OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

今朝聴いた石毛礼子

2017-04-10 17:33:23 | 歌謡曲
旅の手帖 / 石毛礼子 (フィリップス)

掲載したジャケ写だけの印象では、なんとなく演歌系みたいに思えてしまう石毛礼子は、しかし正統派ポップス歌謡の実力派シンガーであり、このデビュー曲「旅の手帖」が発売された昭和56(1981)年では既に「オーバー20」であった事に反し、ポスト石野真子にして松田聖子のライバル(?)的なウリさえあったアイドル扱いじゃ~、その素晴らしい資質と才能が確実に認められる方向では無かったんじゃ……?

と、今でもサイケおやじは思っているんですが、それもこれも、全ては作詞:松本隆&作曲:網倉一也、そして編曲:船山基紀が提供した「旅の手帖」の心地良い仕上がりゆえの事です。

なにしろ曲調もサウンド作りも、その頃にはすっかり我が国芸能界に定着していた、如何にもというニューミュージックにどっぷりのアップテンポな明るさに満ちていながら、歌詞に用いられている言葉が天邪鬼というか、とにかくそ~ゆ~胸キュン性感帯を刺激する職人的技法が入った楽曲を伸びやかで澄み切った声で実に上手く節回す石毛礼子の歌唱力は本物!

それはリズムがシンプルな8ビートであり、彩としての所謂泣きのギターも出ず、幾分薄いストリングスや内気(?)なエレピが伴奏の主体となって彼女のボーカルをサポートするという狙いがそこにあったとすれば、ますます清楚でポップな歌いっぷりが冴えまくりなんですねぇ~~♪

実際、それは松田聖子を意識していたと言われれば否定出来ないところでもありますが、だからこそ穢れを感じさせない石毛礼子の歌唱では、大きなヒットが難しかったのか……?

う~ん、だとしたら、なんとも悲しい現実ですし、その実力と魅力に反して、彼女が残したレコードはシングル盤が4枚っきりなんですから、それは物凄く勿体無いと思うばかりです。

もちろん、芸能界には何時の時代も、実力がありながら売れなかった人は夥しいわけですが、実はこのシングルをゲットしてサイケおやじが初めて知ったのは、石毛礼子がヤマハ系だったという真相でして、それじゃ~、なんできっちりニューミュージックのアーティストとして売らなかったのか?

謎は深まるばかりです……。

しかし、おそらくは引退されているであろう彼女が残したレコードは、その全てが好きな人にとっては好きとしか言えない「お宝」だと確信する次第です。

ということで、最後になりましたが今朝、急にこの「旅の手帖」を聴きたくなって針を落としたら、楽曲全篇に滲みまくる明るい哀愁という、妙に心地良い印象が、マイナーとメジャーの両方のコードを些か恣意的に出し入れしたとしか思えない、本当にプロの手際を痛感させられました。

そのあたりを詳らかに解説するだけの理論をサイケおやじは持っていませんが、ストレートに、そして感じるままに聴く事が自然に出来てしまうのは、そうした技法の裏付けがあっての事なのでしょう。

さあ、生意気はここまでにして、音楽はやっぱり聴くのが第一義♪♪~♪

石毛礼子の未発表曲でも発掘&復刻されないかなぁ~~~、と願っているのでした。
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和製ホッドロッド! これはイケイケ歌謡ポップスの快作!

2017-04-09 18:04:20 | 歌謡曲
や■サニー・ボーイ / 小月リエ (ポリドール)

今でもこそ、学生でも自分専用の車を持っている者は珍しくも無く、特に地方では車が無ければ、他に移動手段が無いので、生活必需品として認められているわけですが、これが昭和40年代後半から同50年代の、例えば東京周辺においては、何時でも自分で自由に運転出来る車があるだけで、それは男であれば、女の子にはモテモテになる絶対のアイテムであり、つまりは裕福な家庭のおぼっちゃん、あるいはそ~でなくとも、バイト等々で懐に余裕があるとか、決定的な幸運に恵まれているという証明だったんですねえ~~。

