OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

寛容な憂鬱

2015-10-21 16:22:29 | Singer Song Writer

ブルー / 渡辺真知子 (CBSソニー)

その昔、亡くなった妻の遺品を整理していたら、所謂元カレとのツーショットが数葉出てきたと言って泣き出した先輩がいました。

そりゃ~、もちろん、その亡くなった奥様にも思い出は大切にしたいという気持ちがあったはずだし、そういう「人格」をも認める事が夫婦としての努力と存在意義でしょう。

ただし、泣いていた件の先輩は失礼ながら性的能力に些かの患いがあったようで、男としての本領が発揮出来ない時期があり、結局は子供にも恵まれないまま、妻に先立たれたとあっては、サイケおやじも複雑な心境で、その時はどのような言葉もありませんでした。

それでも翻ってサイケおやじがその先輩の立場であったなら、露骨な話ではありますが、妻の元カレよりも、自分の方が圧倒的な回数のセックスをやらなければっ! という強迫観念に囚われるのは必定と思うばかりです。

もちろん、セックスは回数よりも密度という常識(?)もありますし、あえて若い頃からセックスレスを実践している夫婦も、この世には少なくないはずです。

でもねぇ~、やっぱり遺品の中にそ~ゆ~ものを見つけてしまったら、自分の境遇は情けなくも惨めだという不条理に苛まれても当然という気持ちは、否定出来ません。

ということをツラツラ思い出しながら長距離の移動をしているサイケおやじの耳に蘇ったのが渡辺真知子が自作自演で昭和53(1978)年秋に大ヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「ブルー」であります。

その内容については、あまり多くを書きたくはありません。普通に聴けば「女歌」でありますが、せつない男の歌としても充分に共感を覚えてしまうからこそ、ロングセラーになったんじゃ~ないでしょうか。

あぁ、なんだか今日は不条理な気分が優先しています。

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心の音の告白

2015-10-20 15:15:05 | 歌謡曲

心の音 / あべ静江 (キャニオン)

もしも叶わぬ願いが叶うなら、もう一度だけ、あの人に会いたい……。

そう願う人は少なくないでしょう。

不肖、サイケおやじもそのひとりとして、もしも願いが叶うなら、その時はその人に心から謝罪したいというのが、現在の偽りの無い心境です。

確信犯的告白と思われるでしょうが、サイケおやじはその昔、自らの我欲によって、その人を絶望のどん底に陥れた過去があり、しかも自分は既に大義名分を周到に準備しての行動だったのですから、責任逃れというか、卑怯をも正当化していました。

もちろん、その時を境に周囲のサイケおやじに対する態度や姿勢は二極分化され、それなりの時間が過ぎ去った今は安穏とする事も出来るわけですが……。

ある事情から先日、そうした酷過ぎる過去の所業が痛切に思い出され、全く悔悟と贖罪の気持ちに苛まれ……。

極言すれば、今の自分があるのは、その所為であり、だからこそ、決して幸せになってはいけないと思うほどなんですよ。

あぁ……、ずうぅっと忘れていたはずなのに、それを都合良く解釈すれば、こんなに人間らしい気持ちにさせてくれる事にも、感謝する他にどうしていいのかわからないという……。

それは絶対に叶うことのない願望であり、それを承知の上での言い訳なのでしょう。

本日も戯言、失礼致しました。

ということで、そんなこんなは世の常かもしれず、だからこそ、人は別離の歌を欲するのでしょうか。

あべ静江が昭和51(1976)年に出した掲載のシングル盤A面曲「心の音」も、そんな風景描写が作詞作曲:財津和夫によって提供され、しかも林哲司のアレンジがマンドリンやクラリネットを用いた懐メロ調学園歌謡みたいな下世話さに収斂しているという、まさに彼女のソフトタッチな哀愁歌唱にはジャストミート♪♪~♪

内容的には「女歌」ではありますが、「心の音」を思い出すのは万人共通でありましょう。

あぁ、絶対に叶わぬと知りつつ、もしもその人に会えたなら……。

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我欲と物欲の果て

2015-10-19 15:06:21 | 歌謡曲

棄てるものがあるうちはいい / 北原ミレイ (東芝)

