またまた……、知りたくもなかった話というか、以前の仕事に関連した嫌ぁ~な真相を聞かされて、完全に落ち込みモードですよ、今日は (>_<)
ここで詳らかにする事は無理ではありますが、サイケおやじの愚痴として、本日はご容赦くださいませ <(_ _)>
またまた……、知りたくもなかった話というか、以前の仕事に関連した嫌ぁ~な真相を聞かされて、完全に落ち込みモードですよ、今日は (>_<)
ここで詳らかにする事は無理ではありますが、サイケおやじの愚痴として、本日はご容赦くださいませ <(_ _)>
■女泣かせのはやり唄 c/w 燃える片想い / 三枝エリ (日本ビクター)
その場・その場で豹変するのが女という生き物の特質だとしたら、それに苦しめられるのも男の冥利?
なぁ~んて、聊かの達観にも届いていないサイケおやじではありますが、女の二面性には、それなりに呆れながらも、認めざるをえないという、そんなこの世の理を表しているのが、本日の掲載盤かもしれません。
まず、主役たる三枝エリについては、「この人」シリーズに分類する他はない、サイケおやじにとっては全く好みのツボという美人歌手 ♪♪~♪
ですから、もちろん、これはジャケ買い趣味が隠し様も無い1枚ではありますが、とにかく作詞:リエ・ヨコヤマ&作曲:いいだ・じょう、そして編曲:ジョニー・エドワーズという、なんとも訳ありっぽい制作クレジットがあるA面曲「女泣かせのはやり唄」はミディアムテンポのディープな恨み節演歌であり、イントロからの濃密なテナーサックスの響きに呼応したかの如きボーカルのエグイ声質による情念の歌唱は、全くクールビューティなジャケ写ポートレートには似つかわしくありません!?
というか、楽曲そのものの基本スタイルはムード歌謡だと思うんですが、歌詞の内容が男を怨嗟する女の真心?
―― みたいな、いやはやなんとものヘヴィな世界なんですねぇ~~!?!
そして三枝エリの歌唱力の凄さにも、圧倒されてしまうんですが、本当に驚くのは、レコードをひっくり返してのB面曲「燃える片想い」に針を落とした時であり、なんとっ!
こちらは作詞:中山てい&作曲:増田幸造が提供したライトタッチのセクシー歌謡なんですが、これを節回す彼女の声質が実に可愛らしく、ラテンフィーリングを前面に出した二宮久雄のアレンジとの相性も抜群なんですねぇ~~♪
いゃ~~、これって、果たして同じボーカリストが歌っているのか?
あらためてジャケットスリーブの表記を確認してしまったですよ、初めて聴いた時にはねぇ~~ (^^;
でも、これは紛う事無き、三枝エリが歌ったレコードなんでしょう!?
つまり、ここまで強烈な二面性を露骨に表出させたプロデュースの妙にしても、発売されたのが昭和43(1968)年という、所謂昭和元禄真っ只中という時代性をも超越した「あざとさ」が感じられ、しかし、それが決して憎めないという素晴らしさ (^^♪
天邪鬼なサイケおやじには、全くジャストミートの面白盤であり、女という生き物の「わからなさ」を記録してくれた、ありがたいブツというわけですが、いかがなものでしょう (^^;
まあ……、当然ながら、こんな戯言をホザいていれば、女性の皆々様からの顰蹙・お叱りは覚悟せねばなりませんが、そのあたりも、サイケおやじの下手くそな世渡りとして、ご容赦いただければ、ありがたいところです <(_ _)>
ということで、決して三枝エリを両面宿儺と崇めるわけではありませんが、少なからず、人は誰しも裏と表を使い分けて生きているんじゃ~ないでしょうか(^^;
そんなふうに思い込んでしまえば、それこそミもフタありませんが、サイケおやじとしては、自分の生き様に自己矛盾している事を自覚させられるばかりでございます。
失礼いたしました <(_ _)>
■銀座ブルー・ナイト / 青江三奈 (日本ビクター)
度々述べてきましたが、歌謡曲は雑食性が強いので、ジャズやロックやソウル、さらにはクラシックや各地域の民族音楽までも容易に取り込んでしまう特性がある事は、今日まで残されているレコードや様々な音源・映像を再確認するまでもない、我が国芸能史の確かに事実です。
しかし、歌謡曲には同時に地域性というか、所謂「ご当地ソング」なればこその相性も確かにあって、それが前述した海外の音楽ジャンルと結び付いた時、似合うとか、不釣り合いだとか、それこそ十人十色の好き嫌いが分かれてしまうんじゃ~ないでしょうか?