それは車を買う事もそうです、なんとか所有しても駐車場や保険や税金、さらには燃料や整備点検・車検の費用が毎月バカにならないのですから、やっぱり勉学を優先する立場の者、つまり学生には不相応な持ち物とは理解していても、やっぱり車があればねぇ~~~♪

という楽しい目論見が果てしない妄想へと繋がるのは、青春の特権かもしれません。

そしてメーカー側も、そ~した若者をターゲットにした新車を次々に投入し、同時にテレビやラジオでも熾烈なCM戦が繰り広げられていた中にあって、そのタイアップによる歌謡曲も様々にレコード化されていた事は、殊更サイケおやじと同世代の皆様であれば、説明不要かと思います。

本日掲載のシングル盤A面収録「サニー・ボーイ」も、まさに曲タイトルとジャケ写デザインからもご推察のとおり、日産サニーをモチーフに、思いっきりヨイショしたカッコイィィ~~ビートポップス歌謡の決定版!

発売されたのは昭和43(1968)年7月ということは、高度成長~昭和元禄も真っ只中でしたから、とにかく前向きに明るく、なんでもイケイケが求めれていた時代だった所為もあるのでしょう、作詞:東大路千弘&作編曲:小林亜星が提供した「サニー・ボーイ」は、なんとっ!

アーチー・ベルとザ・ドレルズが我が国でもヒットさせていた「Tighten Up」を堂々とパクった、あのウキウキさせられるソウルグルーヴをテンポアップしたリズムパターンを用い、そこに明るいソフトロック系のメロディを附した、これもひとつの洋楽歌謡でありましょう。

しかも歌っている小月リエの声質がライトタッチでありながら、とても芯が強く、所謂パンチの利いた節回しを披露しているんですから、たまりません♪♪~♪

そして要所で短く、ダビングよるた一人多重コーラスを歌詞の言葉のキメの部分でだけやってしまうというアレンジも冴え、当然ながら、絶対にサニーであろう排気音のSEを入れているのも、所謂ホッドロッドサウンドとしてのイヤミの無いお約束です。

ちなみに歌っている小月リエは、おそらくはジャケ写に市松模様のミニスカワンピースで登場している女性だと思われますが、サイケおやじはテレビ等々でも接した記憶が全くありませんし、実はこのシングル盤や収録の「サニー・ボーイ」にしても、完全なる後追い体験ですので、彼女についての諸々は知る由もありません。

それでも、こんなに素敵なイケイケグルーヴ歌謡が日常的に作られていた時代に少年期を過ごせた幸せには、心から感謝するばかりです。

そして、何時の時代にも、幸せは絶対に存在するはずと、心から信じていたい気持ちであります。
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松本典子は実演派のアイドルシンガーでしょうか?

2017-04-08 19:43:08 | 歌謡曲
春色のエアメール / 松本典子 (CBSソニー)

昭和の芸能界で殊更女性アイドルが激戦時代だった昭和60(1985)年、業界からの熱い期待を背に受けたようにレコードデビューしたのが松本典子だったと記憶しています。

なにしろ歌手デビューする以前から各方面で彼女の名前と存在は喧伝され、実際前年には女の子雑誌の「セブンティーン(集英社)」が主催したミス・セブンティーン・コンテストに勝ち抜き、CMにも起用されていましたからねぇ~~、トップアイドルへの道筋は、しっかり用意されたところでの最初のシングル曲が、掲載盤A面曲「春色のエアメール」でありました。

確か、郵政省とのタイアップ曲でもあったはずと思いますが、楽曲そのものも、当時のポップス系シンガーソングライターでは最高の評価を得ていた EPO(エボ)から提供された、これがアップテンポの明るいポップス曲でしたし、ストリングスを贅沢に使い、メリハリの効いたリズム隊を配した大谷和男のアレンジも分かり易いものでしたから、既に大ヒットは約束されていたはずが……。

失礼ながら、それでも期待どおりに売れたとは言い難く、同じ頃に活躍していた先輩アイドルばかりか、同期の新人だった南野陽子斉藤由貴あたりにも後れをとっていた感があったように思います。

