東日本大震災の追悼式で被災地に来ています。
ある日突然の未曾有の出来事から、もう3年……、まだ3年……。
現地の悲惨は、未だ生々しいばかりです。
もちろん自然の脅威に対し、人間は無力の時もあるでしょう。
しかし、それが分かっているだけに、悲しい気持ちは拭いきれないものがあります。
なんとか前を向いていけるように、サイケおやじも微力をつくす覚悟を新たにしているのでした。
東日本大震災の追悼式で被災地に来ています。
ある日突然の未曾有の出来事から、もう3年……、まだ3年……。
現地の悲惨は、未だ生々しいばかりです。
もちろん自然の脅威に対し、人間は無力の時もあるでしょう。
しかし、それが分かっているだけに、悲しい気持ちは拭いきれないものがあります。
なんとか前を向いていけるように、サイケおやじも微力をつくす覚悟を新たにしているのでした。
■いつでもどうぞ / 佐川満男 (日本コロムビア)
現在はどういう位置付けになっているのか、失礼ながら幾分忘れられかけているのが、歌手としての佐川満男かと思います。
そりゃ~確かに引退と復帰を繰り返して来ましたし、一時は活発だった俳優としても存在感も、現在は関西地区がメインのですからねぇ……。
また、歌手としての全盛期だった昭和40年代に出していたレコードのジャケ写を見れば、例えば本日掲載の1枚にしても、髪の毛がたっぷりあった佇まいに違和感を覚える皆様もいらっしゃるでしょう。
しかし、その時代に佐川満男が聞かせてくれた歌は、聴かず嫌いが勿体無いほどにお洒落なムードのソフトロック系歌謡曲がいっぱいあるんですよっ!
中でも「今は幸せかい」や「フランス人のように」は有名なところですし、個人的には、この昭和45(1970)年に発売された「いつでもどうぞ」が気に入っています。
とにかく余韻を大切にした歌い方がニクイばかりで、それが作詞作曲の中村泰士が企図した、所謂シンガーソングライター的な味わいの表現であるとすれば、森岡賢一郎のアレンジもアンプラグドな色彩が滲んでの高得点♪♪~♪
柔らかなボーカルの節回しが本当にジャストミートの隠れた名曲&名唱と思います。
ということで、ジャケ写に登場している佐川満男の下心が剥き出しの佇まいは、中年者のひとつの理想かもしれませんし、当時のセンスが存分に横溢したファッション共々、この時期の佐川満男を再評価していただきたいものです。
ただし、もちろん、サイケおやじにしても、なにかじっくり佐川満男を聴くのは気恥ずかしいところは否定致しませんが、例えば偶然に有線やラジオから流れてくる佐川満男の歌の心地良さも、これまた否定出来るものではありません。
虚心坦懐に楽しむべき歌手が、佐川満男の本質かもしれませんねぇ~。
■行き暮れて c/w 海がみたい / 豊島たづみ (ポリドール)
好きな人には、好きでたまらないのが、豊島たづみでしょう。
彼女の活躍したフィールドは所謂ニューミュージックだったんてすが、それを新種の歌謡曲と解釈すれば、豊島たづみの立ち位置も、自ずと明確になるのかもしれません。
例えばその魅力のひとつには、ハスキーというよりも、スモーキーという感じの声質を活かした節回しの上手さがあって、時にはソフトで深みのある表現から、またある時には芯の強いドライヴ感を強く滲ませるパワフルなボーカルスタイルの使い分けが最高なんですねぇ~~♪
もちろん、その中庸を兼ね備えた懐の深さも実力派の証明でありました。
さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和54(1979)年晩秋に発売され、特にA面の「行き暮れて」がジャケ写にも記載があるとおり、当時のテレビドラマ「オレンジ色の愛たち(TBS)」の主題歌であったことから、かなりのヒットになっていた記憶があります。
しかし、と書いたのも、サイケおやじは件のテレビドラマには全く接することがありませんでしたから、そのイメージの喚起の度合いはちがっているはずですし、それでも盛り場の有線放送で聴く豊島たずみの歌の中では、相当に流行っていたんじゃ~ないでしょう。
なにしろ作曲:桜井順&編曲:大村雅朗によるメロディとサウンドの狙いはモダンな歌謡ボサノバですから、落合恵子の綴った如何にも「らしい」歌詞があっては、普通のお洒落なAOR歌謡曲で終わってしまいそうなところに、豊島たづみのグッとしぶとい歌い回しがあるんですから、派手さは無くとも、ジワジワと滲み込んでくる、大人の胸キュンフィーリングが本当に良い感じ♪♪~♪
そしてさらに素敵なのがB面収録の「海がみたい」で、こちらは作詞作曲が豊島たづみ本人ということもありましょうが、極めて都会的な川村栄治のジャズっぽいアレンジがあっても、これほどハートウォームな仕上がりは予想外の絶品ですよっ!
