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「自衛権と国連参加」    小沢一郎の講演から ネット虫

2007年10月01日 21時23分42秒 | Weblog
※風の東本さんから高野孟のHP「極私的情報曼荼羅」 2007年09月28日)に載った小沢氏の講演内容がメールで届きました。
 小沢氏の考え方を知る良い資料だと思います。興味のあるかたはお読みください。

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民主党の小沢一郎代表は9月3日、長野県軽井沢で開かれた参議院民主党・新緑
風会研修会で講演し、その中で、テロ特措法に関連して彼が「理念、哲学の違い」と呼んでいるものについて基本点を述べた。以下、速記録からその該当部分を要約紹介する(小見出しは本誌による)。

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■自衛権発動と国連平和活動参加との峻別   

 今度の国会の最大の焦点になっておりますテロ特措法の話でありますが、マスコミは、なんか私が個人的な見解を一方的に発現しておるかのごとく言う人がおりますけれども、決してそうではありません。その基本方針の政策の中に書いてありますし、またマニフェストでも、イラクについてもテロ特措法についてもちゃんと書いておりますので、あとで目を通していただきたいと思います。マグナカルタの「外交・安保政策」の最後の部分をご覧いただきたいと思います。2つの文章になっています。

注:政策マグナカルタ(東本)
  http://www.dpj.or.jp/news/files/seiken.pdf

 1つは、自衛権の問題について書いてあります。自衛権は、私どもが急迫不正の
侵害を受けた場合、簡単にいえば我々が攻撃を受けた場合にのみ行使する。安保条約に絡んで周辺事態法というのがありますが、放置しておくと我が国への侵略につながる、そういう周辺の事態、いわゆる「準有事」ですが、周辺事態法にはその規定が書いてありますけれども、我々の基本的な考え方は、とにかく攻撃を受けたときのみは自衛権を行使する。すなわち武力で反撃する。そうでない限りは、個別的とか集団的とかに関わらず、武力の行使、自衛権の発動はしない、ということ第一の文章に書かれていると思います。

 しかし、自分の安全のことだけでどうなんだ、ほかの世界平和のためにどうする
のかということに対応して、2番目に書かれていると思います。国際社会、そして
国際社会で国々の唯一の機構である国連、この国連の平和維持・治安維持の活動は、言ってみればお巡りさんの役目であります。その国連の行動には我々は積極的に参加する。また、それは日本国憲法になんら抵触しない、という考え方が2番目に述べられていると思います。

 この点につきましては。日本の法制局自体が非常に混乱しておりますので、みんなが混乱するのも当たり前ですけれども、日本の法制局は今もって、国連の平和活動であっても集団的自衛権の行使の延長線上でしかないのだという解釈をとっております。そして、湾岸戦争のときには、「後方支援でも武力行使と一体となる。それは集団的自衛権の行使だから、参加は絶対ダメだ」と言って反対しました。17、18年前ですか、私は当時、自民党の幹事長で、西岡先生が総務会長を務めておられました。(参加を主張したのは)私と西岡さんぐらいのもので、あとはみんな反対ということでした。私は、自衛隊を派遣すべきだと言った。国連は多国籍軍に対して明確な、しかも詳細な裁量権を与え、行動を認めたわけでありますので、せめて後方支援だけでも、後方の野戦病院でも何でもいいから参加したらいいだろうと申し上げましたが、ほとんどが大反対。マスコミ、党内でも、もちろん野党もそうでありましたが、ついに実現できませんでした。

 ところが、法制局はそれまで「後方支援であっても武力行使と一体となる。だか
らダメだ」、と言ってきたんですけれども、アフガン、イラクに派遣するときは「後方支援は武力行使ではない」と言い出した。小泉さんも「戦争に行くわけではない。
危険なところに行くわけではない」。まさに、憲法論というより、子どもだましの詭弁です。それで事実上の軍隊を派遣したわけです。

 私はこの間、ドイツのメルケル首相とも話しました。ドイツも我々も歴史の苦い
経験がある。したがって、軍隊を海外に派遣することについては、きちっとした原
則を確立し、慎重な判断をしなければいけない。兵隊さんごっこをしているのでは
ないんだ。軍隊というのは、戦えば相手を殺傷することになるわけですから、そう
いう意味で、詭弁を弄して兵隊さん遊びをするというのは政治をもてあそぶものだと、私は考えております。やっぱり明確な原則が不可欠。あいまいさを残したままではいけないと私は思っております。