またまた昨日は借りているトランクルームへ行って来ました。

もちろんブログのネタを物色するのが第一義であり、なにしろPCに入れているレコード等々の画像も残り少なくなっていますから、それなりの心積もりはしていたのですが、もうひとつ、さらに現実的な問題がありました。

それは借用スペースが満杯に近くなっているので、同じ場所にもうひとつ借りたいという希望があって、以前から頼んでいた件の話もあったんですが……。

結果的に、未だ願いは無理のようで、こうなったら他所にもう少し広い場所を確保し、全てを移管するしかないという決断も迫られるところが、ツライです。

なにしろ皆様ご推察のとおり、それはサイケおやじの長年の我欲&物欲の証左とも言えるわけで、あまりにも雑多に集められたレコードやCD、映像ソフト、書籍等々が所謂ゴミ屋敷状態!?

もはや自分でも呆れかえるばかりで、あぁ……、こんな物のためにサイケおやじは首吊りの足を引っ張ったり、周囲を不幸に巻き込んできたのかと思うばかりです。

もちろんそこには、例えば往年のSM誌やエロ本の山、あるいは未だ梱包もそのまんまの通販ゲット商品、子供時代からの思い出の品の数々という、慰められてきたブツも多くて、それゆえに棄てる事などは絶対に出来ないという、この期に及んでの潔くない気持ちが情けないわけですが……。

そんなこんなをあれこれと思いつつ、ふっと心音となったのが北原ミレイが昭和46(1971)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「棄てるものがあるうちはいい」でした。

ご存じのとおり、北原ミレイは前年に大ブレイク&大ヒットの傑作「ざんげの値打ちもない」で自暴自棄な気持ちを歌いきっていましたから、続いて出したのがこの「棄てるものがあるうちはいい」というのも、プログラムシステムの掟でありましょう。

実際、作詞:阿久悠&作曲:村井邦彦、そして編曲:馬飼野俊一が作り出したのは、しかし完全なる二番煎じというなかれっ!

むしろ惨めな境遇においても、希望の欠片が見つかるかもしれないという儚い願いは残っているという、捨て鉢な切迫感が北原ミレイならではの凄みのある節回しで歌われる時、言い知れぬ哀切に心が満たされるんですねぇ~~。

確かに、そこにあるのはサイケおやじが非道を積み重ねたものに他ならず、だからこそ全てを棄ててしまうことが出来そうもない自らの弱さ、卑小さを痛感させられる現実として、これからは自分を律する心の拠り所にしようと、まあ、都合の良い事まで考えているんですよ。

恐らくはサイケおやじが死んでしまえば、そこにある諸々の欲望の証は棄て去られるでしょう。

でも、今しばらくは、猶予をお願い致します。

繰り返しますが、サイケおやじは、こんなもののために酷い生き様を積み重ね、無様に格好を繕っているわけですよ。

あぁ、せめてもそうやって生かされてきた、この命……。

なにかの役に立てねばバチアタリは必定、それが出来る日を心待ちにしているのでした。

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過ぎて行く日々の中で

2015-10-18 16:26:46 | 浅川マキ

こんな風に過ぎて行くのなら / 浅川マキ (東芝)

現在の自分の心境立場を思う時、それはこれまで我欲と享楽で過ごして来たツケが回ったという事なんでしょう。

それは自分を偽り、周囲を欺いて来た罰でもあり、もちろんそれなりの喜怒哀楽はあったにせよ、その何れをも心から受けとめていたとは決して言えません。

むしろ、そんなこんなを無感動に受け止める努力さえしていたと思うばから……。

今となっては、なんて馬鹿野郎な生き様だと、大いに後悔しているんですが、さりとて過ぎ去った日々は戻らず、これからもやるせない気分に悄然としていくにちがいありません。

しかし、自分には「歌」がまだ残っています。

例えば浅川マキが昭和47(1972)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「こんな風に過ぎて行くのなら」は、現在のサイケおやじには直球ストライクのど真ん中!