冒頭に述べたとおり、それは豊島たづみの歌心が昭和歌謡曲に特有の「泣き」や「やるせなさ」を自然体で大切にしているからと、サイケおやじは独りで納得している次第ですが、こう書いてしまっては、歌謡曲そのものがダサいという結論にはなりません。
むしろ歌謡曲が成り立つための汎用性、あるいはその雑食性がある限り、日本語による歌心を求めれば、歌謡曲フィーリングは捨てられるものではないでしょう。
当然ながらサイケおやじは豊島たづみには一面識も無く、それゆえに彼女が何を心がけて歌っているのかは知る由もありませんが、「伝わって来る」のは歌の真実のみと思いたいわけです。
ということで、ゴチャゴチャと屁理屈を述べるのは恥ずかしいほどです。
これまた最初に述べた事を鑑みれば、豊島たづみは好き嫌いを大いに誘発する歌手であり、失礼ながらリアルタイムではルックスで損をしていた感も……。
しかし何であれ、好き嫌いは実際に接してみなければ、己の感性だって信じるわけにはいきません。
あぁ~、豊島たづみが好きだぁ~~~~♪
■愛はエネルギー / 松原みき (See Saw / キャニオン)
とても寿命という言葉を使えないほどの若さで逝かれたスタアの中で、サイケおやじは松原みきも忘れられません。
ご存じのとおり、彼女は昭和54(1979)年末の大ヒットデビュー曲「真夜中のドア」によって、ニューミュージック~AOR系のシンガーというのが一般認識であり、さらにはちょっぴりコケティッシュなルックスとキュートな節回しの表現力に秀でていた個性がありましたから、野郎どものオカズ性感度もなかなか高かったと思われます。
実際、サイケおやじも彼女の細身の肉体には、妙に気が惹かれましたですよ♪♪~♪
しかし同時に、彼女には確かに音楽的な才能があって、ピアノやキーボードを弾けば、なかなかのナイスセンス♪♪~♪
ボーカルの基本も、おそらくはジャズをメインに洋楽からの影響が濃いはずで、そういう資質が後に歌手活動の第一線からフェードアウトし、職業作家に転じる布石になっていたはずです。
さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和54(1979)年末に発売され、翌年にはきっちりA面曲「愛はエネルギー」がヒットした、松原みき名義の2作目なんですが、なんといっても曲タイトルのベタな力感が「逆もまた真なり」でしょうか。
正直、林哲司の作編曲はリアルタイムの洋楽お洒落系サウンドをモロパクリに繋ぎ合せたものですから、今となっては懐メロとして憎めないかもしれません。
ところが三浦徳子の作詞には、肝心の「愛はエネルギー」というフレーズが、なにやら強引に接着した感が強いんですよねぇ……。
そういえば、この歌は当時、なにかのCMに使われていましたから、最初にそのキャッチコピーがあっての制作だったのでしょうか?
なんだか妙に面映ゆくて、しかし「愛」という、ストレートに形にするには難しい事象を「エネルギー」としてとらえる方法論は、正解のように思います。
なにしろ現在のサイケおやじは、危篤状態の安西マリアの回復を願い、ひたすらに「念」を送っているのですから、そこに込められた「愛」が届くのならば、エネルギーの絶対量も減少することはないでしょう。
ということで、本日は屁理屈ばかりになってしまい、申し訳ございません。
あぁ、松原みきは享年44歳……。
しかし、その「愛のエネルキー」は残された音源にしっかりと残されているのでした。
急病により、安西マリアが重篤!?
出張帰りで朝っぱらからのニュースに接し、胸の潰れる思いです。
生老病死は、この世の真理とはいえ、もう一度、彼女の笑顔を拝みたいのがサイケおやじの偽りのない気持ち……。
頑張れ、マリア!
