※風の東本さんから高野孟のHP「極私的情報曼荼羅」 2007年09月28日)に載った小沢氏の講演内容がメールで届きました。
小沢氏の考え方を知る良い資料だと思います。興味のあるかたはお読みください。
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民主党の小沢一郎代表は9月3日、長野県軽井沢で開かれた参議院民主党・新緑
風会研修会で講演し、その中で、テロ特措法に関連して彼が「理念、哲学の違い」と呼んでいるものについて基本点を述べた。以下、速記録からその該当部分を要約紹介する(小見出しは本誌による)。
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■自衛権発動と国連平和活動参加との峻別
今度の国会の最大の焦点になっておりますテロ特措法の話でありますが、マスコミは、なんか私が個人的な見解を一方的に発現しておるかのごとく言う人がおりますけれども、決してそうではありません。その基本方針の政策の中に書いてありますし、またマニフェストでも、イラクについてもテロ特措法についてもちゃんと書いておりますので、あとで目を通していただきたいと思います。マグナカルタの「外交・安保政策」の最後の部分をご覧いただきたいと思います。2つの文章になっています。
注:政策マグナカルタ(東本)
http://www.dpj.or.jp/news/files/seiken.pdf
1つは、自衛権の問題について書いてあります。自衛権は、私どもが急迫不正の
侵害を受けた場合、簡単にいえば我々が攻撃を受けた場合にのみ行使する。安保条約に絡んで周辺事態法というのがありますが、放置しておくと我が国への侵略につながる、そういう周辺の事態、いわゆる「準有事」ですが、周辺事態法にはその規定が書いてありますけれども、我々の基本的な考え方は、とにかく攻撃を受けたときのみは自衛権を行使する。すなわち武力で反撃する。そうでない限りは、個別的とか集団的とかに関わらず、武力の行使、自衛権の発動はしない、ということ第一の文章に書かれていると思います。
しかし、自分の安全のことだけでどうなんだ、ほかの世界平和のためにどうする
のかということに対応して、2番目に書かれていると思います。国際社会、そして
国際社会で国々の唯一の機構である国連、この国連の平和維持・治安維持の活動は、言ってみればお巡りさんの役目であります。その国連の行動には我々は積極的に参加する。また、それは日本国憲法になんら抵触しない、という考え方が2番目に述べられていると思います。
この点につきましては。日本の法制局自体が非常に混乱しておりますので、みんなが混乱するのも当たり前ですけれども、日本の法制局は今もって、国連の平和活動であっても集団的自衛権の行使の延長線上でしかないのだという解釈をとっております。そして、湾岸戦争のときには、「後方支援でも武力行使と一体となる。それは集団的自衛権の行使だから、参加は絶対ダメだ」と言って反対しました。17、18年前ですか、私は当時、自民党の幹事長で、西岡先生が総務会長を務めておられました。(参加を主張したのは)私と西岡さんぐらいのもので、あとはみんな反対ということでした。私は、自衛隊を派遣すべきだと言った。国連は多国籍軍に対して明確な、しかも詳細な裁量権を与え、行動を認めたわけでありますので、せめて後方支援だけでも、後方の野戦病院でも何でもいいから参加したらいいだろうと申し上げましたが、ほとんどが大反対。マスコミ、党内でも、もちろん野党もそうでありましたが、ついに実現できませんでした。
ところが、法制局はそれまで「後方支援であっても武力行使と一体となる。だか
らダメだ」、と言ってきたんですけれども、アフガン、イラクに派遣するときは「後方支援は武力行使ではない」と言い出した。小泉さんも「戦争に行くわけではない。
危険なところに行くわけではない」。まさに、憲法論というより、子どもだましの詭弁です。それで事実上の軍隊を派遣したわけです。
私はこの間、ドイツのメルケル首相とも話しました。ドイツも我々も歴史の苦い
経験がある。したがって、軍隊を海外に派遣することについては、きちっとした原
則を確立し、慎重な判断をしなければいけない。兵隊さんごっこをしているのでは
ないんだ。軍隊というのは、戦えば相手を殺傷することになるわけですから、そう