アコースティックギターのリズムカッティングからベース、ドラムス、そしてピアノというシンプルな伴奏に導かれ、浅川マキは本気でやるせない心象風景を歌ってくれるんですねぇ~~♪

もちろん作詞作曲は彼女自身ですから、気持ちの入り方も極めて自然体と思われますし、深町純(p,arr)、萩原信義(g)、高中正義(b)、角田ヒロ(ds) というバックの演奏メンバーも、きっちりと良い仕事ですよ。

う~ん、これぞっ、浅川マキの代表的人気曲のひとつとして納得の名演名唱が、ジンワリと心身に染み入るばかり……。

もはやサイケおやじの稚拙な筆なんかは無用の長物として、皆様にもこの気分はぜひとも共有していただきとうございます。

ちなみに同曲は、ご紹介のシングル盤に収録の他に翌年発表のLP「裏窓」には別風味のアルバムバージョンが入っていますし、後年にはリメイクバージョンも出すほど、彼女も十八番にしていた、ある意味では浅川マキの存在イメージを象徴する楽曲のように思います。

ということで、今の気分から抜け出すには、何かで自分を律しなければならないという覚悟をしております。

人は皆、悲しい出来事に遭遇しつつ、人生を過ごすわけですが、本当の悲しみはたったひとつで充分でしょう。

ただ、サイケおやじはそれを大切にしていきたいと思っています。

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途上にて感傷…

2015-10-17 15:52:45 | Weblog

あるきっかけから過去を思い出し、昨夜から心が揺れまくっています。

それは甘美な思い出でもあり、苦しかった日々のあれこれでもあり、当時は死ぬほど憎んでいた相手も今は愛おしいという、まさに「時は親切な友達」というユーミン心理の証明なのでしょうか……。

正直、思いっきり酔っぱらってみたい気分ではありますが、悲しいかな、サイケおやじは酒には酔わない体質のようで、まさか悪いクスリのお世話になるわけにもいかず、薄っぺらな感傷に浸っているというわけです。

人は誰でも秘密を持っているはずだし、そういうものを背負っていくのが人生の味わいと言ってしまえば、それはそれで立派かもしれません。

でもねぇ……、それが出来るほど、今のサイケおやじは強くありません。

とすれば、今の気持ちを大切にするしかないんでしょう。

せめて、ありがとうと言うべきなのは、逃げなのか、自己憐憫なのか……。

失礼致しました。

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わがままは金曜日に許される?

2015-10-16 16:37:40 | 歌謡曲

わがまま金曜日 / 榊原郁恵 (日本コロムビア)

さて、いよいよゴッサムシティにおいて現地の女性事務員を雇うことになり、こちらの募集要件に合いそうな人選面接を行ったところ、やって来たのが押並べて太った人ばかりだったのは、これ如何に!?

もちろん、太った人が悪いなんて言う気持ちは、これっぽっちもありませんし、きっちり仕事をやってくれれば基本はOKというのがサイケおやじの立場ではありますが、何事にも限度ってものがあるというのも本音なんですよ、失礼ながら。

実際、ど~したらこんなに大きくなれるの???

と、尋ねたい気持ちを押し殺し、どうにか選び出した彼女は和食が好きというので寿司屋へ連れていってみれば、遠慮無さすぎる喰いっぷりの良さに唖然とさせられましたですよ……。

日本人は「慎み」ってものを大切にするんですがねぇ~~~。

ということで、そんなこんなの積み重ねから本日は思わず掲載盤A面曲「わがまま金曜日」を口ずさんでしまったですよ。

ご存じ、今も当時と変わらぬ明るさで活躍している榊原郁恵が昭和52(1977)年に出したと記憶しているアイドル歌謡ポップスの典型ではありますが、それにしても

 わがまま わがまま放題 し放題


なぁ~んて、ここまであっけらかんと歌ってしまう榊原郁恵の天真爛漫さというか、ムチムチコロコロに太っていた若き日のイメージそのまんまが憎めないほどに屈託ありません。

それは作詞:藤公之介&作曲:森田公一のソングライターコンビが彼女のキャラクターを活かすべく、要望されたとおりに提供した、まさにプロ仕様の出来栄えだと思います。

残念ながら、それほどのヒットにはなりませんでしたが、所謂ブレイク前の予兆が充分に感じられるあたりは、榊原郁恵ならではのライトタッチなアイドル風情の存在感でしょう。