で、結局はアイドル歌手としては特段のヒットも出せないまま、何時の間にかテレビのバラエティ番組で存在感を強めていくうちに引退・結婚されたわけですが、歌手としての松本典子はサイケおやじにとってはなかなか不思議なボーカリストで、それはスタジオできっちり作られたレコードよりも、ライブやテレビ出演時の生歌(?)の方が魅力的という事です。

このあたりは熱心な彼女のファンからすれば、サイケおやじの大いなる勘違い、あるいは的外れの認識と言われても反論さえ出来ないわけですが、それでもこの「春色のエアメール」にリアルタイムの販促イベントで接したサイケおやじが、外聞も憚らず、その場で買ったレコードを自宅で聴いた時の落差には、完全に???の気分でありました。
 
普通は逆ですよねぇ~、特に普通一般のアイドルの場合は!?

それはこのデビュー曲に限らないと思うのですが、いかがなものでしょう。

そしてその意味で、当時のライブステージに生で接したファンの皆様には、本当に幸せな思い出になっているんじゃ~ないかと、拝察する次第です。

ということで、本日は嬉しいことに「花見の宴」に誘われ、出かけたものの、残念ながら雨に祟られて、ちょっぴり残念でした。

でも、まあ、それも思い出のひとつとして、意想外な喜びになるのかもしれません。

この世界は大変に物騒になって来ましたが、今、ここにこ~していられる幸せは大切にしたいものです。
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黒い蝶の仮面の下は…

2017-04-07 19:39:52 | 歌謡曲
黒い蝶のブルース c/w 鍵 / ダイアモンド・シンガー (日本コロムビア)

我が国の中古レコードは普通、誰かの手に渡った後に然るべき店に買い取られて商品になるという、所謂セコハン物が圧倒的に多いのですが、中には様々な放送局や関係者から流出したサンプル盤、そして当該レコード屋が廃業した場合等々に出て来る売れ残り品、所謂デッドストック物も確固たる存在感を示している事は、殊更猟盤活動に勤しむ皆様には、ご存じのとおりの実状かと思います。

このあたりの裏事情については、例えばアメリカでは売れ残りや廃棄処分盤を税金問題から切り離す処置のひとつとして、LPならばジャケットに穴を空けたり、あるいはその一部分を切り取ったり、またシングル盤の場合ですと、センターレーベルに小さい穴を穿つという、通称カットアウト盤として扱われるのですが、日本の場合だとデッドストック物は、そのまんま中古市場に流通するという、嬉しい実態も確かにありました。

ただし、そりゃ~売れ残りですから、有名作品はほとんどありませんが、それでも盤そのものやジャケットが新品同様ですし、何よりも売れなかったという結果が珍しいブツに遭遇する機会の多さでもありますから!

本日掲載のシングル盤も、まさにそんなデッドストック商品なのでしょう、サイケおやじが手中に収めた時にはピカピカのランクA♪♪~♪

もちろん珍しさという点においては、歌謡曲愛好者やコアなマニアにとってはそれほどでも無いのが本当のところとはいえ、サイケおやじには噂だけでしか知らなかった幻が眼前に現れたという、夢見心地の1枚でありました。

実は、このシングル盤で歌っているダイアモンド・シンガーと名乗る仮面の女性こそは、あのメガヒット「東京ドドンパ娘」を放った渡辺マリと言われているのですからっ!?!

それが何故かは知る由もありませんが、とにかくここで聴かれるダイアモンド・シンガー=渡辺マリは、あえて仮面を着用しただけあって、前述「東京ドトンパ娘」で残した強い印象とは異なり、極めて正統派ムード歌謡保守本流の歌唱を披露♪♪~♪

製作スタッフはA・B両面共に作詞:吉岡治&作曲:市川昭介、そして編曲:河村利夫という説明不要の大御所ですから、その仕上がりに抜かりはなく、まずA面「黒い蝶のブルース」は曲タイトルどおり、歌謡ブルースの典型でありながら、そのボーカルの芯のブレないグルーヴは本物でしょう。

また、一方のB面「鍵」は、これまた堂々のムード歌謡に仕上がっていて、それでも決して甘さに流れない歌いっぷりは、まさに渡辺マリ!? とダイアモンド・シンガーの正体を明かされてこそ、納得されるものと思います。