いう意味で、詭弁を弄して兵隊さん遊びをするというのは政治をもてあそぶものだと、私は考えております。やっぱり明確な原則が不可欠。あいまいさを残したままではいけないと私は思っております。
脱線しますけれども、湾岸戦争のときに強硬に派遣に反対したのは誰だと思いますか。一番反対したのは外務省、次が防衛庁、そして法制局。その裏付けとなる詭弁、へ理屈をつくったのは法制局です。それがいつの間にか、海外派遣が既定の単なる事実として、積み上げとしてなされていることに、私は非常に危険を感じます。
ドイツではその海外派兵について、与野党が猛烈な議論を何年か越しでやりました。その結果、たしかNATOの範囲内で派遣するとかいう形になりました。もちろん国連への協力でもいいんだと思いますが、そういう明確な議論をすべきだと私は思っています。クラウゼヴィッツの『戦争論』を引くまでもなく、戦争と言うのは政治がほかに方法がない、政治の究極の選択肢でありますから、しっかりした原則と判断を持つべきであろうと思っているわけであります。
この後は皆さんでそれぞれ結論を導き出していただければいいのですが、わが党としてはこういう基本政策、基本方針、政策マグナカルタとしてみんなで決定した方針があることも、また念頭に置いていただきたいと思います。
■国連、憲法、安保の三位一体
これに関連してお話申し上げますが、資料をもう1枚お配りしてあると思います。
「国連憲章」「日本国憲法」「日米安保条約」の3つを並べて、「戦争放棄」「自衛権」「国際協調」の3項目を比較したものです。読み比べるとよく分かります。「戦争の放棄」は、日本国憲法だけにあるかのごとく言われていますが、そうでは
ありません。国連憲章にもきちんと「戦争の放棄」が明記されております。しかも、
その国連憲章の「戦争の放棄」とたぶんまったく同じ文章が、安保条約にも明記されております。日本国憲法の「戦争放棄」は、第1次世界大戦後の不戦条約、「ケロッグ=ブリアン条約」とも呼ばれておりますが、そこから取った文言だと言われておりますが、文章はちょっと違いますけれども、国連憲章にも日米安保条約にも同じ趣旨のことが書かれてあります。
それから「自衛権」については、国連憲章に、それぞれの国が個別的・集団的自衛権を有することを認めるという条文があります。安保条約にもそれが同じ文章で書かれております。日本国憲法には、自衛権について逐条にはありません。ただ、自衛隊が書かれている安保条約を国民のほとんどが認めておるわけでありますし、個人の生活のレベルで言いますと、緊急避難、正当防衛が刑法で認められていますので、「自然権」という言い方もしますが、(日本には自衛権が)当然の権利としてあるであろうという推測が成り立つと思います。
「国際協調」については、国連憲章第7条41条、42条にある。41条は経済制裁でありますけれども、経済制裁も事実上、軍事的制裁と同じなんです。なぜかといえば、その程度によりますけれども、本当に制裁しようとしたら経済封鎖する以外にないでしょう。海は海軍がやるしかないし、陸は陸軍が封鎖する以外にない。空軍も使う。要するに軍事力を使わなきゃ徹底的な経済封鎖・制裁はできない。そういう意味では41条も42条も同じなんですが、建て前は経済制裁ということになっております。
42条は、陸海空、国連憲章では「空軍、海軍、陸軍」となっていますが、それでもって平和を乱すものを鎮圧することができると、42条で書かれております。
安保条約では、(自衛権と国際協調の関係が)逆のサイドから書かれております。日本が攻撃された場合、日米でもって協力して安保条約に基づいて反撃する。日米のこの共同作業は、その紛争に関して、日本に対する第三国の攻撃に関して、国連で(協調行動が)決定された場合は終了する、と条約に書かれております。これは何かというと、国連憲章とまったく同じ概念、構成です。国際紛争は、国連が国際社会みんなの協力で解決する。国連が中心となって平和を維持する。しかし、みんなで集まってどうしようかと相談するわけですから、国連が動き出すまでにどうしてもタイムラグがある。それまでの間はそれぞれの国が個別的・集団的自衛権でもって反撃してよろしい。それを、安保条約は後ろからかいてあるだけのことでありまして、これは明確です。
日本国憲法には、それが逐条にはまったくありませんし、ほかのところにもありませんが、平和を希求し名誉ある地位を占めたいという憲法前文の理念は、国連憲章にある世界平和の部分と同じであると、私は解釈いたしております。
