同年秋に発売されるや、レコード大賞の新人賞を絶対的にする人気を集め、確か大晦日の紅白歌合戦でも歌っていたと記憶していますが、実際、これは素晴らしい名曲として、今日でもカラオケで愛唱されている皆様も大勢いらっしゃるでしょう。

それはまずイントロと重なる彼女の語りが、胸キュンなんです。

 お元気ですか そして今でも
 愛しているといって下さいますか

くぅ~~っ、これだけで、もう辛抱たまらん状態♪♪~♪

実際、これは聴いていただければ、その刹那のソフトクリーム的な声質が野郎どもの五臓六腑に染みわたるという、流石は作詞:阿久悠&作編曲:三木たかしの確信犯的仕事は極みつきでしょう!

しかもセミクラシック調のジェントルな曲メロは、如何にも歌謡フォークがど真ん中であり、終ってしまいそうな恋の結末が幾分危うさギリギリという、あべ静江の歌唱力の完璧な持ち味に転嫁されているんですねぇ~♪

ちなみにこのメロデイの最初のパートは、後にフュージョンやって人気を集めたトランペッターのチャック・マンジョーネが大ヒットさせた「Feel So Good」に酷似している事は有名ですが、そのネタ元は?

それと冒頭の語りの件なんですが、ご存じのとおり、あべ静江が芸能活動に入ったのは地方曲のラジオDJの仕事であり、当時は女子大生だったというのですから、それを聞けたファンは幸せだったでしょうねぇ~~。

ということで、あべ静江の人気の秘密は、その初々しいさと言われておりますが、サイケおやじにすれば、もうひとつの彼女の魅力は、それと相反する濃厚なフェロモンがナチュラルに感じられる事だと思います。

まあ、このあたりは例によってサイケおやじの思い込み優先ではありますが、当時のあべ静江は芸能界の慣例とも言うべき水着姿とか、キワドイ衣装なんてものは、それほどありませんでした。

ところが、何故か一般的なイメージの清涼感とは相容れない、失礼ながら極言すれば「生臭み」のようなムードが、どこか彼女から伝わってくるんですねぇ……。

う~ん、こんな事を書いていたら、あべ静江のファンから強烈なお叱りは覚悟しなければなりませんが、なかなか自分を偽れないサイケおやじの正直な気持です。

そして告白すれば、サイケおやじは1980年代のある日、渋谷の仕事関係先のビルのエレベーターで、彼女と二人っきりの短い時間を♪♪~♪

どうです、羨ましいでしょう~。

これは我ながら、人生において本当にラッキーで稀な体験ではありますが、その時のあべ静江はコテコテに太っていて、最初はちょいと気がつかなかったほどです。

しかしその発散されるフェロモンの濃厚さは、今も鮮烈な記憶であり、自分の説が立証された(?)喜びがジワジワと胸に広がっていました。

あぁ、本日のサイケおやじは、実にトンデモナイ事を書いていますよねぇ。

失礼致しました。

最後になりましたが、この「みずいろの手紙」はレコードよりも、テレビやライプステージでの生歌の方が圧倒的に素晴らしく、冒頭の語りの情感や歌の奥行きの表現等々、それを楽しむためにも、どうか当時の映像が公式復刻されますように、心から願っている次第です。

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なにがなんでも大信田礼子♪

2012-06-14 16:12:59 | プレイガール

嵐を呼ぶ女 / 大信田礼子 (CBSソニー)

サイケおやじの世代にとって、大信田礼子もまた、所謂トラウマガールのひとりじゃ~ないでしょうか。

少なくともサイケおやじの場合、そのオカズ性感度の高さは相当なもので、その最初に強い印象を与えられたのが、テレビ時代劇「旅がらすくれないお仙(昭和43年・NET=現・テレビ朝日)」における女スリ「かみなりお銀」役でした。