ひたすらに今は、念を送っています。
実際、現場主義のサイケおやじは、今もそれしかありません。
またまた出張で本日の1枚は休載させていただきますが……。
深夜~未明には戻りますので、よろしくご理解下さいませ。
仕事が縺れて……。
会議は紛糾!?
出口を模索中につき、本日の1枚は休載させていただきます。
明日待たるる この宝船、って心境です。
■センチメンタル急行 / ローズマリー (TRIO)
我国で一番ロックが燃え盛っていたのは、昭和42~45年頃のGSブームであった事は今や歴史になっていますが、だからこそ、その残滓というには、あまりにも素晴らしく、同時に無視され続けているグループのひとつが、本日掲載のシングル盤を出したローズマリーです。
と、またまた自分だけが分かっている書き出しになってしまったのは、ローズマリーは前述GSブームの中で殊更スタアであったオックスの正統を継ぐバンドであり、また今となっては、現在マルチタレントとして活躍しているモト冬樹が在籍していたというネタがありますからねぇ~。
そういう流れの中で、最初は元オックスの福井利男(b) と岡田志郎(g) が中心となってピープルと名乗る前身バンドが結成され、サイケおやじは未聴ですが、シングル盤を1枚出した後、昭和48(1973)年頃にメンバーの入れ替えを経て、発展したのがローズマリーだと言われています。
メンバーは、その福井利男(b) と岡田志郎(g,ds) に加えて、中尾喜紀(vo)、東冬木=モト冬樹(g)、上原おさむ(key)、愛川かつみ(vo,per,etc.)、仲原克彦(g) 等々、実は度々顔ぶれが変わっていたという真相もあるようですが、少なくともレコードを聴く場合には問題ありません。
何故ならば、当時のローズマリーの公式音源はスタジオで作り込まれた楽曲が多く、このシングル盤A面曲「センチメンタル急行」にしても、ブラスやストリングがたっぷり導入された、これが素敵なバブルガム系ロッキンソウルな歌謡曲になっているんですねぇ~~♪
とにかくハナからケツまで、楽しいアイドル歌謡という雰囲気も濃厚であり、しかしタイトなドラムスやキメまくりのペースは実に痛快!
まさに穂口雄右の作編曲が、制作発売された昭和49(1974)年の洋楽流行をズバリと借用再構成して、秀逸の極みですよ♪♪~♪
そしてもちろん、松本隆の綴った歌詞がアイドル志向の変化球に感じられるのも、ローズマリーならではの個性というか、同時期に活動していた人気バンドのチャコとヘルスエンジェル共々、やはりGSの衣鉢を受け継ぐ姿勢と思うばかりです。
ということで、今日では当時の我国ロック事情が、何故かニューロックや日本語のロック云々で語られる事が多く、こういう歌謡曲寄りのグループは歌謡フォークでもありませんから、再発見も無いのでしょうか……。
まあ、そのあたりはリアルタイムから風当たりが強く、時代遅れだとか、アイドル丸出しでロック魂が無いとか、決してロックに燃える野郎どもからは相手にされなかった実情も、確かにありました。
しかし、その頃の洋楽では、例えばグラムロックから派生したパワーポップのバンド、あるいはガレージ系バブルガムサウンドのグループが、なかなか人気を集めていた現実もあったのです。
それを鑑みれば、ローズマリーはもっとブレイクしても良かったはずなんですが、それでも泣かず飛ばずのうちにメンバーチェンジを繰り返し、バリバリのアイドル歌手だった伊丹サチオがリードボーカリストで参加していた頃も含めて、決して日本のロック界の仇花では無いと思います。
最後になりましたが、掲載ジャケ写をご覧になっても、モト冬樹がどこに居るのか、ちょうと不明でしょう。もちろんサイケおやじにも分かりませんし、理由は言わずもがなということにしておきます、はい。
■今夜のこと c/w フライ・アウェイ / 西田佐知子 (ポリドール)
昭和歌謡曲ファンなればこそ、西田佐知子は決して忘れられる歌手では無く、ましてやリアルタイムを過ごした、今や中年者以上の男性諸氏にとっては、彼女の存在が殊更眩しく思えるんじゃ~ないでしょうか。