なぜこんなことを言ったかというと、我が国の(安全保障の)体系を知ってもらいたいからです。国連中心主義と日米安保体制・日米同盟は矛盾するのじゃないか、対立するのじゃないか、という議論がよくなされます。マスコミから何から、みんなそういう話をします。しかし、いま申し上げたことを理解していただければわかる通り、日米同盟、つまり安保条約そのものが国連憲章の理念、その論理の構成とまったく同じです。見ればお分かりの通り。私は、安保条約・日米同盟と国連中心主義はなんら矛盾しないと考えております。
ただ、アメリカという国は非常に孤立主義的傾向が強くて、他人に制約されるのを嫌うんです。わがままなんですよ。これもメルケル首相に言ったら笑っていましたけれども。単純で若くてわがままですから、「オレが一人でできる」と言っていろいろやりがちですが、「自分一人でできないことはお分かりでしょう」とシーファー大使にも申し上げました。「オレの戦争だ」とブッシュさんは言いました。「アメリカの戦争だ。他の国の動員なんか要らない」。
そうはっきり言ったんですから。私は本当は、もうちょっと言いたかったんです(笑)。今になって「世界の皆さん、よろしくお願いします」と言うのは、アメリカ自身の理屈からいうとおかしな話なんです。それはそれとして、安全保障の原則について皆さんよく考えて研修していただきたいと思います。
■アフガンの実状と日本の役割
最後に、これに関して、中村哲さんというアフガンで現実に働いているお医者さんから、この間話を聞きました。「ペシャワールの会」を日本国内でつくって、3億円ぐらい募金を集めて、アフガンで活動しているそうであります。医者ですからお医者の仕事をしているのかと聞いたら、「いや、医者より前に、まず食うことです」。自分で井戸を千何百ヶ所掘ったとか言っていました。アフガンは本来、90何%もの食料自給率で、自給自足の経済で食べていたそうでございます。ところが、戦争とものすごい干ばつで自給率が40%に下がった。その水準は日本と同じだから変な感じですけれども、日本はお金があるからいろいろかえるからいいが、アフガンはまさに自給自足の経済なのに干ばつと戦争で、医者にかかるより先にまず食わなければ、腹が減って死にそうだという状況にある。だから中村さんも、医者の仕事よりも井戸を掘ったり灌漑をするのに一生懸命だそうであります。
我々はこの間の参議院選挙で「政治とは生活である」と主張いたしました。私はまさに、このアフガンも、もちろん中近東、アフリカその他の国も、その言葉が当てはまると思う。兵隊さんもみんな、井戸掘りの機械やスコップやもっこを担いで、一生懸命やったほうがいいんじゃないかと思うくらいでありますけれども、私は生活が安定しさえすれば、タリバンもアルカイダもなくせると思います。食うに困って、あしたどうしようか、もう飢え死にしそうだとかいうときに、外国の軍隊が入ってきて、「やあ、お前はタリバンか、やあ、アルカイダか」と言って銃を突きつけられたら、頭にくる一方だ。
それよりも、みんなが最低限でもいいから生活できるようにしてあげることが政治の基本だと、改めて思いました。
もう一つ、中村哲さんが言ったことは、アフガンでは以前、日章旗を張っていれば絶対にタリ版もアルカイダも攻撃しなかったそうであります。日章旗はお守り札みたいなものだった。なぜかというと、アフガンは帝政ロシア以来、ロシアと接しているでしょう。だからロシアにさんざんやられているんです。トルコも同じだけれどもね。ところが、日露戦争で日本はロシアをやっつけたものですから、アフガンはものすごく親日的で、日本に対して好意的だったそうです。
ところが、今、日本も結局、アメリカと一緒に軍隊を出しているじゃないかということで、日章旗をつけても攻撃を受ける恐れが大きくなってきたそうであります。中村さんは本当に井戸を掘ったり排水路をつくったりしていますから大丈夫ですけれども、日章旗は必ずしもお守り札ではなくなってきたということで、彼は早くやめてくださいということを私に言いに来たんですけれども、アフガンはそういう現状にあります。我々自身、「政治とは生活だ」「国民の生活が第一」ということを7月の選挙で訴えてきたわけであります。だから、そういうことも常に忘れずに政治に当たっていかなければならないと思っています。
取りとめのないことばかり言いましたけれども、皆さんがいろいろと考え、勉強するに当たっての参考の意見を申し上げました。参考にしてください。(拍手)▲