ということで、まだまだ苦難の道は続いていますが、嘆いていても問題は解決しませんから、今は流れに逆らわず、ちょっぴりでも我儘を押し出す事を模索している次第です。

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だれか待ってて、風の中で

2015-10-15 11:12:54 | 歌謡曲

だれかが風の中で / 上條恒彦 (キングレコード)

いきなりの泣き言で申し訳ありませんが、現在のサイケおやじは孤立無援……。

もちろん仕事での話なんですが、一番頼りにしていたスタッフが重度の鬱病らしく、二ヶ月近くも寝たきりの引き籠り状態で、電話にも出られないし、家族もお手上げという中、もちろんそれなりの治療も拒否しているとか???

当然ながら家を訪ねても会えず、しかもあんまりこちらからの励ましや苦言は厳禁という周囲の注意もあるもんですから、様子を見るというよりも、この先はアテにならないというのが本当のところと覚悟はしています。

しかし、こんな急場でサイケおやじは他所に義理を借りてばかりいられず、あ~ぁ……、こっちが全てを投げ出したいというのが本音ではありますが、そんな時こそ、助けてくれるのは「歌」という思いを強くしている次第でして、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「だれかが風の中で」もそのひとつです。

それはサイケおやじと同世代の皆様は言うに及ばず、昭和47(1972)年にフジテレビ系列で放送され、社会現象ともなった時代劇「木枯らし紋次郎」の主題歌ですからねぇ~~、主人公の渡世人・紋次郎は誰とも関わりを持つ事を避け、ギリギリ一宿一飯の恩義だけで孤独に強く生きていこうとするはずが、物語中では常に世の中の「しがらみ」や「義理人情」の板挟みに迷い、それを振り払っては後悔モードで去っていくという、なかなかリアルタイムでは新感覚の作風や演出が人気を集めました。

例の「あっしには関わりのねぇ~こってござんす」というキメの台詞は、前述した社会現象を呼び起こすには必殺の一言であり、しかしそれでも情に流されていく渡世人・紋次郎の生き様こそが、最高のハードボイルドだったんですねぇ~~~。

しかも紋次郎はチャンバラも実にカッコ悪く、ドスで斬りまくるというよりも、メチャクチャに振り回し、相手を殴りつけるが如き立ち回りどころか、負けそうにると走って逃げるというのが常套手段なんですから、それもまた新鮮味がありましたし、常に長い楊枝を加えている佇まいは、大人子供共通に真似て粋がる男が日本中に溢れていたほどです。

もちろんサイケおやじも、すっかり「その気」にさせられていましたですよ。

ちなみにそのテレビ版の主演は中村敦夫であり、原作は笹沢佐保、演出の総監督は市川崑、そして制作スタッフのメインは大映の精鋭集団でありましたから、既にオープニングから素晴らしい映像美学が満喫出来たのも素晴らしいところで、掲載のジャケ写は全くそのイメージの流用でしたから、主題歌「だれかが風の中で」も忽ちの大ヒット!

ところが、これが当時としては全然時代劇のテーマとは裏腹に、丸っきりの西部劇調だったというのも、作詞:和田夏十&作曲:小室等、さらには編曲:寺島尚彦が企図した新感覚というところでしょうか。

まさに上條恒彦のハートウォームでダイナミックな歌唱にはジャストミートしすぎていたほどで、孤独に流離う中にあっても、何時か希望は見えるかも…… という刹那的明るさを求めるクールな男の心意気がウケたんだと思います。

そして現在のサイケおやじには、あらためてそれがグッと身に滲みて、気分はすっかりハードボイルドっていうわけなんですよ、恥ずかしながら。

いゃ~、決して悲壮感に酔っているわけじゃ~ないんですよ、言い訳と受け取られるかもしれませんが。

ただ、そんなこんなの心情を吐露したかったというのが本日の主題でありまして、すっかり皆様のご厚情に甘えてしまいました。

もちろん、この世は厳しいけれど、決して捨てたもんじゃ~ない!?