例えば、サイケおやじ的には、「ソウル歌謡」は「六本木」「青山」「赤坂」周辺、「歌謡ロック」「ド演歌」は「新宿」や「池袋」、「フォーク歌謡」は「原宿」、あるいは「渋谷」、そして「ジャズ歌謡」は、やっぱり「銀座」っていう、その証拠物件(?)のひとつと思っているのが、青江三奈が昭和49(1974)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「銀座ブルー・ナイト」です。
それは作詞:橋本淳&作曲:吉田正が最初っから狙っていたとしか思えない、典型的なジャズフィーリングを滲ませたムード歌謡であり、もちろん歌うのは青江三奈というハスキーボイスの天才ボーカリストであれば、さもありなんのアレンジは寺岡真三のイイ仕事♪♪~♪
メロディラインの覚え易さに加えて、歌詞に織り込まれた下世話なフレーズが、青江三奈ならではの達者な節回しで楽しめるのも、ジャズっぽさ全開の演奏パートに調子良いリズムアレンジの相性があればこそっ!
東京には夜の盛り場があっちこっちに在りますが、やっぱりこれは「銀座のサウンド」じゃ~ないでしょうか、殊更昭和40年代後半では (^^)
いぃ~じゃ~ないのぉ~ いぃ~じゃ~ないのぉ~
銀座のぉ~ 女ぁ~は 情があって
いぃ~~~じゃ~~ないのぉ~~♪
いゃ~~、こ~ゆ~曲展開と節作りこそは、「ジャズ歌謡」の一番美味しい魅力でしょうねぇ~~~ (^^♪
ちなみにイントロの最初パートで一瞬、梓みちよの「あの曲」を歌ってしまいそうになる衝動も、やはり歌謡曲の黄金律として、今になってのニンマリ感でしょうか (^^♪
ということで、おそらく……、今年の年末、少しは開放的な宴会ムードも予想されるとあって、盛り場歌謡の需要も増えるかもしれませんねぇ~ (^^;
もちろん、銀座は自腹で遊ぶには別世界の盛り場とはいえ、だからこその予行演習(?)として、この「銀座ブルー・ナイト」を楽しんでおくのも、悪くはないと思っているのでした。
■私を責めないで / 園まり (ポリドール)
可愛らしいルックスにフェロモン唱法の魅力を兼ね備えていたのが園まりの素晴らしさだと思えば、本日掲載のシングル盤A面曲「私を責めないで」こそは、セクシー歌謡路線の人気を象徴する名作でしょうか (^^)
それは作詞:岩谷時子&作曲:鈴木邦彦、そして編曲:小谷充という手練れの制作陣から提供されたミディアムアップのポップス歌謡で、如何にも発売された昭和45(1970)年6月のムードが横溢したサウンドの妙に幾分ネチッコイ彼女のコブシ回しがジャストミートの快唱に仕上がっており、カラオケパートの華やかなストリングス、シャキッとしたリズムギターにグルーヴしまくったエレキベース、さらにはキャッチーなメロディラインの程好い黒っぽさは、同時期の筒美京平あたりが作ってしまいそうな曲調でもあり、だからこそ奥村チヨをも凌駕しそうな歌いっぷりは、園まりだからこその傑作と思うばかり (^^♪
今となっては、フェロモン云々で語られる事も少ない園まりではありますが、この「私を責めないで」は、そのあたりの認識が再燃する起爆剤かもしれず、ど~か皆様にも、お楽しみいただきとうございます。
いゃ~~、園まり、本当にイイですねぇ~~♪
ということで、昨日のミニライブで張り切り過ぎたみたいで、今日は聊か手首に痛みを覚えております (^^;
まあ……、これも諸行無常、生かされている喜びのひとつでありましょう。
う~ん、齢を重ねるって…… (^^;
今朝急遽、高齢者バンドのミニライブが決定し、ちょっぴり遠出ではありますが、無事終了♪
現在、帰途にありますで、本日の1枚は休載御理解くださいませ <(_ _)>
ちなみに今回は助っ人ドラマー氏が入ってくれましたんで、エレキインストもやれましたです (^^)
これで明日からも、頑張れそうです。
感謝!
■雨あがり / 山口るみ子 (日本コロムビア)
その歌唱力と愛くるしいルックスでサイケおやじをシビレさせた山口るみ子の、これはちょい前に入手出来たシングル盤なんですが、以前にご紹介した「小さな恋の想い出」がソフトロック系の爽やかソングだったところから、ここでは路線変更したというか、一転してとは申しませんが、正統派歌謡曲にシフトチェンジされていたのが、収録A面曲「雨あがり」でした。
それは作詞:たかたかし&作曲:鈴木邦彦という、つまりは前述「小さな恋の想い出」と同じソングライターコンビからの提供ではありますが、サウンドや曲調そのものが、ほとんど同時期の小柳ルミ子の世界になっていたんですねぇ~~!?!