しかし、サイケおやじはダイアモンド・シンガーの実演に接した事は全く無くて、しかもレコードだって、これっきりしか持っていないんですが、だからこそステージライブは、どんな状況だったのか大いに気になるところです。

だって、仮面姿で観客の前に出た時、既に正体がバレていたとしたら、当然ながら代表曲「東京ドドンパ」を歌わなかったら収まりがつかないでしょうし、さりとてダイアモンド・シンガーとしての集客に、どのぐらいの期待があったのかは、レコードのヒット状況にも密接に左右されるのですから、このサイケおやじの疑問には、皆様からの情報をお願いしたいところです。

ちなみに仮面というか、覆面と云えば特にプロレスの世界では、このレコードが世に出た昭和42(1967)年では常態化しているギミックでしたから、実力がありながら素顔では人気が得られなかった、例えば白覆面の魔王と呼ばれたデストロイヤーとか、あるいは興行的に同じ顔触れのレスラーしか招聘出来なかった時の窮余の一策として、限定的に覆面で登場してもらった場合等々、様々な内幕があろうとも、それがウケれば結果オーライ♪

まあ、中には覆面着用でありながら、体型とか試合運び、そしてキメ技から、その正体がいきなりミエミエになっていたレスラーも少なくはありませんが、そんなこんなも昭和という時代であれば、今は面白い逸話として語られているわけでして、それが芸能界となれば、日本のハードロックバンドでは有名なバウワウが、覆面姿のシルバースターズと名乗って、一説によると前座とメインアクトのダブルギグをひとつのライブ会場でやっていたという伝説もあるそうですよっ!

う~ん、とすればダイアモンド・シンガーも渡辺マリも、一人二役で巡業をやっていた可能性も!?

ということで、今はなかなかこ~した稚気(?)を感じさせる芸能が登場しづらいというか、下手を打ったら忽ちネットで餌食になってしまうという社会じゃ~、それも……。

でも、例えミエミエでも、サイケおやじは、それを望んでいる気持ちに嘘はありません。

皆様は、いかがでありましょうかねぇ~~~。
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ほんとの気持の奥の細道

2017-04-06 19:31:27 | 歌謡曲
ほんとの気持を / 那須あけみ (ローヤル)

今でこそ珍しくもないインディーズレーベルも、それが昭和歌謡曲の世界では殊更有名なのが「ローヤルレコード」かもしれません。

もちろんそこから誕生したメガヒット盤は無いと思われますが、しかし中古屋での狩盤活動に勤しんでいると、今日まで星の数ほど出されていたシングル盤が決してコロムビアやテイチク、キングやビクター等々の大手レーベル以外のところで作られたブツに遭遇する事が度々で、その代表格が、おそらくは昭和50年代中頃まで存在していたであろう「ローヤルレコード」なのです。

しかし、サイケおやじは、決してその実態を知っていませんし、昭和40年代後半では、失礼ながら捨値盤コーナーでも売れ残っていたブツが大多数であり、当然ながら有名な歌手やグループは極僅か……。

ですから、サイケおやじの私有盤で同レーベルのシングル盤は、中古屋で邂逅した時の瞬時な直感によってゲットしたブツばかりで、それゆえにあまり自分の感性に合ったものも、これまた極僅かの中にあって、本日掲載の1枚は、そのA面「ほんとの気持を」が、もしかしたら、裏名盤じゃ~ないか!?

とまで思う時もあるんですが、それも気の迷いと諭されれば……。

それでも、あえてご紹介させていただければ、件の「ほんとの気持を」は作詞:川内康範&作曲:三佳令二、そして編曲:荒木圭男が企図した、なかなかビートの効いたポップス歌謡♪♪~♪

那須あけみの歌いっぷりも、ちょっぴり美空ひばりに影響された感じで、もちろん女王ひばりには到底近づく事も出来てはいませんが、それゆえにこの「ほんとの気持」を美空ひばりが歌ったら!?