小沢氏の考え方を知る良い資料だと思います。興味のあるかたはお読みください。
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民主党の小沢一郎代表は9月3日、長野県軽井沢で開かれた参議院民主党・新緑
風会研修会で講演し、その中で、テロ特措法に関連して彼が「理念、哲学の違い」と呼んでいるものについて基本点を述べた。以下、速記録からその該当部分を要約紹介する(小見出しは本誌による)。
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■自衛権発動と国連平和活動参加との峻別
今度の国会の最大の焦点になっておりますテロ特措法の話でありますが、マスコミは、なんか私が個人的な見解を一方的に発現しておるかのごとく言う人がおりますけれども、決してそうではありません。その基本方針の政策の中に書いてありますし、またマニフェストでも、イラクについてもテロ特措法についてもちゃんと書いておりますので、あとで目を通していただきたいと思います。マグナカルタの「外交・安保政策」の最後の部分をご覧いただきたいと思います。2つの文章になっています。
注:政策マグナカルタ(東本)
http://www.dpj.or.jp/news/files/seiken.pdf
1つは、自衛権の問題について書いてあります。自衛権は、私どもが急迫不正の
侵害を受けた場合、簡単にいえば我々が攻撃を受けた場合にのみ行使する。安保条約に絡んで周辺事態法というのがありますが、放置しておくと我が国への侵略につながる、そういう周辺の事態、いわゆる「準有事」ですが、周辺事態法にはその規定が書いてありますけれども、我々の基本的な考え方は、とにかく攻撃を受けたときのみは自衛権を行使する。すなわち武力で反撃する。そうでない限りは、個別的とか集団的とかに関わらず、武力の行使、自衛権の発動はしない、ということ第一の文章に書かれていると思います。
しかし、自分の安全のことだけでどうなんだ、ほかの世界平和のためにどうする
のかということに対応して、2番目に書かれていると思います。国際社会、そして
国際社会で国々の唯一の機構である国連、この国連の平和維持・治安維持の活動は、言ってみればお巡りさんの役目であります。その国連の行動には我々は積極的に参加する。また、それは日本国憲法になんら抵触しない、という考え方が2番目に述べられていると思います。
この点につきましては。日本の法制局自体が非常に混乱しておりますので、みんなが混乱するのも当たり前ですけれども、日本の法制局は今もって、国連の平和活動であっても集団的自衛権の行使の延長線上でしかないのだという解釈をとっております。そして、湾岸戦争のときには、「後方支援でも武力行使と一体となる。それは集団的自衛権の行使だから、参加は絶対ダメだ」と言って反対しました。17、18年前ですか、私は当時、自民党の幹事長で、西岡先生が総務会長を務めておられました。(参加を主張したのは)私と西岡さんぐらいのもので、あとはみんな反対ということでした。私は、自衛隊を派遣すべきだと言った。国連は多国籍軍に対して明確な、しかも詳細な裁量権を与え、行動を認めたわけでありますので、せめて後方支援だけでも、後方の野戦病院でも何でもいいから参加したらいいだろうと申し上げましたが、ほとんどが大反対。マスコミ、党内でも、もちろん野党もそうでありましたが、ついに実現できませんでした。
ところが、法制局はそれまで「後方支援であっても武力行使と一体となる。だか
らダメだ」、と言ってきたんですけれども、アフガン、イラクに派遣するときは「後方支援は武力行使ではない」と言い出した。小泉さんも「戦争に行くわけではない。
危険なところに行くわけではない」。まさに、憲法論というより、子どもだましの詭弁です。それで事実上の軍隊を派遣したわけです。
私はこの間、ドイツのメルケル首相とも話しました。ドイツも我々も歴史の苦い
経験がある。したがって、軍隊を海外に派遣することについては、きちっとした原
則を確立し、慎重な判断をしなければいけない。兵隊さんごっこをしているのでは
ないんだ。軍隊というのは、戦えば相手を殺傷することになるわけですから、そう
いう意味で、詭弁を弄して兵隊さん遊びをするというのは政治をもてあそぶものだと、私は考えております。やっぱり明確な原則が不可欠。あいまいさを残したままではいけないと私は思っております。