なにしろ既にして彼女の魅力であった、大柄な肢体に素晴らしく発達した太腿と美脚が、この役ではそれを充分に活かすぺく、時代劇であるにもかかわらず衣装が虎の皮で作ってあるホットパンツ♪♪~♪ しかも当然の如く、アクション・シーンでは悪漢にその格好でケリを入れ、啖呵を切るという派手なものでしたから、主役の松山容子に勝るとも劣らない人気を集めていたんですねぇ~♪

もう、このあたりで後の「プレイガール」におけるレギュラー出演が予行演習されている感じではありますが、それと平行して劇場用映画での役も次第に大きなものになっていき、個人的には若山富三郎主演の「帰ってきた極道(昭和43年・東映)」で演じた踊り子の道子役が印象的でした。

それは極小水着系の衣装でセクシーに踊り、さらに麻薬中毒にされて仲間を裏切り、本当に悲しい結末を迎えるという役柄だったんですが、その演技が逐一最高♪♪~♪

正直、彼女の場合は、そのナイスバディがウリのセクシー女優としての受け取られ方が一般的だと思いつつも、サイケおやじは彼女の演技面での力量も棄てがたく思うばかり♪♪~♪

ですから、いよいよ大ブレイクとなったテレビエロアクションの最高峰という前述「プレイガール」への出演では、お約束のパンチラを毎回バッチリ披露してくれましたので彼女の人気は急沸し、以降は東映の劇場用作品「ずべ公番長」シリーズ全4作で主役・景山リカの大熱演は皆様ご存じのとおりです。

そして、これまた当然が必然という歌手活動も、「女はそれを我慢できない」「ノックは無用」「同棲時代」等々のヒットを連発しましたが、率直に言えば、歌は決して上手いとは……。

つまり彼女がナチュラルに発散するフェロモンの魅力で、歌が売れていたというのが、率直な結論かもしれません。

さて、そこで本日掲載したシングル盤は昭和47(1972)年秋にヒットした、これがなかなかのセクシー&バイオレンスな名曲にして名唱♪♪~♪ と言うよりも、大信田礼子ならではの「蓮っ葉な」ズベ公っぽい歌い方がズバッと直球のストライク!

もちろん作詞:山口あかり、作曲:平尾昌晃の仕事も素晴らしく、さらに特筆すべきは馬飼野俊一のアレンジが捨て鉢なフィーリングで歌う大信田礼子の魅力を見事にバックアップする、その雰囲気の盛り上げが秀逸ですよ。

ということで、やはりひとつの雰囲気を持っている女優や歌手は強いというのが、本日の結論です。

ただし大信田礼子は幾分、そのイメージが強すぎたのも確かであって、今となっては、この期間中に濃厚なラブシーンを演じていたとか、派手に脱いでいたとか思われがちですが、そんなことは実際ありません。

ご存じのとおり、彼女は人気絶頂時の昭和49(1974)年に作曲家の都倉俊一と結婚・引退していますが、完全なヌードを披露したのは1980年代に入ってからで、それは都倉俊一との離婚を待たなくてはなりませんでした。

しかし、それでも結婚前の大信田礼子が絶対的な魅力に溢れているのは、ある種の勢いが凄かったからで、歌がターヘでも、自らの発散するムードやファンが何を望んでいるのか、そのあたりをしっかり分かっていたからだと思います。

う~ん、彼女のような歌手は、もう一度現れて欲しいもんですねぇ。

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あい杏里は幻なのか?

2012-06-13 15:45:55 | 歌謡曲

恋が食べたいわ / あい杏里 (日本コロムビア)

度々書いてきたように、洋楽の世界では所謂「実態の無いバンド」のヒット曲が多数あって、つまりは楽曲優先で作られた結果、流行った後付けとして巡業用に結成されるグループが、それに該当するわけです。

もちろん、それが成立していたのは当時、欧米で売られていたアナログ盤シングルレコードは、本体が紙袋に入れただけという無愛想な販売方法が普通であった為かと思います。

ですから我国のように、昔っから、例えシングル盤であろうとも、きっちり写真かイラストを用いたピクチャースリーヴという形態が用いられていれば、それはなかなか難しかろう!?