と不遜な事をサイケおやじに夢想させてしまっただけでも、このレコードが作られ、手元にやって来た運命を感じてしまうほどです。

ちなみに発売されたのは昭和45(1970)年で、那須あけみについてはテレビ等々でも接した記憶が無く、当然ながらこのレコードに出会うまでは楽曲そのものも未聴でしたので、彼女についても知るところが全くありません。

それでも岡田可愛が質量感を増したようなルックスとムチムチした肢体は正直、気になりますねぇ~~♪

ということで最近、どマイナーちっくなレコード紹介が続いておりますが、そ~した音源がちょっぴりでも復刻されますよう、祈りを込めている次第です。

奥の細道は、まだまだ続いています。
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カリプソ歌謡曲は安らぎますねぇ~♪

2017-04-05 19:47:09 | 歌謡曲
恋の数え歌 / 三浦恭子 (東芝)

王道昭和歌謡曲の基本には、所謂「朝鮮半島のモード」が使われている事が否定出来ないと言われていますが、それが演歌に変質していく過程においては和物民謡調と並んで洋楽ポップス諸々も取り込まれていたという実相は、まさに我が国独特の歌謡曲文化、その雑食性の証明かと思います。

中でも演歌とハワイアン、あるいは和物民謡とラテン、さらには世界各国のエスニックなリズムやモードを入れ、そしてロックやR&B等々までも強く滲ませる楽曲が次々に作られるようになったのは、おそらくは昭和40年代の我が国大衆音楽の盛り上がりを示す、ひとつの素晴らしさだったのかもしれません。

つまり、リスナーにウケる要素を捜しては纏めるという作業の領域には未知の世界がどっさり残っていたからこそ、今に残る面白いレコードが夥しく作られていた事が、昭和歌謡曲の不滅の魅力なのでしょう。

本日掲載のシングル盤A面収録「恋の数え歌」は曲タイトルとジャケ写デザインからして一目瞭然、カリプソと小唄歌謡をクロスオーバーさせた逸品で、作詞:なかにし礼&作編曲:鈴木邦彦が昭和44(1969)年に作り出した、これがなかなかのコレクターズアイテム♪♪~♪

それはまず歌っている三浦恭子が当時の日劇ダンシングチームのトップスタアであり、もちろんサイケおやじは全盛期の彼女のステージには接することは叶いませんでしたが、その美しきナイスバディと佇まいの華やかさは、ジャケ写からもしっかり伝わってきますよねぇ~~♪

しかも既に述べたとおり、カリプソ調のリズムと演奏によって歌われるメロディのシンプルなキャッチーさが楽しく、彼女の歌いっぷりも声質が、いしだあゆみ!? みたいな感じが上手いコブシ回しと連動し、強い印象を残してくれますよ♪♪~♪

おまけにバックのソフトな男性コーラスが尾崎紀世彦の在籍していたザ・ワンダースと云われているのですから、これをGSや和物ソフトロックのコレクターが珍重するのも納得されるところでしょうか。

ということで、話は変わりますが、今日はまたまた無謀なミサイル発射をやらかした某国について、隣国の仕事関係者から、怖い話をたっぷり聞かされ、しかもそれを潰そうとする二つの大国の目論見は尚更に恐ろしいという、極めて真相に近いと思われる予測までも耳に入れられたんじゃ~、安穏とはしていらいれない気持ちになりました……。

それが現実にならない事を祈るだけしか、サイケおやじには手立てが無い以上、せめて一時の安らぎは大切にしたいと思うばかりです。
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昭和からの贈り物

2017-04-04 19:57:30 | 歌謡曲
私 / こんな私がいじらしい / 片山三紀子 (日本コロムビア)

隣街にあって、今も昭和レトロな雰囲気が横溢していた喫茶店が先月末で閉店したというので、今朝は回り道をして様子を見に行ったら、早々に建物が解体になるらしく、様々な道具類や粗大ゴミ等々の搬出が始まっていました。

そして折良く、顔見知りの店主がそこに居たもんですから、挨拶を兼ねて惜別の労いを申し述べたところ、処分するはずだったというコーヒーカップとお皿、スプーンを4セットも頂戴し、さらに捨てると言っていた雑多な古いレコードも好きなのを持っていってよ♪