脱線しますけれども、湾岸戦争のときに強硬に派遣に反対したのは誰だと思いますか。一番反対したのは外務省、次が防衛庁、そして法制局。その裏付けとなる詭弁、へ理屈をつくったのは法制局です。それがいつの間にか、海外派遣が既定の単なる事実として、積み上げとしてなされていることに、私は非常に危険を感じます。
ドイツではその海外派兵について、与野党が猛烈な議論を何年か越しでやりました。その結果、たしかNATOの範囲内で派遣するとかいう形になりました。もちろん国連への協力でもいいんだと思いますが、そういう明確な議論をすべきだと私は思っています。クラウゼヴィッツの『戦争論』を引くまでもなく、戦争と言うのは政治がほかに方法がない、政治の究極の選択肢でありますから、しっかりした原則と判断を持つべきであろうと思っているわけであります。
この後は皆さんでそれぞれ結論を導き出していただければいいのですが、わが党としてはこういう基本政策、基本方針、政策マグナカルタとしてみんなで決定した方針があることも、また念頭に置いていただきたいと思います。
■国連、憲法、安保の三位一体
これに関連してお話申し上げますが、資料をもう1枚お配りしてあると思います。
「国連憲章」「日本国憲法」「日米安保条約」の3つを並べて、「戦争放棄」「自衛権」「国際協調」の3項目を比較したものです。読み比べるとよく分かります。「戦争の放棄」は、日本国憲法だけにあるかのごとく言われていますが、そうでは
ありません。国連憲章にもきちんと「戦争の放棄」が明記されております。しかも、
その国連憲章の「戦争の放棄」とたぶんまったく同じ文章が、安保条約にも明記されております。日本国憲法の「戦争放棄」は、第1次世界大戦後の不戦条約、「ケロッグ=ブリアン条約」とも呼ばれておりますが、そこから取った文言だと言われておりますが、文章はちょっと違いますけれども、国連憲章にも日米安保条約にも同じ趣旨のことが書かれてあります。
それから「自衛権」については、国連憲章に、それぞれの国が個別的・集団的自衛権を有することを認めるという条文があります。安保条約にもそれが同じ文章で書かれております。日本国憲法には、自衛権について逐条にはありません。ただ、自衛隊が書かれている安保条約を国民のほとんどが認めておるわけでありますし、個人の生活のレベルで言いますと、緊急避難、正当防衛が刑法で認められていますので、「自然権」という言い方もしますが、(日本には自衛権が)当然の権利としてあるであろうという推測が成り立つと思います。
「国際協調」については、国連憲章第7条41条、42条にある。41条は経済制裁でありますけれども、経済制裁も事実上、軍事的制裁と同じなんです。なぜかといえば、その程度によりますけれども、本当に制裁しようとしたら経済封鎖する以外にないでしょう。海は海軍がやるしかないし、陸は陸軍が封鎖する以外にない。空軍も使う。要するに軍事力を使わなきゃ徹底的な経済封鎖・制裁はできない。そういう意味では41条も42条も同じなんですが、建て前は経済制裁ということになっております。
42条は、陸海空、国連憲章では「空軍、海軍、陸軍」となっていますが、それでもって平和を乱すものを鎮圧することができると、42条で書かれております。
安保条約では、(自衛権と国際協調の関係が)逆のサイドから書かれております。日本が攻撃された場合、日米でもって協力して安保条約に基づいて反撃する。日米のこの共同作業は、その紛争に関して、日本に対する第三国の攻撃に関して、国連で(協調行動が)決定された場合は終了する、と条約に書かれております。これは何かというと、国連憲章とまったく同じ概念、構成です。国際紛争は、国連が国際社会みんなの協力で解決する。国連が中心となって平和を維持する。しかし、みんなで集まってどうしようかと相談するわけですから、国連が動き出すまでにどうしてもタイムラグがある。それまでの間はそれぞれの国が個別的・集団的自衛権でもって反撃してよろしい。それを、安保条約は後ろからかいてあるだけのことでありまして、これは明確です。
日本国憲法には、それが逐条にはまったくありませんし、ほかのところにもありませんが、平和を希求し名誉ある地位を占めたいという憲法前文の理念は、国連憲章にある世界平和の部分と同じであると、私は解釈いたしております。