もちろん、山口るみ子と小柳ルミ子が、おなじ「RUMIKO」繋がりっていう部分も意識させられてしまうわけですが、そんなこたぁ~~、カンケ~ねぇ!
と断言しきれないところに、山口るみ子が歌う「雨あがり」という楽曲の味わい深さがあると思えば、森岡賢一郎が手掛けた如何にも和風アレンジのメロディラインも、しっかりと彼女の歌唱力で表現されているのは高得点 ♪♪~♪
ただし、世間の眼を避ける様な恋愛模様を綴った歌詞の世界が前述「小さな恋の想い出」と重なっているが故に、ここまでサウンドタッチを変える必要性があったのか……?
ちなみに発売されたのは昭和48(1973)年ですから、それも肯定されねばならないのかもしれませんが、そんな不遜な思いがサイケおやじには拭いきれません (^^;
もちろん、小柳ルミ子のフォロワーは大勢登場していますし、本家・小柳ルミ子を決して嫌いわけじゃ~ありませんし、そのあたりは、それこそ十人十色の感性でありましょう。
ということで、今日はネタの仕入れで方々徘徊したんですが、中古では特段のブツに出会えず、逆に新譜が充実していたので、ブートも含めて、あれやこれやとゲット出来たのは嬉しかったんですが、本当に聴きたくて、欲しい復刻企画物が物足りないのは贅沢とは分かっていながら、気持が……。
残りの人生、復刻・発掘作業に携われれば、以て瞑すべしと思うばかりです(^^;
本日の1枚は、休載させていただきます。
ちょっと仕事でゴタゴタが…… (>_<)
ど~しても今夜中に片付けるぞっ!
今日は朝から驚愕させられた皆様も大勢いらっしゃったにちがいありませんっ!
なにしろ、いきなりのJアラートで、北朝鮮からのミサイルによる空襲警報!
ですからねぇ~~、殊更対象地域となった新潟、山形、宮城の皆様であれば、瞬時に何をやってよいものやら、ほとんどの所で、地下避難場所なんてのは無いのが実情でしょうからっ!?
そして日本上空を飛行し、太平洋に落下したらしいという報道から一転、日本海上空で、それが消失したってんですから、二度吃驚じゃ~ないですかっ!?
サイケおやじの見解としては、おそらくは件のミサイルを標的として、日米連携のイージスシステムによっての迎撃が功を奏したんじゃ~ないかと思うんですが、いかがなものでしょう。
もちろん、前述のJアラートは、それを打ち損じた場合の緊急措置を発令したのだと思えば、とりあえずは安心というところでしょうか……。
しかし、それにしても、一発が億単位のミサイルをバカバカ発射している北朝鮮の指導者連中の頭の程度は、隠し様もないほどに知れ渡ったということですねぇ~~。
それだけのお金があれば、自国民は、もっと幸せな暮らしを営めるはずですし、他国から忌み嫌われる必要も無いはずなんですが……。
そのあたりの真相なんて、日本のテレビや新聞なんかじゃ~、絶対に報道されないでしょうし、殊更前述した「消失」についての解説なんか、言わずもがなという姿勢は、これ如何に?
実は本日知った話ではありますが、新潟県沖の孤島・粟島では先日、ミサイル対応の避難訓練が実施されていたとか、つまりは今回の北朝鮮の暴挙愚行は既に察知されていたんでしょうねぇ……。
ということで、本日は急遽予定を変更して、こんな文章を綴らざるをえませんでした。
この世に戦争ほど、くだらないものはありませんっ!