と妙に明るい口調で、実に嬉しいお言葉に甘えてしまい、本日掲載のシングル盤を拝領させていただきました。

もちろん、サイケおやじは片山三紀子と名乗る歌手は今日まで、全然ノーマークだったんですが、それでもこのジャケ写の雰囲気と彼女の面立ちにグッと惹きつけられるものがありましたですよ♪♪~♪

ところが、中身のレコードの盤質が極めて酷く、カビと付着性油脂に侵され、さらには熱によって塩ビが変質しているので、到底聴けそうもないのは残念……。

でも、一応は楽曲クレジットを載せておきますねっ!

 A面「私」が作詞:阿久悠&作曲:井上かつお、そして編曲:馬飼野俊一!

 B面「こんな私がいじらしい」が同じソングライターコンビの提供で、編曲が佐々永治!

そして発売されたのは推定、昭和46(1971)年!?!

ですから、ますます聴いてみたいという欲望が!!?!

ちなみにA面曲「私」は「わたしく」と発音するというあたりも、気になりますねぇ~~~♪

ちなみに件の喫茶店は先代が67年前に開き、長男の現マスターが後を継いだわけですが、その先代の御令室、つまりママさんがサイケおやじの母親がやっていた洋裁店の上得意だったということで、子供の頃のサイケおやじも母親に連れられて行っては、そこでのクリームソーダーが極上のお楽しみ♪♪~♪

長じてからは足も遠退きましたが、それでもサイケおやじの母親は何かの集まりには、その店を使っていましたから、今回の閉店には寂しさを感じていたので、頂戴したコーヒーカップのセットは、大切な思い出のプレゼントでしょう。

ということで、肝心の掲載盤、そして主役たる片山三紀子については全く書く事も出来ないという現実が……。

それゆえに、ますます気になるというわけです。
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新人時代に癒された旋律

2017-04-03 19:18:24 | Singer Song Writer
旋律 / 杉田優子 (ビクター)

さて、いよいよ今日から新年度がスタートし、各業界それぞれに新人が入っての出発は、その緊張感も快い時期だと思います。

しかし、そう書いてしまったサイケおやじにしても、それは職場に慣れきったところに根差した慢心であり、新人の立場であれば、緊張感は不安と希望のアンバランスな帰結に過ぎないでしょう。

実際、サイケおやじも新人として社会に出た大昔のあの頃は、例えそれが学生時代のバイトの延長であったとしても、やはり右も左も分からないというか、持ち前のお気楽さが先輩や上司にとっては、軽く見られていた事は否定出来ず、しかも前述したとおり、職域の若干部分はバイトで経験していた業務とダブッていたことから、つまりは即戦力の兵隊、都合の良い使いっ走り的な立場であったわけでして……。

そんなことからサイケおやじも一丁前に仕事で心に疲れを感じていたのが、ちょうど新人時代の春でした。

しかし、そんな時こそ癒される時間にはエロ映画やSM誌、そして音楽があった事も確かでした。

本日掲載したシングル盤A面曲「旋律」は、そ~した苦悩(?)の時期に耳に馴染んだ、これが儚いフィーリングが横溢した歌謡ボサノバのニューミュージック的展開でして、歌っている杉田優子が作詞作曲し、鈴木茂が如何にも都会的なアレンジを施した名曲にして名唱名演♪♪~♪

発売されたのは昭和53(1978)年早々らしく、既に当時の慣例となっていたLPデビューが先行していたという、今となっては、なかなかに恵まれたスタートだったのも、件のニューミュージックが大きなブームとなり、次々に新しい才能が送り出されていた歴史の証明かと思います。

ただし、「ブーム」の反動というか、これは「GS」や「アイドル」のジャンルでも同様なんですが、その最中に夥しく登場した歌手やグループが、結局は極僅かしかブレイク出来ず、だからといって、売れなかったものが、つまらないとは言い切れません。

むしろ少数のファンに愛され、聴き継がれ、後々になって再発見されるケースだって少ないない事は言わずもがな!?