 脱線しますけれども、湾岸戦争のときに強硬に派遣に反対したのは誰だと思いますか。一番反対したのは外務省、次が防衛庁、そして法制局。その裏付けとなる詭弁、へ理屈をつくったのは法制局です。それがいつの間にか、海外派遣が既定の単なる事実として、積み上げとしてなされていることに、私は非常に危険を感じます。

 ドイツではその海外派兵について、与野党が猛烈な議論を何年か越しでやりました。その結果、たしかNATOの範囲内で派遣するとかいう形になりました。もちろん国連への協力でもいいんだと思いますが、そういう明確な議論をすべきだと私は思っています。クラウゼヴィッツの『戦争論』を引くまでもなく、戦争と言うのは政治がほかに方法がない、政治の究極の選択肢でありますから、しっかりした原則と判断を持つべきであろうと思っているわけであります。

 この後は皆さんでそれぞれ結論を導き出していただければいいのですが、わが党としてはこういう基本政策、基本方針、政策マグナカルタとしてみんなで決定した方針があることも、また念頭に置いていただきたいと思います。

■国連、憲法、安保の三位一体

これに関連してお話申し上げますが、資料をもう1枚お配りしてあると思います。
「国連憲章」「日本国憲法」「日米安保条約」の3つを並べて、「戦争放棄」「自衛権」「国際協調」の3項目を比較したものです。読み比べるとよく分かります。「戦争の放棄」は、日本国憲法だけにあるかのごとく言われていますが、そうでは
ありません。国連憲章にもきちんと「戦争の放棄」が明記されております。しかも、
その国連憲章の「戦争の放棄」とたぶんまったく同じ文章が、安保条約にも明記されております。日本国憲法の「戦争放棄」は、第1次世界大戦後の不戦条約、「ケロッグ=ブリアン条約」とも呼ばれておりますが、そこから取った文言だと言われておりますが、文章はちょっと違いますけれども、国連憲章にも日米安保条約にも同じ趣旨のことが書かれてあります。

 それから「自衛権」については、国連憲章に、それぞれの国が個別的・集団的自衛権を有することを認めるという条文があります。安保条約にもそれが同じ文章で書かれております。日本国憲法には、自衛権について逐条にはありません。ただ、自衛隊が書かれている安保条約を国民のほとんどが認めておるわけでありますし、個人の生活のレベルで言いますと、緊急避難、正当防衛が刑法で認められていますので、「自然権」という言い方もしますが、(日本には自衛権が)当然の権利としてあるであろうという推測が成り立つと思います。

 「国際協調」については、国連憲章第7条41条、42条にある。41条は経済制裁でありますけれども、経済制裁も事実上、軍事的制裁と同じなんです。なぜかといえば、その程度によりますけれども、本当に制裁しようとしたら経済封鎖する以外にないでしょう。海は海軍がやるしかないし、陸は陸軍が封鎖する以外にない。空軍も使う。要するに軍事力を使わなきゃ徹底的な経済封鎖・制裁はできない。そういう意味では41条も42条も同じなんですが、建て前は経済制裁ということになっております。

 42条は、陸海空、国連憲章では「空軍、海軍、陸軍」となっていますが、それでもって平和を乱すものを鎮圧することができると、42条で書かれております。

 安保条約では、(自衛権と国際協調の関係が)逆のサイドから書かれております。日本が攻撃された場合、日米でもって協力して安保条約に基づいて反撃する。日米のこの共同作業は、その紛争に関して、日本に対する第三国の攻撃に関して、国連で(協調行動が)決定された場合は終了する、と条約に書かれております。これは何かというと、国連憲章とまったく同じ概念、構成です。国際紛争は、国連が国際社会みんなの協力で解決する。国連が中心となって平和を維持する。しかし、みんなで集まってどうしようかと相談するわけですから、国連が動き出すまでにどうしてもタイムラグがある。それまでの間はそれぞれの国が個別的・集団的自衛権でもって反撃してよろしい。それを、安保条約は後ろからかいてあるだけのことでありまして、これは明確です。

