(サンデー毎日 2007年10月21日号)岩見 隆夫(いわみ・たかお)氏が読売・朝日・産経の販売連携の発表に、次のような意見を述べている。
まつたく 賛成である。 (ネット虫)
噂には聞いていたが、衝撃だった。いざ、読売新聞グループ本社、朝日新聞社、日本経済新聞社(発行部数の順)の社長三人が打ちそろって記者会見し、ネット、販売での連携を発表する模様をまのあたりにすると、
〈ああ、とうとうそんなご時世になってしまったのか〉
と溜め息がでる。溜め息よりもっと複雑な感情かもしれない。
半世紀、新聞記者稼業を続け、ひたすら他紙との競争の渦に身を置いてきた私としては、足場が崩れていくような虚脱感に襲われる。過剰反応かもしれないが、おまえの時代は終わった、とお払い箱になる気分に近かった。
インターネット上にニュースサイトを設けるのは、すでに各紙が手がけてきたことで、それが本格化するのは別に驚くにあたらない。衝撃は競争三社が〈共同する〉という、この一点である。
とりわけ、発行部数で新聞業界一位の読売(一〇〇〇万部)と二位の朝日(八〇〇万部)が手を結ぶ。考えられない。私が毎日新聞社に就職した一九五八(昭和三十三)年は、朝・毎戦争のまっさかりだった。どちらの初任給が高いかが話題になるほど、ライバル意識が強く、それが紙面の質を高めてきた面もある。当時の全国紙は大阪発祥のこの二紙しかなかった。
のちに東京の読売が大阪に進出して、朝・毎・読三つどもえの激烈な三紙競争時代に入っていく。販売力で勝る読売が次第に部数を伸ばしたのはご承知の通りだが、とにかく競争こそ文化財としての新聞の命、という思想で生きてきたはずだった。
共同会見の翌日、二日付の各紙朝刊を、私はくまなく読んだ。中身もさることながら、記事の扱い方と見出しが興味深かった。まず、当事者の三紙をみると、読売は、
〈日経・朝日・読売が提携〉
と自社を最後にして、謙虚さを装っている。業界トップのゆとりを示そうとしたのかもしれない。しかし、ライバル・朝日を最初にもってこないところがゆとりの限界か。それにひきかえ、朝日は、
〈朝日・読売・日経が提携〉
とした。部数はともあれ、日本一のクオリティー・ペーパー(そう思っていない人もたくさんいるが)、という自負がのぞいている。読売、日経のどちらを最後にするかは迷っただろうが、読売を真ん中に置いたのはなんとなく卑屈。そして、日経は、
〈日経・朝日・読売〉
の順である。読売・朝日としなかった深層心理はいろいろに想像できて読みにくい。次に提携からはずれた二紙のうち、産経新聞は全紙のなかで唯一一面トップの扱い、三面でも特集してもっとも多くのスペースをさいた。新聞界の大事件という視点が伝わってくる。見出しは、
〈日経・朝日・読売〉
と部数の少ない順。大部数紙への敵愾心がにおわないでもない。もう一紙、毎日だけは他の全紙が一面のニュースで扱ったのに対し、二十四面の〈事件・話題・暮らし〉欄で、わずか二段見出しの小さな記事にした。順番は日経と同じで、
〈日経・朝日・読売〉
◇新聞界は新たな時代に 言論は活気を保てるか
私もそうだが、毎日には朝・毎・読戦争におくれをとった悔しさがあり、いつの日か雪辱をと思っている。三社提携が面白かろうはずがない。だが、ニュースはニュース、小さすぎる扱いはいささか大人気なかった。
結局、三社提携を伝える記事の見出しで部数トップの読売を頭にもってきた新聞は一紙もない。そこにあらわれているのは、配達網まで提携・共同と言いながら、底流では競争意識がなおも渦を巻いている新聞界の姿だ。三社は競いながら結ぶ、という困難な道を歩き始めた。
ところで、来年初めからネット上に三社共同のニュースサイトを創設する狙いについて、朝日の秋山耿太郎社長は、
「目的はネットにおける新聞社の影響力を高めることだ。ネットニュースで新聞社が果たす役割、影響力を多くの方に認識してもらいたい」