杉田優子の芸歴やその後については知る由も無いサイケおやじではありますが、一応LPは2枚ほど作られたようですし、各方面のスタア歌手のバックアップコーラスの仕事もやっていたと言われていますので、なんとか残された音源がきっちり復刻される事を願うばかり……。

しかし、正直に書かせていただければ、失礼ながら彼女のボーカルはアップテンポよりも、ミディアム~スローなテンポで味わいがはっきり表出される感じで、それはLPに収録された楽曲がカントリーロックからAOR、あるいは疑似ソウル歌謡やアイドルポップスの如き仕上がりのものまで、些かのとりとめのなさがツライわけでして、だからこそ、この「旋律」が尚更に素晴らしく、心に滲みわたると言えば、贔屓の引き倒しでしょうか。

でも、個人的には、この1曲があるからこそ、杉田優子は忘れられないシンガーソングライターであり、聴く度に癒されるというわけです。

未確認ではありますが、未だCD化されたという話も無い楽曲とはいえ、機会があれば、聴いていただきたい、せつなくもハートウォームな歌であります。
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春にはソウルフルなストラット

2017-04-02 18:13:56 | Soul Jazz
Soulful Strut / The Young-Holt Unliited (Brunswick / テイチク)

ソウルジャズのインストもまた、サイケおやじの大好物なんですが、それに火をつけた(?)名曲名演のひとつが本日掲載のシングル盤A面曲「Soulful Strut」であります。

ご存じのとおり、演じているザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドと名乗るバンドはエルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) のリズム隊コンビがやっていたプロジェクトで、この2人組はラムゼイ・ルイス・トリオに在籍して、例えば「The "In" Crowd」等々幾多のヒット作に関わった事から名を挙げ、1966年に揃って独立して以降の活動が、このザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドなんですが、そんな事はこの「Soulful Strut」を最初に聴いた瞬間にシビレた1969年当時のサイケおやじには知る由もありません。

とにかく、その頃のラジオから頻繁に流れていた「Soulful Strut」のワクワクするR&Bとジャズのフィーリングが好きでたまらず、キャッチーなブラスのリフ、哀愁滲むメロディをシンプルに弾くピアノ、そして蠢くベースとちょっぴりイナタイ感じのドラムスのビートが作り出す不思議と都会的なソウルフィーリング♪♪~♪

と書いたのは、今にしての具体的な感想であって、リアルタイムでは既に知っていた同系グループのブッカーTとMGs に比べれば、格段にオシャレな感じだっんですよねぇ~~♪

もちろん、両方のグループには単純に比較出来ない奥深さがある事は言うまでもありませんし、サイケおやじはどっちも大好きなんですが、そのあたりの好みのポイントのひとつが、エルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) がシカゴという黒人音楽の拠点のひとつをベースに活動していたというルーツがあり、これはサイケおやじがアメリカの大衆音楽を今日まで聴き続けて来た履歴を振り返ると、ブルースでもジャズでもソウルでもロックでも、件のシカゴという地域から登場し、作られていった楽曲やレコードのほとんどが自分の好みにジャストミートの現実に符合しているのですから、この「Soulful Strut」が好きになった時は中学生だったサイケおやじにしても、あらためて自らの趣味嗜好を再認識させられるわけです。

すると実はこの素敵なソウルインストには元ネタがある事も追々に知ってしまい、それがバーバラ・アクリンという、これまたサイケおやじが大好きな女性ソウルシンガーのバーバラ・アクリンが放ったヒット曲「Am I The Same Girl?」でありまして、なんとっ!
 
エルディ・ヤング(b) とレッド・ホルト(ds) は、そのバック演奏に参加していたところから、ボーカルパートを抜き、前述したとおり、ピアノをダビングしての改作が「Soulful Strut」だったとか!?