光がなければ、陰の見分けもつかないはずで、だからこそ、光を求めるちっぽけな気持ちを失いたくはありません。

だれが風の中で待っていてくれるのかなぁ~~。

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独り旅中です

2015-10-14 15:24:34 | Weblog

孤立無援で移動中のため、本日の1枚は休載、ご理解下さい。

風も冷たくなってきましたですね……。

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もっと知りたい八泉鮎子

2015-10-13 15:11:17 | 歌謡曲

はぐれ雲 / 八泉鮎子 (大映レコード)

この人も相当に無国籍なルックスというのが本日掲載のシングル盤ジャケ写の本人、八泉鮎子です。

どうやら発売されたのは昭和42(1967)年らしく、勝新太郎の主演人気シリーズ「悪名十八番」に挿入歌とクレジットされていますが、サイケおやじはその本篇を観たことが無いので、八泉鮎子が女優として、どのような登場をしているのかは知る由もありません。

また、彼女を「女優」と決めつけているのも、この1枚が「大映レコード」から発売されている点に準拠したまでの事で、果たして八泉鮎子はどのような活動をしていたのか? という部分についても、全く自らの不明をお詫びしなければなりません。

しかし、それでも作詞:川内康範&作曲:曽根幸明が提供したA面曲「はぐれ雲」を聴けば一発! 脂っこいコブシ回しも強烈な正統派歌謡曲が保守本流の仕上がりですよ。

う~ん、まさにこのルックスにして、この歌唱こそが、昭和元禄のひとつの典型だったように今は思うばかりです。

ちなみにサイケおやじがこのブツをゲットしたのは、例によって中古盤屋の店先ではありますが、やはり「ジャケ買い」趣味を同じくしていたであろう居合わせた他のお客さんとのちょっとした争奪戦がありまして、そこは当日の猟盤の中から若干のトレードを成立させたという経緯も思い出深いところでしょうか。

何せ件の同好の士は後にそんなこんなのレコード趣味を纏めた本を出したり、様々な復刻オムニバス盤の解説を書いたりした有名人だったんですねぇ~~!?

う~ん、世間はやっぱり出会いが大切という事でしょうか。

そんなに親しくはならなかった間柄も、せつない様な気分ですよ……。

ということで、個人的には八泉鮎子のレコードは、これっきりしか持っていませんが、既に述べたとおり、この「はぐれ雲」が挿入歌として用いられた映画「悪名十八番」はDVD化されているので、入手してみるつもりです。

もしも女優として出演されているのであれば、動く彼女のお姿も、なかなか楽しみになっているのでした。

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気になる原あつこ♪

2015-10-12 14:57:22 | 歌謡曲

流氷の歌 / 原あつこ (フィリップス)

これまた「ジャケ買い」趣味の極みつきとでも申しましょうか、主役たる原あつこのルックスはちょっと見ハーフということで、なんとも気になる異国情緒がたまりません。

しかもこのレコードに記録された彼女の声質が太田裕美っぽくて、全然スレていない感じがニクイんですねぇ~~♪

もちろんこれは中古ゲットのブツでして、それでもA面曲「流氷の歌」は世に出た昭和54(1979)年に小ヒットしていたんですから、その履歴についてサイケおやじは知るところが無くとも、原あつこはちゃんとした実績のある歌手だと思います。

ちなみに楽曲を提供した作詞:山上路夫&作曲:川口真、そして編曲:青木望というヒットメーカートリオなんですから、さもありなん♪♪~♪

前述したとおり、太田裕美系の甘え口調の節回しを正統派歌謡曲に活かした目論み(?)は、見事に成功したように思います。

ということで、告白すれば、サイケおやじは密かに原あつこのレコードを集めていたんですが、なかなか中古屋の店先では良い出会いが無く、しかしネットが普及して後、ようやくちょいちょい手元にやって来てくれるようになったのは、まさに時代の恩恵でありましょう。

また、当然ながら音源復刻集成のCDが出る事も期待していますが、彼女の場合はジャケ写が魅力のグラビアシンガー的な存在感もありますので、そのあたりもよろしくお願いしたいものです。

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