と共同会見で述べた。それは理解できるが、なぜ三社提携か、の答えになっていない。一社でやるより力を合わせたほうがパンチがあり、ネットの広告収益を上げる可能性も秘めているということだろう。
毛利元就の〈三本の矢〉のたとえもある。だが、男女の〈三角関係〉が危なっかしいように、手を組めばうまくいくというほど単純ではない。
インターネットという強力メディアが登場したからには、新聞のネット化は時代の流れである。一方、若者の活字離れで新聞が売れなくなった。新聞界は生き残りを懸けて何か手を打たなければならない転機にきていることは確かだ。三社提携はそれを象徴する出来事とみていい。だが、不安が大きい。桂敬一立正大学講師(ジャーナリズム論)が、
「新聞業界が曲がり角にある中で、三社は業界合理化の旗を振った格好だが、共同歩調をとらなければ弱者が滅びてしまう環境でもある。いわば、自民党と民主党の大連立構想と同じだろう。少数派が排除され、結果的に言論の多様性が失われないか心配だ」(二日付『産経新聞』)
と語っているように、新聞界は新たな弱肉強食の時代に入ったと言わざるをえない。正常な競争とは違い、一歩間違うと弱者切り捨てにつながる。この場合の弱者とは、紙面の質の意味ではなく部数弱者のことである。内容的に多様なペーパーがあってこそ、言論は活気を保つことができるが、寡占化が進めば活力を失い、社会が暗くなる。
私の同僚記者だった歌川令三さん(東京財団特別研究員)が二年前、『新聞がなくなる日』(草思社)というショッキングな本を出した。〈紙新聞〉のなくなる日、それは二〇三〇年だ、と歌川さんは予言している。ネット・メディアとの闘いに敗れる、という論旨だ。
もしそうだとすれば、あと二十二年余しか残されていない。三社提携は衰亡への道筋のようにも思えるが、新聞の生命力を保つ有力な手立てはないものか。
(サンデー毎日 2007年10月21日号)
岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任
まつたく 賛成である。 (ネット虫)
噂には聞いていたが、衝撃だった。いざ、読売新聞グループ本社、朝日新聞社、日本経済新聞社(発行部数の順)の社長三人が打ちそろって記者会見し、ネット、販売での連携を発表する模様をまのあたりにすると、
〈ああ、とうとうそんなご時世になってしまったのか〉
と溜め息がでる。溜め息よりもっと複雑な感情かもしれない。
半世紀、新聞記者稼業を続け、ひたすら他紙との競争の渦に身を置いてきた私としては、足場が崩れていくような虚脱感に襲われる。過剰反応かもしれないが、おまえの時代は終わった、とお払い箱になる気分に近かった。
インターネット上にニュースサイトを設けるのは、すでに各紙が手がけてきたことで、それが本格化するのは別に驚くにあたらない。衝撃は競争三社が〈共同する〉という、この一点である。
とりわけ、発行部数で新聞業界一位の読売(一〇〇〇万部)と二位の朝日(八〇〇万部)が手を結ぶ。考えられない。私が毎日新聞社に就職した一九五八(昭和三十三)年は、朝・毎戦争のまっさかりだった。どちらの初任給が高いかが話題になるほど、ライバル意識が強く、それが紙面の質を高めてきた面もある。当時の全国紙は大阪発祥のこの二紙しかなかった。
のちに東京の読売が大阪に進出して、朝・毎・読三つどもえの激烈な三紙競争時代に入っていく。販売力で勝る読売が次第に部数を伸ばしたのはご承知の通りだが、とにかく競争こそ文化財としての新聞の命、という思想で生きてきたはずだった。
共同会見の翌日、二日付の各紙朝刊を、私はくまなく読んだ。中身もさることながら、記事の扱い方と見出しが興味深かった。まず、当事者の三紙をみると、読売は、
〈日経・朝日・読売が提携〉
と自社を最後にして、謙虚さを装っている。業界トップのゆとりを示そうとしたのかもしれない。しかし、ライバル・朝日を最初にもってこないところがゆとりの限界か。それにひきかえ、朝日は、