 日本国憲法には、それが逐条にはまったくありませんし、ほかのところにもありませんが、平和を希求し名誉ある地位を占めたいという憲法前文の理念は、国連憲章にある世界平和の部分と同じであると、私は解釈いたしております。

 なぜこんなことを言ったかというと、我が国の(安全保障の)体系を知ってもらいたいからです。国連中心主義と日米安保体制・日米同盟は矛盾するのじゃないか、対立するのじゃないか、という議論がよくなされます。マスコミから何から、みんなそういう話をします。しかし、いま申し上げたことを理解していただければわかる通り、日米同盟、つまり安保条約そのものが国連憲章の理念、その論理の構成とまったく同じです。見ればお分かりの通り。私は、安保条約・日米同盟と国連中心主義はなんら矛盾しないと考えております。

 ただ、アメリカという国は非常に孤立主義的傾向が強くて、他人に制約されるのを嫌うんです。わがままなんですよ。これもメルケル首相に言ったら笑っていましたけれども。単純で若くてわがままですから、「オレが一人でできる」と言っていろいろやりがちですが、「自分一人でできないことはお分かりでしょう」とシーファー大使にも申し上げました。「オレの戦争だ」とブッシュさんは言いました。「アメリカの戦争だ。他の国の動員なんか要らない」。
そうはっきり言ったんですから。私は本当は、もうちょっと言いたかったんです(笑)。今になって「世界の皆さん、よろしくお願いします」と言うのは、アメリカ自身の理屈からいうとおかしな話なんです。それはそれとして、安全保障の原則について皆さんよく考えて研修していただきたいと思います。

■アフガンの実状と日本の役割

 最後に、これに関して、中村哲さんというアフガンで現実に働いているお医者さんから、この間話を聞きました。「ペシャワールの会」を日本国内でつくって、3億円ぐらい募金を集めて、アフガンで活動しているそうであります。医者ですからお医者の仕事をしているのかと聞いたら、「いや、医者より前に、まず食うことです」。自分で井戸を千何百ヶ所掘ったとか言っていました。アフガンは本来、90何%もの食料自給率で、自給自足の経済で食べていたそうでございます。ところが、戦争とものすごい干ばつで自給率が40%に下がった。その水準は日本と同じだから変な感じですけれども、日本はお金があるからいろいろかえるからいいが、アフガンはまさに自給自足の経済なのに干ばつと戦争で、医者にかかるより先にまず食わなければ、腹が減って死にそうだという状況にある。だから中村さんも、医者の仕事よりも井戸を掘ったり灌漑をするのに一生懸命だそうであります。

 我々はこの間の参議院選挙で「政治とは生活である」と主張いたしました。私はまさに、このアフガンも、もちろん中近東、アフリカその他の国も、その言葉が当てはまると思う。兵隊さんもみんな、井戸掘りの機械やスコップやもっこを担いで、一生懸命やったほうがいいんじゃないかと思うくらいでありますけれども、私は生活が安定しさえすれば、タリバンもアルカイダもなくせると思います。食うに困って、あしたどうしようか、もう飢え死にしそうだとかいうときに、外国の軍隊が入ってきて、「やあ、お前はタリバンか、やあ、アルカイダか」と言って銃を突きつけられたら、頭にくる一方だ。
それよりも、みんなが最低限でもいいから生活できるようにしてあげることが政治の基本だと、改めて思いました。

 もう一つ、中村哲さんが言ったことは、アフガンでは以前、日章旗を張っていれば絶対にタリ版もアルカイダも攻撃しなかったそうであります。日章旗はお守り札みたいなものだった。なぜかというと、アフガンは帝政ロシア以来、ロシアと接しているでしょう。だからロシアにさんざんやられているんです。トルコも同じだけれどもね。ところが、日露戦争で日本はロシアをやっつけたものですから、アフガンはものすごく親日的で、日本に対して好意的だったそうです。

 ところが、今、日本も結局、アメリカと一緒に軍隊を出しているじゃないかということで、日章旗をつけても攻撃を受ける恐れが大きくなってきたそうであります。中村さんは本当に井戸を掘ったり排水路をつくったりしていますから大丈夫ですけれども、日章旗は必ずしもお守り札ではなくなってきたということで、彼は早くやめてくださいということを私に言いに来たんですけれども、アフガンはそういう現状にあります。我々自身、「政治とは生活だ」「国民の生活が第一」ということを7月の選挙で訴えてきたわけであります。だから、そういうことも常に忘れずに政治に当たっていかなければならないと思っています。