前述した洋楽での「実態の無いバンド」によるヒット曲にしても、なんとか流行った後の巡業用バンドの宣材写真を使ったり、それが無理な場合は「らしい」イラストを使ったジャケットを付けていたのですから、我国の音楽ファンは幸せでした。

さて、そこで本日掲載の1枚は、お色気歌謡曲の愛好者には必須のコレクターズアイテムとして各方面で紹介され続けてきた人気盤であり、ジャケ写からも一目瞭然♪♪~♪ 濃厚なセクシームードは「お約束」以上のシロモノです。

しかし内容は決してイージーな作りでは無く、発売された昭和45(1970)年7月の流行をドンズバに意識したポップス歌謡の王道に沿ったもので、作詞:石坂まさを、作曲:森川範一、そして編曲:森岡賢一郎の仕事に手抜きは感じられません。

率直に言えば、その頃にセクシー路線で人気を集めていた奥村チヨを意識しまくった企画でしょう。

とにかくエグイばかりの悶え声で歌ってくれる、その刹那のエロスは、大袈裟とか下品とか、そんな在り来たりの言葉で表現出来るものではありませんっ!? そのあまりの演技(?)は、笑ってしまっても許されるほどなんですよねぇ……。

そして中身以上に強烈な印象を焼きつけてくれるのが、ほとんど当時のエロ本の表紙の如きジャケ写であって、あい杏里本人のルックス、ドギツイ化粧と衣装、激ヤバのポーズをつけさせたキメのショット等々、狙いが凄すぎますよっ!

ですから、サイケおやじはリアルタイムで本人が歌っている場面に接した事が、テレビでもラジオでも生ステージでも全くありませんし、歌そのものだって聞いたこともありませんでした。

結局、このアイテムが広く知られるようになったのは、かなり後の「廃盤アワー」のブーム、あるいは「セクシージャケット」のブームがあっての事でしょう。

極言すれば、サイケおやじは、果たして「あい杏里という歌手」は実在したのか!?

とさえ、疑念を抱くほどなんです。

なにしろ往年の業界には明らかに「エロテープ」紛いの企画商品が堂々と作られていた歴史がありますからねぇ~♪ そこでもしかしたら、この「あい杏里」も、このシングル盤だけの存在であって、ジャケ写に登場しているのは、モデルさんか、あるいは成人映画の女優さん??

なぁ~んて事まで想像してしまうのですが、まあ、それほどモロにエロ狙いの一発としか思えないのです。

ということで、あい杏里は結局、この1枚だけの存在のようですし、果たして実際にジャケ写に登場している女性が歌っているのかの確証を持てないのが、サイケおやじの本音です。

どうか皆様には、もしも彼女の生歌に接する幸運に恵まれていたならば、お話を聞かせていただきとうございます。

しかし、こういうジャケ写を眺めつつ、濃厚なエロスの歌声を楽しめる日本の愛好者は恵まれていますねぇ~♪ それもまた本音なのでした。

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解決策になるのかも

2012-06-13 05:56:34 | Weblog

おぉ~、今ぐらいの時間だと、スイスイと編集画面にもアクセス出来ますねぇ。

よし、アップ時間を変更してみます。

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ど~~しようもない……

2012-06-12 19:44:29 | Weblog
せっかくご来場の皆様にお詫びです。 なにか最近、借りいてる拙ブログの調子が良くありません。 とにかく編集パートが重くて、画像もキープ出来ないし、新規投稿も今、これが精一杯……。 まあ、無料だからねぇ、諦めるしかないのか、それとも容量が限度を越したのか? ちょいと様子を客観的に考察してみます。 失礼致しました。
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