〈朝日・読売・日経が提携〉
とした。部数はともあれ、日本一のクオリティー・ペーパー(そう思っていない人もたくさんいるが)、という自負がのぞいている。読売、日経のどちらを最後にするかは迷っただろうが、読売を真ん中に置いたのはなんとなく卑屈。そして、日経は、
〈日経・朝日・読売〉
の順である。読売・朝日としなかった深層心理はいろいろに想像できて読みにくい。次に提携からはずれた二紙のうち、産経新聞は全紙のなかで唯一一面トップの扱い、三面でも特集してもっとも多くのスペースをさいた。新聞界の大事件という視点が伝わってくる。見出しは、
〈日経・朝日・読売〉
と部数の少ない順。大部数紙への敵愾心がにおわないでもない。もう一紙、毎日だけは他の全紙が一面のニュースで扱ったのに対し、二十四面の〈事件・話題・暮らし〉欄で、わずか二段見出しの小さな記事にした。順番は日経と同じで、
〈日経・朝日・読売〉
◇新聞界は新たな時代に 言論は活気を保てるか
私もそうだが、毎日には朝・毎・読戦争におくれをとった悔しさがあり、いつの日か雪辱をと思っている。三社提携が面白かろうはずがない。だが、ニュースはニュース、小さすぎる扱いはいささか大人気なかった。
結局、三社提携を伝える記事の見出しで部数トップの読売を頭にもってきた新聞は一紙もない。そこにあらわれているのは、配達網まで提携・共同と言いながら、底流では競争意識がなおも渦を巻いている新聞界の姿だ。三社は競いながら結ぶ、という困難な道を歩き始めた。
ところで、来年初めからネット上に三社共同のニュースサイトを創設する狙いについて、朝日の秋山耿太郎社長は、
「目的はネットにおける新聞社の影響力を高めることだ。ネットニュースで新聞社が果たす役割、影響力を多くの方に認識してもらいたい」
と共同会見で述べた。それは理解できるが、なぜ三社提携か、の答えになっていない。一社でやるより力を合わせたほうがパンチがあり、ネットの広告収益を上げる可能性も秘めているということだろう。
毛利元就の〈三本の矢〉のたとえもある。だが、男女の〈三角関係〉が危なっかしいように、手を組めばうまくいくというほど単純ではない。
インターネットという強力メディアが登場したからには、新聞のネット化は時代の流れである。一方、若者の活字離れで新聞が売れなくなった。新聞界は生き残りを懸けて何か手を打たなければならない転機にきていることは確かだ。三社提携はそれを象徴する出来事とみていい。だが、不安が大きい。桂敬一立正大学講師(ジャーナリズム論)が、
「新聞業界が曲がり角にある中で、三社は業界合理化の旗を振った格好だが、共同歩調をとらなければ弱者が滅びてしまう環境でもある。いわば、自民党と民主党の大連立構想と同じだろう。少数派が排除され、結果的に言論の多様性が失われないか心配だ」(二日付『産経新聞』)
と語っているように、新聞界は新たな弱肉強食の時代に入ったと言わざるをえない。正常な競争とは違い、一歩間違うと弱者切り捨てにつながる。この場合の弱者とは、紙面の質の意味ではなく部数弱者のことである。内容的に多様なペーパーがあってこそ、言論は活気を保つことができるが、寡占化が進めば活力を失い、社会が暗くなる。
私の同僚記者だった歌川令三さん(東京財団特別研究員)が二年前、『新聞がなくなる日』(草思社)というショッキングな本を出した。〈紙新聞〉のなくなる日、それは二〇三〇年だ、と歌川さんは予言している。ネット・メディアとの闘いに敗れる、という論旨だ。
もしそうだとすれば、あと二十二年余しか残されていない。三社提携は衰亡への道筋のようにも思えるが、新聞の生命力を保つ有力な手立てはないものか。
(サンデー毎日 2007年10月21日号)
岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任