その背景には、同曲を書いたシカゴソウル界の才人たるユージン・レコードとアレンジャーのサニー・サンダースの目論見があったようで、前述のバーバラ・アクリンは当時、ユージン・レコードと夫婦関係にあったという真相も意味深ではありますが、とにかく元ネタとなった彼女の「「Am I The Same Girl?」とそのインストバージョン「Soulful Strut」は切っても切れない魂の絆でありましょう。

ちなみにユージン・レコードはシャイ・ライツのリードヴォーカリストとしても活躍した、まさにシカゴソウル界の大立者ですから、リスナー十人十色の好みの問題は当然ありますが、それでも関わった作品にはハズレがほとんどありませんので、要注意ですよ。

ということで、春にはオシャレなソウルジャズのインストでも聴きながら、ウキウキするのも悪くありません。

実際、サイケおやじは、これまで集めたザ・ヤング・ホルト・アンリミテッドのレコードやCDからお好みのトラックを選び出して纏めたファイルを車の中で鳴らしては、イイ気分に浸っています。

あぁ、こうしていられる現在の幸せに感謝です。
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告白と希求

2017-04-01 19:38:19 | 歌謡曲
告白 / 中原まゆみ (日本ビクター)

昨夜は例によって送別会で朝帰りという、それはそれで充実した1日を過ごしたサイケおやじではありますが、またひとり、昔っから気脈を通じていた仕事仲間が去ってしまう現実には、ますます取り残された気分を強くしたのも本音でした。

しかし、だからこそ、二次会~三次会と流れるにつれ、本性を露わにする大義名分も出来たという、些か潔いとは言い難い態度で盛り上がってしまった自らの醜態には、我ながら呆れてしまうばかり……。

連れて行っていただいた店のホステスさんが、なかなか好みのタイプ揃いだった事も嬉しく、そんなこんなの余禄さえも、享楽と憐憫のバランスがギリギリのところで保たれていたというか……。

さて、そんな夜が明けて、今日からは気分一新、ヤル気を出してゴタゴタに積み重なっていたレコードを片付けていたら、思わず、うっと呻いてしまったのが本日掲載のシングル盤でして、それはジャケ写に登場している中原まゆみが、昨夜入ったクラブのホステスさんにクリソツのイメージだったという、まあ、それだけの話なんですけどねぇ~~♪

長い前置きは、ここまでにして、中原まゆみは昭和芸能界のフェロモン歌謡部門では近年、なかなか人気も高いとされていますが、それは昭和46(1971)年に出したシングル曲「テイク・テン」が各種復刻オムニバスCDに収録されるほどの名唱・名曲である事によるものでしょう。

確かに、それはサイケおやじも認めるところです。

ただし、ストレートなセクシー&エロティシズムをそれに求めてしまうと肩すかしになるわけで、歌唱そのものは演歌ロックっぽい雰囲気もあるのが、前述「テイク・テン」の実相だと思いますが、それでも中原まゆみには、その面立ちにナチュラルなフェロモンが強く滲んでいるというジャケ写美女的な魅力があって、殊更眼差しの男好き感はサイケおやじの好むところ♪♪~♪

で、本日掲載のシングル盤も、全くのそれなんですねぇ~~~♪

実は発売されたのは、件の「テイク・テン」の前作として昭和45(1970)年に製作されたんですが、ど~です、この佇まい、この眼差しに、この唇&面立ちのフェロモン性感度は!?!

しかし、肝心の収録A面曲、作詞:有馬三恵子&作曲:鈴木征一、そして編曲:近藤進が提供の「告白」は、歌謡ポップスとフェロモン歌謡の融合を企図しているであろう狙いが、ちょっぴり空回り気味で、ジャケ写の雰囲気が浮き上がってしまったような……。

ちなみにプロフィール紹介によれば、中原まゆみは金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子のレ・ガールズで知られる西野バレエ団所属だったそうですが、個人的には彼女が踊っている姿には全く接した事がありませんし、歌手としてもテレビ出演されたという記憶もサイケおやじにはありませんので、活動そのものは地味だったのでしょうか、リアルタイムでのブレイクが無かったのも、今日の裏人気に繋がる布石だったと思えば、結果オーライ!?

ということで、冒頭の話に戻れば、今年度もサイケおやじは仕事で苦しめられるという先の見通しは確定的で、だからこそ刹那的と言われようとも、己の趣味で享楽を求める姿勢を強くしたいと、強く希望しております。

それが例え叶わぬまでも、好きなものを追及出来なくなったら、もう、お終いですからっ!
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