 取りとめのないことばかり言いましたけれども、皆さんがいろいろと考え、勉強するに当たっての参考の意見を申し上げました。参考にしてください。(拍手)▲ 
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「民主集中制」について  楽石

2007年10月01日 17時30分13秒 | Weblog
私は共産党には強くありませんが、こんな文章を読みました。
面白かったので、紹介します。

東ドイツ崩壊後の、旧東ドイツ地域の民主社会党についてです。

ドイツPDS(旧東ドイツ地域の民主社会主義党)は
社会のなかに多様な意見があることを前提として、
広い意味で「社会主義社会」を実現しようとしている。
そのプロセスには多様なありかたがありうる。
そうした社会運動としての性格を保障するために
「民主集中制」の組織ではなく、
むしろ党内「分派」を奨励、討論を活性化しようとしている。

綱領の改正に向けて、草案が発表されると、
ただちに2つの対案が出され、7つの党内グループから意見が寄せられた。
これらはすべて公開され、討論されている。

(情報戦の時代 加藤哲郎 捕論 日本の社会主義運動の現在)より。

   

当たり前のことみたいですが・・・
こんなことが昔の党のなかでは行われていなかったのでしょうか?






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当時の熱い思いで9条を語ろう 2 へそ曲がり

2007年10月01日 16時10分56秒 | 国内政治・経済・社会問題
 あさってに次の手術が控えていますので、取り急ぎ投稿します。

 国際開発センター会長の品川正治氏(経済同友会終身幹事)が『憲法は国民にとって「押し付け」ではない』ということで、次のように語っています。

“歴代内閣で、総理大臣が、「憲法改正」を自分の任期中にやるとは言いませんでした。その難しさというのを知っていましたから。
 しかし、安部前首相は、国民が日本国憲法を守ってきた、ということを否定的にとらえた。そして、それを直す、という格好でした。
 押し付けられた憲法という言葉をよく使うんですね。でも、これは当時の支配階級が押し付けられたんであって、国民は押し付けられたわけじゃない。当時の支配階級は、もし国力を回復したら、武力をもつ「普通の国」にしてみせるという感じでした。
 ところが国民の側は、歓呼して憲法を迎えました。私自身が戦争体験があるだけに実感していることです。中国から復員船で日本に帰ってくるとき、新聞で憲法草案を見たわけだけど、復員船の中でみんな泣いていました。泣かなかった男は一人もいなかったよね。
 ここまで憲法で踏み込んで書いてくれれば、「おれたちは生きていける」と。
 当時、新聞のアンケート調査でも新憲法に8割近い支持があったわけで、決して国民は押し付けられたわけじゃない。
 ・・・・
 戦後60年間、国民は2度と戦争しない、という決意がありました。

 この人は兵士として戦場を体験している。その人が上記のような発言をしているのである。

 さらに言えば、1946年11月3日の新憲法公布祝賀都民大会についての2枚の新聞写真である。10万人以上が集まった全景とひとりひとりの笑顔が掲載されている。翌日の新聞を見ればすぐに分かる。
 この写真が占領軍の命令でいやいやながらに撮影されたとでも言いたいのか。心から新憲法を歓迎している様子が一目で分かる。これが歴史の事実である。
 