なぜこんなことを言ったかというと、我が国の(安全保障の)体系を知ってもらいたいからです。国連中心主義と日米安保体制・日米同盟は矛盾するのじゃないか、対立するのじゃないか、という議論がよくなされます。マスコミから何から、みんなそういう話をします。しかし、いま申し上げたことを理解していただければわかる通り、日米同盟、つまり安保条約そのものが国連憲章の理念、その論理の構成とまったく同じです。見ればお分かりの通り。私は、安保条約・日米同盟と国連中心主義はなんら矛盾しないと考えております。
ただ、アメリカという国は非常に孤立主義的傾向が強くて、他人に制約されるのを嫌うんです。わがままなんですよ。これもメルケル首相に言ったら笑っていましたけれども。単純で若くてわがままですから、「オレが一人でできる」と言っていろいろやりがちですが、「自分一人でできないことはお分かりでしょう」とシーファー大使にも申し上げました。「オレの戦争だ」とブッシュさんは言いました。「アメリカの戦争だ。他の国の動員なんか要らない」。
そうはっきり言ったんですから。私は本当は、もうちょっと言いたかったんです(笑)。今になって「世界の皆さん、よろしくお願いします」と言うのは、アメリカ自身の理屈からいうとおかしな話なんです。それはそれとして、安全保障の原則について皆さんよく考えて研修していただきたいと思います。
■アフガンの実状と日本の役割
最後に、これに関して、中村哲さんというアフガンで現実に働いているお医者さんから、この間話を聞きました。「ペシャワールの会」を日本国内でつくって、3億円ぐらい募金を集めて、アフガンで活動しているそうであります。医者ですからお医者の仕事をしているのかと聞いたら、「いや、医者より前に、まず食うことです」。自分で井戸を千何百ヶ所掘ったとか言っていました。アフガンは本来、90何%もの食料自給率で、自給自足の経済で食べていたそうでございます。ところが、戦争とものすごい干ばつで自給率が40%に下がった。その水準は日本と同じだから変な感じですけれども、日本はお金があるからいろいろかえるからいいが、アフガンはまさに自給自足の経済なのに干ばつと戦争で、医者にかかるより先にまず食わなければ、腹が減って死にそうだという状況にある。だから中村さんも、医者の仕事よりも井戸を掘ったり灌漑をするのに一生懸命だそうであります。
我々はこの間の参議院選挙で「政治とは生活である」と主張いたしました。私はまさに、このアフガンも、もちろん中近東、アフリカその他の国も、その言葉が当てはまると思う。兵隊さんもみんな、井戸掘りの機械やスコップやもっこを担いで、一生懸命やったほうがいいんじゃないかと思うくらいでありますけれども、私は生活が安定しさえすれば、タリバンもアルカイダもなくせると思います。食うに困って、あしたどうしようか、もう飢え死にしそうだとかいうときに、外国の軍隊が入ってきて、「やあ、お前はタリバンか、やあ、アルカイダか」と言って銃を突きつけられたら、頭にくる一方だ。
それよりも、みんなが最低限でもいいから生活できるようにしてあげることが政治の基本だと、改めて思いました。
もう一つ、中村哲さんが言ったことは、アフガンでは以前、日章旗を張っていれば絶対にタリ版もアルカイダも攻撃しなかったそうであります。日章旗はお守り札みたいなものだった。なぜかというと、アフガンは帝政ロシア以来、ロシアと接しているでしょう。だからロシアにさんざんやられているんです。トルコも同じだけれどもね。ところが、日露戦争で日本はロシアをやっつけたものですから、アフガンはものすごく親日的で、日本に対して好意的だったそうです。
ところが、今、日本も結局、アメリカと一緒に軍隊を出しているじゃないかということで、日章旗をつけても攻撃を受ける恐れが大きくなってきたそうであります。中村さんは本当に井戸を掘ったり排水路をつくったりしていますから大丈夫ですけれども、日章旗は必ずしもお守り札ではなくなってきたということで、彼は早くやめてくださいということを私に言いに来たんですけれども、アフガンはそういう現状にあります。我々自身、「政治とは生活だ」「国民の生活が第一」ということを7月の選挙で訴えてきたわけであります。だから、そういうことも常に忘れずに政治に当たっていかなければならないと思っています。
取りとめのないことばかり言いましたけれども、皆さんがいろいろと考え、勉強するに当たっての参考の意見を申し上げました。参考にしてください。(拍手)▲