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日本政府の二枚舌?   楽石

2007年10月23日 18時15分05秒 | Weblog
韓国中央日報のこんな記事が載っていました。

     

2005年4月7日、日本の町村信孝外相は向かい合って座った
潘基文(バン・キムン)韓国外交部長官から激しく抗議を受けた。
当時、扶桑社の中学校歴史・公民教科書の独島(ドクト、日本名・竹島)
関連部分が検定の結果、
「韓国が不法占拠している竹島」という表現で記述されたからだ。

町村外相は潘長官の追及に「日本の教科書検定過程は韓国と違う。
一連の過程を経た個別の記述については、政府が削除や修正を要求したり
修正したりすることはできない」と言って対抗した。

2007年10月1日、日本政府の町村官房長官が記者会見場に現れた。
太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強要したという内容が
高校教科書検定過程で削除されたことについて、
沖縄県民11万人が先月29日に抗議大会を開き、怒りを爆発させた直後だった。
彼は「関係者の工夫と努力と知恵があり得るかもしれない」とし
「(修正)検討を文部科学省(文科省)に指示した」と述べた。
すると、文部科学相も「沖縄県民の気持ちを受け止め、
何ができるか選択肢を検討したい」と述べた。

日本政府が2005年の教科書波紋当時に‘盾’とした
検定制度はその間、一行も変わっていない。

      


そんなやり取りがあったんですね。
それにしても、町村さん、こんど潘基文さんに会ったら
どういう顔をするんでしょうね?


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もう一度、戦争のない国に生まれたい・・・   まもる

2007年10月23日 00時01分15秒 | Weblog
※写真は、タイトルをクリックすると拡大します。 

昨夜9時からのNHKスペシャル「学徒兵許されざる帰還・・陸軍特攻隊の悲劇」には大変心を打たれました。昭和18年10月21日の学徒出陣式を記念して放送されたもの。

 戦争末期学徒の悲劇は、昭和18年10月21日神宮外苑で行われた出陣学徒壮行大会を出発点に特攻玉砕戦へと続いて行く。
 昭和18年冬のガダルカナル撤退、19年のサイパン夏の陥落、秋レイテ沖海戦で壊滅、昭和20年春米軍沖縄上陸、夏終戦。へと転がるように壊滅して行く日本軍の切り札として考え出されたのが、陸・海軍による特攻玉砕作戦であった。
 本土決戦、一億玉砕、といった狂気そのものの作戦が国民を追い詰め、何千何万の学徒を自爆・自決へと駆り立てた。
 
 映像では、特攻に失敗し、戦後、死んでいった仲間の特攻隊員を訪ね慰霊の行脚を続ける大貫さんの姿を中心にその悲劇を追っている。
 国のため家族のためにと、戦闘機に乗りを決心し、技量を高めて敵と雌雄を決する心意気で志願した航空学校。しかし 命じられたのは、戦闘ではなく、250キロの爆弾を抱えるため無線も機関砲も取り去った玉砕機の操縦。それはおかしいと仲間同士で語り合う。                            しかし 上層部は狡猾にも自発性を装った希望票を書かせる。国のために特攻を「熱望するもの」「希望するもの」「希望しないもの」の三択である。ほとんどの学徒は、希望、熱望に○をつけざるを得なかった。               軽量で短距離用の戦闘機は爆弾の重みに操縦が困難で練習中にもよく事故を起こしたという。
 そして、48機集まるはずの戦闘機も12機しか集まらない。
 しかし、海軍との玉砕競争で戦果をあせつた陸軍幹部は(菅原中将)無理を承知で決行する。壮行会で彼は言う。「お前たちはすでに、神である。・・・最後にはお前らを看取って俺も必ず死ぬ。・・・」と
 そして 翌朝片道の燃料で出撃する。彼はエンジンの不調で徳之島に不時着。
 再起を誓って隊に戻る。
 しかし、送られたのは福岡県の陸軍施設「振武寮」。 神兵の失敗は許されず、特攻に失敗したものはここに隔離収容され、再教育。上官からの想像をこえた叱責。
 「なぜ 玉砕しなかったか。なぜ 死ななかったか。おまえはクズだ。・・」
暴力と人間性を否定する罵倒。自殺を図った仲間も多かったという。
 そして戦後も、特攻に失敗した落伍者、卑怯者、裏切り者として生きて行かざるを得なかった。戦友の慰霊に訪ねれば、遺族からは無言の恨みと侮蔑の視線を浴びて逃げるように帰ったという。

 そんな大貫さんが、最後に語ったのは、出撃の前、語り明かした戦友大上さんとの思い出である。
 「お前今度生きてきたら何になる?」 大貫さんの問いに師範学校出身の大上さんは「戦争の無い国に生まれて、教壇に立って、いい先生になるんだ。」と目を輝かせて答えたという。
 その会話を語りながら声を詰まらせ涙を拭う老いた学徒兵の姿で番組は終わっている。

※ 番組によれば、特攻出撃の学徒を神と煽て、自らも後に続くと訓辞した菅原某は戦後長寿をまっとうしたという。

※ 学徒兵は学歴故に戦闘現場で仕官として扱われ、一般の兵隊から冷ややかな目で見られ幾多の辛酸を味わったとも言う。
 
  
 

 
コメント (2)
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