もちろん不肖サイケおやじは、何も偉そうなことを言うつもりは無くとも、西田佐知子には何時も心を惹かれてしまうわけでして、例えば本日掲載のシングル盤は昭和52(1977)年の発売ですから、既に彼女は人妻になっていましたが、こちらの恋情はジャケ写に接しただけで、抑えきれるものではありません。
あぁ~、なんて素敵な♪♪~♪
と、すっかりメロメロにされてしまいますが、中身も当然、最高に素晴らしいんですねぇ~~♪
それはまずA面「今夜のこと」が作詞作曲:酒井チエ&岸ヨシキ、そして編曲:佐孝康夫が思いを込めた、実に心地良いボサノバ歌謡で、しかも西田佐知子ならではの退廃的な節回しがジャストミート♪♪~♪
バックの演奏が当時流行のAOR系ジャジカルムードに彩られているのも高得点♪♪~♪
もう、サイケおやじの気分としては、「♪」をいくら用いても表現不可とご理解下さいませ。
それはB面「フライ・アウェイ」にも同様で、こちらは作詞:竜真知子&作編曲:林哲司によるソフト&メロウなニューミュージック歌謡の決定版なんですよ♪♪~♪
いゃ~、こうなってみると、当時の西田佐知子の幾分「荒んだ」フィーリングの声質がセクシーと言うには、あまりにも生々しく、それでいて決して生臭みが無いのですから、たまりません♪♪~♪
実は皆様ご存じのとおり、この両面2曲は同年に出された彼女のLP「いつもの午後」からのシングルカットでありまして、さすれば件のアルバムも絶品の仕上がりですから、機会があれば、ぜひとも皆様にもお楽しみいただきたい大傑作!
ちなみにそこで明らかになっている演奏参加メンバーのクレジットを確認すれば、高中正義(g)、大村憲司(g)、矢島賢(g)、杉本喜代志(g)、中牟礼貞則(g)、深町純(key)、羽田健太郎(key)、今井裕(key)、後藤次利(b)、小原礼(b)、林立夫(ds)、つのだひろ(ds)、村上秀一(ds)、田中清(ds) 等々、今では夢の豪華な顔ぶれですから、まさに大人の歌謡曲が作られているのもムペなるかな、ど~して平成には……、という思いを打ち消せません。
しかし、それが昭和歌謡曲の一番の魅力であることも、また確かな証明でしょう。
ということで、このジャケ写にして、全く遜色のない歌を聞かせてくれるのが、西田佐知子です。
彼女に邂逅出来た幸せに感謝♪♪~♪
■うそつきが好きよ / 日吉ミミ (日本ビクター)
本質的に猫顔が好きなサイケおやじは、だから日吉ミミも気になる存在でした。
ただし一般的には昭和45(1970)年に放った、あの大ヒット曲「男と女のお話」おける、エグ味の強い高音域の歌い回しに好き嫌いがあるのでしょうか、あまりにもその印象が残り過ぎて、以降は低迷するばかり……。
もちろんルックス云々で語られることもなく、それでも唯一、ハーフのアイドル歌手から女子プロレスのスタアに転身したミミ萩原の引退後の姿と間違われるなぁ~んていう、煮え切らないネタもありましたですねぇ。
ところが日吉ミミの個性に一度でも惹かれてしまえば、前述の低迷期に出していたレコードでさえも、唯一無二の名盤になりうる歌が多いんですよっ!
本日掲載したシングル盤A面曲「うそつきが好きよ」は、昭和52(1977)年秋に発売された、まさにその条件にジャストミートの隠れ名作で、実は中島みゆきの作詞作曲によるカパー物という真相も深いものがあります。
なにしろ日吉ミミが持前の退廃フィーリング、捨て鉢なイメージを尚更に強くする高音域唱法を用いて節回す味わいは、かえって潔いと思うばかりで、結果的に大きなヒットにはなりませんでしたが、彼女のファンなればこその納得感は最高♪♪~♪
残念ながら既に天国へ召されている彼女は、二度と生歌を聞かせてはくれませんが、特にこの「うそつきが好きよ」は軽いオールディズ系のサウンドに乗って、ふぅぅぅ~っと歌い飛ばすような日吉ミミならではの「節」を聴けば、きっと彼女の別な魅力に目覚めるでしょう。
ということで、日吉ミミは決して「男の女のお話」ばかりの歌手ではありません。そう思ってしまうには、あまりにも勿体無いんじゃ~ないですかねぇ~。
今こそ、しっかりと再評価していただきたく、本日はこれを書いているのでした。