それで大儲けし、高笑いしている奴らが存在しているのも確かな真実ではありますが、地獄へ落ちるのは、どんな人間でも一緒ですよ。
この世で地獄は、見たくありません。
■謝肉祭 / 山口百恵 (CBSソニー)
先日のハロウィンに事寄せた韓国での大惨事には、哀悼の意を表するしかありませんが、それにしても今や宗教的な意味合いを失い、アメリカ以外の世界各国で民間行事と化したハロウィンそのものについても、賛否両論が再燃するのは必至でありましょう。
サイケおやじとしては、宗教行事は厳粛さとか、信仰心を大切にする基本姿勢が必須という立場ではありますが、しかし、祝祭そのものを否定する気持ちは毛頭ありません。
ただし、だからとて、節度を失った行動は極めて危険であり、見苦しい限りという実態は、残念ながら発生してしまった今回の韓国での事故によって、図らずも認識されてしまったというか……。
だいたいハロウィンという行事そのものは、決してキリスト教の行事ではなく、確かケルト人の風習だったと思うんですが、それが何時しか、アメリカにおいて、季節の風物詩的な夜祭みたいな状況となり、毎年の様に各地で騒動が勃発してしまうのは、やはり信仰心が基本的に欠如している疑似宗教行事だからでしょうか……。
いやはやなんとも、せつなくなるばかりなんですが、さて、そこで本日掲載した山口百恵のシングル盤A面曲は、そのものスバリの「謝肉祭」というタイトルなんですから、当時も今も、サイケおやじには、しっくりこないものがあります。
それは発売されたのが昭和55(1980)年3月でしたから、折しも彼女と三浦友和の関係が公となり、婚約 ~ 結婚という流れが出来上がっていた頃であれば、本来はキリストの復活祭前の期間に行われる「謝肉祭」という宗教行事を曲タイトルにしてしまった制作側の意図も、なんとなく透けて見える気がしたものです。
ところが、それでいて歌詞中には「ジプシー」という言葉が楽曲のキメのパートで用いられているという、聊か的外れな展開に加えて、その言葉自体が当時は差別的として疎まれ、結果として、しばらくの間、彼女のベスト盤等々には収録されなかったのが、この「謝肉祭」というエスニック歌謡の名曲・名唱でありました。
なにしろ、作詞:阿木燿子&作曲:宇崎竜童、そして編曲:大村雅朗というヒットメーカーの狙いは本当に的確で、基本的には歌謡ロックでもイケる楽曲を恣意的なエスニック~スパニッシュ調を入れたアレンジで山口百恵という、当時最高にインパクトの強かった歌手に演じさせたのですから、たまりません ♪♪~♪
ズブ濡れのショットを使ったジャケットスリーブの激しさ(?)共々に、引退が既定路線になっていた山口百恵という稀代の歌手の「復活祭」をお膳立てしたかの如き企画なのか?
そんな穿った想いが、サイケおやじの心中にあったのは確かでした。
しかし、あらためて述べるまでもなく、山口百恵は引退されて以降、本格的な芸能界復帰は全くありませんから、その潔い節度には、生意気な事を考えていたサイケおやじなんか、身も縮む思いであります……。
ということで、何事も節度と基本理念を大切にするのが肝要とはいえ、これが……、なかなか難しいのが、浮世の実情……。
あぁ……、悲し……。
■風物語 / 原ゆう子 (DINOS / キャニオン)
失礼ながら、オンタイムでの活動時よりも、現在の人気が高いと思われるのが、本日掲載シングル盤で歌っている原ゆう子!?
と書いてしまえば、これは完全なる贔屓の引き倒しではありますが、何故ならば彼女こそは、朋ひろこ=田代麻紀!
―― に他ならず、その改名を経て、昭和50(1975)年11月に出したのが、ここに収録のA面曲「風物語」であり、作詞:山川啓介&作曲:中村泰士が提供したのは、如何にも当時ならではのシンミリディープな歌謡フォークなんですから、たまりません ♪♪~♪
あかのたちおのアコースティックギターをメインにしたシンプルなアレンジも、演歌系正統派歌謡曲をやっていた朋ひろこ時代のコブシ回しを活かしたものになっているあたりは、狙っていたものでしょうか?
そ~ですよ、演歌フィーリングが強かった朋ひろこが、田代麻紀と名乗っていた時期はポップス歌謡、そして原ゆう子となってからは、歌謡フォーク系演歌スタイルと、それなりに時代に即応したレコードを制作発売していたのが彼女の実力を証明しているとしたら、現代における評価の高さも納得して然るべきものと思います。
ちなみにジャケットスリーブに記載があるんですが、これはTBSで放映されていたドラマ「ばあちゃんの星」の挿入歌らしいとはいえ、サイケおやじは全く同番組に接した記憶がありませんので、なんとも言えません。
しかし、楽曲そのものの哀切と悔悟の情感を真正面から歌った原ゆう子には、大いに好感が持てるんですよ (^^)
残念ながら、大きなヒットとは無縁の歌手だったかもしれませんが、虜になったら最後まで聴き続けたくなるのが朋ひろこ=田代麻紀=原ゆう子であります (^^)
ということで、ついに今年も残り2ヶ月という今日、ど~にか漫然と生活出来ている自分を幸せと思わなければ、大いにバチアタリ!
拙いブログを綴る事も、今やボケ防止策になっているのかもしれませんが、今後とも、よろしくお願いいたします <(_ _)>