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「民よりも国家体制を守る軍 」         マガジン9条「つぶやき日記」より

2008年08月20日 22時42分20秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
8月12日の各紙に、「東条英機元首相の直筆メモが発見された」という記事が載っていた。読んでみた。
 東条英機なる人物に戦争を指導されていた日本人の不幸を思わざるを得なかった。例えば、こうだ。(以下、毎日新聞8月12日付による)
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 (略)新爆弾に脅えソ連の参戦に腰を抜かし、一部条件を附し在りと雖(いえど)、全く「敗残者なり」との観念に立てる無条件降伏を受諾せりとの印象は、軍将兵の志気を挫折せしめ、国民の戦闘意志、さなきだに低下せんとしつつある現況に、更に拍車を加うる結果となり。(略)又、軍のみならず、内地国民の思想に頗(すこぶ)る悪しき動揺を与へ、政治上の信頼を全く失ひ、処置適切を欠くに於ては、混乱状態を惹起する恐れなしとせず。又此の間に生ずる共産主義の容認を云々する者を生じつつある現況に於て、益々然り。

 (略)無条件降伏受諾の影響は、軍、国民の志気阻喪を来し、此の際、交戦力に大なる影響を及ぼすことを恐るるのみならず、国民は悄(やや)もすれば一段安きに考えたる国民として軍部をのろうに至るなきや。

 (略)戦ひは常に最後の一瞬に於て決定するの常則は不変なるにも不拘(かかわらず)、其の最後の一瞬に於て尚ほ、帝国としての持てる力を十二分に発揮することをなさず、敵の宣伝攻略の前に屈し、此の結末を見るに至る。
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 これは、1945年8月10日から14日にかけて書かれたメモだという。8月6日と9日には、広島長崎に原爆が投下されていた。凄まじい数の犠牲者が出ていたことを知った上で、東条はこのメモを書いたのである。「新爆弾に脅え」との記述が、その事実を示している。
 メモのいたるところに、東条の悔しさがにじみ出ている。東条は、無条件降伏受諾に反対だった。もっと戦い続けたかったのだ。
 「帝国として持てる力を十二分に発揮」していないのだから、それを発揮しさえすればまだまだ戦える。そう東条は思っていたのだろう。
 この期に及んでも、東条は、国民のことより自らが君臨した日本軍の末路が心配だったのだ。無条件降伏を受諾すれば、「安きに考えたる国民」は「軍部を呪う」に至るだろう。だから、無条件降伏には納得できない、と言うのだ。
 戦い続ければ軍は存続できる。戦争が続いていれば、国民には軍を呪うゆとりなどない。それが東条の考えだったのか。
 国民にそれまで以上の犠牲と負担を強いてもなお、自らの存在基盤である“軍部”を守ろうとする。愛する日本軍が、国民から呪われてはならない。
 “帝都”東京は、1944年末からの100回以上に及ぶ米軍機の空襲で、ほぼ焼き尽くされていた。特に、45年3月10日の大空襲では、1日で8万人以上の死者を出した。東京大空襲での死傷者は20万人をはるかに超えるといわれているが、正確な数はいまもって分かっていない。
 沖縄では悲惨な地上戦で20万人以上の死者を出し、日本軍の組織的抵抗がようやく終結(1945年6月23日)したばかりだった。ほかの都市も、爆撃で膨大な死傷者を出していた。そして、それに止めを刺したのが広島と長崎の原爆だった。
 死屍累々の日本にあって、国民は“安きに考える”と言って憚らないその神経に、私は慄然とするのだ。空から舞い落ちる焼夷弾の業火に焼かれながら逃げ惑う人々に対し、「一段安きに考えたる国民」とは…。

 「軍は国民を守らない。軍が守るのは国家という体制である」とは、よく言われることである。だが、「国民のために軍隊は存在する」として、その意見を必死に否定する一群の人々がいる。
 ならば、ここに示された東条英機という日本軍最高幹部のメモを見よ。それでも、軍隊があなたという一国民を守ってくれると、無邪気にも信じ続けようというのか
コメント (1)
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