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ワジワジーな想い。        風の外間さんのメール

2007年10月01日 12時11分45秒 | Weblog
※風の仲間、外間さんからの熱いメールが届きました紹介します。まもる  
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ワジワジーといううちなーぐち(沖縄方言)をご存知ですか?
胸の中が煮えたぎっているというニュアンスです。
「集団自決」には日本軍の強制はなかったというように高校日本史を書き直せという政府・文科省の圧力には、全ての沖縄県民が怒りに怒っているのです。
だから11万人もの方々が集まったのです。一人ひとりがそれぞれの思いを抱いて、自発的に。
僕はやまとぅの地に45年住んでいますが、沖縄人(うちなーんちゅー)としてのアイデンティティーはずっとあります。いつの時代も逞しく生きてきたという誇りと、人間の尊厳も持ち合わせているつもりです。
29日の県民大集会には参加できませんでした。当日、世話人をしている地元の九条の会の会合が重なっていて。
27日の首都圏プレ集会には参加しました。
参議院議員の山内徳信さんのご挨拶も、報告、講演なさった皆さんの声、主張も、全て頷けるものでした。
沖縄タイムス、琉球新報の2紙が世論をリードしているのに比べ、やまとぅの商業紙は報道が少ないですね。「温度差」を感じます。
沖縄の問題で、自分には関係ないと思っていらっしゃる方が、皆さんの周りには多いのではないでしょうか?
全国の高校生が使う教科書で、全ての出版社が書き換えを強制されているのですよ。
もう決まったことはどうしようもない・・・そんなことはありません。
80年代初めに、やはり沖縄戦で、日本軍の住民虐殺の事実を教科書から抹殺しようとしたことに対して、沖縄ではそれこそ島ぐるみの運動が盛り上がった。
政治的無関心の方々も、ワジワジーして。
今度も全国でこの運動を盛り上げて行きましょうよ。
お願いします。
議会に働きかけたり、署名を集めたり、周りの皆さんに、働きかけて下さい。
この国の未来をどう作って行くか、教育とはどうあるべきかということも。
津嘉山君、照屋さんが2人で、高校生代表として集会で「おじぃおばぁはうそついていない」と題して、訴えていますね。「分厚い歴史教科書の一文、一行。その中には失われた尊い命があります。二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思い思いがある」と。
そして、二人は声を揃えて訴える「教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないで欲しい。たとえ醜くとも真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」11万人の前でしっかりと訴えて、万雷の拍手だったようです。
ワジワジー!!!
48年前に、中学3年の担任が声を荒げて、ゴムまりは押さえつけてばかりだと、やがて爆発すると、僕たちに語ったものです。
石川市(今はうるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落して、死傷者138人(!!!)の「事件」に対してです。(1959年6月30日)
虫けら同然に扱われ、戦争で死を強制され、防空壕を追い出され(我が家は2回も!)、食糧を強奪され(僕を負ぶった母も)、このようなことを隠し、また再現するのですか?
軍は住民を守れないどころか、危害を加えた。
沖縄戦でのこの歴然たる事実を覆い隠そうというのが、今回の教科書改ざん、歴史の偽造問題の間違いです。
そのことが間違いだと気づきながら、自分は何もしなかったなら、後々まで悔いを残すことになります。
みなさん、力を合わせましょう。政党支持の問題など、小さいものです。
大同の原則で。
僕は生後すぐに沖縄戦に巻き込まれ、母に守られて奇跡的に生き残ったものとして、「ゼロ歳の僕の沖縄戦体験」を語り続けています。高校生に授業の中で。退職後は小学生からお年寄りにまで。「戦争のない時代に生まれたかった」と言う言葉を残して、19歳で戦死した鉄血勤皇師範隊の宮良英加さんの思いと合わせて。この方は捕虜の米兵に食糧を上げたことが日本軍に判って、おばけのように顔が変形するまでリンチを加えられたという、博愛で平和主義者です。彼に危害を加えた日本軍はまた沖縄住民をスパイ容疑などで多く殺害しています。
「集団自決」を強制した日本軍と本質が同じです。
真実から目を背けずに、未来を創っていきたいものですね。

「風」の総会でも、熱い心でこの問題を論議していただきたい。
強く要望します。

なお、どこにでも語りに行きます。命の尊さを、平和の大切さを。
聴いてくださった方々はどなたも、涙をこらえながら聴いた。感動したと感想を語ってくださいます。真実の持つ重みです。きれいな水も飲めず、母が駆けつける前夜に、3歳で写真一枚残せずに、戦争に殺された兄の魂を込めて語ります。

集団自決の起きた一部の慶良間のきれいな海、きれいな景色を拙ブログでご覧下さい。去年の3月に沖縄平和の旅を案内して、終了後残って座間味島で撮ったものです。
『うちなー讃歌』というささやかな写真詩集には、ゼロ歳の僕の沖縄戦体験を散文で載せています。
http://blogs.yahoo.co.jp/gppdq762

外間喜明(ほかまきめい)
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